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3 遥か彼方からの約束

「喰わせろ。」

 何処からか響いて来る。


 秋となれば早々に日没の時間も早まり、辺りは夕焼け前のセピア色に染まっていた。塀に囲まれ外界と切り離されたこの場所には、廃屋に限りなく近い家が残っており、家屋と伴に朽ち果てる寸前の庭には枯れたススキが残した細長い茎の色とそれが反射する色が一層のセピア色を濃い目に染め上げている。元は大名屋敷だったのであろうか、芒が生い茂る広い庭に頭を出しているのはこれも枯れた松の木と元は池と滝が在ったと思わせる様な水がれて山水を施した後の大きな岩だけが目立ち、家屋の犬走には朽ちた屋根瓦が所々に落ちている。屋根を見上げればどの瓦も列を崩し、綺麗だったであろう屋根の『そり』も今となっては雨を流すには不具合でしかないほどにゆがんだ曲線を描いている。なんとか屋根にしがみ付いている瓦の間にはあちらこちらに草が生え、落ちて歯抜けになった所にはあたかもそこが地面であるかのように草が敷き詰められて生え揃っている。屋敷も戸板すら朽ちて雨曝しの縁側の木は灰色へと変色し、その中の障子も無く柱の剥き出しになった骨だらけの家の中を秋風が自由に通って行く。穴の開いた屋根からは幾ばくかの明るさが入り込んではいるが屋敷の大きさゆえに奥まった部屋は既に薄暗く、腐り所々抜け落ちている畳が侵入するものを一層拒んでいる様に見える。家の中にも草が生え、何処からか沸き立つかび臭い匂いとじめっとした湿気を風が運び家屋全体が変な臭いに包まれていた。そんな中に青年が一人、無表情で立っている。年のころは20代後半で、スタンドカラーの白いシャツを下に着こんだ書生と言われる和装である。


「喰わせろ。」


 まただ。何処からともなくおどろおどろしい声が、聞こえるのではなく伝わって来る。


「喰わせろ。」「喰わせろ。」「喰わせろ。」


 いつしかその声も数が増え、屋敷の至る所から聞こえ出した。


無威徳鬼むいとくき如くに私が食べられると思うのか。」

 青年が呟くように言うと、いつしか手には大刀たちが握られている。


 それでも、

「喰わせろ。」「喰わせろ。」「喰わせろ。」「喰わせろ。」

の大合唱は増えるばかりである。その内、影という影、闇という闇、暗がりという暗がりからにょきにょきと顔を出すものが現れ始めた。大きく膨れた腹に不釣り合いなほどの細い腕と足が生え、大きな頭を支える喉はそれよりも細い。爪は伸びきりその先は鋭く尖っている。肌は荒れ果て色も土気色をしており髪はほとんど抜け落ち、残っている僅かな髪は長く汚い。肉が無くなった顔にはその欲望でギラギラとした目玉がぎょろぎょろと動き、渇いた喉が水を求める様に開いたままの大きな口には尖った歯が疎らに残っている。無罪餓鬼むざいがきと呼ばれるこれらが青年を喰わんとして無数に現れて来たのだ。余りの飢えに共喰いもしているのだろうか、気付けば至る所で噛み付き合っているモノも居て唸り声も周囲に漂っている。

「喰わせろ。」「喰わせろ。」「喰わせろ。」

 餓鬼達が大合唱しながら這い出して近寄り始めると、青年は大刀を横に一振りする。

 不思議な事に大刀が当たらずともその先に居た餓鬼達はスパッと切られ煙の如くに消えて行った。だがその先にある柱や壁は何処も切れておらず傷一つ無い。餓鬼だけが切られて消えていく。柱の陰に隠れていたモノも、壁の向こう側でやっと這い出して来たモノも切られて消えた。大刀の一振りでその先数メートルまでの餓鬼が消え、そこには静かに朽ちていく家屋のみが残る。

