6-12 《アンタの分まで》
「リリィって呼んで」――そう自分から言い出した小学生の頃をふと思い出した。
小学生になる少し前辺りから、わたしは考えていた。
「普通ではいられない」と。
何故そんな風に思い始めたのか――はっきりとした理由は無かった。
ただなんとなく、母と買い物の為に街を歩いていた時に、「あれ、みんなつまんなさそう」とふと感じたのだ。
雲一つない天気のいい日だった。
子供のわたしにはそれだけでいい気分で、沈んだ顔をしている必要は無かったのに、街ゆく大人の人達はみんな死んだ魚の目をしていたことに気づいてしまったのだ。
不思議に思って、その日はずっと通り過ぎる大人達一人ひとり確認してみた。
だけど結局、目に意思の光がある大人を一人も見かけなかった。
というか、連れ立って歩いていた母の目も同じだった。
その事に気づいた時、わたしはとても驚いた。
何に驚いたってその事に自分がずっと気が付いてなかったってことに一番驚いた。
あまりにも無気力感が場に馴染んでいて、不自然じゃない。
「ずっとそうだった」から、異常に気が付かなかったということなのか。
後に学んだのだけど、この社会に蔓延する無気力感は【理力】の枯渇が原因だった。
それまでとは別次元のエネルギーとも言えたそれの底がはっきりと見え始め、過去に出来ていた事が次々と出来なくなっていき、衰退の自覚が芽生え始めた世の中。
何をやっても「過去以下」な状況で明るくやれるワケも無かったのだろう。
しかし当時のわたしはもっと単純だった。
そんな時代背景など知らず、「大人になったらつまらなくなるんだなぁ」と考えてしまった。
つまらなさそうな大人は一人二人じゃなく、逆に楽しそうな大人を一人も見かけなかったから、「自分だけはそうならない」とは全く思わなかった。
そしてこれまた単純にわたしは「つまらなくなるのはやだなぁ」と考えた。
大多数の、「普通」の大人達がつまらなくなってしまうのであれば、そこから逃れられるのは普通じゃない人だけだ、と。
だったら「普通」じゃなくなればいいのだと思ったわたしは、手始めに新しい自分の名前を決めた。
「栄田 利理」じゃあいかにも普通の人って感じだし。
偶然知った遠い昔のロックバンドの曲名から拝借した「リリィ」。
そう名乗ることに決めた。
結論から言えば「普通」に上手くいかなかった。
小学校の最初の自己紹介で「リリィ」って呼んでくださいーって言ったら、みんながあからさまに怪訝な顔をわたしに向けた。
そこで「変なヤツだって思った? 上等だよ、わたしは『普通』はゴメンだからね!」とでも言えれば良かったのだろうが。
クラス中から向けられる、わたしただ一人に注がれた「なんだこいつ」とでも言いたげなみんなのその視線にわたしは……すっかりビビッてしまったのだ。
小学生デビューに見事失敗したわたしは、そこからは変どころか徹底して「普通」なふるまいを心がけて日々をやり過ごした。
というか、別に心がけないでもわたしは普通だった。
その頃からなんとなく一緒にいるようになった花ちゃんを見て気づいてしまったのだけど、本当に普通じゃない人はいちいち変な振る舞いなんかしない。
自然に周囲とどこかずれた雰囲気を纏い、その事に優越感を得たりもせず、何だったら「自分はこれが普通だと思う」と言わんばかりにあっさりと、普通の人に越えられない一線を越えるのだ。
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――そして今、わたしは感じた。「普通じゃない」気配を。
誰かの手が、背中を突き破りながら心臓を鷲掴みにしてきたような。
震える。体が、心が、魂が。
それは恐怖か、それとも。
「――無駄だよ。わたしには絶対勝てない」
あくまで堂々たる悪役のように。
声を震わせないように注意しながらそう言ってみる。
そして、ゆっくりと振り向いた。
――そこに、真っ黒いぼろぼろの外套を羽織った骸骨が立っていた。
肉が無いのにひたひたと歩み寄って来る。
