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6.3 都会の少女と天忍日③

「ねえ、何しているの?」


 終電も随分と前に終わって、住宅地の中の通りには歩く人など居ない真夜中の2時過ぎ。千沙都の家の前に上下黒っぽい洋服に身を包んだ数人の人影が現れた。住宅地にある街灯はまばらでその光も弱く、その下だけしか明るくないので少し離れた所で夜中に蠢く者達が男なのか女なのか、若いのかそれなりの年なのかも見分ける事は出来ない。千沙都の家の塀の前まで来るとバッグから何やら取り出し、カラカラと音を出してそれを振りだした。普通の人と明らかに異なるのは、都会にある静かな住宅しかない所なのに、懐中電灯ではなくヘッドライトで明かりを保っている事であった。


「ねえ、何をしているのって聞いているでしょ。」

 街灯の灯りが届かない薄暗闇から届いて来る声の主の姿も分からず黒っぽい服に身を包んだ者達が振り向きそのヘッドライトが姿を映し出す。

「な、何だ、驚かせるなよ。女じゃねえか。それも子供。」

「なぁアンタ、この家の子?」

「違うよ。私はこの家のチサの友達。」

「友達がこんな時間に何してんだ。」

「この家に泊っているから。それよりさー、何しているの?」

「ふんっ、この家の者じゃないなら関係ーねーだろう。すっこんでろっ。」

 声と言葉遣いから男達らしい数人はバッグから出したスプレー缶を千沙都の家の塀に向けた。

「止めてよ。折角綺麗にしたのに。」

「・・・・。」

 男達は無視して行動し続けている。すると少女は怒った様に低くドスの効いた声で言う。

「止めろって言ってんだろ。」

 その口調に一瞬だけ女の子に視線を向けるがすぐに元のようにスプレー缶を振り、止める気配など無い。


「おいっ!」

 先程よりも大きくきつめな声で少女は叫んだ。その声に男達が視線を再び少女に向けたその時、


懋瑕些霸ムカシャハ。』

 (固まれ。)


少女は何やらの呪文を唱えた。


 その一瞬で男達は固まり動く事が出来なくなった。振り向いたその姿勢のまま、瞼さえも下ろす事が出来ないで、視線は女の子に向けられたままで固まって立ち尽くしている。

「止めろって言ったのに。」

 ゆっくりと男達に近づきながら女の子は可愛い顔にある大きな目を怒ったように見開いている。男達のヘッドライトが照らすその少女はマスクを着けていない乙姫であった。

「私の友達の家を汚そうとしたな。私が綺麗にしたこの塀を再び汚そうとしたな。私の問いを無視したな。私の忠告を無視したな。そう私の忠告を2度までも無視したな。」

 乙姫は男達の目の前まで来て止まると、更にその目を怒りの形に変えて言う。

「神の、この私の言葉を聞けぬというのならばその頭の中に直接私の言葉を、いや、もっと強く、拒否できぬようお前達の魂に恐れと言う記憶と共に刻み込むしかあるまい。ふふふふ。」

 いつもと違う笑い方である。その何かを企むような笑いと共に可愛い口が開き出した。少しだけ開いた口はそのままで、口角がどんどんと耳に向かって引っ張り上げられていく感じである。耳のやや手前まで来ると、今まで怒りの表情をしていた目付きが柔らかく、どちらかと言えば悦に入った様な高揚感に満ちた表情に代わり、引き裂かれた口がゆっくりと大きく開き出した。そこに見える鋭い牙の様な歯が男達のヘッドライトに照らされて怪しく光っている。

 身動きできず、声も出せない、瞼も閉じる事の出来ない男達は表情すらも変える事が出来ないでいたが、視線を外せないその目の瞳孔だけが恐怖で真っ黒い大きな丸へと開いて行くのを乙姫は楽しんで見ていた。


「ヒヒヒヒ。」


 別の笑い声がする。その笑い声と同時に乙姫の背が伸び、頭一つ分男達より大きくなると、いよいよ息が掛かるくらいに近づいて行く。男達の表情は変わらないが開ききった瞳孔が更なる恐怖を感じている事は伝わって来る。

