5-4 決意
◇
「真白さんには会えましたか?」
静かに目を細め、温かみのある声色でそう尋ねてくる三日月に、「ああ……」と小さく頷いて見せると、彼は安堵の表情を浮かべた。
「それはよかったです」
まだ乾き切らない目元を拭う。そんな俺を見て、三日月は果てない星空を見上げ、遠い過去を思い返すように言った。
「真白さんがお亡くなりになる前夜――私は、古びたアパートのベランダで倒れて意識を失いかけている彼を偶然見つけました」
三日月の口から語られる過去の真実。やはり先程見た、サンタの格好をした三日月が富士山ハイツに降り立つ情景は、俺の知らないところで起きていた過去の断片映像だったのだろう。
黙って頷くと三日月はその先を続ける。
「できることならば真白さんを救って差し上げたかった。けれど……私はこの世に存在しない身。仮に魂は救えたとしても、残念ながら生身の肉体までは救うことができないのです」
申し訳なさそうに呟く三日月に、相槌を打つ。いまだに三日月の正体はよくわからないままだが、彼の住む世界にはきっとそういうルールがあるのだろう。それを責める気は毛頭ない。
「そう……なんですね……」
「ええ。ですから、せめて私に何かできないかと最善を尽くしてもてなした結果が、先程悠真さんがご覧になった真白さんの夢の世界です」
「……」
「彼は私に願いを託し、幸福に満ちた夢を見続けたまま……目を覚ますことなく翌日未明にお亡くなりになりました」
辛い現実。けれど夢の中でアイツは、確かに幸せそうな顔で笑っていた。
溢れそうになる涙を手の甲で押し込んで、瞼の裏に焼き付いている真白の残像を偲ぶ。
「真白さんが描いた最期の世界をご覧になっても……それでも悠真さんは、彼が救われていなかったとそうお思いですか?」
先ほどと同じ質問が投げられた。
今までの俺なら、きっと『救われているわけがない』と頑なに後ろを向いていただろう。
けれどもう大丈夫。俺はアイツと約束したんだ。
「俺の書いた物語が多少なりとも真白の救いになれていたんだって……そう信じて、俺はこれからも小説を書き続けるし、アイツの分まで精一杯生きるよ」
もう、自分を否定して生きるのはやめよう。
たとえ夢の中だったとしても俺はアイツの最期を笑顔にすることができたのだから。
真白に恥じない生き方をするんだ。
陰りのない俺の表情を見て、三日月は満足そうに微笑む。
「私もそれが良いと思います」
「三日月さん、俺――」
何もかもが吹っ切れたような気持ちになり、今度こそ礼を言おうと改めて三日月に向き合う。
――だが、その瞬間、再び自分の中にほんのりと温かい熱が宿るのを感じた。
「……っ!」
「おや、もうそんな時間ですか」
全身がやんわり光り始める俺を見て、三日月が残念そうに苦笑する。
嘘だろおい。せっかくゆっくり話ができるチャンスだと思ったのに……!
「間もなく夜が明けるのでしょう。お別れの時間です」
「ま、待ってくれよ三日月さん!」
「申し訳ありませんが……これについても、私にはどうすることもできないのです」
儚げな瞳を伏せ、三日月は申し訳なさそうにそう呟く。自分の意識が少しずつ白んで消えていくような感覚があり、俺はなんとかその場に留まろうと両頬を引っ張ってみたり、これ以上光らないよう息を止めてみたりもするが、当然のごとく無意味でその不思議な力に抗うことはできなかった。
徐々に輝きが増していく。
「くそっ、み、三日月さん!」
意識を手放さないよう必死に自我を保って声を振り絞ると、三日月がゆっくりとこちらを見た。
「俺、起きたら、今晩あったこと全部忘れちゃうんだろ」
「……おそらくは。今まで出会った人の子は、皆そうでした」
苦笑気味に答える三日月。彼は俺に負担をかけないよう、精一杯気丈に笑っているようにも見えた。
唇を噛み締め、思いのままに問いかける。
「寂しく……ないのかよ」
「もちろん、寂しいですよ」
「……っ」
「私は三日月の晩以外ずっと独りですし、せっかくお客様をお招きして親しくなれたとしても、夜が明ければまた独り。共に楽しい時を過ごし情を寄せれば尚のこと、なぜ私は人の子として生を受けなかったのだろうと、正直無念に思うことも多々あります」
何事にも完璧な存在だと思っていた三日月が思いのほか人間味溢れる言葉を口にしたものだから、たまらなく別れ難くなってしまうが、彼はこうも言った。
「とはいえ悲観することはありません。私はこれを宿命だと受け入れていますし、悠真さんにとっても、目が覚めれば忘れるのが人の子の習性とはいえ、ここでの出来事は記憶の整理に活かされ、必ずや後の力となるはずですから。どうか楽しい思い出だけを胸に、よき黎明をお迎えください」
自分より相手のことばかり気遣って、相変わらずどこまで『人の子想い』なのだろうこの人は。
「……」
だとすれば、俺が返すべきものは嘆きの言葉なんかではない。
彼の願いに応えるべく、胸を張り、精一杯口角を引き上げて告げる。
「ありがとう、三日月さん」
本当はもっと言いたいことがあったのに。
自分を纏う光がより強さを増して、霞みゆく視界に目覚めの時が近いことを知らされる。
「俺……三日月さんに、彩雲に会えてよかった。もしこの記憶がなくなる時が来ても、いつか絶対に思い出してみせる。だから……」
――どうか忘れないでいてほしい。
「独りだなんて思わないでくれ。離れていても、俺たち人間の心はずっとアンタたちのそばにいる。アンタ達とまた一緒に飲み交わせる日を夢見て、俺は今日も明日も頑張るから。もしもいつかまた会える日が来たら、その時は俺が作る自慢の厚焼きたまごで一杯やろう! ……約束だ!」
「悠真さん……」
三日月にもらった自信と希望を胸に――笑顔で手を振って別れを告げる。
その瞬間、俺の全身が激しい光を放ち、意識が大きく遠のく。
視界が閉ざされる寸前、最後に見た三日月の顔はそれはそれは穏やかに、ささやかな幸福を噛み締めるよう口元を綻ばせているようだった。
「ありがとう、悠真さん。それは楽しみですね。私たちはずっと、空の果てからあなたを見守っています。……どうか、お元気で」
優しい三日月の声が鼓膜に触れ、安らかな眠りに誘われるよう意識が完全に落ちる。
長い長い夢が終わりを迎える――。
気がつけば俺は、まるで見覚えのない簡易個室のベッドに横たわり、光のない朝を迎えていたのだった。




