5-3 真白の世界(2)
「……」
「ぼくさ、こないだ、こうえんにいけなかったでしょ? あのときはごめんね。おはなしのつづき、すっごくたのしみにしてたのに、いつもおうちにくるおじさんにおこられて、けがしちゃっていけなかったの」
胸が詰まって何も言えなくなる。
――なんでお前が謝るんだよ。お前は何も悪くないだろ。
そう言いたいのに、色々な感情が急速に溢れ出てきてうまく言葉にならなかった。
「謝らなくていいよ……」
なんとかそう一言だけ伝えると、真白はほっとしたように続ける。
「よかったあ。ゆうにいにきらわれちゃったかなってずっとしんぱいしてたんだけど、サンタさんにおねがいしたらちゃんとあえたし、ごほんもよめたからぼくほっとしたよ!」
「本……」
「うん! もふもふがぴょんぴょんぱあってしたら、ゆうにいがかいたおはなしのごほんがばーってでてきたの!」
短い両腕を広げ、興奮気味にそう話す真白。
「すごいでしょ⁉︎ ちゃんとあのおはなしのつづきがかいてあるごほんもあったし、はじめてきくおはなしもたくさんあったよ! ぼくうれしくて、ママといっしょにずーっとゆうにいのごほんよんでたの!」
「俺の……本……」
「うんっ! ゆうにいのごほん、すごいんだよ~! おはなしがはじまると、このおへやにごほんとおなじものがブワーってでてくるんだ! ほら、あれがさっきよんだイッポンスージでしょ、あっちが『ほむらのらくいん』っていうおはなしにでてくる、ホウデン! しってる⁉︎」
「……」
「ゆうにいきいてる⁉︎」
「ああ……。知ってるも何も、俺が書いた話だから……」
「あっ、そうだった! ……へへ。ホムラのやつ、すっごいおもしろかったよ~! さいごのたたかうシーンとか、ぼくすっごいドキドキしちゃった! あのおはなし、きっとせかいでいちばんおもしろいとおもう!」
「……」
聞けるはずのない感想が確かに俺の心に届いて、堪えていた感情が堰を切ったように溢れ出す。
違うんだよ真白。
その話はもう勝負に負けたんだ。
でも、もう勝ち負けなんてどうでもいいか。
お前のその『面白かった』の一言で、何もかもが浄化される――。
悲観ばかりだった俺の心は、今、不思議と穏やかだ。
鼻の奥がツンとして視界が霞み、凍りついていた何かが音を立てて溶け出していく。
「……ゆうにい?」
「……」
「ゆうにい、ないてるの?」
「泣いてねえよ……」
精一杯反論するが、ぼたぼたこぼれ落ちる涙を止めることはできなかった。
不思議そうにこちらを見上げる真白。俺は腕で目元を拭って必死に平静を装った。
「くだらないことに大切な願いごと使ってんなよな……」
「くだらなくないよ! だってぼく、ゆうにいのおはなしがあるから、なきたいことがあってもまいにちがんばれるんだもん! だからね、みっつめもちゃんとおねがいしたの。『もし、ゆうにいがごほんつくるのやめそうになったら、サンタさんがたすけてあげてね』って」
――ああ、そうか。
だから俺は三日月に出会い、ここに呼ばれたのか。
三日月は言っていた。『夢とは荒唐無稽で、過去の映像をみる人もいれば未来を予知する映像を見る人もいる』――と。
やはりここは真白の夢の中で、真白は未来を予知する夢を継続的に見ている。だから読めるはずのない最新の俺の作品が読めて、俺に感想を伝えることができた。
そう考えれば俺がここに呼ばれた理由も、この世界が俺の書いた作品で溢れていることにも、全て納得がいった。
「……」
思わず溢れる笑み。直後、体の中に仄かな熱がふわっと宿ったのを感じ、両手を広げてみると自分の体が淡く光り出していることが分かった。
「ゆうにい?」
「時間みたいだ。もう行かなきゃ」
なんだかそんな気がして自然とそう告げると、真白は眉をハの字に曲げて必死に抗議した。
「ええっ⁉︎ やだ! ぼくもっとゆうにいとおはなししたい!」
「せっかく優しいママと一緒にいられるチャンスなのに、待たせたら悪いだろ」
「うーん……それはそうだけど、でも……」
しょげるように俯き、躊躇っている真白の頭を撫でる。真白がこちらを見上げ、目があえば、精一杯笑って言ってやった。
「安心しろ。俺はもう逃げない。新しい小説を書きまくってもっとお前を楽しませてやる。だから……ここで楽しみに待ってろよ」
真白の表情がみるみる和らぎ、期待に満ちあふれた眼差しが向けられる。
「ほんと⁉︎ やった! やくそくだよっ⁉︎」
「ああ」
小指を差し出し、真白の小指と結ぶ。真白は得意げに指切りげんまんの歌を歌い、指が離れると「ばいばい、ゆうにい!」と言って、俺が書いたであろう本を持って待つ、母親の元へ弾むように駆けて行った。
(ありがとう……)
――大丈夫だ。
せめてここだけでも、真白の世界はカラフルで幸せな色に満ち溢れている。
(ありがとう……真白)
いまだ自分の頬に残る温かい雫を力強く腕で拭い去り、幸せな顔で母親に飛びつく真白の笑顔を最後に目に焼き付けてから瞳を閉じた。
――ふっと音が消え、身体が宙に浮くような感覚。悠久の風に身を委ね、俺はきっと次元を旅する。
やがて目を開ければ、俺の身体は再び星空の世界に戻っていて、目の前には着流し姿のままの三日月が、先程と同じような格好で俺の帰りを待っていた――。