 しかし餓鬼達はそんな事など関係が無い様に、ただ欲望に支配され目の前の獲物にたかるが如くに青年へと向かって這い出し続けていく。再び大刀を振り、いとも簡単に集まって来る餓鬼を消し去り続けていると、天井の隅から今までのモノよりも一際大きい餓鬼が現れた。体の色は深緑色をしており落ち武者の様な頭に残る毛は赤く伸びきっている。尖った歯には長い犬歯が下側にだけ生えて目に突き刺さらんばかりに伸びていた。息遣いも粗く、「喰わせろ。」と言うたびに口からは火を吐き出し続けている。

 いつの間にか青年は周りに這って近寄る餓鬼どもを全て消し去り、残すは大きな緑色の餓鬼だけとなっていた。大刀の振りに餓鬼はその剣先の流れる方向から逃げる様に天井を素早く這い回りこれを逃れる。そしてそのぎょろぎょろとした目を何処か誇らしげに笑ったかと思うとまた天井を素早く移動して青年の背後へと回り込んだ。大きな口から不揃いの尖った牙を見せる様に笑って青年に襲い掛かる。しかし、振り向く事もせずに大刀を振るうと襲い掛かって来た餓鬼は縦に切られ、呻き声も無いままに消え去った。


 陽の光はまだセピア色のままに、この朽ちた屋敷は元の静けさに戻る。青年が手にしていた大刀も何処かに消え、小さくため息を吐くと屋敷を後にして、喧騒が聞こえる大通りに向かって歩み始めた。



‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


天探女アマノサグメ!」


 先程の青年が道向こうを颯爽と歩く自分と同じ年頃の女性に向かって叫ぶ。

 地面を固めただけの道路には今だ大八車だいはちぐるまの往来の方が多いが、その間をすり抜ける様に走る自転車に乗って移動する人も増え、幅広の道路の真ん中には路面電車用の軌道きどう敷設ふせつされ、その停留所には裕福そうに見える洋服を着こなした紳士達が並んでいる。広い道路の両脇に立ち並ぶ建物は赤煉瓦や白い大理石を用いた石造りの重厚な建築やステンドグラスの窓など西洋の物が木造の日本建築の店舗を蹂躙じゅうりんする様に侵蝕しており、近代化へと変わりゆく大正浪漫という時代が謳歌し始めたこの都会の中は発展と言う技術革新に憧れを持って田舎から都会へと人流も大きく変わり、人と物で溢れたここはそれに伴う騒音も経済発展を高らかにうたっているかの様な賑わいである。道行く人の衣装も活動的な物に代わり、着物を着ている人よりも袴や西洋から入って来た洋服の類が多く見られる様になっている。かの女性も海老茶色の女袴に編み上げブーツ、着物の上だけと言う海老茶式部と呼ばれる姿で着物では出来ない少し歩幅を広くとって歩く様が颯爽として見えるのである。その歩き去る女性を追う様に今来た道を戻りながら青年は先ほどよりも大きな声を出して再び叫んだ。


「天探女っっ!」


 声が届いたのか女性は声の出所を探る様に周囲を見渡して青年を見つけると直ぐに微笑み駆け出す。いきなり道路に飛び出し青年に駆け寄ろうとするとそこにはここ日本でもやっと国産化が出来たばかりの自動車が自転車並みの速さで目の前を過ぎ、彼女の気持ちを堰き止めた。そんな往来の中を青年がすり抜ける様に避けながら横切り彼女の元へ駆け寄ると二人はその腕をしっかりと握り合い、微笑んで見つめ合う。

「遅れて済まない。」

「100年と3日。3日も遅刻ですよ。」

「やっと君を見つけた。」

天忍日アメノオシヒ。貴方を・・、貴方を信じ続けていました。」

 そう言葉を交わすと、こんな往来の激しい中で2人はしっかと抱き合った。



 時代が変わり西洋の様式や女性の立場なども大きく変わってはいたが、こんなに往来の激しく多くの人が行き交う中で若い男女が抱き合う事など社会通念上まだ許されてはいない。夕刻に家路を急ぐように少し早歩きで行き交っていた人達もそんな2人の所で立ち止まりやや距離を置いて後退りさえしている。女性の中には恐怖にも似て顔を引きつらせ目と口を大きく開けて今にも卒倒しそうな位に衝撃を受けている者もおり傍に居る紳士と呼ばれる新人種がそれを支えていた。