眼球が無いのにはっきりと見つめている。
心臓が無いのに脈打つ鼓動が聞こえる。
その手には大鎌が握られていた。
岩から無理矢理切り出したかのような歪な形だ。
洗練、という言葉から余りにも遠い粗悪な見た目が、底無しで野性的な殺意を顕しているように見える。
タロットカードなんかで見かける、余りにもベタベタの、それでしかないぐらいの……「死神」がそこにいた。
死神が為す事など一つきりしかなく、彼女が今為すべき事もまたただ一つしかない。
誰が見てもその正体を間違えることの無い姿。
シンプルで、覆らず、ソイツの前に立つ者はただ一つの例外も無く――
「――いいぜ、リリィ。ぶっ殺してやる」
死神が宣告する。
……他には何も無いと。
他には何も無いからこそ、その一つは絶対に、何があっても変わりはしないと。
春野 花子は「リリィ」に死を与えるのだと、告げた。
「ふ――はっ、アハハハハハァッッッ!!!」
思わず、笑っていた。
こんなことがあるものか。やはりこうなったか。
正反対な二つの感情が、自分の中で一つも矛盾無く存在しているのがおかしくて、笑い出していた。
肉を目の前にした獣のように、ギラついた感情を叩きつけるようにして死神に仕掛けていく。
槍と化した腕を、まっすぐに突き出す。
狙うはど真ん中。胸の中心に思いっきり――
「死ぬのはお前の方だ!!」
ぶっ刺してやった。持てる全ての力を注ぎこんだ、渾身の一刺し。
想像に反して、わたしの槍はあっさりと、骨だけの死神の体をぶち抜いて貫通していた。
「なぁに、見掛け倒しなの、花ちゃん――――――ッ!?」
勝った、という確信は一瞬で崩れ去った。
自分に突き刺さった槍など気にもしていない、と言わんばかりに。
淀みの無い動作で、死神は大鎌を振り上げ――
「―――――――――――――」
斬られた、というより引きちぎられたような感覚。
刃が肉体を断つのがはっきりとわかる。
あまりにも歴然とした、逃れる気にもならない、絶対的な一撃だった。
空気が抜けた風船みたいに、自分の体から力がかき消えていく。
まるで全部幻だったかのように呆気なく、【勇者】の集団ですら手玉にとれる程の強者であったわたしの体が……仰向けに地に叩きつけられる。
右肩から左腰にかけての袈裟斬り。
ただの一撃で、わたしは終わっていた。
「・・・・・・・・・・・・最初からそうしなよ」
倒れたわたしを死神が見下ろしている。
魂ごと引きちぎられるような一撃を受けたわたしに、抵抗する意思はもう無かった。
「圧倒的だよ、花ちゃん。
……正直それっぽいこと言ったけどさ、実はここまでとは思ってなかったんだ、わたし。
『花ちゃんが本気になったら、このクソッタレな戦いなんかすぐに終わる』――そうだったらいいな、って思っていただけで。
でもそんなの、わたしの都合の良い妄想でしかないって。
根拠の無い、幻みたいな妄想でしかないのに、それでも期待せざるを得なくて。それがみじめでたまらなくて――」
「――【蜜】は万能のエネルギーなんでしょ。妄想ぐらい現実になるんじゃない?」
「死神」には似合わないような、軽い調子で花ちゃんはそう言った。
なんでもないことのように。気負いなく、1足す1は2でしかないよね――なんて感じで。
その姿が、あっさりとバンジーを飛んだあの日の光景と重なった。
「……そう言っちゃうかぁ。そうだったら何の苦労もいらないよ、ってことを、そうもあっさり言っちゃうか花ちゃんは。だったら――」
わたしはこの死神に改めて賭けることにしよう。
もうずっと前に命を落としたわたしに出来ることなんか、本当は何も無かったのだから。
託すしか無いのだ。この無念を、怒りを、やるせなさを。
現実はいちいち言うまでもなく厳しい。理不尽だ。
心置きなく燃え尽きて、一片の悔いも無く死ねるとは限らない。
わたしは結局、燃え尽きる程に熱くはなれないまま、燻りながら消えていった。
だからといって、「そういうものさ」なんて諦めることはどうしてもできない。
