2-3 名残惜しい宴
◇
(ああうめえ。なんなんだよこの美味さは――!)
口に入れた瞬間、蕩けるような柔らかい食感とじゅわりとした油の甘味、さっぱりとした大根おろしの風味が合わさって、悶絶するような幸福感が漲る。
揚げ出し豆腐の次は煮魚だ。いや、傍にある茶碗蒸しやブリ大根も捨てがたい。
次々出される料理に舌鼓をうちつつ、酒を差し出されればそれを呷り、そして……。
「――大体さ、テーマが需要に合ってないなんて簡単に言うけど、全員が全員需要あるもんばっか書いてたら個性もクソもねえじゃねえか。俺はさ、俺らしい作品で勝負したいんだよ」
俺はなぜ、見ず知らずの他人相手に情けない愚痴をぶちまけているのか。
もはやそんなことすら気にならないぐらい、次々に並ぶ絶品料理や美酒、場の雰囲気に酔いしれていた。
「悠真さんは本当に、小説を書くことに真摯な情熱をお持ちなんですね」
ただ黙って俺の話を聞いていたかと思えば、時にこうして心地よい合いの手を入れてくれる三日月がとにかく聞き上手すぎて、ことさら俺は饒舌になる。
「そりゃそうだ。これでも一応プロを目指してるからな。いつか絶対、世間をあっと驚かせるようなすげえ作品を書いてやる」
「今まで書いたヤツはすげぇ作品じゃないのか」
この微妙な合いの手は彩雲だ。くそ、可愛い顔して容赦なく気分を盛り下げやがる。
「俺はすげぇと思って書いてるけど……そもそも大手サイトの不人気ジャンルだからなかなか読者がつかねぇんだよ。もっと注目されて俺の作品の魅力に気づく奴が現れれば、きっと今以上に人気が……」
「過大評価乙」
「ぐ……」
「まぁまぁ彩雲。そもそも自分の作品に自信がなければ小説家なんて務まらないと思いますよ。特にプロを目指すのであれば悠真さんぐらいの直向きさがなければ難しいのではないかと」
三日月がアメなら彩雲はムチだ。俺は静かに杯を傾けている三日月にうんうんと頷く。彩雲は肩をすくめると、
「そんなにプロになりたきゃ兄貴に相談しろ。編集者なんだろ」
なぜそんなことまで知っているのか、至極まともな正論をぶつけてきやがった。
「それができてたら苦労しねえよ……。俺は兄貴が嫌いだし、小説書いてることも秘密にしてるから」
「何故隠す?」
「そりゃだって……」
答えかけてふと考える。他の人はともかくとして、なぜ俺は一番味方になってくれそうな兄貴に小説のことを話せないのだろうか。
「……」
単に恥ずかしいだけ?
実績がなく見栄を張れないから?
さっきのようなダメ出しを喰らうのが怖いから?
――どれも正解だろう。特に俺は幼い頃から兄貴に対しての劣等感が強く、弱みをみせたくない気持ちが強い。
「悠真さんはきっと、お兄さんのこと嫌ってるんじゃなくて、苦手意識しているだけなんだと思いますよ」
「え?」
不意をつかれて目を瞬くと、三日月は優しく微笑み、俺の蟠りをそっと解きほぐした。
「自分にないものを持っているお兄さんに対して嫉妬する気持ちもあるでしょうが、一方で、だからこそ『認められたい』という想いも強い。それが前提としてあったから、今宵お兄さんに作品の酷評をされて思っていた以上に傷ついたのではないでしょうか?」
まただ。なんで兄貴に酷評されたことを知っているんだろうという疑問はさておき、ぐうの音も出ないほど、的確な指摘だった。
三日月の言う通り俺は兄貴に嫉妬もしているし、見返してやりたいとも思っている。けれど、闇に葬りたいぐらい嫌いかどうかと聞かれたら答えはNOだ。
そもそも、本来ならどんな批評を受けても自分の弱点をきちんと受け入れなきゃいけなかった点や、兄貴の一編集者としての意見ももっと前向きに捉えるべきだった点も頭ではわかっていたのだ。
けれどあの時はどうしても感情の処理が追いつかなかった。それはやはり、兄貴に認められたい思いが強すぎたゆえだろう。こんな調子でプロを目指すだなんて、我ながらよく言えたものだ。
「ホントにあんたは、なんでもお見通しなんだな」
杯を手元におき、力なく苦笑する。
「いえ、なんでもというわけではないですよ。私が悠真さんに対して把握できているのは、三日月の晩にたまたま見ていたこと、聞いていたことだけです」
相変わらず三日月の言っていることは意味がわからないが、もう細かい話はどうでもよかった。今はただ、深い懐で優しく話を聞いてくれる三日月の存在が、身に染みてたまらなかった。
「本当は……正直、もうどうしていいかわからないんだ」
