7-18 《【魔王】のハッピーエンド》
「――――――む」
……のんびり過去に思いを馳せている場合では無かった。
黒い刃が首筋に迫っていたのを僅かに退いて躱す。
乱暴に振り切ったその隙に即座に踏み込み、喉元を刀で突き刺す。
「……づぁぁっ!」
苦し気なうめき声――だが、彼の瞳は少しも力を失わない。
刃を突き刺されたまま、それがどうしたと言わんばかりに今度は叩きつけるように振り下ろしてくる。
混じり気のない殺意に染まったその斬撃を、刺さった刀を引き抜きながら身を捩って躱した。
(・・・・・・もっと上手いやり方を思いつければな)
血みどろの拍君を目の前にすると、思わずそんな事を考えてしまう。
二振りの【終幕】の片方を砕かれ、二刀流では無くなった彼の今の剣は、【型無】の動きとは明確に異なる。
特異な動きで幻惑するのではなく、ただただまっすぐ向かって来て、力任せに刀を振り回す。
技術を駆使して斬る達人とは真逆、原始的な衝動に任せて叩きつけてくるその様子は正に獣。
避けるのは簡単だ。返す手も考えるまでも無い。
彼が一度空振る度、こちらの刃は確実にその身体を捉え、肉を斬り骨を断つ。
肘から先を斬り落とす。
貫通する程に深く突き刺す。
首を斬るのすら容易であった。
しかし、それでも一切止まらない。
明確に突き付けられた死すらはねのけるかのように、斬り落として失った部位は即座に再生し、空いた穴は見る見る内に元通りになり、首に至っては頭が斬り離される前に一瞬でつながるという出鱈目っぷりだ。
本来逃れられない敗死の運命が、無理矢理覆っていく。つくづく【蜜】というモノの恐ろしさを思い知る。
「殺されれば死ぬ」――言葉にすればなんだか間抜けで、そりゃそうだろうと笑い出したくなる程に抗いがたいその常識が、この場ではグチャグチャにねじ曲がっている。
精神に作用して力を発揮する【蜜】の性質が、世界の法則を蹂躙し、彼を不死身へと変えていた。
「――なら、これならどうだ」
今度は両手首を斬り落とす。どれだけ斬っても死なないなら、まずは武器を手離させる。
【終幕】を持っている事が心の支えの一つであるのだろう。
であれば、まずそこから崩す――
「――ッ!」
狂戦士となった彼でも武器を手放したのは流石に気にかかったのか、ほんの僅かだが動揺が顔に見え、動きが鈍ったその隙を見逃さない。
音を立てて地面に落ちたその刃に向けて、切先を叩きつける――
(……ただ一つ。ただ一つだけ――願い、求めることにしたんだ)
その願いは、自分でも無謀としか思えないものだ。
しかしそれでも、目指すと決めた。
その為に、今もこの身を脅かす衝動に耐え続けている。
この身に巣食う【魔王】の憎悪は私に理性を手放すように常に訴えかけてくる。
或いはさっさとそれに従い、わかりやすく【勇者】の敵になれば、彼らの死体を高く積み上げることは無かったのかも知れない。
ここまで一方的に【勇者】を圧倒出来たのは、私がずっと理性を保ち続け、彼らの一員としてあり続けていたからだろう。
できる限り、このような手荒な真似をしないで願いを果たしたかったが、どうも自分には向いていなかったようだ。今日に至るまで望みを叶えられず、結果として【勇者】達を奇襲するような形になってしまった……
一度死を迎えて、【魔王】の憎悪に意思をほとんど蝕まれた自分に叶えられる願いなど、本来一つもありはしないのか。
(それでも、願う事を辞められなかった。どうしようもなく自分勝手であることは理解していたのに、自分の願いの為に動きたいという欲を抑えきれなかった)
その思いは、【命剣】という大層な分類をされるこの【終幕】であろうと挫けぬ程だ。
その確信は自分でも不思議なくらいに揺らがなかった。想像した通りに、その黒き刀はあっさりと砕け散る。
私の願いは、欲望は、【蜜】の助けを借りることにより……戦いが始まってからこの瞬間まで全て思い通りに状況を動かしていた。
「さぁ、私を殺せる剣は失われたぞ――」
……さらに追い込もうとした。
どうする? と続けようとした――その瞬間。
初めて、「思い通り」からズレた衝撃が私に叩きつけられた。
「ぐっ!?」
額に激痛が走る。その一撃は自分の想定を超えていて、それ故に反応できなかったのだ。
「な……な、に……!?」
思わず疑問の声を上げてしまう。
そんな私の様子に、彼は不愉快そうに顔を歪めた。
「……最悪だ、武器が無くなったから素手でお前を殺さなくちゃならなくなったぞ、このクソ野郎……めんどくせぇんだよ、あぁ!?」
……初めて思い通りにならなかった――良い意味で。
武器を失くして絶望するどころか、斬り落とされた手首を即座に再生してこの【魔王】をぶん殴ってきた彼の姿を見て、思わず笑みが零れそうになる。
「……お前がずっと頼ってきた【終幕】はもう無い。それでもなお、【勇者】のほとんどを殺し尽くしたこの【魔王】に挑むのか。
何故だ? 何の理由があってそこまで――っ!」
言葉を遮るように拳が繰り出されていた。
刀を持っていた先ほどと変わらない、力任せで戦略も何もない動き。
「もう黙ってろよ……! 何故!? 理由!? そんなのもうわかるわけないだろ……!!」
そう叫ぶ彼の瞳には、何故だか何も映っていないように見えた。
……だが、意思の炎がそこにある。
「結局なぁ――やりきれないし死に切れないだけだ!! 灯姉が【魔王】で!? 灯姉がみんなを殺して!? 自分も殺されかけてる!? あぁ、あああぁいいさ、灯姉が敵なことはもういいよ、あぁわかった、いやわかんないけどいい、敵でいい――ブチ殺してやる!!」
まともに理性が残っているかも怪しいような叫びだった。
何もかもがわからない――しかしそんな中でも燃え上がる本能の炎が、それだけが彼を立たせている。
「死にたくない――このまま何もわからないで死ぬのが気に食わなくてたまらない!!
