1-3「今まで喧嘩もしたことないのに、いきなりモンスター倒すとかできる?」
「おい、お前! 私が引き付けてる間に逃げろ!」
止める間も無く彼女が一体のオークの前に飛び出す。
迎え撃つように振るわれた棍棒を紙一重で躱し、拳で一撃。
だが、攻撃されたオークは怯みもせず、またも棍棒を振り上げる――
「逃げろ、って言ったって……」
彼女は降り下ろされた得物をまたもギリギリで躱す。
こんなあからさまにピンチな状況に自分一人で逃げていいもんだろうか。
かといって自分がここにいて何ができるかと言われても困るけど。
「コイツらは私を追ってきたんだ! 私が耐えている間ならお前のことなど気にもしないだろう! 行け!」
「いやいや、お姉さんはどうすんですか!?」
「逃げる手段はある! さっきもソレで撤退した!」
「さっきもって……お姉さん、めっちゃ高い所から落ちてましたけど? 下手したら死んでたんじゃ」
「ぐっ……あ、あれは転移魔法のコントロールを間違えただけだ! もう失敗は――」
「――オイ、オマエコイツノ仲間カァ!?」
僕らの会話を遮るようにして、オークの一人が耳障りな声を上げた。
コイツ、喋れるのか……ちょっとカタコトっぽいけど。
「コイツハモウマトモ二魔法使エネーヨ! 散々痛メツケテヤッタカラナァ!」
……痛めつけた?
よくよく見ると、彼女の体は傷だらけだった。
それ以外の特徴に気を取られて全然意識できなかったけど、これはかなり切羽詰まった状況では?
そして、当然のように「魔法」なんて言葉が出てきているが……
どうやら彼女はその「魔法」、とやらを使えるらしいが、今は消耗して上手くやれない、といったところか。
「――甘く見るな!」
彼女の拳が淡い緑色の光に包まれていた。
アレが魔法だろうか。
「くたばれぇぇぇ!!」
気合と共に光る拳がオークの腹にぶち込まれ、その巨体が揺らぐ。が――
「死二ゾコ無イガ!」
倒すことは叶わず、そのまま反撃で降り下ろされた棍棒が直撃してしまった。
「がっ……!」
「全員デ、フクロダタキ二シテヤレ!」
倒れた彼女に、醜い怪物が群がり、非情な攻撃の雨を降らせる――
「……ちょ、と、これ……! や、やばいやばいやばい……っ!」
このままだと彼女は間違いなく死ぬ。
生死のやり取りの場面、なんて今まで出くわしたことは無かった僕にすらわかる。
単純明快に、危機的状況だ。
オーク達は彼女を甚振るのに夢中だ。確かに、今なら逃げ出せる。
けれど、それじゃあ後味が悪すぎる。「理想の世界」で楽しくやるどころじゃない……!
腰に下げていた刀を見やる。
「や、やれるか……?」
あの怪物を、倒す。
いや、殺す……?
「……っ!」
実力的に、というより、心理的に抵抗があった。
いくら醜い怪物とはいえ、言葉を使い感情も見受けられる相手を殺すことに対しての恐怖や迷いがあった。
そもそも、見た目は悪そうだけど、本当に「悪いヤツ」なのか?