「ピピーーっ! ピピピーーーっ!」

 誰かが通報したのかそれとも何処かで見張っていたのか、警官が警笛を吹きながら物凄い形相で駆け寄って来る。軍服にも似た威圧感の有る制服を着こみ、帯剣しているサーベルが揺れない様に手で抑えながらその顔にある立派な八の字型のカイゼル髭の先の丸まりを風にたなびかせて鬼の様な形相で一気に駆け寄って来るのである。通行人も路上を走っている自転車や大八車等も容赦せず行く手を阻むものはぶつかっても睨みつけて『邪魔だ、退けーっ』と言って怒鳴り、ただ抱き合っている2人を掴まえるがために全ての往来を突き抜けてやって来るのである。

「行こう。」

 青年が女性の腕を掴んで足早に歩き始めた。女性は強く引かれながらも微笑み少し小走りで青年の後ろを付いて行く。往来が激しく人が多く居る所だ、少し離れて人混みに紛れれば直ぐに見失ってしまう。2人は人混みに紛れ、少し先の店先で如何にも商品を眺めているかのように並んで往来に背を向け警官達が過ぎ去るのを待っていた。商品を選んでいるかの様にひそひそ話しをし、警官が過ぎ去るとお互いに見合って微笑む。

「何処かいい場所知っている? 僕はこの地にはうといんだ。」

「この先に新しいおやしろが出来たのよ。」

「へー、この時代にも新しいのが出来るんだ。じゃあ、そこへ行こう。」

 2人は手を取り合って歩み出す。今度は青年がやや先になり、女性がその後を付いて行く様に歩いて行く。手を繋いで歩く事も珍しい時代であるが、男性が少し先を歩いているので周りの者達も気にせず2人は誰の干渉も受ける事無く歩いていた。

「左腕はどうしたの?」

「鬼に喰われた。一瞬だけ気を許してしまった、失敗だ。」

「まあ、直ぐに治さないと。」

「平気さ、生まれ変わったら元に戻る。」

「いいえ、それでは私を包んで貰えなくなります。腕を元通りにして私を抱きしめて下さい。」

「ははは、そうだ。着いたら君に治してもらおう。実はとても不便だったんだよ。そうだね、君を抱きしめるには両腕が必要だ。  うん、君を抱きしめたいっ!」

「もう、こんな往来の多い所で『君を抱きしめたい』だなんて大きな声を出さないで、皆が振り向いているじゃない。」

「ははっ、いいだろう100年振りなのだから。」

 そう言うと青年は更に速足で歩き出した。

「ちょっ ちょっと待って、早過ぎよー。」

 そう言いながらも女性は笑顔で青年に繋いだ手を引かれるがまま、より一層髪をたなびかせ走りを速めた。


‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


 江戸城のお堀とそれに繋がる水路もまだ地上に顔を出しているこの時代。それを渡る橋だけで繋がっているこの場所はまるで島の様で商店も無ければ娯楽に関する店も無く交通にも不便なここは一般の人も見向きもしないような所であるが、更にその中にはまだいくつか残っている江戸時代からの大名屋敷の他に陸軍の練兵場や国家機関の建物なども多く、更に水路を隔てた向こう側に広がる陸軍操錬場もあり周囲の警戒もより厳しくなっているのでわざわざここを訪れる一般庶民は居ないのである。そこに通ずる橋を渡っただけで人はほとんど見かけなくなった。さらに、常陸笠間藩の牧野備後守貞直の屋敷跡に作られた新しいお社はその向きも日の光を求め橋から続く道路に背を向ける様に南向きに建てられており、その社が向く先も日光を遮らない様にと建物などは無く直ぐにお堀となって、これも人々からこの地を遠ざけている理由になっている。

