7-13 【魔王】
「正直なところ、もっと楽に片付くと思っていたんだけどね」
【ヒロイン】が姿を現すと、【勇者】の皆の戦意が一瞬で膨れ上がった。
今までで一番苛烈で、焦燥観にも似た熱を持ったソレを受けながら、【天秤地獄】の支配者は何の気負いも感じさせない。
「きみ達のほとんどは、わたしにすれば大した脅威では無かった。
なにせ【ヒロイン】とは、【天秤地獄】とは――それこそ【勇者】のような反則級の存在を殺す為に創られたものなのだから。
きみ達の非常識な強さは、わたしにしてみれば常識的で、同時に併せ持った精神的な弱さもまた、わたしの想像通り。予想を裏切られることの無い、良く言えば安定した、悪く言えば退屈な展開になる――はずだった」
ここに至るまでの道のりで、当初150人以上いた僕らの仲間は、今や名に94名までその数を減らしている。
50人で一つ、三つの隊を構成できたのが、今や一隊30人程。
犠牲となった人数は、僕らにしてみれば決して少なくは無い。
だが、【ヒロイン】から見ればそうでは無いようだった。
「【サブヒロイン】を容赦なく斬れる者。この【ヒロイン】と単体で互角に渡り合える者。
この二名は間違いなくわたしの想像を超えている。
誇りたまえ、きみ達二人のおかげで、他のボンクラどもが大勢生き永らえたんだ。
……だけど残念、ちょっと想定から外れているだけで対処しきれなくなるほどこの地獄は甘くないんだ。
それで諦められるような立場でも無いし、ね」
彼女は手に持っていたソレを、くい、と持ち上げた僕らに見せる。
銀色に光る天秤だ。恐らくアレが――
「きみ達がずっと求め続けていた、規格外の【アーティファクト】、【天秤】。
コレはこの地獄の主と言える存在でもある――」
何も載せられていない、左右に吊られた皿は当然平行になっている。しかし、その内一方を【ヒロイン】の手が鷲掴み、引き下げた。
「この【天秤】様もようやく本気になってくれたよ。その強大な力を、惜しみなく活用する許しが出たのさ。
今のわたしは、これまでとは別次元だよ」
下げられた皿は彼女が手を放してもなおそのままだった。
傾いたままの【天秤】から彼女がおもむろに手を放すと、それは糸でつられているかのように空中を浮かびながら奥へと移動していく。
その先には飾り気のない祭壇のような台があり、宙を浮かんでいた【天秤】はそこに着地した。
「わたしの力は【天秤】が近くにある方がより強力となる。
目と鼻の先、と言える程のこの状況ならば、わたしの負けはない」
「――――――そうかよ。だがオレ達がやることは変わらねェ」
式鐘おじさんが静かに、しかし明確な殺意を込めて、静かに口を開いた。
「別に仲良しってワケでもねェんだ。
お喋りはもう良いぜ。いい加減ここにも飽きたしな――オマエら、これで本当に最後だ!!
このクソ地獄のクソ【ヒロイン】ぶっ倒せば全てに片がつく!
【天秤】さえあれば、オレが責任をもって各々の『理想の世界』に戻してやる!
地獄の向こうの望んだ未来! 希望を持てる明日! 掴み取ってやろうじゃねェか、オマエらァッ!!――かかれェっ!!」
その叫びが、獲物を目の前にした猛獣のようなその戦意を解き放つ。
「おいおい、雰囲気無いなぁ! 最終決戦だよ!? ちょっとくらい盛り上げさせてくれよ!」
わざとらしくそう言いつつも、【ヒロイン】が大きく腕を振るう。
すると、彼女の周りの空間が大きく歪み、そこから――
「ちょっと落ち着きたまえよ、【勇者】ども」
――鎖が次々と飛び出してきた。
彼女が武器として使っていたソレが、この場を埋め尽くせるのではないかと思えるほどの数だ。
その一本一本がまるで激痛に悶える蛇のようにのたうち、でたらめな軌道を描きながら彼女に突撃していた僕らの前に突き出て、押しとどめた。
開けていた視界が一瞬のうちに埋め尽くされていく。
ジャラジャラと耳障りな音を立てながら、凄まじい勢いでその身を僕らに打ち付けようと――
「うるせー! それに邪魔!」
明らかに今までとは規模の違う【ヒロイン】の攻撃に、緊張感の無い言葉が返されていた。
――大鎌一閃。
横なぎの斬撃は、無数の鎖を一瞬で断ち切る。
「花子ちゃん!」
「強くなってようが知らん! 何か色々事情あるんだろうなぁとは思うけどそれも知らん! とりあえずぶっ殺してから考える!」
「……ブレないなぁ」
あんまりな台詞と共に、死神へと姿を変えた花子ちゃんが敵に向かって駆ける。
空間の歪みからまたも鎖が押し寄せる津波のように襲い来るが、無茶苦茶に振るわれる大鎌がその全てを斬り捨てていく。
何をしようとも関係無いと言わんばかりに、死神はただただ【ヒロイン】との距離を詰めていく。
「おォし、流石だ!
全員つづ――いや、作戦通り隊長格と拍都だけ花子についていけ!
