5 覚醒 天忍日の場合
ビュッッ ヒュッッ ザザザザーザッ ビュッッ
朝5時。
山に囲まれたこの地でも太陽の光は夏の明るさをもたらし、青白かった林の中もようやく本来の色を感じられる様になっていた。その境内に響く地面を駆ける音、摺り足で踏み込む音と何かが風を切る音。
ザザザザーーザザ ヒュッヒュッッ ヒュッッ ビュッッ
明るい中に渉が上半身を露にして大刀を振っているのである。大刀と言うよりは剣と行った方が伝わるのかもしれないその形は日本の神話に出て来るあの白銅製の刀身が白くて柔らかい光を反射する両刃の剣である。しかも剣先まで4尺(1m20cm以上)はあろうかと言うほどに長く重い剣を15才になったばかりの少年が片手で軽々と振っている。
ザッザザッ ザーーザッ ヒュッヒュッッ ビュッッ
最後に勢いよく振り下ろした大刀はその右腕と真っ直ぐになってピタッと止まり、矛先を正面に向けていた。しばらくはそのままの態勢で身動き一つせずただ前を見据えていたが、ゆっくりと腕を下ろすと大刀は何処かに消えていた。渉は大刀を握っていた掌を、その昔に振っていた時と同じかどうかといった感覚を確認するように目の前で結んでは開いてを繰り返している。その表情は何処か嬉しそうに、蘇った事を、これから訪れる色々な事を、そして天探女を探し出して会いに行く事の始まりを感じている様でもあった。
すると一変して厳しい表情へと変わり。
「これが最後だ。」
「これで終わりにしてやる。」
「我らの呪いを解いてやる。天探女よ、待っていてくれ。」
呟くように、だが、しっかりと自分自身に確認するように声に出した。
またしばらくはそのままでじっとしていたが、境内をゆっくりと歩み包み込んでいる林に近づくと、その林の中の闇に向かって、
「マガミ、ムスビ。 我はここに居る。待って居るぞ。」
と囁く様に言うと笑顔になり、
(これで良し。これで彼等に僕の居場所が伝わるだろう。)
と心の中で呟きその場を後にした。
渉は汗を拭う事もせずTシャツを着て家へと走って行く。
急いで角を曲がって家の玄関を目指すと、そこには渉の両親が立っていた。2人共何処か不安げに少し俯き加減で立っているのである。
「父さん母さん。」
「渉。」「わたる。」
「あの、話が、話が有るんだ。」
「ああ、さあ、家に入れ、中で聞こう。」
渉は両親に挟まれその肩を2人に包まれるようにして家に入って行く。
居間に入ると両親に向かい畳に正座し両腕を突き、視線を下げたままで渉が話し出す。
「僕の本当の名前は、天忍日。魍魎共を払う戦いの神です。幾度となく生まれ変わり、今、貴方達の息子となって誕生しました。」
「何故、神が生まれ変わりを?」
「呪いです。我らを良しと思わぬ神達からの呪いによって、私の妻となるべき天探女という神との仲を裂かれ、何度も転生を繰り返しているのです。」
「神も呪うのか?」
「はい、神は呪います。日ノ本に生きる神は人間と同じ様に豊かな感情を持ち、喜び、笑い、悲しみ、泣き。時に嫉妬し、怒り、いじけては身を隠し、仲間を思い楽しく宴を催し、酒を酌み交わし愚痴だってこぼします。」
