5-2 真白の世界(1)
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「……っ」
ぎゅっと目を瞑ること数秒。瞼の裏を支配していた強い光が和らいだのを感じ、そっと目を開ける。すると――。
(あれ? な、なんだここ……)
目の前に、チョコレートをベースにしたお菓子の家が立っている。
おかしいぞ。数秒前まで俺は富士山ハイツのベランダ前にいたはずなのに、時間帯も夜から昼……というか、暗さが一切ない色彩豊かな明るい世界に成り代わっている。
(な、なんなんだよここ⁉︎ 今度は一体、どこなんだよ⁉︎)
目まぐるしい変化に脳みそがついていかず、ただひたすらに狼狽える。
でも、嫌な感じはしないし、むしろカラフルな世界で頭上にポップなクリスマスソングまで流れているから無性に胸が弾むような気持ちになってきてしまう。
体験したことのない不思議な感覚に戸惑っていると、お菓子の家の窓からキャッキャと陽気な笑い声が聞こえてきた。
「真白……?」
間違いない。今の賑やかな笑い声は真白だ。俺は転がるように家に歩み寄り、窓から中を覗き込んだのだが……。
(な……)
俺の目に飛び込んできたのは無限に広がる色とりどりの世界。
屋内であるはずのソコはまるでテーマパークのように開けた空間になっていて、川に山、洋風の城や洞窟、不思議な図書館や厳つい宝殿、花畑に駄菓子屋に学校の教室といった脈略のない建物に、刀を持った剣豪や妖術使い、ペガサスや妖精、小人といった幻想的な生物までもが縦横無尽に飛び交っていて、俺は驚きのあまり言葉を失う。
(こ、これ……)
もちろんその奇天烈な光景に肝を抜かれたわけだが、それ以上に俺は戸惑いが隠せなかった。
なぜならその建物や幻想的生物には、どれもこれも見覚えがあったからだ。
「ママ~! こんどはこっちよんで~!」
だが、深く考える間もなく、聞き覚えのある声が聞こえてきてハッとする。
声がした方に焦点を合わせると、図書館の近くにあるベンチで、染みひとつない子綺麗な服を着た元気な少年が、若い金髪の女性に向かって一冊の本を差し出している。
「ま……」
真白、だ――。
窓を叩いて真白の名を呼ぼうとしたが思い止まった。
真白は母親と思しき女性にべったりとくっつき、それはそれは嬉しそうに本を読んでもらいながら幸せそうに笑っているからだ。
(真白……)
母親の顔が、昔ニュースで見た逮捕時の映像と重なる。
テレビで見た時はもっと目つきが悪く、感じの悪い印象を受けたことを記憶しているが、今、真白の前にいるその女の表情は、聖母のように優しく、包み込むような温かい眼差しをして微笑んでいるように見えた。
(これは一体……)
今自分がどこにいるのか、何を見ているのか、何ひとつわからないまま立ち尽くしていると、不意に真白がこちらを見た。
「あっ!」
「……っ!」
目が合った瞬間にぱあっと顔を輝かせた真白は、本を読む母親に「ちょっとまってて!」と言いおき、もの凄いスピードでこちらに向かって走ってくる。
「ゆうにい!」
「真白!」
真白が自分のそばまで来た時、いつの間にか目の前にあったはずの壁と窓は消えていた。
次々起こる摩訶不思議な現象に説明はできないままだけれど、腕を広げれば小さい真白が懐に飛び込んできて、再会の嬉しさでもう何もかもがどうでもよくなった。
「わあああ! ゆうにいだあ! なんかおっきくなってる~!」
「……っんだよ、おまえはチビなままだよ……っつうか、なにしてんだよこんなトコで……」
「えへへ~。ママにごほんよんでもらってたの~」
嬉しそうにそう答える真白。
正直複雑なことには変わりがない。その母親のせいもあってお前は死んだんじゃないか……と、喉まで言葉が出かかったけれど、あまりに真白が純粋無垢な表情で幸せそうにいうものだから、水を差すようなことは言えなかった。
「そっか……」
真白からしてみれば、たとえどんな奴でも母親は母親で、世界に一人しかいない存在なのだと痛感する。
俺はやっぱりここでも真白を救えないのかと、歯痒さと情けなさで拳をぎゅっと握りしめたのだが。
「でもやっぱりすごいな~! サンタのおにいさんがいうこと、ぜんぶほんとだったんだ」
「サンタの……お兄さん?」
「うんっ!」
「それってもしかして黒い髪の毛に不思議な色の目をしたイケメンの男の人?」
「そうだよ~! もふもふのねこにのった、きれいなおめめのかっこいいサンタさん!」
やはり三日月か。もふもふは間違いなく銀狐姿の彩雲だろう。
「二人に……いや、一人と一匹に会ったのか」
「うん! ぼく、おうちのベランダでおなかがいたくなってねてたんだけど、きゅうにサンタさんがパッとあらわれて、ここにつれてきてくれたの」
あの時と変わらず辿々しい言葉で懸命に説明する真白。
――そうか。ということは、もしかしたら先程瞬間的に見た富士山ハイツの映像は、俺の夢の続きで『過去の断片的な映像の一部』だったのかもしれない。
だとすると、今いるこの世界は……真白がみている夢の世界?
夢の中にいる俺が、さらに他人の夢へ渡り歩くだなんてなんだかややこしいが、それならあそこにいる毒母が真白にとって都合よく聖母に見えていることにも納得がいく。
ひとまず相槌を打つように頷いて見せると、真白は続けた。
「ここはね、まほうのくにのひみつのやどなんだって! もふもふのねこがまほうをつかって、みっつだけなんでもすきなねがいをかなえてくれるっていうから、ぼく、おねがいしたんだ」
「魔法の国の……秘密の宿……」
いかにも三日月が言いそうな、優しいシナリオだ。
なんとなくそれがどういうことか察しがついてきて、胸が熱くなる。
「そうか、凄いな」
話を合わせてやると、真白はふふっと笑った。
「すごいでしょ⁉︎ だからぼくね、おねがいしたの。ひとつめはママにあいたいって。そしたらね、もふもふのねこがぴょんぴょんってしてぱあってひかって、ママがでてきたの」
屈託のない笑みを浮かべて無邪気に言う真白。ぴょんぴょんぱあが何を意味しているのかはわからないが、真白の願いが叶ったならそれでいい。
「そっか……」
「すごいよね⁉︎ ママ、つぎのつぎのつぎのあさまでおしごとでいないっていってたのに、サンタさんがつれてきたママはずっといっしょにいてくれて、いつもはいそがしいからってよんでくれないごほんも、いっぱいよんでくれてるんだよ!」
「……。それはよかったな……」
目を細めて真白の頭を撫でてやると、真白は幸せそうに笑う。
健気な真白の笑顔に、たまらず胸が痛んだ。
あそこにいる女は真白や三日月・彩雲が生み出した虚像の母親で、現実のニュースで見た冷酷非道な母親ではない。
そう……思えばいい。
胸の中で熱く騒ぐ血をなんとか心を落ち着かせてから、気を取り直すように「それで二つ目は?」と問いかけると、真白はにっこり笑って続けた。
「ふたつめはね、ゆうにいにあって、もっともっともぉーっとゆうにいがつくるおはなしがききたいっておねがいしたんだよ」
――と。