 ある男の前に立つと、乙姫は男の目の前に顔を真横にして言う。男の目には乙姫の大きく開いた口が眼前を塞ぐように見えている。

「怖いだろう、叫びたいだろう、誰かに救いを求めたいだろう、ダメだダメだ。ヒヒヒヒ。逃げる事は許さない、いいや逃げられない。お前達自身がその罪に向き合い心を正し、お前達の行いで心を傷つけられる者の痛みを感じ、いいや痛みを数倍で感じながら反省の時を過ごすがいい。さあ、いよいよだよ。お前の頭に直接私からの忠告を刻もう。2度とこの家に近寄らず、悪さをする事無く、眠る度に私の顔を夢に見て恐怖に苦しむがよい。神をめんなよ。キャハハハハハハハ。」

 それからいままで開いていた大きな口を更に広げて男の頭よりも大きく開くと、今度はゆっくりと頭の上に覆い被せ、次にこれもまたゆっくりと口を閉じ出した。時間を掛ける事で身に降りかかる恐怖を増大させ、そして同じ様に固まって動く事が出来ない他の男達にその光景を見せつけて彼等の恐怖も増大させるかのようにしているが、乙姫自身はその時間を楽しんでいるかの様で目付きがにやけているのが分かる。ゆっくりと、鋭い牙の様な歯が男のこめかみの高さでその頭を回り込むように1周に渡って突き刺さって行く。痛い筈なのに男は声を上げる事が出来ない。まるでキリストが十字架にはりつけにされた際に頭に巻き付けられたいばらの棘の様に男の頭からは血が流れ、それが顔や首を伝って体へと流れ落ちて行く。

男は叫びたいのに叫べない。逃げ出したいのに体が動かない。ただ、今の状況を脳だけが鮮明に記憶し続けていた。

 乙姫はその鋭い歯の先が少しだけ刺さった所で止め血が流れるのをしばらく待ってから、口を開き男の頭から離れた。そして次の男の所に行き、先程と同じ様に男の眼前にその大きな口にある牙の様な歯を見せつけながら言葉を掛ける。次の男は可愛そうである。最初に制裁を受けた男の頭がくわえられそこから流れる血を閉じられない目で見させられていたばかりか、目の前の広げられた乙姫の大きな口にある牙の様な歯には鮮血がヘッドライトによって鮮やかな赤で映し出されているからである。この後自分に起こる想像もできない苦痛が確実に迫っているのを動く事が出来る思考のみが恐怖を増大させながら待つしかなかった。それを知ってか乙姫は男の頭上から銜え込むために口を大きく開いて近づくのを更にゆっくりとした動作で行うと、男は下半身のある特定の箇所の力だけが抜け失禁しズボンを濡らしていった。夏の温かい夜は濡らしたズボンから立ち上がる臭いを短い時間で周囲に広がらせている。そんな事には気にも留めない様に乙姫は動く事を止める事無く、ゆっくりと、ゆっくりと男の頭を噛んで、鋭い牙の様な歯を突き刺し血を滴らせた。同様に残りの男の頭にも同じ事をして終わると笑顔で対峙した乙姫は元の可愛いい女の子に戻っていた。


「お兄さんたち、もう悪い事しちゃダメよ。ふふっ。」

 乙姫はそう言って何事もなかったかの様に家へと入って行った。



‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


ピンポーン。


 朝早くからインターホンの音。


「はーい、どちら様ですか?」

「警察の者ですが、少しお時間宜しいでしょうか。」

「は はあ。」

 千沙都の母親が恐る恐る玄関ドアを開けると警察官が2名立っていた。警察官は塀の前に倒れていた男達の事について聞きに来たのである。

「朝早くから申し訳有りませんが、お宅の前で頭から血を流した男性3名が発見されたのですがお心当たりは御座いませんか?」

「は?」

「あ いえ、お宅の前で男性が負傷して・・」

「主人の事では?」

「ご主人? いいえ負傷したのは若い男性ばかりですが。」

「あ いえ、主人の事で来たのではありませんか?」

「負傷者の件です。宜しければ現場を見て頂けないでしょうか。」

「はい。」

 母親は警察官に付いて塀の外に出た。

「ひゃっっ!」

「どうされました?」

「い いえ、うちの塀が綺麗になっていたもので。」

「ええ、どうも負傷した者達はこの塀にスプレーで落書きをしようとしたようで、バッグに大量のスプレー缶を所持していました。しかもそれらを握りしめた状態で倒れていたのです。何か物音とかを聞いていませんか?」