その時母親がポツリと呟いた。
「やっぱり、私達の子供はあの時に・・・。」
そこで渉が顔を上げる。
「あ、あの 母さん・・・、あの時って。」
母親は両手をお腹に当てて懐かしそうに話し出す。
「あれはもう直ぐ臨月になるっていう時にね、病院での定期検診で赤ちゃんの心音が途絶えたの。ドン ドンってしっかりと、うん、とても愛らしく鳴っていた赤ちゃんの心臓の音が私の目の前で、突然、突然その音が途絶えたの。慌てたわ、私がお腹に触れても動かなくなっていたのよ、直ぐに取り出すってなって手術台にまで乗ったのよ。そこで麻酔をかける時になって、急にお腹を蹴って来たの、急によ。嬉しかったー、とても驚いたわ、『先生っ、赤ちゃんが動いたっ』って叫んだのよ私、涙流して泣いちゃった。そこでもう一度検査したらちゃんと赤ちゃんの心音が戻っていたの。そうね、きっと私達の子供はあの時に亡くなって、貴方が代わりにやって来たのね。」
「そんな筈無いっ!」
渉の強い言葉に両親は大きく目を開いて固まっていた。
「違うと、・・・思います。」
渉は自分でも確認するようにゆっくりと話し出した。
「違うんです。きっと、違うはずです。今までもそうであった様に僕は普通に産まれて来ているんです。誰かの命を奪うとかその体を横取りするとかではなくて、最初から、命を授かる時には既に僕が居たんです。居た筈なんです。そうでなければ、 そうでなければ、僕は神でも何でもない、 誰かの命や体を奪ってまで生まれたというのなら・・、ただの魍魎共と同じになってしまう・・・。」
今度は渉が畳に伏せって、最後は呟くように段々と小さな声で消え入る様に言った。
「違うのよ渉、奪ったんじゃないわ。ごめんね私の言い方が間違っていた。亡くなった私の子供が貴方を連れて来てくれたの、きっとそう。私が悲しまない様に自分の代わりに貴方を私の元へ連れて来てくれたのよ。だから、貴方は何も奪ってなどいない、何も悪くはないのよ。それよりも貴方は私達に喜びを与えてくれたわ、貴方は私達の子供。そうよ、ごめんね変な事言って、貴方は私達の子供。産まれて来てくれて本当にありがとう。」
「僕は・・・、僕はまだ・・・、あなた方の息子で良いのでしょうか。」
「当たり前だ!」
「そうよ! 貴方は私達の息子。息子なんだからっ!」
「・・・、父さん、母さん。ありがとう。」
「何言ってんだ。感謝の言葉は俺達がするんだ。渉、生まれて来てくれてありがとうな。」
「父さんっ、母さんっ。」
渉は2人に向かって飛び込んで行った。
「渉、私の子供、渉。」
母親は強く抱きしめた。
しばらくして、父親が少し恥ずかしそうに言う。
「そのぅ、なんだ、渉、神ってのは何か特別な事が出来るのか?」
「は、はぁ。僕は大刀が武器ですので、出す事が出来ますが。」
「本当かっ!」
「貴方、止めなさいよ。」
「いいだろう、息子なんだから。なっ、渉、いいだろう?」
「ええ、まぁ、それ位は。」
『湃礪稗!』
(大刀よっ!)