それ以外はオレと一緒に【輝使】どもに対処だ!」
【ヒロイン】の鎖での攻撃に気を取られていて気づけなかった。
いつの間にやら【輝使】達が、僕らを取り囲むようにその姿を現していたのだ。
「拍都君、静瑠、ジュニ、灯さん! 【輝使】は皆に任せておけば大丈夫! ボクらは【ヒロイン】だ! ヤツの首を落とす! 行くよ!!」
花子ちゃんに真っ先に続いたのはヴェネさんだった。
その背を僕も追おうと――
「――――――まぁまぁ、ちょっと落ち着こう。
この戦いに勝てれば、この地獄から逃れられる。そう考えてちょーっとハイになってるのはわかるよ、うん。
だけど冷静になってくれ。きみ達はまだこの【天秤地獄】を甘く見ている。
策が【天秤】によるわたしの身体強化だけな訳無いだろう。
名姫 拍都と春野花子。
この二人がきみ達の『ジョーカー』ならば、こちらの『ジョーカー』は【天秤】と――【魔王】だ」
僕らはただ一人の例外も無く、その足を止めていた。
一瞬にして全身が凍り付いたかのよう。
既に【ヒロイン】に対し大鎌が届く間合いにまで近づいていた花子ちゃんですら、動きが止まっていた。
もちろん、【ヒロイン】の言葉のせいではない。
唐突に訪れた静止の中で、それだけが無関係に響いていた。
――【魔王】。
その存在を知っていたのは僕だけだ。
結局のところ、僕はたびたびあった【ヒロイン】との夜の邂逅、そしてそこから得られた【魔王】の存在を含めた情報を他の皆に明かすことは無かった。
「フェアじゃない」……そんな輪郭のはっきりしない理由で口を噤んでいた罪悪感は常にあった。
しかし――自分でも言い訳臭く感じるが――知っていたところでどうにもならなかっただろう。
【サブヒロイン】の存在が明らかになって、その後も続けて彼女らが送り込まれた時も大した対応なんてできなかったのが良い例だ。
【ヒロイン】の切り札、【魔王】が僕らの中にいる。
そう前もってわかっていたところで僕らに何ができた?
【サブヒロイン】の時とは違うのだ、とその場で【魔王】を倒す?
それとも何か、正面戦闘を避ける暗殺等の絡め手で何とかするとか?
・・・・・・・・・・・・やっぱり何もできるわけが無かった。
自分は頭が良いなんて自覚は無いけれど、それはわかる。
今まさに、幼子にでも理解できる程にわかりやすく、絶対的に実感させられていた。
【魔王】に通じる小細工なんてある訳が無かったのだ。
できることは見苦しく、足掻くように立ち向かうだけ。
何だったら、今の状況は【魔王】と対峙するにあたってまだマシなのかも知れない。
【天秤】が同じ場にいるからだ。
先に【ヒロイン】を事前に決めたメンバー、僕、花子ちゃん、灯姉、ヴェネさん、静瑠さん、ジュニで速攻で倒す。
そうすれば【天秤】が手に入る。【魔王】の対処だって可能なはず。「それさえあればどうにでもなる」からこそ、僕らはそれを求めたのだから。
それまで、それ以外のメンバーで【魔王】と【輝使】を足止めしてくれれば良い。
倒すことではなく、生存を最優先した立ち回りで、何とか……
(なんとか――なるわけない)
【魔王】の放つ殺気はどこまでも冷たかった。
細胞の一つ一つが凍てついたかのように思える程に。
格が、違う。
一瞬で思い知らされる。
僕らが静止している間に、またも大量の鎖がどこからか飛び出してきた。
それらは僕らに襲い掛かっては来なかったが、【ヒロイン】に近づけさせまいと通路を端から端まで塞ぐ壁となっていた。
先行して【ヒロイン】のすぐ傍にまで迫っていた花子ちゃんと僕らはその鎖の壁によって分断させられてしまっている。
「わたしは春野花子を倒すから、【魔王】はそれ以外全部。よろしくね~」
気の抜けた声で告げられた馬鹿みたいな役割分担。
しかし、「そんなことできるわけないだろう」と笑う気にはなれなかった。
この【魔王】になら、不可能じゃないと理解できるから。
現に、【魔王】は既に僕らの仲間の命を一つ、あっさりと奪っていた。
「――――――え? ・・・・・・・・・っあ」
自身の胸の中心から突き出たソレを、茫然とした表情で見つめるのは……静瑠さんだ。
今まさに、共に【ヒロイン】に立ち向かうとした中の一人が、その生を終えようとしていた。
あろうことか、【ヒロイン】自身にではなく――仲間だと思っていた者の裏切りの一突きによって。
【魔王】は突き刺さっていた得物を引き抜くと、そこから続けて一つの引っかかりもない動作で静瑠さんの首を斬り飛ばす。
頭の無くなって、ぐらり、と揺れた身体を縦に真っ二つ――
一連の動作はあまりにも流麗で、止める気にもなれなかった。
その行為の結果の惨たらしさがあってなお、一つの芸術として成立する程までに美しかった。
――そう、綺麗なのだ。
凍てつくような鋭さを持つ、凛とした美。
愛でたくなるようなソレではなく、跪いて頭を垂れて屈服したくなるような――
今まさに一つの命を絶ち斬ったその刀を手に持ちながら、【勇者】の中に紛れ込んでいた【魔王】がその正体を現した。
身に纏う黒い着物、それにあしらわれた花びら模様の薄い桃色が、返り血によって赤くなっている。
目に光は無く、さらにそこから頬に真っ黒い涙がつたっていた。
【天秤地獄】に堕ちてからの今までが、ただの冗談に思えるぐらいだ。
今この目に見えている、この光景こそが――真の地獄。
僕らを地獄に突き落とす、絶望を体現する者がそこにいる。
【魔王】――美核 灯がそこにいた。