大層な主義主張なんかじゃない。
ただ「気に入らないから」という子供の駄々のような思いを――
「――わたしの代わりに無茶苦茶に暴れてくれない?」
「頼まれなくたってやるよ。むしろやめてくれって言ったってやる」
「ぶふっ!」
一応は死にゆく人間の最後の頼みに対しての、あまりにもムードの無い返答に吹き出してしまった。
口から血まで吹いてしまったけど気にならないぐらいにはおかしかった。
おっかない見た目になっても花ちゃんはあくまで花ちゃんなのが、あまりにも痛快だった。
「なんつーか、こっち来てからま~じで軽率に命が危なくなっちゃうからさぁ、もういっそのことアタシも軽い気持ちでジェノサイドしてやるぞコラァ!! ってテンションになってきたんだよね」
「最低だ」
「アタシが最高になんかなれるワケないでしょ」
「ソンナコトナイヨ」
「アンタね――」
異変を察知したのか、さっきまで【勇者】の主要人物達を足止めしていた【輝使】達が一斉に花ちゃんに飛びかかっていた。
その宝石の拳が到達する前に――
「――そんなバレバレの嘘つくぐらいならはっきり言われた方がまだマシだってぇの」
ぐるりと体を回転させながら、大鎌で薙ぎ払う。
それだけで、【輝使】の大軍はすべて砕け散ってしまった。
今までの戦いは何だったの、と頭を抱えたくなるぐらいに無感動に。
絶望的な戦況がひっくり返ってしまった。
「酷いなぁ、花ちゃんは。きっと【勇者】のみんなも、あの【ヒロイン】だって、みんなそれぞれ色んな葛藤とか決意とか……物語みたいな思いを背負ってこの場に立ってるはずなのに。
なのに、今この場を支配してるのは花ちゃんだ。
『絶妙に微妙』な、なんやかんや言ってそれっぽい背景を持っていない花ちゃんが、全部台無しにしちゃってるんだ」
【勇者】達も【ヒロイン】も、呆気に取られているのは見なくてもわかった。
不自然な静寂の中、わたしと花ちゃんの会話だけがこの場に響いている。
それは不謹慎というか、弁えていないというか。
やっちゃいけないことを堂々とやっちゃってる、この背徳感がたまらなかった。
物語が破綻して粉々に砕け散るその音が、確かに今聞こえている――
「知らないっての。つーか、何も無いからこそだよ多分。まだアタシは何者でもないから、余計に死ねない」
「申し訳ない、とか思わないの?」
「思ったってしょーがないでしょ。アタシ、死にたくないし。アタシが生きるために、アタシよりもっと価値があるヤツが死ななきゃならないとしても、もう知ったこっちゃねー。
今まで何もやってこなかったんだ、こっからはやりたい放題やりつくすかんね。
……まぁ、『アンタの分まで』ってことにしといてやるよ、リリィ」
「最低だ」
「おっしゃる通りだよ」
「いや最高かも」
「どっちだよ――」
微かに笑いながら、花ちゃんが倒れているわたしの体の横を通り過ぎていく。
【サブヒロイン】を倒した彼女の次の標的はもちろん、【天秤地獄】の支配者たる【ヒロイン】だ。
――わたしは確信している。
あの余裕ぶった【ヒロイン】だって、「死神」には敵わない。
あんな立場にいるヤツなら、それはそれは色々とドラマチックな過去があるのだろうが、あの大鎌は「知るか」と言わんばかりに、理不尽にその魂を引き裂いていくのだろう、と。
……本当は、その役はわたしがやりたかった。
【サブヒロイン】なんて役に押し込めやがったあの女にムカついていたから。
それが不可能らしかったから、妥協して花ちゃんに託そうとしていたけど――
「妥協にしては、悪くないかも……」
そう呟いてみると、本当にこれはこれで悪くない気がしてきた。
むしろ、「これでいい」とすら思えてきた。
この思いを胸に最期を迎えるのが、よく出来たドラマのようで……
「――ざまあみろ、ばーか」
【ヒロイン】の気配がする方に向かって、最期の力を振り絞って腕を持ち上げ、中指を立ててやる。
元いた世界では感じられなかった――「やりきった」――という感覚を味わいながら……わたしは意識を手放した。