すると握っている右手から大刀が現れ出て来た。
「おお~。」
「まあ~~。」
2人は驚きを隠せないでいる。
「渉、持たせてくれ。」
「あ、はい、どうぞ。気を付けて。」
父親が受け取るとその重さに驚く。そして右手で柄を掴み、添えていた左手を離すと、その剣先がそのまま畳に向かって落ちた。
ドスッ ザシッッ
畳に落ちた剣先はそのまま畳に深く突き刺さった。
「あなたっ! 何やってんのっ!」
「おっ、むうううんっ。」
父親は何とか持ち上げようとするが、刺さった剣先はビクともしない。当然である。1m20cmもの長い大刀をその端を持って片方の手首だけで持ち上げようなんて、常日頃から鍛えている者でもなかなか出来ないのである。特に日本刀などと違い、神の持つ大刀は中ほどからその幅も広がって重心がより先の方に有るのだから、普通の人間になど持ち上がる筈も無い。
「お前、これを振り回すのか?」
「ええ、父さん、預かりますよ。」
そう言って柄を掴むと、ふっと先を持ち上げ畳から抜いた。それを両親の目の前で手首を軽く回して上下に振って見せると、
「やっぱり神なのか。」
「凄いわね、って、父親っ! 畳はどうするのっ! 畳はっ!」
「おお、 そうだ渉、神の力で何とかならないのか?」
「えっ、なりませんよ。魔法使いじゃないんですから。」
「だって、お前、神だろう。」
「無理なものは無理ですって。僕の専門外です。」
「どうするのよ、父親。まだ新しいのに。」
「日本の神は万能じゃねえのかよ。」
そう言って皆で目を合わせると、誰ともなく笑い出した。
‡‡‡ ‡‡‡ ‡‡‡
「渉くーーん。おーはよー。」
登校時間にいつもの叶恵の声が響く。
「渉ー、叶恵ちゃんが来たわよー。」
「ああ、行って来ます。」
「行ってらっしゃい。」
母親はいつもの笑顔で渉を送り出してくれた。
「おはよう叶恵ちゃん。」
「おはよう渉くん。」
2人は並んで歩き出すと自然に手と手を繋ぐ。
その時、いや、その瞬間、叶恵は繋いだ手を慌てて離し、引き寄せたその手を庇う様に胸に当てて包んだ。
「誰?」
叶恵は少し怯えた表情を渉に向ける。
「ぼ、僕は渉だよ。」
「そ、そうだよね、渉くんだよね。」
「どうしたの?」
「何だか全くの別人の様な感じがしたの。」
「・・・。」
「あ、ごめんね。渉くんは渉くんだよね。」
「う ん。」
「本当にごめんね、誕生日なのに。」
「ううん、平気。」
だが、その日は手を繋ぐ事無く、2人共無言で歩いて行った。
渉は心の中で、
(剣を振ったからどこか手が変わっちゃったのかな?)
(帰ったら叶恵には本当の事を言おう。)
(謝ろう。僕達は結ばれる事は無い。そう、出来ないんだ。許してくれるかな。)
(ああ、きっと泣くだろうな。もう一緒に居てくれないのかな。)
(本当の事を言ったら、誰かにしゃべっちゃったりしちゃうのかな。)
等とそんな事ばかりをずっと悩み、自問自答を繰り返して歩いている。
「渉くん、帰ったら誕生会やろうね。」
「あ、うん。楽しみにしてる。」
