3-1 最初で最後のもてなし
◇
大広間を後にしても、洗練された絶品料理の味わいが長らく口内に残っていた。
三日月との出会い、彩雲との出会い、不思議な出来事の数々、思い起こされる過去――。
雑多な思いが頭の中を駆け巡る。
部屋に向かう道すがら、俺は案内役の彩雲に問うた。
「あなたたちは一体何者なんですか」
俺の問いかけに彩雲は立ち止まり、艶やかな瞳をこちらに向ける。
「聞いてどうする?」
「どうするわけでもない。ただ……」
「ただ?」
“ ――まぁ、明日になっても覚えていれば、の話ですけど ”
瞳を閉じて、三日月が言った言葉を反芻する。
薄々予感はしていた。
これは夢だ。温かくて、優しくて、尊くて、儚い夢。
だからきっと、明日になれば全て忘れてしまうのだろう。
だとしたら、俺は――。
「忘れたくないだけです」
今日の出来事を誰かに話したらきっと笑われるだろう。
それでも構わない。俺はこの意味のある不思議な時間を覚えていたかった。
彩雲はじっと俺を見つめた後、ガラス細工のような美しい瞳を窓の外に向けて呟く。
「ジジイは闇夜で人の子を照らす灯り」
「……」
「だとしたらアタシは……アイツに生み出された幻」
「幻?」
「人の子の言葉でいうと、ジジイは『神』、アタシは『あやかし』みたいなものだな」
想定外の言葉に目を見開いて彩雲を見たが、彼女はそんな俺に構わず続けた。
「ジジイは三日月の晩にだけ人の子の前に姿を現すことが許され、アタシはある条件が揃えば同じ夜に一時間だけジジイのそばにいられる。信じるか否かはお前次第だ」
にわかに信じがたい事実だが、銀色の狐から美女(それもこの世の生き物とは思えないほどの美しさだ)に変身したり、話してもいないことを知っていたり、不思議な出来事の数々を思い返すと、その答えには納得できる気もした。
いや、二人の正体がなんだろうとそんなのはこの際構わない。今はそれよりも――。
「ちょっと待て。彩雲はたったの一時間?」
「ああ」
「じゃあ、一時間経ったらどうなるんだ?」
「消える」
「……」
「今宵はあと二分だ」
「えっ。ちょまっ、待ってくれよ!」
「自分じゃどうにもならぬ。目的の部屋はもう目の前だし、ジジイはまだ消えないから問題ない」
「で、でもっ……」
まだ話したいこと、聞きたいことがたくさんあるというのに。
急に焦り出す俺を見て彩雲はどこかおかしそうに笑う。
「おかしなヤツだな。どうせみんな忘れてしまうんだ。別に焦ることないだろう」
「嫌だ! 俺、せっかくあんたたちとはいい飲み仲間に……いや、いい友達になれると思ったのに、これが最初で最後なんて……」
「……」
「頼むよ。彩雲も三日月もずっと消えないでくれよ。今度は俺が、もてなしのお礼に自慢の厚焼きたまごを作ってやるから」
コンビニ飯や粗食が日常の俺にとって、厚焼きたまごは唯一自信があると言える得意の手料理だ。二人から受けた手厚いもてなしに比べれば質は落ちるけど、真心たっぷり込めて作る自信はある。
「もちろんかき氷機だって用意する。だから……」
「やはり人の子とは面白いものだな」
「へ?」
「大丈夫だ。お前が忘れても、アタシたちはお前を忘れない」
必死に懇願する俺を宥めるよう、それはそれは美しい表情で微笑む彩雲。
卑怯だろ。今まで散々憎たらしい言動で人を貶めてきたくせに、今になってそんな綺麗な顔で微笑うなんて。
「嫌だ、彩う――」
「――時間だ」
俺がその名を呼び終わらないうちに告げられた限界の刻。その宣告が事実であることを証明するよう、彩雲が柔らかい輝きを纏うように淡く光り始めた。
きらきら、きらきらと。まるで御伽噺の月から来た姫が天に還っていく様を見ているかのような幻想的な光景で、彩雲の身体が足元から粉々に砕け散るよう、静かに天に昇っていく。
「待ってくれ、彩雲!」
「早く自分自身と向き合う覚悟を決めて布団に入れ。ジジイが待ってる」
「……っ」
今まで通りの生意気な口調でそう言い放った彩雲は、最後の最後まで別れの言葉を口にすることはなく、ただ一言だけ、別れの代わりとなる言葉を添える。
「お前の書く『すげぇ小説』、楽しみにしてるぞ」
それが、俺と彩雲が交わした最後の会話。
彩雲は極上の微笑みと優しい眼差しを残し、俺の目の前から静かに消え去ったのだった。




