6-11 《無題》
震えが止まらない。
目を閉じ、耳を押さえているのに理解できてしまう。
……地獄だ。赤い液体が飛び交い、死の苦痛からの悲鳴がこの場を埋め尽くしているのがはっきりとわかる。
「――う、う、ううう……」
こんなところでただうずくまっているのは自殺行為だ。
目を見開き、耳を澄まし。
状況に向き合って、やれることをやらなければ、アタシは死ぬ――
(……いや。やれることをやったって何も変わらないじゃないか)
勇気を出して一歩踏み出せばどうにかなるような常識的な状況じゃないのだろう。
どれだけ頭の中お花畑な人だって、今この瞬間のアタシに「とにかくやってみろ! 希望を信じてなんちゃらかんちゃら!」とは言えないはずだ。
……もういっそ、さっさと終わらせて欲しい。
ここは恐ろし過ぎる。これ以上何もしたくない。進みたくない。行きたくない。戦いたくなんて……それこそ絶対にない。
もう知ったこっちゃないのだ。
この地獄を作り上げているのがアタシの友達であろうが、まだ戦っている知り合いがいようが。
アタシに出来ることなんかない。こんなのアタシに抱えられるものじゃない。
アタシは、アタシは……
何をやっても――何もやれない、「絶妙に微妙な」人間なのだから――
「……あぁ、やーっと見つけた。
目立たないから探すのに時間かかっちゃったよ」
馴染みのあるその声に思わず顔を上げてしまった。
……やっぱり、リリィだ。
この期に及んでアタシは、彼女から「全部冗談だよ」とか何とか言って欲しかったのかも知れない。
だから押し塞いでいた目と耳を開いてしまった。
しかし、冗談でも何でもないのは一目見てわかった。
彼女の背には翅が生えていた。「飛べる」ようになった、彼女の翅が。
ソレは何かの間違いで手に入れられるモノじゃない。
「周りを見なさい」
――逆らえなかった。
言われるがまま、辺りを見回すと無数に目に入る赤色。
倒れ伏した【勇者】達。
式鐘のおっさんは多数の【輝使】に囲まれていた。
【蜜技】で作り出した水流を自在に操って身を守っている。
しかしよく見ると、口元から血が垂れていた。
表情にも隠しようのない苦痛が見て取れる。
確か本調子じゃない、と語っていたから、アレは相当に無理をしているということなんだろう。
拍都クンはよりにもよって【ヒロイン】直々の足止めを食らっていた。
果敢に攻める彼ではあったが、この【天秤地獄】の頂点であろう彼女はどこか余裕ありげに振舞っている。
戯れのように両手に巻き付いた鎖を拍都クンに叩きつけて後退させると、そのまま凄まじい連打を浴びせていく。
とても、何か他の事ができる状態じゃない。
灯さんもフォーデさんもマジさんも、同じような状況に陥っていた。
大量の【輝使】達に押しつぶされる寸前――
「誰も助けられない、そういうコト」
そう、誰もアタシを助けてはくれない。
今胸に突き付けられたリリィの槍のような腕と、アタシの間を遮ってくれるものは何もない。
「花ちゃんが生き残る為には、花ちゃん自身がやらなきゃダメな状況です。さぁ、どうする花子! やれるか花子!」
茶化すようなリリィの言葉。
それが頭の中を回る、回る、回る。
……回るだけ。
「はい時間切れ」
貫かれる。
胸のど真ん中に、どすん、と。
そして即座に引き抜かれる。
酷くくっきりとした喪失感だった。
「心に穴が開いたような」という良く目にする比喩が思い浮かんだ。
大きな穴。底の見えない程の深い穴。そのどうしようも無さに、ただただ茫然としてしまう。
こんな穴を空けられてしまったら、そりゃもちろん生きていけるはずがない――
「――もう説教パートはやりつくしたでしょ。さっさとどうにかなってくれない?