「クッキー持って行くから。」
「あ、うん。」
そんなギクシャクとした会話をして国道に出ると、叶恵は急ぎ足で女子達の所へと行ってしまった。
学校から帰ると渉の家に叶恵が誕生会をするためにやって来た。
「渉くん、今朝はごめんね。変な事言っちゃって。」
「ううん、それより叶恵ちゃんに話があるんだ。」
2人はテーブルを挟んで向かい合わせになって座ると、渉ははじめ叶恵から視線を逸らし、暫くの間黙り込んでいた。それからゆっくりと視線を叶恵に合わせてから話を始める。
「ごめんね、信じられないけれど僕の話を聞いて。」
叶恵は声を出す事無く、ただ頷いていた。
「僕は、 渉だけど、 渉じゃないんだ。 何て言ったらいいのかな、そう、実は僕の本当の名前は天忍日って言うんだ。」
渉は言葉を探りながら、叶恵の表情を伺いながら話しをする。
「ああ、知らないだろうけれど、天忍日って日ノ本の神の一人なんだ。 知らないよねあまりにもマイナーな名前だから・・・。」
叶恵は頷く事もせず、渉の言葉一つ一つをしっかりと聞いて自分の中に取り込む様に少し怖い様な真剣な眼差しを向けて聞き入っている。
「僕達はある神達から呪いを受けて何度も繰り返し転生して今に来ている。」
渉は天探女との事、幾つもの時代を転生して生きて来た事、天探女と会って触れて後に1日だけが許されている事などを話した。そして、自分は天探女と結ばれるために探し出し、会いに行かなければならない事を告げた。
そこで叶恵は初めて体を動かし、俯き、涙を零した。声を出さない様に込み上げる息を押さえ、大きく振動する肩でその漏れだす声を堪えているのである。涙は落ち、それを拭う事すらしない。渉はただただ見守る事しか出来なかった。
「ごめんね、叶恵ちゃん。」
渉が何とか言葉を掛けると、叶恵は俯いたまま首を横に振る。涙がそのまま横に飛んで行った。
叶恵が泣き止むのをただ待つしかなかった。
どれ程の時が過ぎたのだろうか。叶恵がポツリと聞いて来た。
「天探女さんって、綺麗な人なの?」
渉は少しの間を置いてそれに答える。
「分からない。僕と一緒で生まれ変わってこの時代にいて、この時代の彼女の姿はまだ分からないんだ。」
そこで叶恵は渉に視線を戻した。
「えっ? じゃあ名前は? 生まれ変わった名前は判るの?」
「分からない。」
「どうやって探すの?」
「もう直ぐなんだ、もう直ぐ僕の夢の中に天探女の姿が現れるんだ。」
「姿、だけ?」
「そう、姿だけ。それだけが頼りなんだ。」
「それだけで今まで探して来たの?」
「うん、それだけで。日本中回って探し出して来た。」
「車も電車も無い時代に?」
「そう、歩いて回った。もう何周したかな。」
「凄い、そんなに愛してるのね。 天探女さん、愛されているのね。 私、敵わないな・・・。」
「ごめん。 15になった夜中に今までの事が頭の中に蘇って来たんだ。それで、彼女の事も・・・。」
「ねえ、 その天探女さんに会えないとどうなっちゃうの?」