「いいえ、何も・・。何時頃の事でしょうか。」

「良く分からないのですが、早朝に新聞配達員が見付けまして。」

「はあ、申し訳御座いません、何も知りません。」

「そうですか、知りませんかー。」

「何か。」

「いえね、彼等は『もうしません。』、『許して下さい。』しか言わないのですよ。それに、眠るのが怖い様で疲れている筈なのに眠ったかと思うと急に飛び起きて『許して下さい。』を連呼するのですよ。全く訳が分からなくて。」

「はあ、そうですか。」

「では、何か気付いた事が有りましたら交番に届けて下さい。」

「分かりました、では失礼します。」

 母親が家に入ると心配して千沙都が駆け寄って来た。

「ママ、何が有ったの?」

「家の前で若い男の人達が頭から血を流して倒れていたんだって。」

「ええ~~。」

「それよりも千沙都、家の塀が綺麗になっているのよ。あなた知ってる?」

「塀が? いつ?」

「分からないわ、でも今見てきたら綺麗になってたの。」

「知らなーい。昨日帰ってきたときはいつも通りだったよ。あれっ? もしかして乙姫ちゃん?」

「うん、私。だってお世話になるんだし、神の住処すみかは綺麗じゃないとね。」

「もしかして、その男の人達も?」

「そうだよ。だって私が綺麗にした塀に落書きしようとしたんだよ。ちょっとだけ頭嚙んじゃった。キャハハハ。」

「あはははは、乙姫ちゃん、最高ーー!」

「もう、あなた達。まだ外にお巡りさんが居るのよ、もう少し静かに話しなさい。でも、すっきりするわー、家に落書きしようとしたのが返り討ちに合うなんて。乙姫ちゃん、ありがとう。」

「よいよい、なーんちゃって。キャハハハ。」

「さあ、皆で朝食にしましょうか。」


‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


 2階にある父親の仕事部屋に立った乙姫と千沙都は椅子に座っている幽霊に話し掛ける。

「行くよ。先ずはあなたが殺された場所。案内しなさい。」

 椅子に座って2人をじっと見ていた父親の幽霊が立ち上がる。

「じゃあ行って来るね。チサは待っててね。」

「私も行くよ。」

「ダメ! あなたは顔が知られているしいざとなった時に自分を守れないでしょ。殺されたって言うのなら相手は人間じゃないのよ。その魂は鬼畜にまで堕落した者なの。待っていて、私は渉から引き継いだのだからちゃんとやるわよ。それに私はチサの友達なのよ。」

「乙姫ちゃん・・、気を付けてね、って神様に言う事じゃないか。」

「そう、私は神よ。あなたのお父さんを殺した奴を見付けたら、ん~もしかして、あったまに来てガブーーって噛んじゃうかもしれない。キャハハハハハ。」

「うん、噛んじゃって嚙んじゃって。ガ ブーーーって噛んじゃって。お願い、パパの恨みを晴らして。」

「キャハハハ。チサも言うよねー。それじゃあちょっと噛んで来るね。」

 乙姫は父親の幽霊と出て行った。




 東京の区内でも都心を離れると以外にも廃墟までにはなっていないが空き家や空きビルの類が意外と多い。父親に案内された場所は交通量の多い道路から静かな住宅地へと続く道の商店街の中程に建っている4階建てのビルであった。1階には商店が、2階以上には事務所か何かの事業所が入っていたみたいだが、今はその全てが空きスペースになっている所の3階の部屋に乙姫は連れて来られた。

「ふ~~ん、ここであなたは殺されたの。そしてあの林の木に吊り下げられたって事ね。」

「ねえあなた。殺された時、あなたの周りには何人居たの?」

『1人。』

「会えば分かる?」

『はい。』

「そう、じゃあそいつの特徴は?」

 その時この事務所のドアが開き、男が入って来た。

「あれ~、鍵が掛かっていた筈なんだけれどなー、君1人? 誰かと話しているみたいだったけれど、独り言? 若いのにやだねー。」

「あなたね、チサの、横川 千沙都のお父さんを殺したの。」

「何言ってるの? 僕はただ空いてる部屋から声がしたから来たんだよ。」

「そう、でも私を殺したのはあなただって言ってるのよ。」

「誰が?」

「チサのお父さんが。」

「は? あはははは、君っておかしいんじゃないの、横川って奴は死んでいるんだよ、死んだ奴が何か言うわけないだろう。」

「ここで殺されたって言っているのよ。 そう、ここ。この机の横で、あなたと2人きりで会っていた時、急に後ろから首にタオルを巻かれて釣り上げる様にらされて殺されたって。  ふ~~ん、黄色いタオルだったの。へぇー、ここの商店街の名前が印刷されてたんだ、じゃあ配られたやつだね。 だって。」