 周りの塀で囲まれた大きな屋敷がある所と違い、木々に囲まれた小さな森の様なそこは、通りから森を回り込む様に進まないと入る事が出来ないお社で、その森を抜けると大きな石灯籠が両脇に立ち、その後ろには木で出来た柵が在り、これを結界としてその奥に丸太の簡素な感じの鳥居と拝殿はいでんが見える。どこも土を固めた上に綺麗に白い小石が敷かれそこを歩くたびに心地よい音が境内に響き渡り、暗闇の中でも誰かが訪れたことが直ぐに神様に伝わる様であった。既に日も落ち黄昏時を少し越え遠くの空の地平線に近い所に一筋の青色を横たえた今の時間、既に多くの星が輝き細い月明りでも白い小石が敷き詰められたここは以外にも明るさを感じる事が出来ている。大通りに立ち並んでいるガス燈の灯りなどはここまで届くわけもなく、入り口に建てられている石灯籠の揺れる灯りと拝殿の中からこぼれる灯りだけがここを照らしている。当然、拝殿の前からは神明造しんめいつくりの本殿は見えない。伊勢神宮と同じ造りで建てられた神明造は屋根の両端に兜の角の様に斜め上に飛び出した2本の千木ちぎや屋根の一番上に横たわる棟木むなぎの上に並べられた幾つもの鰹木かつおぎの在る独特な形をした屋根が美しいのだが、それらを拝むことは出来ない。

 ここまで来ると2人は歩みをゆっくりとして話しながら中へと進んで行く。

「ここは誰のお社なのだ?」

天照アマテラス様のよ。」

「あの婆さんここにも別邸を造ったのか。」

「そんな言い方止めなさいよ、失礼でしょ。」

「いいだろう、どうせもう居ないのだから。」

「そうね、ほとんどの神が消えましたからね。」

 2人は拝殿にある階段に腰かけ、青年は女性の肩を抱いて体を寄せ合った。この時代拝殿の前には賽銭箱さいせんばこなどは無く、広い階段に2人はゆったりとして座る事が出来、しばらくその前に広がるこの社の神も見ているであろう静かな景色を黙って鑑賞していた。そして、

「さあ、腕を戻しましょう。」

と女性が言い青年の上着の左肩を広げスタンドカラーのシャツのボタンを外し服を下げ、無くなった左の腕を出して覗き込む。

「まあ、焼いたの?」

「ああ、噛み千切られて血が止まらなかったからね。」

「酷い傷。私が傍に居て上げたのならこんなにならなかったのに。」

「仕方ないさ、君を探している途中だったのだから。」


 女性は青年の噛み千切られた腕の所を両手で包むと何やら呟き出した。


滻些劬ナシャク霸囉殽ハラマ殽殽廜乎ママトヲ 麼殽无バマン 菩廜殽ボトマ 无殽霸荼啝ンマハドワ。』

  (腕よ夢泡沫ゆめうたかたの如くめて戻りたまへ。)

滻些劬ナシャク霸囉殽ハラマ殽殽廜乎ママトヲ 麼殽无バマン 菩廜殽ボトマ 无殽霸荼啝ンマハドワ。』

滻些劬ナシャク霸囉殽ハラマ殽殽廜乎ママトヲ 麼殽无バマン 菩廜殽ボトマ 无殽霸荼啝ンマハドワ。』


 呪文の如く何度も唱えていると、包んでいる彼女の手の間から青年の腕が生える様に伸びて来て、やがて元通りになった。青年は腕を見ながら何度も手を開いては結んで指の感触を確かめている。

「うん、元通りだ、ありがとう。」

 そう言うと、元に戻った腕を彼女の背中に回し、引き寄せ強く抱きしめた。女性はと言うと、少し驚きながらも引き寄せられる時には笑顔になり自分も青年の背中に腕を回す様にして抱かれている。そして2人はお互いの耳元で囁き合った。