例えば、彼女の方が人々を脅かす悪人かも知れない。
双方に対して僕は何も知らないのだ……
「く、くそ! 下手な言い訳するな! やらなきゃダメなんだ……!」
自分に言い聞かすように叫ぶが、足も手も震えている。
本当に下手な言い訳だった。
あんな風に嫌らしい笑みを浮かべて、大勢で一人をリンチにしてるようなヤツらが善玉なワケが無い。
「い、行くぞ……やるんだ……!」
口では勇ましいことを言ってるクセに、僕はビビりっぱなしだった。
【勇者】としての強い肉体がある。
武器もある。勝ち目が無い、なんてことは無い。
だけど、理屈ではない、本能が「戦い」……「殺し合い」を恐れていた。
それでも、と決意を込めて顔を上げると――
「――あ」
目に映ったのは彼女の顔だった。
綺麗な顔を苦痛と絶望に歪ませ、瞳からは涙を流していた。
体には次々とアザが増え、見るに堪えない。
それが……
何故か、僕が以前の世界で思いを寄せていた、灯姉に重なった。
あの人を最後に見たのは病院だった。
ベッドに横たわり、話しかけても虚ろな笑みしか浮かべてくれなかった。
「大勢から暴行を受けていたらしい」……そんな話を聞いた。
その場に僕はいなかったが――
「何を戸惑ってたんだ、僕は……っ!」
きっと、灯姉もあんな顔をしていたんだと思う。
そこに僕が居れば、怒りに任せて絶対にソイツら全員を殺してやったはずだ。
出来るかどうかなんて関係ない。
本物の殺意を抱いた人間が、そんな事を気にするものか。
良心、恐怖、理屈、などなど。
そんなもの――
「――ぶっ殺してやる……っ!!」
もう僕は震えていない。恐れていない。
滑らかな動きで刀を鞘から抜き、しっかりとした踏み込みから――
「く、ら……えええッッッ!!!」
まっすぐ振り上げて、下ろす。
怪物の背中に刃を通してやった。
すると、呆気無いくらいに――
「グ、オオオーーーッッ!?」
バッサリと斬られたオークは、明らかに致死量だとわかるくらいに、大量の血を吹き出しながら倒れ伏した。
倒れたその体は、一瞬の静寂のあとドロドロと溶け出し、消えた。
死んだ、のか。多分、そうだよな……
この刀が良いのか、それともこの【勇者】の体のおかげか。
思った以上に強力な一振りだったらしい。
たったの一撃で――ソイツは命を失っていた。
「・・・・・・ナ、何シヤガルンダ、テメェ!!」
「囲メ! 先二コノ男カラ始末ダ!!」
一体減って、残りは四体。
仲間を失って怒りに燃えた表情の怪物が僕を取り囲んだ。
絵面は絶体絶命。だが――
「こんなもんか――」
――僕は不思議と落ち着いていた。
怪物相手とはいえ、初めて「殺した」。
もっと「色々」あるもんだと思ったが……
「なんてことないな」
むしろ口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。
「知らなかったよ、クソ野郎が相手なら、殺しても罪悪感は感じないらしい」
「キ、貴様ァーーー!!」
薄々感づいてた事だった。
世の中には、「死んだ方が良いヤツ」ってのが確かに存在する。
ちょうどコイツらみたいに、罪も無い人々を笑って傷つけるようなクズが、確かに存在する。
そして、そういうクズ共に限って、生き汚いのだ。
灯姉を傷つけた連中も、死刑にはなっていないと聞く――
「だから殺さないといけないし――」
最初にとびかかってきたオークの、棍棒を持つ手を斬り落とし、返す刀で首を断つ。
……凄いな。思った通りの動きが出来る。本当にゲームの主人公になったみたいだ……!
「――クソ野郎を殺せたら、まぁ気分は良いよな」
クズが死んだら、その分だけ世の中は良くなる。
それはもちろん喜ばしいこと。
良い事を為せば、そりゃ誇らしく思うだろう。
世間はしつこいくらいに、「命とは尊いもの」と説く。
そうしないといけない理屈はわかる。
命というものを軽く扱って、簡単に人々が殺し合う世の中になってしまったら、人間という種は存続できない、なんてことは子供ですら想像ぐらいはつく。
だけど、人間はみな違うように産まれてくるだろ?
善人もいればクズもいる。
それなのに、そうやって一緒くたにして考えるのは、普通に考えておかしいだろう、と。
きっと皆どこかでは理解しているはずなのだ。
「……ま、僕がおかしいだけなのかも知れないけどな」
続く敵も問題無く斬り捨てる。
三体目は構える前に斬り上げで即殺。
背後から飛びかかってきた四体目は棍棒ごと叩き斬ってやった。
灯姉があんな風になってしまって、僕の中で何かがおかしくなってしまったのかも知れない。
「命なんて、ただ在るだけじゃ尊くも何ともない」なんて悟ってしまったのか。
与えられた命で何を為すのかが重要であって、そのものにはきっと何の意味も無い。
その価値は、自分で高めるしかないんじゃないか。
まさに今、命を叩き斬りながら、そう思う――
「これで、最後……」
「マ、待テ――」
「嫌だね」
腰の引けた怪物の脳天に一振り。
……それで、終わりだった。