殺されたってじっとしていられないぐらいに無茶苦茶になってんだよこっちは!!
何にも考えられなくて、何で死にたくないのかもわからないのに、殺されたって死にたくなれない……!!
あぁ~~~そーだソウダおいテメェ、なァおいあんた!! 僕の代わりにアンタが死んでくれよ、なぁ【魔王】よぉ!?」
――いつかの言葉を、ふと思い出した。
「――いや、僕が逃げちゃったら、ほら……みんな迷惑……ってどころじゃないくらいに困るし……僕自身の目的も果たせないから……」
生きること、死ぬこと、戦うこと、殺すこと。
その中で湧き上がる幸福感や嫌悪感を抑え込んだり、「理由があるからしょうがない。やるしかない」と理屈をつけたり。
……そんな試みも、たまには必要なんだろうか。
嫌なモノは嫌だ、と叫ぶのは……ただの子供の駄々と変わらないのだろうか。
「死にたくない、その感情に理屈は必要か? 殺したくない、その抵抗感に理屈は必要か?
それこそ人によって答えは違うだろうが、私は『いらない』と答える。
……だから私は、自分の心情を理屈で誤魔化して戦い続けるお前を見ると落ち着かなくなる。
自分が死ぬのは怖い。だけどこういう場なら仕方が無い。
誰かを殺すのも怖い。だけどこういう場なら仕方が無い。
何故そんな風に割り切ってしまえるのか。
ソレはお前が、殺し殺されることについて……表面上では怖がりつつも、結局のところは理屈で割り切れてしまう程度にはどうでもいいと思っているからだ」
……あの時は案外それらしいことを言えたんじゃないか、なんて思いもしたが、時々不安に思ったりもする。
「理屈なんてわからないけど、本能が拒絶するのだ」――なんて、身も蓋も無さ過ぎないか。
……だけど結局、今私は確かに安心していた。
理屈で命を賭けて戦っていた拍君の姿は私には受け入れがたく、今目の前にいる理屈を本能で燃やし尽くして私に立ち向かっている彼の姿にはどうしようもなく歓喜している――!!
「……あぁ、確かに殺されたって死にそうにないな、今のお前は」
口角が吊り上がりそうなのを必死に堪えながら、上段に構える。
「苦労させてくれるじゃないか。そうか、そこまで生きたいか。なら、全身全霊で挑ませてもらおう――私の剣、その全てを……お前の全てに焼き付けていけ……!!」
――振り下ろす。
どこまでも純粋に、歪みなく。
しかしどれほど渾身の斬撃を放っても、目の前の男は止まらない。
・・・・・・それでいい。止まらないでいてくれ。
その最中でも、【魔王】の憎悪が私の意思を蝕もうとしている。
それに耐え切れなくなれば、私の剣は狂ってしまう。
結局彼の敵になる事自体を変えられなかったこの身で思うことでは無いが――
彼に残すのは、美核 灯の剣でありたい。憎悪を乗せたものではない、純粋な私の剣で……!!
>>>
――――――どれだけの時間が経っただろうか。
無我夢中で戦い……気づいた時には、終わっていた。
「――――――――ぁ……」
胸の中心に、私の刀がその根元まで刺しこまれている。
どうやら、拍君に刀を奪われ、逆に使われてしまったようだ。
冷えていく頭が、ほんの数秒前の光景を遅れて理解していく。
全力で放った突き。それで彼のど真ん中を貫いた。
引き抜いて次の動きに移る前に、刀が突き刺さったその身で彼は反撃に出た。
彼は私の手を柄から無理矢理引きはがし、そして自らが柄を握って思い切りよく刃を引き抜いた。
そしてそのまま――
「――なんで」
か細い声が聞こえた。
その主は先ほどとは打って変わって、落ち着いていて、無表情で、なのに今にも泣きだしそうな――そんな顔をしていた。
「なんで、わらってるんだ……」
「……あ、あぁー……」
笑ってしまっていたのか。最後の最後で失敗した。気を付けていたのに。
【勇者】の敵、【ヒロイン】に味方して、大勢の人を斬り捨てて、拍君と殺し合って。
それで笑ってしまうなんて、罰当たりどころじゃないのに。
・・・・・・いや、罰当たり上等だ。
笑おう。笑ってやろう。悪逆非道の【魔王】様として、笑ってやろうじゃないか。
幾つもの尊い命を犠牲にして、まんまと自分の願いを叶えてやったのだ。
幾つもの「生きたい」という願いを踏みにじり、身勝手に自分の願望を実現してやったのだ。
バチかどうかなんて気にして――許されでもしたかったのか? 馬鹿馬鹿しい……!