心絆され、つい溢れる本音。三日月と彩雲がそっと手を止めて俺を見る。
「何がです?」
「さっきは『すげぇ作品を書いてやる』だなんて調子よく言ったけど……実際は今すぐにでも筆が折れそうなぐらい行き詰まってる。書いても書いても読者数は増えないし、コンテストも落選続きで将来が見えない。注目を浴びようとあれこれ画策しても筆がのらなくなるだけだし、変にランキングを意識しすぎて結局自分が何を書きたいのかさえもよくわからなくなってきた」
「ふむ……」
「最初の頃はもっと楽しんで創作をしてたはずなのにな。今は悩んで、苦しんで、もがいている時間の方が長い気がする。こんな息苦しい思いをするぐらいなら書くのをやめてしまえばいいってそれもわかってるんだけど……でも。書くのをやめたところで小説に費やした膨大な時間は帰ってこないし、俺から小説をとったら何も残らない。だから書くことすらやめられずにいるんだ」
初めて自分以外の誰かに吐露する弱音。改めて思うが情けない本音と現実だと思う。
三日月は空になった杯をそっと手元に置くと、改まるように尋ねてきた。
「いくつか聞いてもよろしいですか?」
「ん?」
「悠真さんはなぜ、小説家になろうと思ったんですか?」
「え、なぜって……そりゃ、小説書いてるヤツなら誰でも自分の作品を世に出したい、残したいって気になると思うけど……」
我ながらぼんやりとした回答だ。だが、その気持ちに嘘はない。俺は男だから出産の経験はできないが、俺なりに子を産むぐらい必死な思いをして作品作りをしているし、そうして完成した物語は我が子のように愛着がある。
「なるほど。では質問を変えましょう。悠真さんはいつから小説を書き始めたんですか?」
「えっと……中学入ってからかな。あ、いや……待てよ。パソコンでちゃんと書き始めたのはそれぐらいだけど、妄想したりするのはもっと前からか……」
質問に答えようと頭の整理をすると、朧げに蘇ってくる過去の記憶。そうだ、俺は小学校低学年の頃にはすでに空想の世界を創造して遊んでいた。
そうだ。あれは確か――。
過去を思い起こす俺を見て、三日月はさらに切り込んでくる。
「思い出してきたようですね。では、もう一つ尋ねます。創作をしようと思ったきっかけはなんだったんでしょう?」
「……」
「そこに、今の悩みの答えがあるのでは?」
意表を突かれた質問だった。
思い当たる節ならある。だが、それを口に出すことは躊躇われた。
俺にとって思い出したくない過去が、セットでそこにあったから。
回想していた過去がより鮮明に目の前に浮かび、胸が苦しくなってくる。
「俺は……」
「急に歯切れが悪くなったぞ」
言葉に詰まっていると彩雲が不思議そうに首を傾げて俺を見つめてきた。
助け舟を出すように三日月が会話に割り込む。
「話したくなければ無理に話さなくてもいいんですよ。ここはあくまでおもてなしの場ですから」
「……」
「ですが、先が見通せなくて思い悩んでいるのでしたら原点に回帰する、それが一番の解決策のように思います」
そう言い切って、三日月は静かに笑みを添えた。
その眼差し、口調、空気から、手にとるように伝わってくる。匙を投げられたわけでも突き放されたわけでもない。きっと、優しく背を押されただけなのだと。
「相変わらず生ぬるいなジジイ」
「ふふ。そう言わないでくださいよ彩雲。これでも悠真さんをもてなそうと必死なんですよ」
「……」
「とはいえ、そろそろお開きの時間ですね。彩雲、お部屋の準備は万全ですか?」
「うむ。ぬかりなし」
「それはよかった。では、悠真さんをご案内してもらえますか」
「承知」
「ま、待ってください三日月さん、俺……」
今ここで自分自身と向き合わなければ今いる場所から一生抜け出せない気がして、俺は慌てて三日月を呼び止める。
しかし彼はこちらを振り返ると、逸る俺を制すようにやんわり首を振ってみせた。
「大丈夫です。お開きといっても、まだ三日月の晩が終わったわけじゃありませんから」
「でも……」
「向き合う覚悟ができたなら、自ずと夢で会えるはず。ですから、夜ももう遅いですし、お部屋でゆっくりされた方がよろしいかと」
「へ? 夢……?」
「ええ。私からの最後のおもてなしです」
くすくす笑いながら謎めいた言葉をこぼし、すっと席を立つ三日月。彼は縁側から覗く夜空をゆっくり見上げると、そっと目を細める。
「今宵は良い夢が見られるといいですね」
囁くようにそう呟いて。
三日月は名残惜しい宴にそっと幕を下ろしたのだった。




