5-1 後悔
◇
――過去の夢がそこで一旦途切れ、気がつくと俺は、いつの間にか満点の星空に浮かんでいた。
そっと視線を上げると少し高い位置に三日月がいて、彼は何も言わずただ優しい目をして俺が言葉を整えるのを待っている。
自分の頬を一雫の涙が伝っていく。
昔のこと、真白のことを思い出し、息がつまりそうなぐらい胸が苦しい。
「ずっと……記憶に蓋をしてた」
「……」
「あの頃の俺にはあまりにも辛くて、耐えられなくて。あいつのことを覚えていたいのに、忘れることでしか立ち直れなかったから……だから、思い出全部心の奥底に閉じ込めて、忘れたふりしてがむしゃらに小説だけは書き続けてた」
素直に胸中を吐露すると、ようやく自分の中の蟠りが解き放たれた気がして、溢れ出てくる涙を堪えることができなかった。
三日月は穏やかな表情で静かに頷き、俺は目頭を擦りながら続ける。
「実際小説を書き始めたのは、初めてパソコンを買った中学の頃からなんだけどな。それまでもずっと新作のネタを自由帳に書き溜めまくっていたし、パソコンを手に入れてからは毎日創作と向き合ってた。アイツへの贖罪の気持ちで、無意識に物語を作り続けていたっていうか……」
「なるほど……そうだったんですね」
俺が抱えてきた重い現実を受け止めるよう、そっと目を瞑り、今一度深く頷いてみせる三日月。
「さぞお辛かったでしょう。大変な思いを抱えてよくここまで一人で闘って来られましたね」
労るように優しい言葉をかけられると、余計に胸が熱くなる。
星空に吸い込まれていく自分の涙を見つめながら、俺はゆるく首を振った。
「ずっと後悔してたんだ。俺さえアイツの異常に気づいてやってれば、真白は死なずに済んだのかもしれないって」
「ご自分を責めてはいけません。その頃は悠真さん自身もまだ幼く、物事を認識する力が未熟だったはずですから、真白さんの死を予見できなくても仕方のないことです」
「それはそうかもしれないけど、でも……俺は結局、真白を救えなかった。そればかりか、アイツの死と向き合うことから逃げてさえいたんだ。そんな俺が、手向けのつもりで小説を書いてたって誰の心にも響かないわけだし、真白だって喜ばないよな」
ようやく原点に立ち返り、自分の不甲斐なさを見つめ直す。遅すぎた懺悔にさらなる後悔を募らせていると、三日月は慈悲深い眼差しをゆっくりこちらに向け、改まったように口を開いた。
「本当にそうでしょうか」
「……え?」
「真白さんは、本当に救われておらず、喜んでもいないのでしょうか?」
核心をついてくるような三日月の問いかけに、一瞬考える。
楽観的に、前向きになりたいけれど無理だ。失ったものがあまりにも大きすぎる。
「喜んでるわけないよ。はじめは、もし自分の作品が認められてプロになれれば、一番最初の読者であるアイツは、きっと誇らしく思って喜んでくれるだろうって、勝手にそう思い込んで意地になってたけど……壮絶な人生を歩んでた真白からしてみれば、俺の小説なんて単なる気休め程度の存在だったに違いないし」
自分を卑下しているわけではなく、客観的に考えた末の本音だ。
俺の答えを聞いた三日月は、否定も肯定もせず意味深に微笑むとさらに尋ねてきた。
「では今宵、なぜ悠真さんが我が宿のお客様に選ばれたかわかりますか?」
唐突な質問に戸惑う。
「え。なぜって、言われても……」
「通常、三日月の晩に我が宿へ招かれるお客様は完全無作為に選ばれます」
「完全無作為――ランダムってこと?」
「ええ。人の子は皆平等ですから、善人だろうが、悪人だろうが関係ありません。目についた方が気まぐれに選ばれます」
「気まぐれかよ……。なら俺は、相当運が良かったってこと?」
「運が良いのは確かですが、お客様の選定方法にはごく稀に例外があり、私が意図的に選ぶ場合もあるんです」