「……全部……私の思い通りになったからさ……私の思い通り……お前は【魔王】すら斃せる【勇者】となった――もうお前は誰にも負けない……殺されないし、死なない」
「――は、ハァっ!?」
「・・・・・・生きていて欲しかった……拍君に」
そう口に出すと、ますます笑えるのを感じた。
他人の都合も感情も一切考慮せず、身勝手に言いたいことを無責任に吐き出すことがこんなにも愉快なモノだったとは。
「今の、は……良い動きだった……」
突き刺さった刀を指さしながらそう言ってやると、拍君はいよいよもって意味が分からないという顔になった。それがとても間抜けそうに見えるのがまた笑える。
これほど楽しい気分で死ねる者はそうもいないだろう。
「……くれてやる。私の剣、その全てを……
あれだけ……私に斬られたんだ……その身とその目に、焼き付けてやったんだ……同じことぐらい、できるだろう……?
……【型無】、とかいう……子供のチャンバラより……余程マシな剣だ……【勇者】のほとんどを殺した剣だ……【ヒロイン】にだって……勝てるかもな……」
「おい……何訳わかんない事言ってんだあんた――ふざけるな……自分がなにをやらかしたか、わかってるのか!?」
「殺した……沢山殺した……わかってるさ。
静瑠、ジュニ……ふふ、極力名前を覚えないようにしていたからな、今となってはそれ以外の脇役共の名前を思い出せないが……」
「わ、わき……おまえ――お前……っ!」
「そんなヤツだったのか」――そう言いたげな悲痛な表情。
期待していたのに。尊敬していたのに。憧れていたのに。
……あぁ、あぁ。そう思われていたことは、嬉しい。
「灯さんはほかの人と何かがちがう! よくわかんないけど凄い! つき合って下さい!」
遠い昔、彼がくれたその言葉が蘇る。
拍君の今の表情を見れば、当時と変わらぬ思いを自分に向けてくれていたことが理解できた。
それも嬉しい――だが、私はソレを否定しなければならない。
拍君……私は、お前が思うような人間じゃないんだ。
期待、尊敬、憧れ――それらを向けるに値するような人間じゃない。
命を天秤にかけるような人間なのだ。
いつだって吊り合わない。知っている人間の命より、知らない人間の命の方が軽い。
大切な誰かの一人の命と、その他大勢の命の価値を比べ、前者を即座に選び、後者をゴミのように切り捨てられる女なのだ。
罪悪感が一切無いとまでは言わない。だが、今お前の命が自分の思惑通りに永らえることを確信して、穏やかな気持ちで逝ける程度には、つい先ほど殺した【勇者】達の事を軽んてしまう――そんなどうしようもなく身勝手な女が、美核 灯という人間だ。
「・・・・・・・・・・・・お前が、悪いんだぞ――」
――そう、私はどこまでも身勝手なのだ。
どうせなら言いたい事を言ってやろう。いよいよ意識が消えていくのを感じ、開き直って口を開いてしまった。
私が幾つもの命を犠牲にして、拍君を強くしたのは、きっと彼自身の為じゃない。自分の為だ。拍君自身がどう思おうが、きっとどうでも良かったのだ。
私が、拍君に勝ち続けて欲しかった。生き続けて欲しかった。彼自身が望んでいなくても――
「拍君が……何度も何度も告白なんかするから……好きだって……言い続けるから……全部をあげたくなってしまった……何を、どれだけ犠牲にしても……」
これが私の欲望。私の願い。
もう意識が儚げで、何も見えない。だが、目の前の彼の顔はさぞ困惑に満ちているだろうと思う。
こんな自分勝手な欲を叩きつけられてもどうしようもないだろうから。
私は凄い人なんかじゃない。ほかの人と違うとしても、悪い意味だろう。
「お前の事を想って」――なんて上等な事を考えていた訳もない。
だから、最期の言葉ですら、自分にとって都合の良い事を言って気持ちよくなる為だけに吐き出すのだ。
「――勝ち続け……生き残り続けろ……殺したければ殺し、救いたければ救うといい……行きたいところに行き……やりたいことをやるんだ……望むままに……真に自由に……生きて……」
世界の全てに、「ざまあみろ」と笑ってやりたくなった。
色々上手くいかなかった人生の最期。本来であれば暗澹とした心境であろう死の瞬間。
私は穏やかで幸せに――あと、どこか照れくさく、甘酸っぱい――そんな眩しく思える程に愉快な気分で迎えてやったのだから――




