7-17 《【魔王】の滑稽な妄想》
――拍君は私に夢を見過ぎていたのだろう。
「灯さんはほかの人と何かがちがう! よくわかんないけど凄い! つき合って下さい!」
……兄さんと拍君が親しくなり始めたのが縁となり、知り合って少し話したらこれである。
あまりにも突拍子も無い告白に少し戸惑ったものの、当時彼は小学校の3年生。
当時の自分も子供と言えばそうだがそれに輪をかけて彼は幼かった。それ故の一時的なモノだと考え、平静を装いながら彼の言葉を受け流してきた。
異性に好かれる要素など、私には無いはずだ。
事実、私に交際を求めてきた異性など今に至るまで彼以外にいなかった。
男性が求めるような、女の子らしい可愛げなど私は一かけら程も持っちゃいない。
拍君が私を初めて見たのは剣道の防具袋と竹刀を持っていた姿だと言っていた。
その姿が周囲の皆とまるで違っていて、格好良かったとか何とか。
格好良かったから好きになる、というのもよくわからないが……そもそも周囲の皆と違っていた、というのもはっきり言えばただの勘違いだ。
剣道にそれなりに思い入れがあったのは事実で、客観的に見ても部内の誰よりも打ち込んでもいた。
何せ無心で身体を動かしていれば気が紛れる。
重い防具に身を包み、声を出し、足を踏み込んで竹刀を振っていれば笑い出したくなるぐらいに汗が噴き出る。何も取り繕えなくなるぐらいに余裕が無くなる。そうすれば、色んな事を考えずに済む。
……要するに、実のところ自分は現実逃避の手段として剣道をやっていたに過ぎないのだ。
自分もその他大勢の中の一人。
【理力】の底が見え始め、世の中が無気力に苛まれているのを肌で感じていた、ありふれた子供の内の一人に過ぎない。
ついでに言えばそれほど強くも無かったと思う。私にとって剣道とは徹底的に現実逃避の手段以上の物ではない。
試合に出ても勝敗はどうでも良かった。納得のできる動きができれば負けようが特に気にならない。
……そうしていると不思議なことに、妙な評価を受けることがあった。
「灯さんの剣道は何かが違う」――等とよくわからない理屈で中学高校と部長を務めさせられ、「大学」にまで声をかけられてしまった。
「大学」の一員となるのは、あの世界ではメジャーな夢物語だ。
内心私も憧れてはいた道。しかし自分がその道を行くのはあり得ないと諦めていたところに誘われた時は随分と浮かれたものだ。
自分の人生と命に、誰からも文句をつけられないぐらいの価値を見出したような気すらした。
同じく認められた実力者達と切磋琢磨するのは楽しかった。
当時は現実逃避以上の意味を、稽古に見出せていたのかも知れない。
――それも長くは続かなかったが。
簡単に言えば、精神的なショックによるもの――病院のベッドの上でそんな話を聞いた。
自分が歩んできた日々の記憶。それがところどころえぐり取られたかのように欠落している。
当時は本当に自分がおかしくなってしまった、と恐怖した。
気づいた時には起き上がれないほど身体は衰弱していて、気を抜けば消えてしまうかも、なんて妄想が頭を過る。
自分は終わった、と感じた。
誰にやられた? と思い出そうとすると心まで凍てつくぐらいの寒さが襲い掛かってくる。耐えられずすぐ諦めても冷たさだけはずっと残っていた。歯が自分の意思に反してガチガチと鳴る。
……窓の外の誰かが、「今日は暖かいわね」と言った。
私は「そんな馬鹿な」と思った。
寒くて寒くてたまらなかった。
空調の温度を上げて欲しかった。燃え尽きてしまうぐらいに。
だけど、そんな事を考えているのは私だけだったろう。
このままだと凍り付いて死んでしまう。それでもいいかと誰かが言っていた気もする。
「違う世界に行ける」――そう名前も知らない誰かに言われた時、私は迷わずその話に乗った。というより乗らざるを得なかった。
このままここに居続けるのは無理だ。寒い。寒いのだ。だったら一か八か、その違う世界とやらが暖かい場所であることを祈るしかない。
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そうして異世界とやらに向かった私が最初に目にしたのは、くすんだ灰色の天井だった。
「ようやく起きやがったか」
粗雑そうな男の声がした方向を見て、酷く戸惑った。
映画で見たことがあるような、真っ黒い看守のような服を着た男。
にたにたと嫌らしい笑み。どこかで同じような笑いを向けられた気がする。
しかしその男自身よりも、私を動揺させるモノが目に映っていた。
その男と私の間に、何故だか鉄格子があったのだ。
「よぉ、異世界からのお客人。状況はわかりますかねぇ?」
揶揄うような口調で首元を指すジェスチャー。
つられて首元に手を伸ばす。無機質な鉄の感触が本能的な恐怖を呼び覚まして来る。
……首輪だ。
「ワケわかんねぇ事ばかりだろ? だが、これだけはわかるな? ここは牢獄。テメェは囚人。わかりやすいじゃあねぇか?