「何を言ってる。誰と話している。」

「だからー、チサのお父さんって言っているでしょ。」

「う 嘘だっ。」

「ねえ、誰に頼まれたの? チサのお父さんね、あなたの事知らないって言っているの。だから誰かに頼まれたんじゃないかって。」

「お前も・・、お前も死んでもらうしかないな。」

「それは無理だよー、キャハハハ。それよりも誰に頼まれたのか言ってよ。じゃないと直接あなたの脳に聞くよ。」

「ふざけるな! 女子高生が俺にかなうわけないだろう。」


懋瑕些霸ムカシャハ。』

 (固まれ。)


 乙姫のその言葉で男は身動き出来なくなった。

「私を殺す? キャハハハ。この私を? 人間如きがこの私を殺すだと。キャハハハハハハ。」

 マスクをゆっくりと外し、男をとろける様な眼差しで見つめると、乙姫はその口を大きく開き出した。

 3階のこの事務所には昇り切っていない夏の明るい陽射しが部屋の奥にまで差し込み、男と乙姫の影を机1つしかない広い床にはっきりと濃く映している。2人共動かないのに、乙姫の影だけがゆっくりと男の影に向かって伸びていく。その男の頭の影を乙姫の大きく開いて牙のギザギザをはっきりと映している影の口が喰らい付くように動いて行くのである。

 乙姫の影が男の影の頭に喰らい付くと、

「ふ~~ん、阿久津さんって言うの。そいつから頼まれたんだ。」

 影を噛まれている男は乙姫の言葉に驚くと同時に、身動きが取れない状況に怯えていた。

「ねえお父さん。阿久津さんって知ってる?」

『もしかして、阿久津部長の事か?』

「阿久津部長?  ねえ、阿久津部長って言ってるけど。  え? 阿久津って言う事しか知らないの? しょうが無いなー、じゃあ、その阿久津っていう人の姿を記憶から抜き取るね。 ふ~ん、こんな顔してるんだ、分かったわ、もうあなたに用は無いわね。じゃ、自首するようにね。あーーそれと、チサ達を悲しませた罰は私の声と顔を毎晩夢に見て苦しむ事ね。いつまで正気で居られるか分からないけれど、まー頑張ってね。キャハハハハハハハ。人を殺した罪は重いわよ。」

 そう言って乙姫がこの事務所のドアを閉めると固まったままの男の拘束が解け、床に崩れ落ちた。


 阿久津と言う名前が思い当たる者が部長しかいなかったので、乙姫は父親の会社でその阿久津部長が出て来るのを待っていた。しばらくすると会社の外で打ち合わせが有るのか見覚えのある男が他の社員に何やら説明を受けながら出て来た。それはあの男の記憶から抜き出した阿久津と言う男そのものであった。会社から出ると阿久津は1人でタクシー乗り場へと向かって行く。

「あっ、阿久津だ。あの男の記憶と一緒。 お父さん、あの人が阿久津部長?」

『そうだ。あの人だ。』

「ふ~ん、どうして同じ会社の人があなたを殺したの?」

『どうしてなんだ、どうして私を殺して罪を着せたのだ。分からない、分からない。あの、阿久津部長が何故私を・・。』

「じゃあさ、あの阿久津っていう人と何か特別な話しをした事有るの?」

『ああ、会社の経費が合わなくて、それで私は同じ経理部の中の誰かが不正に関与してるんじゃないかなと思い、その部署を統括する阿久津部長に直接資料を持って相談したことが有るんだ。もしかして・・、不正は部長が? いや、そんな筈は・・・。しかし、今思うと・・・。』