……もういいじゃない。もういいんじゃない。
どうせ無駄。動いても無駄。考えても無駄。悩んでも無駄。決断しても無駄。
希望なんて捨てよう? 何かを頼るのもやめよう?」
否応なく。視界が闇に沈んでいく――
>>>
心に空いた大穴は、ただただ恐ろしかった。
目を逸らしたって意味が無いってのもタチが悪かった。
埋めてしまいたい。あぁ、あぁ、そんなことができるはずが無いってのはいくらおバカなアタシでもわかる。
広く深い穴はあまりにも計り知れず、一生をかけたってどうにかなる気がしない。
しかし、それでも、無視することはできないのだ。
無理だとわかっていても、挑まざるを得ない。
保障の有る無しなど、結局のところは関係なく。
これは結局、「勇気ある第一歩」とかそーいう話じゃないんだと思う。
積極的に「戦う」とか「覚悟が決まった」とかでもない。
むしろ子供の駄々に近かった。
どこかで「自分にはどうにもできない」と悟りながら、それでもやだやだヤダヤダとギャーギャー泣いてジタバタしてるようなもんだ。
これでも19はトシ食ってるんだ。
こんな幼稚園児みたいな感情を持つこと自体がだいぶ恥ずかしい。
微かに……リリィがアタシの傍を立ち去っていく足音が聞こえる。
愛想つかされたってヤツ?
これはやっぱり、罰ってやつなんだろうか。
今まで色んな事を「仕方がない」でやり過ごしてきた事に対しての――
【天秤地獄】に堕とされたのも、この場所で役立たずでお荷物な弱者なのも、リリィが【サブヒロイン】だったのも。
リリィが死んだことも、「絶妙に微妙」なのも、人生が全体的に煮詰まっててつまらないことも。
全部全部、どこかで「仕方がない」って思ってはいなかったか。
自分の中でケリをつけないまま、大人ぶって無理矢理抑え込んではいなかったか。
……いや、いなかったか、なんて疑問形にする必要はない。間違いなく、アタシは「そう」だった。
(あ……アタシは、アタシ、は――っ!)
そうだ、全部気に食わなかった。そのはずだ。
悲しいのか、ムカツクのか。はっきりとした表現は思いつかないけど、とにかく不愉快だ。
アタシにどうにもならないコトがあるのが!
アタシにとって退屈なコトがあるのが!
アタシを嫌な気分にさせるありとあらゆるコトのどれもに対して、存在すら許しがたい……!!
(あああっ!! ちくしょう……! チクショウチクショウチクショウ!! くそくそクソッタレが!! ムカつくイラつく! どいつもこいつも死ね死ね死んじまえェっ!!!)
完全に頭がぶっ壊れた。
こんな幼稚な苛立ちを抑えることが全くできずに、グチャグチャな感情が心の中で暴れまわる。
胸の中心あたりが気持ち悪い。何千何万もの虫が蠢いているみたいだ。
もぞもぞモゾモゾ鬱陶しい。全部鷲掴みにして握りつぶしてやりたい。
「――! ――、――――ッ!! ……――――――!!」
ただ思っていただけかと思っていたが、気づけば声に出していたようだ。
だが、その内容は意味のある言葉にまったくなっていない。
理性がぶっ飛んだ赤ん坊の大泣きみたいだ。ただの癇癪か。恥ずかしい。恥ずかしいのに全然やめられそうにない。
アタシは人生の悉くをしくじっていたのかも知れない。
身に降りかかったムカつく事を、それに対する感情を、理論も理屈も無く「抑え込む」ことを選び続けていた。
だって、みんなだっていちいちヤなコトが起きた度に今のアタシみたいにギャーギャー喚いたりしないから。
駄々を捏ねない癇癪起こさない泣かない騒がない。
そんなことをしていたらキリが無いからか? ともかく、アタシも見習って、何も考えず真似をしていた。
そこには理屈が無かった。「みんなそうしているから」――それだけでしかなかった。それだけでしかなかったから――