「ふむ?」
「悠真さん、あなたの場合がそうです」
「え、俺が⁉︎ な、なんで⁉︎」
どちらかというと俺は、壊滅的にくじ運がない方だ。ここぞという時は大抵外れくじを引く。それなのにどうしてと目を白黒させていると、三日月は静かに微笑みながら続けた。
「頼まれたんです」
「誰に⁉︎」
「真白さんです」
耳に触れたその名前に、呼吸が止まる。
驚いて三日月を見やると、彼は遠い彼方に真白の残像を見出すよう目を細め、
「真白さんがお亡くなりになられた日の前夜――奇しくもそれは、三日月の晩だったんです」
静かにそう語り出した。
「それはどういう……」
「――っと、時間ですね。口で説明するより実際に見た方が早いでしょうから、よろしければご自身の目で確かめてきてください」
「へ?」
目を瞬く俺に構わず、三日月がパチンと指を鳴らすと、急に目の前が暗くなった。
◆◆◆
「……っ⁉︎ み、三日月さん……?」
呼びかけても返事はない。あたりは真っ暗で何も見えないが、風をかき分けながら一定方向に向かって高速で空を飛ぶような……そんな不思議な感覚を味わう。
なす術がなく時の流れに身を任せていると、やがて、一つの光が見えてきた。
光に向かって手を差し出すと、俺の体は闇と光の境界線を超え、今度は全てが真っ白な世界に到達する。
温かい光に包まれた俺の体は直角に下降すると……――やがて、光の地面にストンと着地した。
足が地についた途端、細波が広がっていくよう世界に色が付き、みるみるうちに眼前の景色はありふれた日本の夜の町に変わっていく。
――いつの間にか俺は、木造アパートの前に立っていた。
「ここは……」
唖然とするように見覚えのあるアパートを見上げる。
色も風合いも間違いない。ここは、俺が昔見たままの『富士山ハイツ』だ。
真白の一件があったからか、あのアパートはだいぶ昔に取り壊されたと聞いていたはずなのに、俺は今、紛れもなく真白が住んでいたアパートの目の前に立っている。
ハッとして真白が住んでいた角部屋のベランダあたりを見やると、柵と柵の合間に倒れた男児の姿があるのが見えた。
「ま、真白ッッ!」
絶叫に近い声をあげて慌てて駆け寄ろうとしたはいいが、ベランダにたどり着く前に透明な壁のようなものが現れてぶつかり、それ以上先へ進めない。
「真白! 真白⁉︎」
近寄って分かったが、それは間違いなく衰弱して倒れている真白だった。
透明の壁をバンバン叩き、必死に声を張り上げて名を呼ぶが、真白は虚な目をして夜空を見上げており、こちらの声が全く届いていない様子。
「くそ、真白! しっかりしろ! 寝るな‼︎」
俺はまだ夢の中にいるのだろうか? それすらわからないが、目の前で真白が弱っていく様をみていられなくて必死に声を荒げていると、不意に目の前がパッと光って真白がいるベランダに何かが降ってきた。
「! み、三日月さんッッ!」
倒れた真白の身体のそばにフワリと降り立ったのは、まぎれもなく三日月だ。
彼はつい先ほどまで俺と一緒に星空の中を当てもなくふわふわ浮かんでいたはずなのに、今、真白のそばにいる三日月はなぜかサンタクロースの格好をして、俺の存在になど全く気付いていないかのように、慈悲深い眼差しで真白を見つめている。
「三日月さん……?」
「……」
あ、いや。今気づいたようだ。
三日月と目が合ったが、彼は静かに微笑むと人差し指を口元に当て、『しー』とくぐもった声を出した。
(俺に……言ったんだよな?)
そのまま無言で目を逸らし、再び真白と向き合う三日月。彼はひどく悲しそうに、でも精一杯労るように、真白に向かって優しく手を差し伸べる。
三日月の細く長い指先が真白のおでこに触れた瞬間、あたり一帯が強い光に包まれ、俺の目の前も白んだ。




