レーナの秘密 1
転生前後の話
転生前、レーナは名前を名輪綾里と言った。日本人で高級レストランの料理人であった。
中学卒業後に料理専門学校で和洋中を習い、イタリアへ料理留学も行った。
南イタリアの料理をとても気に入った彼女は、帰国してから高級レストランに就職。イタリアンを担当するようになった。
そこにはたくさんの料理人がいて、刺激を受けながら伝統的な料理から先鋭的な料理まで数多くこなした彼女はチーフに抜擢。
何もかも順調で乗りに乗っているところ、料理一筋で生きてきた綾里に職場先輩である片岡翼が告白してきた。――
『ずっと好きだった。私とお付き合いしてくれないか?』
『片岡先輩……』
綾里はうるっときた。
恋愛など考えたこともなかったが、告白されたことはとても嬉しかった。
片岡先輩は、謙虚で優しくて、いつも綾里を助けてくれて応援してくれた。
そんな先輩を追い越して昇進したことでなんとなく気まずかったが、向こうはそう思っていなかったことも分かり、泣きそうになるぐらい感激して、『私も……』と、返事をしようとした矢先に大地震が起きた。天井が落ちてきて、綾里は頭に強い衝撃を受けた。
遠ざかる意識。自分と同じように天井の下敷きになる先輩。それが最後の記憶となった。――
気が付くと、見覚えのない家の見覚えのない粗末なキッチンにいた。
自分の周辺には鍋やフライパンが散らばっている。しばらく頭がズキズキと痛んだ。
ボーッと突っ立っていると、「レーナ! 何しているんだい! まったく苛立つったらないよ!」と、知らないおばさんがやってきて怒鳴った。
眉間にいくつもの深い皺を刻んだ、怖い目つきで唇の薄い女だ。色の落ちた綿ブラウス。くるぶしまである綿製ロングスカート。元は白かったような灰色のカチューシャを被っているが、全然似合っていない。
ふと自分を見ると同じような服を着ているが、エプロンを付けているところだけが違う。
「え?」
自分が何を言われたのかさっぱり理解できなかった。そもそも、レーナって誰だろう。
「さっさと片付けて、早く何か作っておくれよ! お腹が空いているんだよ!」
「料理? 作る?」
レーナと呼ばれることが理解できなければ、このおばさんが誰で、何をわめいているのだろうかと自分の立場も理解できない。
「あんたの仕事だろ!」
耳元でギャンギャンわめかれて頭が痛くなる。
キッチンの入り口では、髭面のおじさん、ティーンエイジャーの娘、小学生ぐらいの女の子が顔を覗かせてこっちを見ている。
「おーい、グズのノロマ。早く体を動かせよ」「まったく頭が悪いんだから」「お腹空いたよ」
なんでこんな訳の分からない一家に罵られて、プロの自分が無料で料理を作らなければならないのかと思ったが、おばさんが物凄い剣幕で、「早くおし!」と、怒っているので、言い返す隙がない。
渋々、動いた。