「こんなもん……このままじゃ……いられねぇっ、ぞ――クソがっ!!」
今になって。今更になって。
アタシの身の回りのクソッタレな諸々全てが許せなくてたまらなくなっているのだ。
胸にはリリィの槍で空けられた大穴。真っ暗な視界。力の入らない肉体。ぼやけきった感覚。
敵は強大。誰も助けに来ない。
自分は実力不足で努力不足で経験不足。何かを備えていたわけでもない。
わかっている。理屈ではわかっている。
全部自分の自業自得。仕方がない仕方がないと今までなーんにもしてこなかったアタシへの罰。イライラしている自分が恥ずかしいのに、抑え込めない。
「こうも何もかも上手くいかないと、もう全部――台無しになるくらいに。暴れたくなってきたよ。無茶苦茶にしてやりたい」
「いいじゃない、クソッタレな人間共にクソをぶちまけてやるんだね。
もう盛大にやってやる」
あの夜のリリィの言葉がフラッシュバックする。
あぁ、今なら気持ちがよーくわかる。
できるかできないかなんて考える余裕すら起きない。とにかく、全部、何もかも。
ぶっ飛ばさないと死んだって死に切れない……っ!!
今すぐアタシを邪魔するヤツ全員の胸倉を引っ掴んで泣いて許しを請うまで殴りつけないとならない。
無様に泣き叫んで不細工なツラをしたとしても、それでも止めてやるつもりはない。
殴って蹴って斬って刺して千切って噛みついて抉って潰してやる――そんな狂暴な感情が心を突き破って全身隅々まで生き渡ったような感覚に陥り――唐突に、理解した。
「【蜜】ってのは……こう使うのか」
またもいつかの言葉を思い出す。
「どれだけ強力な【蜜技】が使えるかはどれだけ『明確に想像ができるか』だったり、どれだけ『強い意志を持っているか』だったりする。
精神の強さ、とでも言うべきかね。
オマエら……もし敵とやりあうことになったら、まずは心を強く持つことを意識しろ。目の前のヤツを『絶対ブチのめす!!』ってな思いが一番重要ってこった。
精神の戦いってヤツだな!」
――そうだった。こういう話だった。
アタシは【蜜】の事をこれまで、なんとなく「愛」や「勇気」みたいなのが必要というか、精神的に「ご立派」なヤツが結局強いと勘違いしていた。
そうじゃなかった。今アタシの体を駆け巡る熱がソレを証明している。
「何でもいいんだ……何だって……誰かに褒められるような綺麗なモノじゃなくたっていい……」
この不格好で理屈が無くて理不尽で恥ずかしい苛立ちがそのまま力になっているのが確信できた。
物語の清く正しい主人公、それこそ「勇者」らしいモノじゃなくったって良い。
そんなアタシに似合わない役を無理矢理演じなくたって良い。
この汚く、醜く、誰にも同情されず認めらない感情ならいくらでも、尽きることが無いくらいにある。
それをただぶちまけ、敵を踏みにじれば良い。
「【蜜】とかいうご都合主義な力があるんでしょ?
もうばーん、って、無理矢理全部ぶっ飛ばしてどうにかしちゃえばいいじゃない」
リリィ、アンタの言う通りだった。
確かにこりゃご都合主義の極みだ。どんな能無しでも無双できるバカ丸出しの超パワーだ。
特にアタシみたいなヤツには最高に相性がいい。
人生において何にもやってこず、何にも考えず、その癖諦めきることもできず妬み嫉みを分相応にため込んでその癖理由も無く抑え込んでマトモぶりっ子して死ぬ間際になってようやくそれを自覚するヘタレの極みのアタシが……この条件で負けるワケが無い――!!
特に意味無し!
特に資格無し!!
特に希望も案外無し!!!
だけどアタシは生きる。立ち塞がる敵全部をブチまけて。
何故なら――
「―――このまま終わるのが、気に食わねぇからだ!!」