でぇ、その首輪……鎖とかはついてねぇが、ここから逃げようとすれば内側に針が飛び出すようになってる。
いや、心配するなよ。これぐらいのちいせぇちいせぇ針さ。精々、先端に猛毒が塗り込んであるってだけのな――」
その世界で流行っていたのは、違う世界から流れ着いた者達に命を賭けさせる悪趣味な娯楽だった。
地下深くに造られた闘技場。罪も無いのに、毒針の首輪で自由を奪われ囚われた者達の戦い。
時には殺し合わせ、時には闘技場側が用意させた魔物に挑ませる。
地獄にのたうち回る囚人たちを、安全圏から見物する娯楽――
その闘技場の真下にあるのがこの牢獄。選手控え室ってヤツかね――と語り口には隠し切れない皮肉の感情がありありと浮かんでいた。
「テメェは、アレだ。チキュウってとこの、ニホンジンって奴だろ? ――んじゃ、キャラ的にはコレだな。ヤバくなったらハラキリでもしな」
看守が鉄格子の隙間から投げ込んできたのは、真っ白な刀。
「こんな良い武器までくれてやるなんて俺達はなんて優しいんだ? そう思わないか、ええ? 死なない程度に飯だって出るし、ここから出なければ何してても良いんだ。お仲間共と楽しくお喋りとか、どうだ? うん?」
それまで気づかなかったが、周りには私以外にも首輪をつけられた男女が10人程いた。
薄汚れ所々が破けた服を着せられている――
「楽しい楽しい共同生活だ。本来なら野垂れ死んでるところだが、お前らは運が良い。そうだろ?
これはチャンスなんだ。精々長生きしろよ? なぁ――」
そう言って遠ざかる看守の背中を見ていた時は、絶望に打ちひしがれていたが――そこからの展開を考えると、確かに私は運が良かった。
その世界での初めての戦いは、体躯が自分の倍以上あり、八本ある腕にそれぞれ握られた鉄塊のような大剣を振り回してくる怪物が相手だった。
今までの人生で形作られた常識では計り知れない化け物。
……それを打ち倒し、生き残れたのは正に奇跡のような幸運に恵まれたからに他ならない。
3対1のルールだったということ。そして私以外の二人が、強さと優しさを兼ね備えた者であったこと。
しばらくの間この闘技場で勝ち残れたのも、出来過ぎじゃないかと思いたくなるぐらいの幸運が続いたからだ。
二人は私と同じ世界、同じ国の出身だったという事もあり、すぐに親しくなれた。
同じく刀を渡されたこの二人と私、3人の刀使いチーム――という「キャラ付け」がどうも観客達に好評だったらしい。
私達3人と、強大な魔獣1体というルールで毎回戦うように求められた。
このルールで無ければ新入りの私はすぐに敗北し、殺されていたに違いない。
戦いを乗り越える度に、次回はさらに強大な魔物が立ち塞がる。
どこまでやれるのか? それを試してくるかのように……
勝つだけでなく、戦いの合間と最中で強くなり続けなければ生き残り続ける事はできない。
いっそ諦めればすぐに楽になれただろう。だが、死から逃れようとする本能と、二人の力になりたいという意思がそれを拒む。
結果的に言えば、強くなるのに都合が良い環境だったのだろう。
見て学び、直接教えてもらい、共に死線を超えた。二人についていく形で、急激に力をつけていった。
その過程は私に、不思議な高揚をもたらしていた。
死がすぐ近くにある、過酷で理不尽な環境であったことは間違いない。しかし、それ以前には想像もできなかった程に鍛え上げられていく自身の肉体と技は、どこか誇らしくもあり、心を燃やして挑む死闘を乗り越えた先の生は、泣き出したくなる程に美しかった。
今にして思えば、それも一種の現実逃避だったのだ。
……私の命を奪ったのは、共に戦ってきた二人の――私が助けになりたいと望んだ者達の刃だった。
やはり、私の幸運は「出来過ぎ」であり、不自然であり、仕組まれていた。
その日のルールは今まで苦楽を共にした者同士が敵となる三つ巴の殺し合い。
生き残るのは、ただ一人。
強い結束で結ばれた者同士が、心から血を流しながら殺し合うその様を、観客達にとっては愉快で刺激的な見世物として扱った。
――斬れない。いくら強くなろうとも、この二人だけは斬れないと震えていた私には、始まってすぐに斬りかかってきた彼らの剣の前に為す術も無かった。
「・・・・・・すまない・・・・・・許してくれなくても、いい・・・・・・」
そう呟いた一人――能面のような無表情にも関わらず、その胸中にある悲しみが痛い程に感じられる彼の顔を、私は見た。
「一秒でも長く、一瞬でも長く、彼女と共にいたかった。彼女と、お前。俺は二つを秤にかけて、あっさりと彼女を選んだ。
――――――俺が、憎いか……あぁ、あ、あぁ――! ははっ……ハ! 憎い、だろう……!?