「呪いには期限がついているんだ。100年と15日。 それまでに僕達は出会って、お互いの体に触れ合わないとダメなんだ。」
「・・・。」
「触れ合わないと、 僕達は消える。 消え去ってしまうんだ。 何も残らずにね。」
「酷い呪い。 酷過ぎるよ。 姿しか分からないのに、探し出すだなんて・・・。」
「呪いなんてそんなものさ。呪うんだから・・・。掛けられた相手が苦しむのは当然だよ。」
「ねえ、 変な事聞いてもいい?」
「うん。」
「渉くんって、死なないの? 神だし、それに、会うまで100年なんでしょ。」
「死ぬよ。僕等は出会ってその体に触れさえすれば死ななくなるんだ。でも、それまでは僕達は死ぬ。この体は人間のままだから。病気では死なないし体も一番いい時、大体20代ぐらいで維持され続けるけれど、事故や魍魎共と戦って死ぬ可能性は有るんだ。前回生きていた時は鬼に左腕を喰われて片腕で生きてた。」
「えっ? 鬼って本当に居るの?」
「ああ、居るよ。ほとんどの人間には見えないから解らないけれどね。」
「そうか、何か分かった。分かっちゃった気がする。」
「何が?」
「私じゃ渉くんのお嫁さんになれないって事が。 悲しいけど、きっと私のような単なる人間とは世界が違うのね。 生きている長さや、見えているモノが・・・。」
「・・・。」
「あ~あ あ~、私、渉くんのお嫁さんになれないのか~。」
「ごめんね。」
「しょうがないよ、渉くんだって昨日まで知らなかったんだから。」
「・・・。」
「ねえ、今までにもこう言う事って有ったの? 幼馴染と、その~、将来結婚しようなんて話。」
「無かったよ。 今まではこんなに近くに人が居なかったんだ。もっともっと人も少なくて、隣の家だってもっと離れていたし、幼馴染なんてほんの数人だけ。人口が全然違うんだ。人間は増えたよ。本当に増えた。」
「じゃあ、もっと探すの難しくなったんじゃないの?」
「かも。 でも、その代わりに便利な世の中にもなったんだ。交通手段だけじゃなくスマホにSNSとかね。」
「そう、分かった。私、渉くんに協力する。私も、天探女さんを一緒に探すよ。」
「いいよ、叶恵ちゃんには関係の無い事だし。」
「一緒に探させて。そうすれば、・・・・渉くんの傍に居られるでしょ。」
「危険だよ。鬼や魍魎共が僕を狙ってるんだ。」
「ん~、でも、天探女さんを見てみたいの。どんなに綺麗な人なのかって。」
「・・・。」
「じゃあ、クッキー食べよう、私がんばって作ったんだから。クッキー食べながらもっと話を聞かせて。」
「うん。ありがとう。」
‡‡‡ ‡‡‡ ‡‡‡
1週間が過ぎた。
眠っている渉の夢に、この時代になって初めての天探女の姿が現れた。
(ああ君が天探女、今はこんな姿なのか・・・。)
起きた渉は夢に現れた彼女の姿に不安を感じていた。
(どうしたんだ、あの悲しい表情は。今までには無かった事だ。)
(天探女よ。一体君に何があったんだ。)
(君も僕の様に増えすぎた人間によって何か悲しい事があったのか?)