「君の名は? 今の君の名前を教えてくれ。」

「神楽 千代子です。」

「千代子、  良い名だ。私は、初神はつかみ いさむ。」

「勇さんなのね。強そうで頼りがいのある良い名ですね。」

「千代子。」

「勇さん。」

 名前を呼び合い、そのまましばらく抱き合っていた。

 腕の力を解き、2人は離れるとしばらくお互いの目を見つめ合い、微笑み合っていたが、突然、青年が変な顔をしたために女性は大きく笑った。

「あはははは、 なぁに、止めて下さい。」

「余りに君が美しかったから、急に笑わせたくなったのだよ。」

「酷いわ、私は貴方の顔をしっかりと見て置きたかったのに。私は今日、初めて貴方の顔を見たのよ。」

「ごめん、ごめん。僕はいつも夢の中で見ていた君を思い出していたのだ。夢の中では君は笑わないからね。どうしても笑った君の顔が見たかったのだ。」

「そんな、いつも微笑んでいたでしょ。」

「ああそうだね、でも笑っていない、何処か絵の様なんだよ。微笑みと笑いは違う。今の君の方が活き活きとしていて素敵だ。」

「ありがとう。そうだ、マガミは?」

「居るよ。 出ておいで。」

 青年が拝殿からの灯りで出来た2人の陰に向かって呼び掛けると、その陰の中から黒い闇が立ち上がりそれは遂には大きな狼の姿になった。大口真神おおぐちまかみの化身であるその狼は、全身が闇と同じ黒一色で鋭く光る赤い目を左右に二つずつ持ち、その目は拝殿の揺らぐ光を赤い眼光の中で輝かせていた。更にもう一つ額に黄色の目が縦に開く様についており、その5つの目の輝きが神々しさを放っている。全身が闇から出ると、ゆっくりと千代子へと近づいて行き、千代子に首を抱かれていた。

「マガミ、其方も無事でしたか。」

「我ハ常ニ天忍日アメノオシヒト伴ニ在ル。魑魅魍魎ヲ喰ラウ為、傍ニ居ル。」

 闇から出て来た黒い狼はその鋭い牙を持つ口を開けて話をしているのではない、その声は何処からか響き渡って来るのである。直接耳に聞こえるのではなく、頭の中に届くのでも無い。体全体に響いてきてそれが頭の中に入って行く感じである。大きくも無く小さくも無く、しっかりとした声として頭が認識するのである。そして、怖いわけでもなく悲しいわけでもない響きのそれは、どこか優しさと強さを秘めた響きであった。

「勇を守ってくれてありがとう。これからも頼みますよ。」

「分カッテイル。オ前モ十分気ヲ付ケテ生キ残レ。」

「うんうん、やはり其方は優しいな。とても可愛い、私にも其方の様な者が傍に居てくれたらと思う。」

 千代子はにこにこと微笑みながらマガミの首をずっと撫でている。いつの間にかマガミは全ての目を閉じて彼女の肩に首を乗せゆったりとした態勢を取り、これも100年振りに会って彼女の香りを懐かしみ安心しているかの様であった。

「そうだ、新しい仲間を紹介しよう。 ムスビ、出ておいで。」

 青年が周りの闇に向かって声を掛けると、今度はその闇からフワッと抜け出て音も無く飛び立つモノがあった。黒い影の姿ははっきりと分からないが、空に輝く無数の星を背に闇から飛び立ったモノがその後ろに在る星を隠す事で何かが飛んでいる事が判る。その闇のモノが星空を周回して2人の前に降り立つ。

「おお、其方は八咫烏やたがらすではないか。」

 千代子の前に降り立った闇は彼女と同じ位の背丈が有る大きな黒い烏、その身体に3本の足が在り目は黄色く輝いている。それを千代子は驚きながら青年に向かって聞いた。

「何処で八咫烏と?」

「東北を旅していた時だよ。つまらなそうにしていたのだ。」

「そう言えば、手長足長は?」

「ああ、斬った。とてもしつこかったな。それでムスビが私と一緒に旅をする事となったのだ。」

「我ハ手長足長ノ危険ヲ知ラセルダケノ存在デアッタ。ソレモ用済ミトナリ旅ノ友トナッタ。」

「ありがとうよ、ムスビ。其方も勇を助けてくれていたのか。」

「ずっと以前に紀州でムスビとは会っていたからね、それが今回東北で再び会ったから、どこか私達は縁が在るのだと思い名前を『ムスビ』とした。」

「とても良い名です。貴方の旅は寂しくはなかったのですね。」

「ああ、とても楽しかったよ。」

「どれ、ムスビよ、其方ももっと近くに来て体を撫でさせておくれ。」

 千代子が手を伸ばすと闇の烏が前に進みその体を触らせていた。やがてムスビもその頭を千代子の肩に乗せて目を閉じている。千代子は両肩にマガミとムスビを乗せて包む様に両方の手でそれらの首筋を撫でながらにこやかに微笑んでいた。勇は千代子の気が済むまでと、その様子を笑いながら眺めている。暫くすると闇の友たちは示し合わせたかのように同時に千代子の肩から首を上げ、

