7-8 「(まだ)価値無き答え」
「・・・・・・・・・・・・駄目だ……参ったぁ……」
僕は汗だらけの身体で仰向けにぶっ倒れた。
いつからか始まった、僕と灯姉の一対一の稽古は、【天秤地獄】最奥での最終決戦を目前にした今でも続いている。
……続けている、は良いのだけど、実のところ僕の竹刀はこれまで一度しか灯姉に当たっていない。
単純な剣の実力ではまぐれすら起こり得ない程に、僕と彼女に差があることの何よりの証明だった。
「……何が違うと思う?」
「……へ?」
唐突な問いに間抜けな声を上げる僕。
「私と拍君……私達二人の剣は何が違う? 経験? 技術?」
「……うーん……? いや、その二つだって全然違うけど……やっぱり、灯姉も最初に言ってた信念っていうか、心持ち? 的なものに一番差があるよーな……」
「自分から問うていて何だが、私は拍君ではない。
だから結局のところ、お前の心の在り様の全てを見透かせる訳ではない。その辺りを語るとなればどうしたって推測、想像が混じりだ。
だが、やはり直感的には……」
――そこに差がある、と灯姉も感じているのだろう。
【サブヒロイン】との戦いを通して多少はマシになった気がしたけど、僕はまだ灯姉の境地には届いていない。
「きっと、それは実戦の中でのみ変えていけるものなのだろう。
いつもお前は良く集中できているし、私も出来得る限り実戦と変わらない雰囲気になるようにしてきたつもりだ。
……だが、この稽古はやはり実戦には届かなかった。これは私の至らなさもあるのだろう」
「いやぁ、灯姉が至らないとかある?」
その自分への厳しさに少し圧倒されていると、灯姉が僅かに、自嘲的な笑みを浮かべた。
「……どれだけやっても、まだ先が見えてしまうものだ」
「……そっかぁ」
……そんな簡単に極められるものでもないのか。
灯姉でも完全では無いと言うのなら僕なんてもっと不出来だろう。
「それでも、自分がどれだけ未熟だろうと時が来ればやるしかない。
自分の不完全さを気に病み過ぎないことだ。
お前は確実に強くなっている。これ以上無い、と言えるぐらいの早さで成長しているのは、間違えようのない事実だ」
「おぉ。マジかぁ~」
「あぁ。マジだ」
「ふへへ」
単純な僕は褒められて気が良くなった。
疲れ果てた身体を何とか動かして立ち上がる。
「……灯姉との特訓も今日で最後かぁ」
「……そうだな。明日にはもう、私達は最奥に足を踏み入れている」
一度は【天秤地獄】の最奥に行った事のあるおじさん曰く、今僕らがいる場所は、ずっと目指していた目的地と「目と鼻の先」と表現してもいいぐらいだそうだ。
この【天秤地獄】での異常な日々は本当にキツかった。
前の世界とはかけ離れた命のやり取り。「やらなきゃやられる」――結局のところ、その思いが自分の中で一番強かった気がする。
【天秤地獄】を脱出して、改めて自分の「理想の世界」を目指そう、というのが当初の目標だったけれど、気づけばそれを改めて意識する機会は減っていた。
シンプルな命の危機の前に、未来の予想図なんて二の次にするしかない。一日一日、生き残れるかどうか。
そう表現すればちょっとカッコいい気もするけど、僕は生きてるだけで満足できるほど人間出来てないし、カッコいい気がするってだけでやっていけもしない。
もうちょっと、こう。わかりやすい幸せが欲しい。他人に言っても「なるほど」と納得してもらえるぐらいの。
この場所は間違いなく、そんな幸せから眩暈がするほど遠い「地獄」だったのだ。
……だと言うのに、いざ最後となれば妙に落ち着きが無くなるのはどうしたことか。
何かやり残したことでもあるかのような、正体不明のひっかかりを感じている。
「……しばらく、【ヒロイン】は姿を見せていない」
おもむろに、灯姉がポツリとそう呟いた。
「だが、奴は確実に最奥では姿を現し、最大の戦力でもってこちらを迎え撃ってくるだろう」
「……まぁ、そうだろうね」
僕は結局、夜に【ヒロイン】と二人きりで話していたことを誰にも明かしてはいない。
【ヒロイン】が最奥での戦いで【天秤】と【魔王】という二つの切り札を繰り出すであろうということでさえ、話していない。
「なんとなくフェアじゃない」――そんな理由をここまで引っ張ってきてしまった。
……だけど、ただの言い訳だろうけど……今更言っても何かが変わる状況じゃないと思う。
今更【ヒロイン】を甘く見るような者などここにはもういない。
ずっと仕掛けてこないことを「春野花子に恐れをなした」なんて捉えはしない。
【天秤】だの【魔王】だのという話が無くとも、最後の戦いが最大の難所だ、なんて灯姉で無くとも想像がつくだろう。
「【サブヒロイン】達との戦いよりも、ずっと厳しくなるに違いない。
花ちゃんの圧倒的な力をもってしても、勝てる保障は無い。
明日はきっと、彼女一人に頼り切りではいられない」
「まぁそりゃそうなんだけど。
花子ちゃんに手が負えない状況になったとしたらどっちにしろ、何か出来るとは思えないってゆーのがね……」
思わず正直な心境を漏らしてしまう。
今の花子ちゃんは本当に別次元だ。なんだったら僕はもちろん式鐘おじさんでも、フォーデさんヴェネさん灯姉の隊長格3人でもついていけないだろう。アレはもう反則だ。
「……どうかな。最後は拍君が鍵だと思う。
兄さんより、ヴェネさんよりフォーデさんより、花ちゃんより・・・・・・・・・・・・私より」
「な、何故に」
「勘。或いは、願望――かな」
そんな言葉が聞こえたかと思うと、突然視界が塞がれた。
「ん、あ?」
「拍、君――」
灯姉の声が先ほどよりずっと近くから聞こえてくる。
はっきりと聞こえる心臓の音。暖かな体温。瞬く間に眠ってしまいそうになるほどの安心感。
これはまるで抱きしめられているような――
「・・・・・・・・・・・・」
――ていうか抱きしめられている。
視界が塞がっていたのは自分の頭を灯姉が胸に抱きとめているかららしい。
……どうしよう。
本来ならならそれこそ小躍りどころかもう夜通しでブレイクダンスでもキメたいぐらいに喜んでそうなのに、唐突過ぎたのか何なのか。身動き一つ取れないぐらいに呆気に取られてしまう。
「――――――強くなってくれ――誰を相手にしても、何に立ち向かっても、生き残れるぐらいに。
それだけでいい。その為なら、私は、何だって――――――」
暖かい。しかしそれでいて冷え切っている。
決定的で、研ぎ澄まされた一筋の光が身体中を駆け抜けたような感覚だった。