(ああ、でも、やっぱり君は可愛かった。きっと美人になる。)
(君に会いたい。君の傍に居て上げたい。)
(その悲しい表情を笑顔に変えてあげたい。)
「天探女。 今の君の名は。」
渉は朝早くに起き境内で大刀を振る事が日課となっていた。
早く自分に馴染む様に、その感触を体に植え付ける様にと大刀を振っているのである。そして終わりには闇に向かって声を掛ける。
「マガミ! ムスビ!」
(まだか、彼等も僕を探すのは難しいからな。)
(ああ、でも、早く会いたいな。無事なんだろうか。)
そう思って家へと向かう。家に入ると優しい母親の声が聞こえた。
「渉ー、汗を流してから学校に行きなさーい。女の子に嫌われるわよー。」
「分かったー。」
「出たら直ぐに朝食だからねー。」
「はーい。」
「お帰りお姉ちゃん。」
「ただいまー。」
「今日も渉兄ちゃんの所でお勉強。」
「ううん、行かないよ。」
「この頃渉兄ちゃんと遊ばないね。」
「も、もう中学生だからね。」
「じゃあ雪恵と遊んで。」
「いいよ。」
「やったー、何して遊ぼうかなー?」
「渉ー、お前良く真面目にこんな事出来るなー。」
「しょうが無いだろう、委員会の仕事終わらせなきゃ帰れないんだから、直樹達もさっさとやろうぜ。」
「だるいなー。もう直ぐ夏休みなんだぜ、俺達受験勉強だって有るのにさ。」
「文句言ってても終わらないからさ、さっさと片付けて帰ろう。」
その時渉のスマホに母親から連絡が入った。
「叶恵ちゃんが石階段から落ちて救急車で運ばれたの、急いで帰って来なさい。」
『面会謝絶』
病院の集中治療室の前の廊下には叶恵の両親が長椅子の上で肩を寄せ合っており、母親は泣いていた。
「おじさん、おばさん。」
「渉くんか。」
「叶恵は?」
「神社の階段から落ちて頭を強く打ったみてぇなんだ。雪恵が泣きながら知らせて来た。」
「そんな、・・今までだってそんな事無かったのに。」
「俺らも分からねぇんだ。」
面会を許されたのはそれから3日後の事であった。
病院を訪れた渉は恐る恐る叶恵の眠っている病室へと入る。叶恵の両親と妹の雪恵も居たのだが、誰一人として話す事も動いて物音を立てる事も無く、この部屋の中には叶恵を生かしている装置の機械音だけが同じリズムで時を刻んで響いていた。重傷患者を看るこの部屋はナースステーションの目の前にあり、廊下を忙しく行き交う看護師さんの動きだけがこの部屋への雑音となって入って来ている。
病室の入り口で立ち尽くしている渉の所に叶恵の母親がやって来て、肩を包み叶恵の横に誘う。椅子に座らされ、今まで母親が握っていたその手を渉に預けて来た。
ふと、渉が呟いた。
「冷たいな。」
すると、
「うぅぅぅぅ・・・。」
渉のその一言で母親は泣き崩れ、それを父親が抱きしめて包んでいる。
ただ時間だけが勝手に進み、この部屋に集まっている者達を置いて行く。
「叶恵は、 いつ、目を覚ますの?」
渉は聞いていいのか迷いながらも知りたい気持ちが言葉になって漏れた。
「分からないらしい。もしかしたら、このままかも って。」
父親も悔し涙を流す。叶恵は開頭したのか、頭には包帯が巻かれメッシュが被せられている。体にはどれ程の管が付けられているのかと思う程に布団からは色々なチューブが出ていた。自発呼吸が弱いのだろうか、既に喉に太い管も着けられていた。叶恵の白い肌は数日日光に触れていないせいか、より一層の白さを見せつけ、それが更に悲しさを掻き立てる。
その時雪恵がポツリと言う。
「お姉ちゃんごめんね、雪恵が遊ぼうって言ったから。」
「雪恵ちゃんの所為じゃないさ。」
「階段、登っている時に、お姉ちゃん、急に後ろに倒れたの。」
「えっ?」
「何かに押された様に倒れたんだよ。」
「渉君ごめんなさいね、雪恵、あの時からずっとそう言っているの。」
「本当だよ、お姉ちゃん、雪恵の横に居たのに急に後ろに倒れたんだよ。」
「雪恵、分かったわ、もういいから。」
「本当だよ、本当なんだよ。」
その言葉を聞いて、渉は叶恵の顔をじっと見つめた。
(叶恵、本当の事を教えてくれ。)
(君はどうして階段から落ちたんだ。今までそんな事は無かったのに。)
(教えてくれ。)
そして、見えた。
叶恵の左頬に青く太い筋がまるでスタンプで押された様に斜めに現れて見えたのだ。それを見た途端、渉はスッと立ち上がり雪恵に笑顔で話し掛けた。
「雪恵ちゃん、ありがとう。分かったよ。お姉ちゃんの仇は僕が打つ。」