「我ラハ周囲ヲ見張ッテイル。ユックリト残リノ時ヲ過ゴスガイイ。」

そう言って、元来た闇の中へと消えて行った。


「寒くはないか。」

「少しばかり。」

 そんな会話をすると、勇は千代子の後ろへと回り込みその身体を優しく包む様に抱いた。千代子は包まれると同時に目を閉じ微笑んで勇の元通りに戻った左の腕を抱え込んでじっとしている。千代子の首筋に掛かる勇のゆっくりとした息遣いに心地よさと安心と、何より100年振りの懐かしさを感じていた。

 やがて勇の優しい声が掛かる。

「千代子、君の旅の話を聞かせてくれ。明日の夕刻までに私達の生い立ちと思い出を語り合おう。君の親御おやごさん達は優しかったかい?」

「はい、とても。」

 100年の間を埋める様に2人はそれぞれの歩みを語り合う。


 彼等に残された時間は明日の夕刻まで。

 出会ってお互いのその身体に触れた瞬間から24時間、たった1日だけが許された時間なのである。それぞれの100年を語り合うには、その声の優しさを味わうには、愛おしい者の感触を覚えるのには余りにも短過ぎる時間。



 それが彼等にかけられた【呪い】。



‡‡‡  ‡‡‡  ‡‡‡


 やがて陽は上り、周囲は明るい陽射しに敷き詰められている白い石が眩いばかりの光を反射して、まるで雲の上に居るかのようであった。こんな昼間なのに今だこの社には掃除をする者も訪れる者も現れない。まるで昨夜姿を見せた勇の友である闇のモノ達が近寄って来る者全てを遠ざけ、2人に残された時間を守っているかの様である。遠くに喧騒を響かせ、時に近くの陸軍操錬場からの砲弾の渇いた音が響いて来るだけである。その中に居て2人は眠る事も食事を摂る事もせずただ語り合い、微笑み合い、時に強く抱き合い涙を流していた。100年は長く、募った思いは深い。否、語るのは100年の事で有るが募る思いは更に前の100年、もっと先の100年とより深くなっている。その度毎に会って居られた時間はたったの1日。


 それも残す時間が迫っていた。

 陽は既にその半分が森の影となり、木々の長い影が多くの闇を作り出しそれ以外の空間は昨日と同じセピア色の世界が迫っている。2人が再会したあの大通りでの時間にほど近くなろうとしていた。

「今度が最後だ。」

「そうね、今度再会したならば、貴方と離れずに暮らす事が出来るのね。」

「ああそうだ、次が最後なのだ。」

 そう言うと、背中から包まれていた千代子は体の向きを変え勇に向き合い2人は力強く抱き合った。

「今度、今度会えば終わるのね。」

「そうだとも、今度会えば終わる。私達にかけられた呪いが解かれる。」

「必ず私を見つけ出してね。」

「ああ、必ず探し出して君の元に行くよ。」

「魍魎共に気を付けてね。」

「ああ、君もね。私には彼等が居る、君こそ気を付けてくれ。」

 耳元で囁き、確認し合う様に頷きながら話している。抱き合っていたのを解き、千代子は勇の脚の上に横になって座り抱きかかえられるように包まれ、千代子は勇から落ちない様にとその身体に腕を回してしがみ付く様にして、お互いの顔を見ながら話す。

