7-3 「寄り道回り道を楽しめない人生——もう生きてるだけでいっぱいいっぱい、他に何を成し遂げるでもなし」
「――アレはとんでもない誤算だったよ。【蜜】のある世界はコレだから怖い。
それが邪な者であっても、その意思の強さが力になってしまうのだから。善良じゃない勤勉じゃないマトモじゃないヤツでさえ、あんな『覚醒』を果たしてしまう可能性があるのだから」
「・・・・・・・・・・・・」
「正直花子はあんまり警戒してなかったんだよねぇ……堕ちた時期がちょっとズレていたから最初は注意してたけどあんまりにも役立たずなものだからついつい忘れてしまったよ。
あぁ、ところで。実を言うと誰を引きずり込むとか、誰を【サブヒロイン】にするかとか……それはわたし、【ヒロイン】が決めているワケじゃなくて【天秤】が決めているんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「だけど、もしわたしが全部決められるとしたら……花子とリリィだけは絶対にここに招かないだろう。少なくともリリィだけは絶対に。アイツが花子をその気にさせたんだから。
……いや、だからこそ、か? 危険人物になる可能性が高いからこそ潰して置きたかったのか。
その【天秤】の思惑をあの二人が乗り越えた……?
やれやれ、わたしに負ける可能性を与えてまで排除しようとするとは。
あぁくそっ、『ご主人様』も人使いが荒い……」
「……おい、まーた勝手に忍び込んで来るのは100歩譲って良しとして、一人で盛り上がらないでくれないか?」
昼間、【天秤地獄】最奥へ向かう道中で【ヒロイン】と出会うことは確かに無くなっていた。
が、以前と同じように、彼女が時々こっそり寝てる間に僕の部屋に侵入してくるのは何も変わっていない。
「……おっと。いやぁ悪いね。……いやうーん、でもなぁ~、ホント想定外過ぎるよ辛い辛い怠いやぁってらぁんねぇ~~~」
「……ざまぁみろって言っとくべきか?」
明かりの無い室内、月明かりが窓から微かに差し込むちょっと幻想的な情景にまったく似合わない、【ヒロイン】との緊張感の無い会話のような何か。
花子ちゃんの覚醒が、彼女の思惑を大きく狂わせたのは確かなようだった。
それも、いつも余裕ぶっていた【ヒロイン】がぶつくさ愚痴を漏らすぐらいなのだから。
「なんだよぅ。将来の仲間だよわたし達は? 心配してくれてもいいくらいだぜぃ?」
「キャラブレブレだぞお前……ってかまだ言うかソレ?」
彼女が最初にこの部屋に来た時から、ずっと言われ続けていること――「【ヒロイン】の味方になれ」。
コイツがここに忍び込んで来るのももう何回目か数えるのも面倒なのだけど、毎回この話を欠かしたことは無い。
【ヒロイン】も何でここまで僕を引き込もうとするのか。よくわからん。
何だかその理由もちょっとアヤフヤになってきてるような。もう意地になってないか?
「……いやぁ、何でだろうねぇ。自分でも驚くくらいこの事に執着してるんだ」
心底不思議だ、と言わんばかりに眉を寄せながら首を捻る【ヒロイン】。
「最初は『ちょっと興味あるから誘ってみるか』ぐらいだったのが、今では、きみが仲間にさえなってくれれば、【ヒロイン】の対となる『ヒーロー』になってくれれば……色んなことが何とかなっていく。良くなっていく――そんな気さえしてくる。そんな保障、どこにもないはずなのに。
……ねぇ、きみには何故だかわかったりしないかい?」
「知るか」
「……だぁーよね~……」
即答してやると気の抜けたような顔で肩を落とす彼女。
……気が抜けすぎだろ。
最近得に気安く接してきている気がする。舐められている、というやつ? まぁ甘く見られてるのは最初から変わりないけど。
……もしや舐められている、というより、気を許されてる、とか?
こいつ、本当に将来の仲間として扱ってきているのか。
ワケがわからん。こっちにはそんな気微塵も無い。
「……春野花子の覚醒はきみ達の時計を大いに進めてしまった」
【ヒロイン】がベッドに突っ伏しながら、呟くようにそう語る。
「あんな規格外の化け物をこの【天秤地獄】から出すわけにはいかないよ。
元々ここは、【黄金具現】のような、世界のバランスを崩す程の【蜜技】の使い手、バケモノレベルのヤツに対抗するための場所。
バケモノを引きずりこんで殺して、平和を維持する為の……
花子は正にその『バケモノ』――それも格別の。
あんなものが出てきてしまっては遊んでる暇は無い」
はぁ、とため息をつく彼女。
【ヒロイン】にここまで言わせるとは、花子ちゃん、やっぱり相当ヤバいヤツらしい。
「今までみたいに簡単に道中で攻撃を仕掛けるわけにはいかなくなってしまったんだ。
軽い気持ちでちょっと小突こうとしたら、花子がすっ飛んできてバッサリ刈られてしまう可能性があるから。最近わたしはきみ達を襲撃しなくなっただろう? 察してるだろうが全部あの死神女のせいさ。
【サブヒロイン】を送り込んでも即殺されてしまうからもう手の出しようがない。
そうしてわたしが手を出したくても出せない間に、きみ達はズンズン奥へと進んでしまったワケだ」
確かに、こいつの襲撃が無くなってからは進むペースが早くなってきたと感じる。
明らかに一日で進む距離が長くなっている。
特に優れた身体能力を持つ【勇者】であれば、戦闘さえ無ければそれこそ一日中だって歩けてしまうのだ。
「あぁ、もうせいぜい喜びたまえ。今きみ達は【天秤】のある最奥にだいぶ近い場所にいる。
本来ならあと数か月は後の話だったかも知れないのにだ。
もっともっと【サブヒロイン】や【輝使】を繰り出して、長く長く時間をかけてじわじわと追い詰めて心を折ってやりたかったのに」
「性格悪いな……」
「まぁね。【勇者】嫌いだし。
……だけどもうそれはできない。
もう道中で無駄に手を出して花子に刈られるリスクを侵せないから、わたしと次に戦う時は【天秤】のある最奥で、ということになる」
「お、マジか!」
しれっと重要な情報だ。
もうラストまで【ヒロイン】が立ち塞がることはないということか。
次の戦いに勝てば、この【天秤地獄】を脱出できる……!
「嬉しそーな声出しちゃってまぁ。
せっかち過ぎるよ、もっとじっくり楽しんでくれれば良かったのに」
「誰がこんなクソ地獄に長居したいもんか」
「……ま、結局のところきみ達はどうせここから出られないよ。
次の戦いこそ、きみ達は全滅してしまうだろうから。今までの戦いなんかお遊戯会に見えるぐらいの、最低最悪の戦場にご招待してやるとも」
「……花子ちゃんに圧されてたのにずいぶん自信満々じゃん」
妙に言い切る【ヒロイン】が気に食わなくてそう言ってやると、「まぁね」と肩をすくめられた。
……何か腹立つな。
「確かに花子の覚醒は想定外だった。予定より苦労させられそうでウンザリもしてる。
だけどね拍都。もともと【天秤地獄】はああいうバケモノの為に創られた世界なんだから。
まだ場に出していない、とっておきの切り札があるのさ。この【天秤地獄】には、ね――」
「……切り札?」
そう聞き返すと、【ヒロイン】が静かに頷く。
どうせ知ったところでどうにもならないだろう、と言わんばかりに、あっさりとその正体を明かす。
「【天秤】と【魔王】。
この二つの切り札の前には、『死神』すら無力だろう――」




