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愛の逃避行 5

「ヒィ! 怖い!」

「ゲエ! 一瞬で溶けた!」

「イヤアア!」


 チャロがああなる運命だったと思うと震え上がる。


「嫌な汗が出ちまう。マグマの熱さは想像以上だな」

「あれじゃあ、噴火を怖れるのも当然ね……」


 三人は、真っ青な顔で火口をしばらく見つめた。



「さ、あとは私に任せて、二人とも逃げてください」


 レーナは、チャロとサビーノに早く逃げるよう促した。


「ああ、恩に着る」

「レーナ、本当にありがとう。このお礼をしたいんだけど、どうすればいいかな?」


 レーナは、チャロの両手を固く握りしめて真剣に言った。


「チャロ、お礼の代わりとして、一つだけ頼みを聞いて欲しいの。サビーナと逃げ延びて、必ず長生きして。そして、20年後の儀式の前にここへ戻り、生贄が無くても噴火しなかった生き証人として証言して。不幸な犠牲者が金輪際出ないよう、皆に働きかけて欲しい」


 20年間ヴェントーネ火山が噴火せず、生贄のチャロが生きていたと分かれば、因果関係が否定されて中止されるだろう。

 これがレーナの計画だった。


「分かった……」


 チャロが真剣な顔で頷く。

 この子なら絶対にやってくれるだろうと思えた。


「サビーノ、チャロの事、お願いします」

「分かっている」

「チャロ、サビーノと二人で幸せになるのよ」

「はい」


 立ち去ろうとしたチャロだったが、一歩だけ踏み出してとどまり、振り向いてレーナに聞いた。


「そうだ、儀式料理ですが」

「どうかした?」

「とても美味しかったです。あんなに美味しいお料理、生まれて初めて食べました」

「そう。良かった。私が作ったの」

「人生最後の食事だと思うと、とても喉を通らないかもと思っていたのに、すぐ食べちゃいました」


 チャロが哀切な笑顔を作る。

 レーナとサビーノは、言葉が出なかった。


「私もあんな料理を作りたくなりました。そして、レーナみたいな料理人になりたい」


 錯乱してもおかしくない状況で食事をとり、気丈に耐え抜いたチャロには、やり遂げる強さがあるとレーナは考える。


「きっと、なれるよ!」


 レーナが力強く言うと、チャロは最高の笑顔になった。


 希望を胸にしたチャロは、サビーノと手を繋いで足取り軽く山を下りていった。


「いいなあ」


 羨ましく思いながら、二人を見送る。

 幸せカップルを見ただけで、自分まで幸せ気分になれた。


「幸せパワーって凄いなあ。周囲の人までこんなに幸せにするんだ」


 感心していると、後ろで声がした。


「うう……ん」

「あれ? 寝てしまった?」

「ここ、どこだ?」

「儀式の途中だったはず……」


 参列者たちが徐々に目を覚ましている。

 半分寝ぼけて、キョロキョロしていたり、ダラダラ起きて、ボーっとしていたり。


「さーて、最後の仕上げを頑張らなきゃ!」


 レーナは気合を入れると、参列者たちの前で折り目正しくかしずいた。



「皆さま、お目覚めでしょうか」


 レーナの声に反応して、全員、ハッと目を覚ます。


「生贄はどうした?」


 チャロの姿はとうにない。


「皆さまが寝ている間に、神様をお待たせしてはならないと、自ら火口に飛び込みました」

「なんだって⁉」


 全員で慌てて火口を覗きに行くと、サビーノが代わりに入れた岩は溶けてなくなっていたが、転がり落ちた痕跡がついていて、チャロを縛っていた縄の先がマグマの熱で燃えている。

 それを見た一同は、レーナの言葉を信じた。


「自ら飛び込んだというのか」

「なんと立派な娘よ!」

「凄い勇気だ」

「彼女は聖女だ!」


 口々に讃えた。


(上手く騙せた)


 全員、チャロが生贄になったと信じている。


 チャロが生きていると知った時、幽霊が出たと腰を抜かすんじゃないかと想像したレーナは、笑いを必死に堪える。


「チャロの最後の言葉は、『約束を必ず守ってください』でした。おじいさんを最後まで世話する約束でしたね」

「ああ、分かっている」


(やれることはやった)


 ホッとしていると、参列者たちが集まって深刻な顔で話し合いを始めた。


「途中で寝てしまったことは、まずいんじゃないか?」

「生贄を奉納できたのだから、何の問題もない」

「それはそうだが、一人だけ我々の不始末を知っている者がいる」

「あの料理人だな……」


 皆がレーナを見た。ただならぬ気配を感じさせている。


「私が代表で行こう」


 町長が怖い顔で近づいてきた。その目には、恐ろしい決意が込められている。

 すべてを知っているレーナが邪魔で、この世から消し去ろうとしているのだろうか。


(口封じで殺される?)


 レーナは、恐怖に慄いた。

 すぐそばにはマグマが煮えたぎる火口。落ちれば数秒で蒸発してしまう。完全犯罪の成立だ。


 ここには他に誰もいない。

 サビーノがいてくれたら頼りになっただろうが、とっくに逃げていない。


(た、助けて! 殺される!)