「ま、いいじゃない。本人に聞いてみるから。」

 タクシー乗り場で順番を待っている阿久津の後ろから乙姫はそっと声を掛けた。

「おじさんっ、阿久津さんって言うんでしょ。私、チサの友達。横川 千沙都のお父さん、横川 あつしって知ってるでしょ。」

「なんだね。」

「チサのお父さんの事で聞きたい事が有るの。・・・どうして殺したの?」

「君っ、何を言ってるんだ。」

「さっきね、お父さんを殺した男の人に聞いて来たんだ、阿久津さんに頼まれたって。その人ね、殺した方法も教えてくれたんだよ。3階のなーんにも無い事務所、チサのお父さんが死んだ   本当の場所でね。」

「・・・。」

「ケーサツに言いに行っちゃおうかなーー。」

「一緒に乗りなさい。場所を変えて話を聞こう。」

 

 無言のまま乗っていたタクシーはとあるレストランの前で止まった。

「何か食べながら話そう。ここは私がいつも来ている所なんだ。」

「ふ~~ん。」

 店は夕方の営業前にもかかわらず、阿久津が着くと店員は何も言わずに彼と乙姫を奥にある個室へと案内した。

「さあ、好きなものを頼むといい。安心しなさい、ここは私が払うから。」

「ごめんね。帰ってチサ達と一緒に夕ご飯食べるから、何も要らない。」

「そうか、では何か飲み物でもどうだ。」

「うん、じゃあ冷酒。」

「冷酒? 酒? ・・君って未成年じゃ。」

「ふふふ、そう見える? 見えるよねー、でも未成年じゃないんだ。」

「そ そうなのか、じゃあ冷酒で。ん~、フレンチの店に有るか分からんが、何とかなるだろう。私はちょっと電話をして来る。打ち合わせの延期の連絡をしないといけないからね。」

 そう言って阿久津は一旦部屋を出て行った。しばらくして阿久津には軽い食事、乙姫にはグラスに入った冷酒が用意された。

『気を付けて下さい、酒に何か入れたようです。』

 乙姫の傍に千沙都の父親の霊が寄って来て囁いた。そんな事は気にも留めずに乙姫は冷酒を一口飲む。

「うん、なかなかいいお酒ね、ちょっと雑味が混ざっているけど。」

「ほぅ、君は酒の味が分かるのかね。」

「よく飲んでいるからね。お供え物は大体日本酒だし。」

「お供え物?」

「それで? 何で千沙都のお父さんを殺したの?」

「まぁ、慌てないで、私も今から食事をするのだから。ゆっくりと話そう時間はたっぷり有るだろう。」

「それもそうね。お酒の御代わりも貰いたいし。」

「そうそう、いっぱい飲みなさい。私のおごりだ。んふっ。」

『大丈夫なのか?』

 千沙都の父親が心配そうに言う。

(ふんっ、酒に眠り薬なぞ入れおって、私にそんな物が効くとでも思っておるのか? 酒の味を台無しにした罪、これも後で追加しよう。)

 乙姫は酒を2杯飲んだ時、急にテーブルに伏せる様にして眠りに就いた。

「意外と時間が掛ったな。まあいい、さて何処に運ぼうか。ん~~。」

 阿久津は店の従業員に車を運転させ、一般道を使い東京を出た。高速道路に有るNシステムからナンバーを特定されない様に、そして防犯カメラにも映像が残らない様にとそれらが無い所を求め、高速道路のインターチェンジを出た所にあるラブホテルへと車を入れさせ、眠っている乙姫を抱き上げて部屋へと入った。

「そのまま殺すには勿体ないからな、少しは楽しませてもらうか。」

 薄ら笑いを浮かべながら独り言をつぶやいて乙姫をベッドの上に横たえ、着ている服のボタンに手を掛けた。その時、乙姫の大きな瞳が見開いている事に気付いた。

「お 起きてたのかっ。」

 乙姫は無言のまま上体を起こし、その大きな瞳で阿久津を見つめる。

「い いやー、君が眠っちゃったから・・。」

「元々眠ってなんかいないよ。私に薬は効かないから。」

「な、・・・。」

「もういいや。話ぐらいは聞いてやろうと思ったけど面倒めんどくさくなっちゃったからさっさと終わらせよう。」

「何をする気だ。」

「あなた、私も殺そうとしたわね。まー、その前に私の体に触れようと。汚らわしい。」

 その時、阿久津は乙姫を襲おうと動き出した。


懋瑕些霸ムカシャハ。』

 (固まれ。)


