7.1 最後の村人と天忍日①
「神様、今日もいいお天気ですね。」
・・・・。
「息子達は元気でやっているのでしょかね。」
・・・・。
「神様。 どうか息子達を守って下さいませ。そして、早く私の元へ返してくださいませ。」
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もう直ぐ夏休みが終わってしまう。
渉の住んでいる山に囲まれた所では暑い夏の季節が短く学校の夏休みも短い。あと少しで終わってしまう休みに焦りを感じていた。
(今まで生まれ変わった時とは違い過ぎる。)
前回までに生まれ変わった時代では15才といえば既に成人で、家を出て何処にでも、いつまででも天探女を探す旅ができていた。剣を携え野生動物を食べ、野山には野草や木の実も豊富で野宿をしながらでも苦しい事は無く日本全国を渡る事が出来た。しかし今の時代、高校を卒業するまではと親に説得され、それまでは家を拠点として探し回らなければならず、あと4年間はここに縛られる事になる。まあ確かに、野宿をしようにも勝手に野生動物を獲って食べる事も、それより勝手に火を起こす事も禁止されているので昔と違って一人旅も容易ではなくなっているのだ。さらに夏休みの最初に行った東京で打ちのめされた様に、爆発的に増えた人口は住宅地を広げ、発達した交通手段はすれ違う可能性を高めた。前回生まれた時の江戸ですら当時としては世界有数の人口密集都市として有名であったが、今の東京に比べれば人の住んでいる範囲も狭くそこを離れれば宿場や農村などの小さな集落が点在しているに過ぎず、交通手段も一般庶民には徒歩位しかないのですれ違う時間はゆっくりで神の存在を感じたらその方向に走れば探す事は容易であった。今の東京は歩いても歩いても住宅が続き、更に高層階にまで人が住んでいる。少し離れた所からでも神の気配が分かるとはいえ、端から端までを塗りつぶし様に回るのは至難の業である事を実感していた。
「ねぇ、君達はどうすればいいと思う?」
「ソーダナー、遠イ場所カラ探スカ。」
「それはダメ。もうお小遣いが少ないから、交通費だって高いんだよ。」
「ジャアサ、『ダーツ』デ決メタラ。コノ前テレビデ、ダーツガ刺サッタ所ニ行クッテ言ウノヤッテタゾ、見テタラ面白ソウダッタゼ。」
「ダーツかー、なんか投げやりっぽいな。」
「ドウセ何処ニ居ルカ分カンネーンダロウ。ダッタラ考エタッテショウガネエジャネエカ。」
「そうだね。 うん、ダーツで決めよう。」
本棚を漁り、自分の家が在る県内地図を探し床に広げる。家にダーツなどは無く、壁に刺さっている押しピンを鉛筆の先に付けて地図に向かって投げた。マガミもムスビも興味津々で覗き込んでいる。小学生の時の授業で使った少し大きな教科書の見開きのページにまたがって載っている地図は大まかな地名が乗っているだけで、ピンの刺さった所をちゃんとした地図で調べようと家中を探し回り、やっと見つけた物は何年前に買った物か分からない地図である。ピンが刺さった所と同じと思われる場所を特定し、夏休み最後の旅の目標とした。
「ホー、コノ村カ。」
「うん、これなら近いからすぐに行けるね。」
「早速準備シテ行コウカ。」
「そうと決まったら叶恵に会って来るよ。」
「オウ、俺タチャ此処デ待ッテルカラユックリシテコイ。」
渉は叶恵の眠ったままの例の白一色の部屋に行き、しばらく会えない事を話している。
「また行ってくるよ。」
「・・・。」
「天探女に会えるといいな。そうしたらすぐに君を治してもらうんだ。」
「・・・。」
「じゃあね。帰ったら一番に君に会いに来るから。」
渉はゆっくりと間をおいて叶恵からの返事が戻って来るのを待つかのように語りかけていた。叶恵の手を少しだけ強く握り、その手が、叶恵の力無い手がもしかしたら握り返してくれるのを待つようにしばらくはジッとしてから、やっぱり動く事も無い白くて少し冷たい彼女の手を布団の中に戻して部屋を出た。