「渉君? 何を言ってるの?」
「僕は行きます。叶恵の仇を打ちに。」
「どういう事?」
渉は叶恵の両親に笑顔を向けた後、握っている叶恵の手をもう一度強く握り、
「君の仇は僕が打つ。だから、叶恵は怪我に打ち勝ってね。」
と答える事の無い叶恵に向けて優しく言葉を掛けて病室を出て行った。
‡‡‡ ‡‡‡ ‡‡‡
いつもの神社の境内でお社を背に渉は立っている。
既に日は傾き、周りの林の影がこの境内を隙間なく覆い闇に近い世界を作っていた。風は夕刻時になり冷え始めた里に向かって山おろしの風へと向きが入れ変わる時を迎えて無風となり、林を揺さぶるものは無い。ただ静かに暮れ行く赤い空が夏を感じさせているだけである。
渉はその前に広がる暗い境内に向かって呟いた。
「姿を現せ『青鬼』よ。」
「居るのだろ。」
暫くすると目の前の林の中から『鬼』が現れた。
背丈は10尺を優に超え、その体に備わっている筋肉は手にしている2mを越える程の大きな鉈を軽々と振る事が出来そうである。紫色を帯びた暗い青色の花紺青色の張りのある肌を不気味にテカらせているが夕方の林の影に覆われた境内ではその体は闇に溶け込む様に更に暗い青色となって溶け入り、そこに光る大きな目の輝きのみが強調され恐怖を掻き立てている。
「ほほー、これは、神様。」
「何故お前が生きている。『熊童子』! 貴様は大江山で焼かれて死んだ筈。」
「人間の熾す炎程度で焼かれても平気に決まっていよう。体は少し爛れたが今はこの様に元通りだ。」
「酒吞童子は死んでおるのだぞ。」
「ああ、お館様は悲しい運命を辿られた。だが今我は新たなお館様に付いている。『紅葉』様だ。その紅葉様より授かったこれで爛れた体も元に戻った。そればかりか溢れ出る力に驚かされておるのよ。見るが良い。」
そう言うと青鬼の熊童子は大きく口を開き真っ赤な長い舌をクルクルと伸ばすとその舌の上に『指』が有った。それを見た渉は少し驚きながら、
「その指、それを紅葉からだと。」
それは以前に渉が『初神 勇』であった時に喰われた腕のものである。
「たったこの指の大きさでこの力。紅葉様はどれ程の力をお持ちであろうか。だがそれも超えられる、ここで貴様を喰らえば紅葉様すら超え我が最強の鬼になれようぞ。」
「我を喰らうだと、思い上がるな、単なる鬼如きが。」
「そのような小さき体で何が出来ようぞ。大人しく我に喰われろ。」
渉は熊童子を睨みつけて呟く。
『湃礪稗!』
(大刀よっ!)
その手に大刀が現れるとその剣先を熊童子に向けた。
「その体には大きすぎようぞ、それでは振る事さえできぬであろう。はははは。」
笑っていると思った時、熊童子は一気に渉へと駆け寄り大鉈を振り下ろした。
ガキ~~ン
金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。
熊童子が振り下ろした大鉈を渉が大刀を片手で持って止めていた。
「ほう、力だけは神の様に有るのだな。 では、これならば。」
熊童子は言うや否や直ぐに大鉈を振り翳し今度は横に振って来た。
ガキ~ン
渉は視線を動かす事無くそれを同じ様に片手で止めると重なった大刀を熊童子に向け大鉈の刃上を滑らし斬り付ける。
ガガガ キィィィィン ガキッ
熊童子はその大刀を大鉈の柄の所で食い止めた。
ガキッ ガン ガン ガン キィィィィ カキ~~ン ガン ガキッ ガキッ
両者共、鋭い剣捌きで振るうが同じ様に相手もそれを受け、返し、お互いに一進一退の攻防を繰り返している。
ガキッ キィィィィ カキン キィィィィ ガッ ガキッッ
渉が合わさった状態で大刀を回して、大鉈を巻き取る様に大刀を振ると、熊童子の手から大鉈が払い取られて遠くに飛んで行った。空かさず渉が大刀を振り下ろすと、熊童子は身を守る様に腕で防御の態勢を取る。そこに大刀が入って熊童子の右腕を切り落とした。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっっっ! おのれっーーー!」
切り落とされた熊童子の腕が、渉の足元でビクビクと蠢いている。熊童子は次の攻撃を避ける為に後方へと飛び退いていた。
「貴様ー、今日の所は退くとしよう。だが、その腕、必ずや取り戻しに来るぞ。」
すると渉が笑みを浮かべながら、
「いつまでそんなお伽噺をしている。」
と言い地面で蠢いている腕に真上から大刀を突き刺した。
ズサッッ!