 乙姫のその言葉で阿久津の体は動けなくなった。

「あーそうだ、あなたにはもっと楽しんでもらおうかな。」

 そう言って阿久津の口に手を触れると、その触れた口だけが動かせる様になった。

「な、何をしたっ。」

「そうそう、しっかりと声を出してね。大きな声で叫んでも平気だよ。」

「お前は、お前は一体何なんだ。」

「私? 私は乙姫って言うの。ねぇあなた。あなたは神様って信じる?」

「神? 神なんか居るはずが無いだろう。」

「ふ~~ん、でもね、私って、その神なんだよねー。」

「う、嘘だっ。神なんか居るはずが無い。 そ そうだ、こんな事をするお前は悪魔だ。」

「あれ~? 悪魔は信じて神は信じないんだ。それに、こんな事をするって、あなたはもっと酷い事をしたじゃない。私が悪魔ならあなたは魔王って事よね。」

「何の事だ。」

「何の事? まだそんな事を言っているの? 大体さー、飲み物に眠り薬入れた時点でアウトでしょ。お酒も不味くなっちゃったし、お店の人もグルだったって事ね。まぁいいわ。話す気無いんでしょ、じゃ、あなたの頭から直接聞くから。」

「何をするんだ。」

「あら、怖い? 怖いの? ふふふふ、そうよねー怖いよねー、される側の人間は怖いのよ。恐怖を感じるの。今のあなたと同じ。いいでしょ、あなたも他の人にこんな事をしたのだから。さあ始めるわよ、真実を吸い取り、そしてあなたに罰を与えるの。」

「あーーー! 止めろーーっ! 止めてくれーーっ! ギャアアアアアアアアッッッ!」

 乙姫は例の如くその可愛い口を耳まで裂いて大きく開きその中に有る牙の様な鋭い歯を見せつける様にして動けなくなっている阿久津の顔に向かってゆっくりと近寄って行く。

「止めろー! お願いだ、止めてくれーーっ! あぁ、あああああああっっっ!」

「はははははは。」

 乙姫は開いた口をアグアグと動かし、鋭い歯で噛むような仕草をしてどんどんと近づいて行く。阿久津は失禁し、今にも失神しそうになっている。しかし、口は動いても目を動かす事が出来ない。普通であれば恐怖で黒目が上を向き白目をいて気絶できるはずなのだが、眼球を動かせないためにどの様な恐怖が目の前に見えても気を失う事が出来ずにいた。その恐怖を見続け、はっきりとした記憶が脳に刻まれるのである。乙姫はそんな阿久津の開ききった瞳孔を楽しそうに見ながら、今度はゆっくりと頭上へと口を持って行き、そのまま頭に噛み付いて脳に残っている記憶から真実を引き出し、罪を認め自首するよう催眠術の様な記憶を植え付けた。当然、毎晩の恐怖は埋め込んである。それが終わると阿久津の頭の傷を塞ぎ彼を操ってレストランの従業員が運転する車で店に戻り今まで彼に加担して来た者達にも同じ様に罰を与える為、次々とその者達の影の頭を噛んでいった。


‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


 千沙都の家。


「さあ、夕食が出来たわよ。乙姫ちゃん呼んできて。」

「はーい。」

 父親を天上に還し、その部屋を乙姫の部屋として住まわせる事にしたのだ。

「乙姫ちゃーん、夕食の準備出来たよー。」

「ほ~い、今行くねー。」

 3人で夕食を食べながら、あの事件以来見なくなっていた夕方のテレビニュースを久しぶりに点けていると、視聴者の関心を引き付ける為の聞きなれない電子音と共に画面の上部にニュース速報が流れた。すぐにニュース番組が緊急ニュース速報へと変り、慌ただしくキャスターが原稿を読み上げる。

『只今入った情報によりますと、本日17時10分頃、東京都北区赤羽の交番に先月起こりました株式会社メガロ・ストーマでの横領事件の犯人だと名乗る人物が自首した模様です。この事件では当時経理担当の横川 敦さんが容疑者として起訴されその後自殺したと見られましたが、先程自首した者が横川さんの殺害もほのめかしているとの事です。』