 青ざめて立ちすくんでいると、殺気を纏った町長が話しかけてきた。


「タルパの料理人だったな……」

「はい……」

「ここで見たことは、決して口外してはならない」

「儀式の途中で寝てしまったことですね。勿論、承知しております!」

「頼んだよ」

「はい!」


 町長は戻っていった。


(殺されなかったあ……)


 気の回しすぎだった。

 悪い予感が外れて、全身の力が抜ける。


(あとは、チャロとサビーノに任せよう)


 チャロを連れて見つからずに逃げ延びてくれて、どこかで幸せに暮らしてくれれば言うことなしだ。


(愛し愛され心を許しあえるパートナーがいたら、とても楽しいかも)


 結婚など自分には必要ないと思っていたレーナだったが、もしも素敵な人と結婚できたなら、それはそれで幸せなことだろうと、チャロとサビーノを見ていて感じた。


「幸せのおすそ分けを貰えて、私にもなにか良い事が起きるかなあ」


 幸せの余韻に浸りながらタルパに戻ったレーナは、その足でビビアナのところに行き、辞めることを伝えた。


「今日で辞めます」

「ええ⁉」


 ビビアナは、驚き過ぎて座っていた椅子からずり落ちた。


「大丈夫ですか?」

「あんたが驚かすから! 今日の儀式料理も大成功だったんだろ? なんで急に? 訳、分からないよ」

「新しい町に行きたくなりまして。ペッピーノと一緒に拾って頂き、ありがとうございました。本当に感謝しています」

「あんたの料理は、どれも美味しくて評判よくて、客も増えた。それに、このタルパをパッソーニ一家から救ってくれた恩人だ。辞められると困るよ」

「ビビアナ……」


 タッソ家で、ボニファーチョの店で、褒められたことも大切にされたこともなく、ずっと邪険に扱われてきた。

 厳しいビビアナから恩人だと引き留められたレーナは、他人から認められたことで自分という人間にも何かしらの価値があるとようやく思えた。それだけで、心の底から力がみなぎってくる。


「そう言ってもらえるなんて、頑張ってきてよかったです。でも……、美味しくて体に良い料理で、一人でも多くの笑顔を見たいんです。そのためには、新しい場所に移るのもありかなって思っています」

「料理の伝道師ってことかい?」

「そんな大げさなものじゃないです……。皆さんには黙っていなくなるので、よろしくお伝えください」

「誰にも何も告げず、辞めてしまうのかい?」

「はい。わがままを言って申し訳ありません」


 レーナは、何度も頭を深く下げた。


 彼女の性分から、決めたことは絶対に覆さないだろうとビビアナは分かっている。


「意志は固そうだね。思い返せば、あんたは最初から一筋縄ではいかない子だった」

「お恥ずかしいです」

「本気で思っていないだろ。こうと決めたら曲げない子だね。新しい町でも、あんたはきっと活躍するよ。その時は、かつてタルパで働いていた子だよと自慢させてもらうよ」

「はい、お願いします」


 本気だと分かったビビアナは、潔く諦めた。


 ***


 こうしてレーナは、ペッピーノと共にペイポンを出て違う街へと出発することとなったが、ビビアナが皆に話してしまったので、タルパの皆がペイポンのはずれまで見送りに来てくれた。


「レーナ! 戻ってきてくれよ!」


 クラウディオが今まで聞いたことのない大きな声で叫んだ。そんな大声が出せるのかと、皆が驚いた。


「意地悪して悪かったよ! 悔しかったんだ! 何もかも私より優秀で贔屓されていたから!」


 ベニアミーナは、レーナに対する本音を叫んだ。


 レーナは、自分が贔屓されたとは思っていなかった。むしろ、無理難題を押し付けられて損な役回りだと思っていた。ベニアミーナから見ると、それが羨ましかったようだ。


「元気でな! あんたと一緒に仕事出来て良かったよ! たくさん勉強になった! もっと教えて欲しかったよ!」


 意外にも、コルンバーノが一番レーナに感謝していた。


「マイハニー! いつ戻ってきてもいいんだよ!」


 イレネオは、すっかり立ち直っている。


「ほら、クラウディオ! 伝えなきゃいけないことがあったんじゃないのか? 今言わないで、いつ言うんだよ」


 コルンバーノがクラウディオをけしかける。

 クラウディオは、しばらくモジモジしていたが、遠ざかるレーナに向かって思い切って叫んだ。


「レーナ! 大好きだ!」

「ワンワンワンワンワンワン‼」


 ペッピーノが興奮してたくさん吠えた。

 クラウディオの一世一代の告白は、憐れにもペッピーノの吠え声によってかき消されてしまい、レーナまで届かなかった。


 好意を持たれているとは露程も思っていなかったレーナは、(クラウディオの声がペッピーノと重なって聞き取れなかったけど、きっと、普通にお礼でも言ったのね)と解釈した。


「ありがとー! みんなのこと、忘れないよー! 元気でねー!」


 レーナは、大きく手を振って別れを告げた。

次よりいよいよカルロ王子が動き出します。


カルロの過去、そして、レーナとの愛の行方。


最終章になります。

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