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最寄りの電車の駅からバスに乗り換えて既に1時間以上も走っている。
途中からは乗降客すらも居なくなり、車内に残る客は渉だけになっていた。山道に入りさらに人けが無い所へと向かって進んで行く。
「なぁボク、見ない顔だね、何処まで行くんだ。」
如何にも田舎を走るバスであるかの様に父親よりも年上そうな運転手が客である渉に向かって気さくに話し掛けてきた。田舎のバスを利用するのは決まった顔ばかりで、その路線の運転手となれば客の顔を大抵は覚えてしまっているのだ。
「終点までです。その村に用が有って。」
「そうか、でもバス停の名前の村はもう無いぞ。何年も前に町と合併して村から地区に代わったんだ・・、知らなかった?」
「はぁ、そうですか・・、家に有った地図が古くて。」
「もしかして、あそこに居るハル婆さんの知り合いなのか?」
「ハル婆さん? いいえ違いますけど。」
「じゃあ何しに行くんだ?」
「人探しです。」
「人探し? あそこの地区にはハル婆さんしかいないよ。」
「ええ~~~! 本当なんですか?」
「知らなかったのか? あそこは生活に不便な所で皆はもう出て行ってしまって何年も前から住んでいるのはハルって言う婆さんだけだ。このバスだってその婆さんが住んでいるから1週間に一回行っているだけなんだぞ。」
「えっ? じゃあ次は1週間後なの?」
「そうだよ、知らなかったのか? じゃあこのまま帰るか?」
「う~ん、交通費掛けて来たから、う~ん、・・。」
その時、バスは古びた鳥居の脇を通った。
(あっ! 感じる! 神の気配だ。)
渉はその奥にある神社に神の気配を感じ運転手に向けていた視線を素早く外に向け神の気配を感じた鳥居の奥をじっと見つめた。木に覆われてその奥を覗き見る事が出来ず人影も見つける事も無くバスは通り過ぎて行く。渉は過ぎ去ってもそこに有る神社を包む林に視線を向けたまま運転手に聞く。
「運転手さん、バスを使わずにここに来る人は居るんですか?」
「う~ん、確か以前にテレビの取材だってのが来て、一時期ブームに成ってたなー。なんだかマンガの風景に似ているとかで盛り上がった事が有るよ。その時ぐらいかな。」
「そうですか・・・。降ります。ここで降ります。」
「ああ、そうなのか? もう直ぐ終点だから、10分後に発車するから帰りたかったらそれまでに戻って来なさい。」
バスの折り返し地点は元々この地区が村だった頃の役場の駐車場だった所の様だ。2階建てのコンクリート製の建物の窓全てが板を打ち付けて塞がれているが入り口の扉に鍵などは掛かっておらず中に入って行けるようである。それは中にあるトイレだけが使える様にしてあるのだ。バスが折り返す駐車場のアスファルトは所々がひび割れ窪み捲れ、そこに石を詰めて応急処置をしている所だらけである。そんな割れ目など土が表面に顔を覗かせている所からは生命力の強い葉先がツンツンと尖っている草が隙間を見つけてはそこを占領するかのようにびっしりと生え揃えて土を見えなくしていた。折り返し地点でバスを降りると、渉はすぐに元来た道を戻って神の気配を感じた神社へと速足で向かった。
バスは10分後に発車してしまうが神社の鳥居まで戻って来た時にはバスを降りてから既に4分が経過していた。今にも崩れ落ちそうな鳥居をくぐると、草の生えていないのは参道であろう石畳位であるがその石の隙間からも草が伸び全てを覆い尽くそうとしていた。その上を歩き徐々に強くなる神の気配を感じながら石畳の両脇を覆う木々の間を抜けると神社の境内に出た。ここも既に草の浸食を許し、本殿と拝殿が一緒になっている小さな社殿に向かう獣道の様な筋を残して土が見えない程に生え尽くされている。
その奥の社殿の中から感じる神の気配。渉は止まる事無く社殿に行き賽銭箱の横の階段を昇り朽ちて割れた扉の木の間から中を覗く。
『やあ、君、あなたは神ですね。』