 千沙都と母親は食事の手を止め乙姫を見た。

「乙姫ちゃん、これって。」

「うん、頭噛んで自首させた。警察が調べるより犯人が名乗り出る方が早いからね。」

 ニュースキャスターが次の原稿を読み上げる。

『新たな情報が入って来ました。自首したのはこの会社の部長で阿久津 智弘 54才という事です。8000万円の横領と横川 敦さん殺害の教唆きょうさに関して自首したとの事です。またこれと同時に別の警察署に殺害の実行犯だと名乗る人物も自首した模様です。繰り返します、本日17時10分頃、東京・・・・。』

 千沙都と母親は涙目で乙姫を見続けている。

「乙姫ちゃん、抱き付いてもいい?・・ いいですか?」

「いいに決まってるじゃん。」

「乙姫ちゃ~~~ん。」

 チサは泣きながら抱き付いて行った。

「うんうん、よく頑張ったな、良い子だ良い子だ。」

「乙姫ちゃん、私もいいかしら。」

「おぅ、お主も妻として、母親としてよく頑張ったな。来るがよい。」

「うわ~~ん、乙姫ちゃん。乙姫様~~!」

「キャハハハハハハ、良いよい。心から私を慕っておるのが分かる。お主達の尊崇そんすうの念が我が身にどんどん力として流れて来るのを感じるぞ、キャハハハハハハ。」

「乙姫ちゃん、今夜一緒に寝よう。」

「一緒に寝てくれるの?」

「お風呂も一緒ってダメ?」

「えっ、良いの? 一緒にお風呂?」

「ずっと、ず~~っと、友達でいてね。」

「やっぱり友達っていいな~~。キャハハハハハハ。」



 数日後、千沙都は乙姫を連れだって、万引き仲間の凛花達と例の公園で会った。仲間を抜ける為だ。勇気を出して別れを告げる千沙都に凛花達は高圧的な言葉を投げかけ暴力まで振るおうとした。

「あんたさっ、私らがいなけりゃ誰もあんたの傍になんか居なくなるよ。」

「うん、でも良いの。万引きとかって悪い事だって分かっていて続けるの嫌だから。」

「私達から離れられるとでも思ってんの?」

「でも、でも、イケない事はしたくないの。もう我慢できないの。」

「あ~あ あ~、学校中に言っちゃおうかな~。あんたが万引きしたってね。」

「うん、仕方ない。だって、私、万引きしたんだから。罪は償わないと。」

「だからさー、だまっててやるからさー、また楽しくやろうよ。」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。もう、一緒には居られないの。そう決めたの。」

「はぁ? ざけんなよ。今更抜けようなんて。もしかして、ソイツにそそのかされたのか?」

「ううん、乙姫ちゃんは関係無い。私が決めたの。」

「乙姫だー? ふざけた呼び方しやがって。」

 いよいよ凛花達が手を出しそうになったので乙姫がマスクを取って言う。

「チサに何かしたら私が許さないよ。」

「ほぅ、私らとやり合おうって言うの、私には仲間がまだ居るんだよ。」

「それが?」

「はぁ、その可愛い顔に消せない傷でもつけてやろうか。」

「いいよ、これでも出来るならね。ヒヒヒヒヒ。」

 乙姫は笑いながら大きな口を見せた。怯えて走り去っていく昔の仲間の背に向かって千沙都は一礼をして言う。

「今までありがとう、凛花ちゃん、真波ちゃん、美沙ちゃん。」

「なんであんな奴等に感謝するの?」

「うん、やっぱり私が寂しかった時に声を掛けてくれたから。」

「ふ~ん。それも友達って言うのか?」

「分からない。でも友達だったって思いたいの。どんな繋がりでも友達っていいよねって。一人じゃ耐えられない事も乗り越えられる。実際彼女達が居たから私も生きて来られた。もし居なかったら・・、パパの事で今まで友達だと思っていた子が急に遠くにいっちゃって誰も私に近づこうとしなくなって、本当に一人は寂しかったの、あのままだったら自殺してたかも。だから、彼女達には助けられたんだよ。」

