3-2 静かな空間
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彩雲が用意していた部屋は、優しい森の香りに包まれた、天窓付き・露天風呂付きの至高の一間だった。
称賛しようにも礼を述べようにも、彩雲はもういない。
寂寥感を埋めるよう、静かな空間で空を見上げながら露天風呂に浸かる。
先ほどまで雲に隠れていたはずの月が優しく俺を照らし、囁きかけるように夜風が吹いていた。
『早く自分自身と向き合う覚悟を決めて布団に入れ。ジジイが待ってる』
目を瞑り、彩雲の言葉を思い出す。
――逃げるな、迷うな、現実を見ろ。
背を押されるように覚悟を決めて、風呂から上がると寝床に向かう。
眠りにつく前に、俺は枕元にあった竹製の水筒から一口水を飲んだ。
水筒には小さな鈴飾りがついていて、俺はそれを丁寧に筒から外し、手の中に握りしめる。目が覚めても今夜のことを忘れないよう目印がわりにするためだ。
本当はメモ帳なりペンなりスマホがあれば今夜の出来事を書き記しておくことができるのだが、生憎、メモ帳もペンもどこにも置いていなければ、スマホはこの街のどこかに落としたまま。このままでは目が覚めた時、何もかもが嘘のように消え去ってしまう気がして、俺なりに精一杯の抵抗をしたつもりだった。
そうして、意を決して布団に入る。頭上は天窓だから星空に包まれて眠りにつくような感じだ。
目を瞑ればきっと、三日月に会える。
脈略のない考えがなぜか確信に近い形で俺の中にあり、自分自身と向き合うよう過去を思い返しながら瞳を閉じる。
『ゆうにい、はやくきのうのつづき、きかせてよ!』
一つずつ一つずつ丁寧に、慎重に記憶を辿っていると、薄汚れた少年の笑顔が閉じ込められていた籠の中から解き放たれた気がした。
そう、あれは……――。
懐古する間もなく、心地よい眠気が俺を眠りに誘う。
いつの間にか俺は、ストンと落ちるように深い眠りについていた。