それに、なぁ……笑える――だろう……?
こんなことをしたって、結局長くないんだぜ……一人になるまで殺し合いは終わらない、終わらせてくれない!!
無駄に長引かせようとして白けさせれば、この首輪の毒針で殺されるだろう……
すぐに俺達二人は殺し合わなきゃならない。二人で殺し合う時間を、その僅かな時間を、お前を犠牲にして得ることにしたんだ俺は・・・・・・!!
意味がわからねぇだろ・・・・・・クソッタレだ・・・・・・」
その隣にいる彼女もまた、彼そっくりの無表情。
自分には何かを感じる資格も無いと言わんばかりに、感情を押し殺した顔。
私の仲間であった二人は、恋人同士でもあったのだ。
私がここに来る前からずっと、この絶望的な状況の中支え合ってきた。
憎みはしない。許して欲しいのならそうしよう。
恋人なんて私にはいたことがないけれど、その決断を笑う気にはなれない。
そう口にしたかったけれど、もう私の体は何も自分の思い通りにはならなかった。
……そう、私が死の間際に思ったのは、自分を斬った二人に対する憎悪などではなかった。
悲しみとも怒りとも違う。輪郭のはっきりしない「やりきれなさ」――
「――勝ち続ければ、生き続けられる。生き続けさえすれば、いつか状況が変わるかも知れないんだ。
そりゃ、ほぼあり合えない話かも知れないけれどさ――」
思えば、二人はずっとそんな事を言い続けていた。ずっと諦めないでいた。
この牢獄から脱出する手段など考え付かない。だから、とにかく生き続ける。
誰かが助けに来てくれる、気まぐれで解放してくれる、そんな奇跡でも無ければ出られないだろうが……いざ奇跡が起こった時、死んでいたらその奇跡を受け取れないだろうと。
気楽な顔をして笑う二人に、ほんの少し呆れていた。強く、優しい二人だが、ロマンチスト過ぎると。
だがそれは決して現実から目を背けていた訳では無かった。
看守や観客に怒り、闘いの日々を恐れ、困難と向き合っていた。
現実と向き合った上で、奇跡を待つ、それが訪れるまでひたすらに耐え続けるという戦い方を選んでいた。
……私は変われなかった。
以前の世界で竹刀を振り回していた頃と変わらず、逃げ続けていただけだ。
閉じ込められ、首輪をつけられていると理解した時点でぬるりと諦めていた。
ここから脱出するなんて思いもせず、呑気に強くなっていく心身に心震わせ、死線の先の生に尊さを感じていた。
周りから見れば苛烈なようでいて、真の意味で戦えてはいなかった――
どうすれば良かったのか。
最早動けない身体の代わりに、出来の悪い脳味噌が最後の悪あがきと言わんばかりに動き出していた。
どうしようも無く手遅れなのに、「どうすれば良かったんだ」なんて考えだしている。
自分こそが一番滑稽だった。
どこで間違えたのか、と現在から遡っていくかのように記憶の旅をする。
闘技場での戦いの日々、二人との出会い、牢獄に囚われた絶望感。
靄がかっていた以前の世界での記憶も、この死の間際になってようやく、はっきりと思い出せるようになった。
大学に誘われた時の達成感も、そこからの稽古の充実感も、そして心身をグチャグチャに破壊された絶望感も全て。
そこからさらに遡る。高校時代を通り過ぎ、中学生の頃に差し掛かると――そこに一際眩しい記憶があった。
「灯さんはほかの人と何かがちがう! よくわかんないけど凄い! つき合って下さい!」
(――――――拍、くん……)
……わからないことだらけだ。だが一番奇妙なのは、この言葉が、この記憶が、この思いが、自分の中で輝いていること――優しく、暖かい光に包まれていることだ。
きっと、若気の至りというやつなのだろう? 彼が幼かった故の、ちょっとした気の迷いのようなもの。
もう彼だって、そんな想いは持ちづけてはいないだろう。
しかし、薄れゆく意識の中でふと思う。
本当に付き合っていたらどうなっていただろう、と。
あまりにも馬鹿馬鹿しい妄想だった。彼や私に、客観的に見ても特別な何かなどあったか?
そんな二人が恋人同士になったところで何が変わると言うのか?
大体彼はその当時小学生だぞ。私だって中学生の小娘だった。幼過ぎる二人に何が為せる? 交際が続くかどうかだって怪しいものだ。
なのに、そんな下らない、吹けば消えるぐらいの妄想を、よりにもよって死にゆくこのタイミングでし続けている。現実逃避ここに極まれりと言ったところか。
何度も何度も繰り返されたその告白のどこかで、首を縦に振っていれば――全てがどうにかなったかのような。
漫画か、アニメか、ゲームか。ドラマチックなヒーローとヒロインのような、都合の良い物語めいた時間を過ごせていたんじゃないか、とか――