「ああ、だが、その者が友達なのか単なる利害関係の仲間なのか、それも自分を利用するだけの相手なのかを見極める事は大切だよ。」

「そうね、でも、やっぱり今だから分かるの、リン達が傍に居てくれたから私は自分を無くさずに居られたんだって。あの子達を恨むなんて出来ないわ。」

「それを友達って言うのかー。」

「それも、友達。だと思うよ、それでいいかなって。きっと友達って色々な形が有るんだよ。」

「へぇ~、神である私も分からない事だ。 ねぇチサ、もっと私に友達の事教えて。」

「無理よ。私だってはっきりと分からないんだから。でもね、自分だけが友達って思っているのもきっと友達だし、お互いに思い合っているのも友達だし、ううん、友達だなんて感じていなくても一緒に居て悩みを打ち明けたり、ううん、傍に居てくれるだけで良かったり。」

「ほぅ、聞いていると友達って恋愛みたいなものだな。」

「かもね、私にも良く分からない。だから乙姫ちゃん、私達も友達ってのになろうよ、両想いのお友達になろうね。」

「ああ、これからもっと色々な事をして、私に友達って事を感じさせてくれ。」

「違うよ、2人で感じて成長するの。い~っぱいお話しして、い~っぱい思い出作って、たま~に喧嘩して。ああ、お願いだから私は噛まないでね。」

「あははははは、ちょっとだけ噛んじゃうかも。」

「嫌~~~! それだけは止めて~~~! あはははは。」

「キャハハハハハー。」

「ねえ乙姫ちゃん、リンちゃん達も悪い事しない様に出来ないのかな。」

「チサは優しいね。それは私には出来ないな。だって強制的にしても意味ないでしょ。自分達で何が良いのか悪いのかをちゃんと判断出来る様になって、本当ならチサみたいにそれは悪い事だよって仲間が教えないと。それが友達でしょ。」

「そうね、でも、やっぱり気になるの。」

「チサは気になるのか、じゃあ私も一緒に考えて上げるよ、だって友達だもの。そうだ、今度お母さんと女3人で温泉旅行に行こうよ。絆を深める為にも、・・・ね。」

「いいねー、あ でも、うち今お金無いと思うよ。パパが自殺じゃなかったから保険金が貰えるってママが言ってたけど、いつになるのか。」

「ああ、それなら大丈夫。あの阿久津って言う奴が隠していたお金貰って来たから。」

「ええーーーー! そんな事分かちゃったら警察来ちゃうよ。」

「大丈夫だって、関係者全員の記憶変えちゃったから。」

「ええーーーー! 神様ってそんな事出来るの?っじゃない、そんな事して良いの?」

「今の時代、神だって遊ぶにはお金がいるでしょ。これはお供え物としてありがたく貰うのよ。だってアイツ私をラブホに連れ込んだんだよ。」

「ええーーーー! 乙姫ちゃん、ラブホ行ったの? 何された?」

「なーんにもされないよ、キャハハハハ。される前にこっちがした。キャハハハハハハ。」

「そっか何もされていないのね、良かったー。それで幾ら持って来ちゃったの?」

「4000万。」

「えええええーーーーーー!」



‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


 ニュース速報を渉は実家で見ていた。


(乙姫、ありがとう。さすがに神なんだね。)

 子犬になったマガミが言う。

「コレッテ乙姫ガヤッタノカ?」

「うん、きっとそう。僕に代わって彼女が解決してくれたんだ。」

 小鳥になったムスビが山胡桃を突きながら言う。

「乙姫ノ能力ッテドンナノ?」

「さあ。後で連絡して聞いてみるよ。彼女にも友達が出来て良かったよ。」

「ソウダナ。乙姫ッテ可愛カッタヨナ。笑ワナケレバ、クァッカッカッ。」

「あんな格好してたけど、きっと誠実でいい神なんだろうな。純粋な気持ちで友達が欲しいって言ってたんだから。やしろを持っていない神だから、きっとお供え物をちょろまかす様な物欲も無いんだろうね。」



 渉は乙姫の大きな瞳を思い出し、やっぱり夢に出て来る天探女の方が可愛いと思っていた。




(天探女よ、君は今、何処に居て何をしているの?)




(やっぱり夢で逢う君は可愛い。見る度に美しく愛おしくなる。)




(君に会いたい。)

2021年の最後に1つの物語が間に合って良かったです。


次のは『最後の村人と天忍日』の予定です。


来年もよろしくお願いいたします。

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