何処からともなく涼し気だがか細い声が届いて来た。
「僕は天忍日です。女神よ、あなたの名前は?」
『私は・・、あれ? 私の名前は・・・。』
「既に力が無いのですね。」
『私の名前は何だったのでしょう・・・。』
「いいですよ、無理をしなくても。聞きたい事が有るのですが。」
『はい、いいですよ。何でしょうか。』
「天探女と言う神を知りませんか。」
『天探女? ん~知りませんね。ここ数百年は他の神に会っていませんから。』
「そうですか。ありがとうございます。では、僕は帰ります。」
『そう、もう帰ってしまうの、寂しいですね。』
「ええ、済みませんが、帰りのバスがもう直ぐ出ちゃうので。」
『それでも良かったわ。久しぶりに神に会えました。来てくれてありがとう。』
「はい。じゃっ、これ・・」
「信二っ!」
帰ろうとしている渉を後ろからの嗄れた声が止めた。振り返ると境内の入り口に繋がる林のトンネルを抜けた所の境内に老婆が立っている。
「信二、帰って来たんだね。お前がここに入って行くのを見たから急いで来たんだ。そうそう、先ずは神様にご報告しないとね。ああ、神様、信二を返してくれて有難う御座います。」
老婆は話しながら境内のけもの道の様な草の間の細い道を近づいて来た。
「あの~おばあさん、僕は・・」
「おばあさんだなんて、やだねー母さんじゃないか。しばらく振りで忘れちゃったのかい? それよりも、そんな所に土足で上がったらいけないじゃないか、降りといで。」
渉は社殿の階段を降りながら言う。
「いいえ、僕は信二と言う人では・・」
「信一とは一緒じゃないのかね? お前ひとりかい?」
「信一って?」
「何だい? 兄の名前も忘れちゃったのかい?」
「だから僕は・・」
「信二、よく帰って来たね。嬉しいよ。」
「だからおばあさん、僕は・・」
「信二。ああ、やっぱり神様は願いを叶えてくれるんだねー。」
「だからー、僕はですね・・」
『そうだ、天忍日よ、ハルの息子になってくれないか。』
「は? 息子じゃないから。」
『振りで良いから、ハルの気が済む様に演じてやってくれないか。』
「いや僕は帰らないといけないから。」
「信二、何独り言を言ってんだい。さあ、神様に報告したら帰るよ。お前の話を聞かせておくれ。ああーー、神様。私のお願いを聞いて下さって有難うございます。これで父さんも喜びます。」
「いや、だから僕は信二では・・」
『私からもう一度お願いします。一週間だけ信二になって下さい。』
「それってハルさんを騙すって事ですよね。」
『それでも良い。ハルに夢を見させてあげたいのです、お願いします。』
そんなやり取りをしている間に木に覆われて見えない林のトンネルの奥にある鳥居の方からバスが町へと帰って行ってしまう音が聞こえた。
(あぁぁバスが行っちゃったよ。はぁ~~、今夜はここに泊って、歩いて帰るのか・・・。)
渉ががっくりとして考えていると、
『天忍日よ、頼みます、お願いします。そのままハルさんの息子になって下さい。もちろん演じるだけでいいんです。次のバスが来るまででいいので。』
名も無きこの地の神のお願いが続いた。
「次のバスって、一週間後だよ。」
『お願い、何も出来ない私に変わって、そのままハルの息子を演じて下さい。』
「えっ、でも、騙す事になっちゃうでしょ。」
そんな風に悩んでいるにも関わらず、ハル婆さんは渉の手を取り言う。
「さあ帰って、久しぶりに母さんの料理食べな。戦地じゃろくな物が食べられなかっただろう、ほれ、行くよ。」
「いや、 ねえ、 だから・・・」
ハル婆さんは渉の手を強引に引いて鳥居のある林へと歩いて行く。
「だから土地神様~、僕は・・」
振り解けば直ぐにでも掴まれた手は自由に出来そうなほどに弱々しい力で引っ張られているが、それがかえって渉の体を拘束し身動きが出来ずに、されるがまま草の生い茂る境内をハル婆さんに引かれながら歩いていた。
離れていく社殿の奥から弱々しい声が微かに聞こえる。
『ありがとう、天忍日よ。』