「今度会う時には、貴方はどんな顔をしているのかしら。」

「君はどんな顔になるのだろう。」

「少し悔しいわ、貴方の方が先に私の顔を見る事が出来るのだから。」

「夢の中で君に会う事だけが楽しみなのだ。生まれ代わって初めて見る君の夢はいつも私に感動を与えてくれる。今までもそうだった、君は美しい。」

「ありがとう。今度もそうでありたいわ。」

「きっと美しいさ。だから直ぐに見付けられる。どんなに人混みに紛れていても君だと直ぐに分かる。他の者達とは比べ物にならない位に美しいのだから。」

「まぁ、それにしては今回は3日も遅刻したのよね。」

「それはだ・・・もういいだろう。私を追い詰めないでくれ。」

「ふふふ、困った時の顔はそうなるのね。もっと色々な表情を知りたかったわ。」

「次はもっと色々な表情を見せるよ。もう、離れなくていいのだからね。」

「次ね、次が最後なのよね。」

「ああ、そうだよ、そうだとも。」


 地平線に横たわる細い夕焼けの茜色の上に残る青い筋が段々と薄く細くなっていき、再開した昨日の時に迫っていた。しばらく2人は見つめ合っている。


 千代子は微笑んでいるのにその綺麗な瞳からは涙が零れ落ちる。



「もっと貴方と居たい。」



「離れたくない。」



「このまま抱かれて居たい。」



「消えたくない。離れたくない。」



 抗う事の出来ない呪いに勇は言葉を返す事も出来ず、駄々を捏ねて涙を流す彼女の背に回して抱えている手にただ力を込めて千代子の袖を強く握り返すばかりである。

 今まで何度も繰り返して来たこの瞬間を千代子も分かってはいるがやはり勇にその気持ちを伝えたい、ぶつけたい。どうにもならない事は分っているが、言いたいのであった。

 勇に強く腕を掴まれた事で答えが判ったかの様に千代子は綺麗な白い歯を見せて微笑みを膨らませた。その時、勇の背に回していた千代子の指先が変わり始めた。その美しかった白い指とそれにある薄桃色の綺麗な爪の先が灰色へと変わり始めその部分が広がり出して行く。やがて手首へ広がり、それでも止まらず腕から肩に向かって灰色へと変化して行く。まるで灰を固めたかの様になった腕は既に勇を抱きしめて自分の体を支える力も失せ、勇は千代子を抱きかかえる腕の力を強くしていた。身体はまだ大丈夫だが既に灰色となった指先からはそよ風さえも無いのにサラサラと本当の灰の様に崩れ何処かへと舞って消え去って行く。千代子は真っ直ぐ勇に向き合い、微笑みながら最後の時を話す。

「勇さん、  天忍日よ、待っています。必ず貴方が迎えに来ると信じて。必ずですよ、必ず生まれ変わった私を探し出して会いに来てくださいね。」

「必ずだ。どんな事が有ろうとも君を探し出して、必ず君の元に行く。私を信じていてくれ。」

 その言葉を千代子は笑顔で聞くとその笑顔のまま髪の先まで灰色の砂の様になり、その身体がサラサラと流れて消えて行った。そして勇の抱きしめていた腕には先ほどまで千代子が纏っていた衣服のみが微かな体温と彼女の香りだけを残して薄く、軽くもたれている。腕に残った千代子の衣服を、その温もりを確かめる様に勇は強く抱きしめて囁いた。

「私も直ぐに行く。待っていてくれ天探女よ。」

 いつしか勇の前には闇から出て来たマガミとムスビが控えている。

「そなた達にもいずれ会おうぞ、我が生まれ変わって後も必ず我の元に来てくれ。」

「分カッテイル。」

「安心シロ、必ズオ前ノ所ニ現レル。」

 笑顔を向けると闇のモノ達は黒い世界へと消えて行った。



「必ず私達は再会して、この呪いを解く。必ずだ。」



 勇は千代子の着物を強く抱きしめ視線を真っ直ぐに地平線へと向けると睨みつける様にして呟いた。それと同時にその身体は灰色へと変わり固まって、サラサラと崩れ去って消えた。


 既に西の空に切れ目は無くただ黒い星空が全てを覆いつくし、お社はいつもの夜を迎えている。


 石灯籠の明かりも知らないうちに灯され、階段に残った衣服を拝殿から零れ出て来る明かりが優しく照らしている。



 お社の拝殿の階段に沿って残る2人の衣服の前に再び闇から出て来た2つの影が立った。



 2つの影はそれをしばらく見つめてから、何処へとも無く消えて行った。

 いよいよファンタジーの世界に入って行きます。


 さて、どんな旅をして2人をめぐり合わせようかな。予告通りにこの物語はハッピーエンドにしたいのですが・・・。途中は色々と・・・。

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