「貴様ーーーー! 何をするかっ!」
「このまま戦利品の如く大切に飾って置くとでも思ったのか? 僕にはそんな趣味は無い。」
「むうううーー。」
「もう来ているのだろう、出ておいで、マガミ。」
渉が声を掛けると影となっている足元から闇が立ち上がり大きな黒い狼が現れた。
「久しぶりだな、マガミよ。待っていたぞ。」
「ヨウヤク会エタナ。」
「久しぶりだ、其方に褒美をやろう。これを喰うが良い。」
渉はそう言って大刀に突き刺した熊童子の切り落とした腕をマガミの前に放り投げた。
「青鬼ノ肉カ。久シブリノ馳走ダナ。」
マガミはそう言うと前足で蠢いている腕を押さえ付け、そこに有る親指に喰らい付いて捥ぎ取る為に親指の先の方から腕の方に向かって剥ぎ取る様に首を振った。親指が千切れるとそれを美味しそうにバリバリとその骨までをも噛み砕いて飲み込んで行く。
「貴様らー! 我が腕をっ、よくも、よくもっ、よくもっ。許さんっ!」
そう言うと更にさがり後ろに広がる林の闇に向けて叫んだ。
「霊鬼共よあの者達を殺せっ!」
すると林の中から以前は人間であったであろう姿の者達に角が生えた姿をした鬼がぞろぞろと出て来た。世の中に怨念を持ったままで死に、その姿を霊鬼にされた者達である。それらが渉とマガミに鋭い視線を向けて詰め寄って来る。
マガミは既に熊童子の腕を喰らい尽くし霊鬼に向かって敵意を込めた眼差しを向けていた。
「ムスビよ。お前も出ておいで。」
渉が静かに呼ぶと林の闇の中からムスビが飛び立ち、上空を周回して渉の横に舞い降りた。
「久しぶりだな。其方も無事であったか。」
「出迎エガ多イナ。嬉シイゾ。」
「ああ、我らの再会を祝してくれている。お前達、存分に喰らっていいぞ。私は熊童子を追う。」
そう言うと渉達は一気に鬼達の中に突入して行った。マガミはその大きな体で霊鬼に飛び掛かり大きな口にある鋭い牙で鬼の頭を毟り取って行く。ムスビは飛び上がり3本の鋭い爪を持つ足を使い、両肩に爪を喰い込ませもう1本の足で霊鬼の頭を覆う様に掴み鋭い爪を首にめり込ませ頭を捥ぎ取って倒して行く。マガミ達が霊鬼を倒している一方で熊童子に向け駆け寄る渉は邪魔をする霊鬼を切り倒し飛ぶように進んでいるが、そこに熊童子が傍に居る霊鬼を投げ付け渉の行く手を阻んできた。それでも次々と飛んで来る霊鬼を大刀で両断して進路を確保しどんどんと熊童子に攻寄って行くと、林の中からはさらに無数の霊鬼が現れ、自らが渉と熊童子の間に割り込む様に向かって進み熊童子を守る様に包み込んで行く。霊鬼の壁に守られた熊童子は更に下がって、やがて林の中に消え入る。
「待てー、熊童子っ!」
「いずれ腕の恨みを晴らす。お前達の顔は覚えたぞ。ふふふふふ。」
その言葉を残すと、林の中で光っていた熊童子の不気味な目の輝きが消え、それと同時に多くの霊鬼達もフッと消えた。
渉の手から大刀は消え、マガミとムスビの体を擦りながら久しぶりの再会を喜んでいる。
「マガミ、ムスビ。良くぞ来てくれた。」
「今回ノ旅モ楽シソウダナ。」
「アレハ死ンダノデハナカッタノカ?」
「ああ、生きているみたいだ。もしかすると他の鬼達も。」
「鬼カ。コノ時代ニ鬼退治カ。笑エルナ。ダガ、腕ハ美味カッタゾ。」
いつしか空を覆っていた赤い色は星空に代わり、マガミ達も闇の世界へと戻って行った。
渉は一人境内の真ん中で空を見上げて呟いた。
「叶恵、ごめん。君の仇、打てなかった。」
「でも必ず討つ。 熊童子を仕留めるよ。」
そして思った。
(そうだ、天探女なら叶恵を治せる。)
(天探女よ、君は、今どこに居るのだ。)
(会いたい。君に会いたい。)
(いや、早く天探女を探し出し叶恵を治すんだ。)
渉は強く心に刻むと払い除けて飛ばした大鉈を担いで家へと向かい境内を後にした。
次回からはオムニバス形式での物語になります。
先ずは、「都会の少女と天忍日」の予定で鋭意、執筆中で~す。