4-7 「半端者にくれてやる勝利なんてねぇーよ、ってハナシ」
「――マジでどうなってんだこりゃ? 技量に差があるとはわかっていたがココまでだったのかよ……?」
さしものおじさんも困惑した様子だ。
武器に大きな差がある状態でこの有様なのだから。
触れた物全てを問答無用で両断する【終幕】相手では武器で防御することすらできない。しかし、灯姉は打ち合うことすら許してくれなかった。
足捌きだけで攻撃は全て避けられて、切先を僕に向けるだけで完全に僕を抑えてしまったのだ。
「……認めたくはねェが、【型無】じゃ駄目ってことか?」
そうおじさんが問うと、灯姉が静かに首を振る。
「……それは私にはわからないな。【型無】の欠点自体は【終幕】で補えている……ように見える。
ただ一つ言えることは、【型無】は初見以外では少し弱いかも。
変幻自在の動き、といえば聞こえは良いが、そのほとんどは最短、最速の動きとは異なる。『そういうもの』とわかっていれば見てからでも対応は効く方だとは思ったな」
「ふゥむ……」
「拍君の動きはここでの戦いの時に何回か見てはいたからな。見切るのはそう難しくなかった。流石に初見では避け切れる気がしない。
……実際の戦いなら、その『初見』の段階で殺せてしまえば問題は無いだろうが」
なるほど。意外性も【型無】の長所ということか。
でもその長所は、何度も戦う機会がある相手やこういう訓練だとどんどん腐っていくワケだ。
【ヒロイン】に何度も見せてしまっているから、これから先はもっと通用しなくなるかも。
……しかし本当に完全に負けたなぁ。
全然攻撃とかされてないのにこの疲労感。僕は仰向けに倒れたまま未だに立ち上がれていなかった。
腰が抜けたみたいに全然立ち上がれなくなってしまっている。さっきまで全然気づいてなかったが凄く汗をかいていた。
疲労もあるだろうけど、それより完全に気圧されたあの感覚で冷や汗が全然止まってない感じ。
「手を抜けば……死ぬぞ」――最初に灯姉はそう言われた瞬間、僕は今まで生きてきて一番の恐怖を感じていた。
そして、最後に完全に追い詰められた時には、本当に「殺される」と震えあがった。
非殺傷の木刀を持った相手との、「訓練」であったのにも関わらず。
あの時は、本当に灯姉の持つ木刀が真剣にしか見えず、逆に僕の持つ【終幕】はちっぽけな棒切れにしか思えなくなっていたのだ……
「……あ~……」
実際のところは、今のは「絶対勝たなきゃいけない場面」では無かった。
むしろ勝ってたらその方が困るぐらいだ。【終幕】が灯姉に直撃してたらシャレになってなかっただろう。
しかしここまでの完敗となると流石に色々と考えてしまうよなぁ……ちょっと放心状態だ。
「……拍君」
気づけば灯姉がすぐ傍にいた。
見上げてその表情を見ると、困ったように眉が少しだけ下がっている。
……先ほどとは全然違う。意外と表情の読みやすいいつもの灯姉だった。
「……悪いけど。厳しめの事を言うから。恨んでくれていい」
……この人って、見た目ちょっときつめの印象だから誤解されやすいんだけど、むしろ気を使いすぎなくらいなんだよな。
昔と全然変わらないその感覚に、安心してしまう。
「全然大丈夫。むしろ何か教えてくれるならどういう形でも凄くありがたいから」
「……そうか」
僕に対して厳しめの事、か。
何となく見当はつく。
「多分だけど……【型無】にも【終幕】にも何も問題は無いけど、僕自身に問題大アリ、ってことだよね。『致命的な欠陥』って言ってたし。
で、それって技術がどーこーとか、そういう話じゃない」
そう考えを口にすると、灯姉がコクリ、と頷いた。
「私と拍君の差は……言うなれば『信念』の差だ」
「……『信念』だァ?」
灯姉の言葉に異議と唱えたのは僕自身ではなく、おじさんの方だった。
顎をさすりながら納得がいかなそうな怪訝な口調だ。
「むしろその辺りは拍ちゃんは優れてる方じゃね~の? むしろ『ヤバイ』くらいに見えるんだが――」
「ふむ。何と言ったものか……
そうだな……拍君。お前が、私や【ヒロイン】に殺されそうになったとしよう。
その時、怖くなるかも知れない。戸惑うかも知れない。いっそ諦めて、穏やかな気分になるのかも。
――だけど、殺されることに対して、怒り狂うことは絶対に無いだろう。」
その言葉が、すとんと心の底に落ちて、溶けて、馴染んでいくようだった。
【天秤地獄】に堕ちてすぐ、いきなり【ヒロイン】に殺されかけた。
【ヒロイン】が拠点に侵入してきた時、結果的に相手にはその気が無かったが僕は死を覚悟した。
「殺される」という予感をハッキリと感じたその二度の場面。
僕は【ヒロイン】に対して、恨んだり憎んだりはしていなかった。
酷い目に合わされているワリには、【ヒロイン】に対してそこまで怒りを感じていないのだ。苛立ち、のようなモノは感じてはいるが……
正直なところ、ああもストレートに危害を加えられると何だか憎み切れないというか。
あくまで善人の立場にいながら、余計なことをしてくるヤツの方が余程腹立たしい……そういうところはあるのかもしれない。
「正直、見ていて違和感はずっと感じていた。『何かが足りない』と。今向き合ってようやく、少しだけ理解できた。
きっと拍君は、自分の命も相手の命もどうでも良いと思っている。
戦いの経験が浅いわりには、気負い無く動いているのはそのせいなのかも知れない」
「どうでも良い……? うーん……死ぬのはいつも怖いなぁとは思うんだけど……」
「……怖いと思っているなら、どうしていつも逃げ出さずに【ヒロイン】に向かっていくんだ?」
「え? えっと、それは……」
何といえば良いのか。
自分でも不自然なくらいに戸惑ったが、何とか言葉に出してみる――
「なんか立ち止まってままなのに耐え切れなくなると言うか……
そりゃ、みんなの為とか、自分の為に【ヒロイン】を倒さなきゃってのはあるけど。じっとしているのが怖くて、気づいたらいつも立ち向かってる」
「怖い、か。なんとなく腑に落ちたぞ。
お前が【ヒロイン】に向かっていく様が、何故か『逃げている』ように見えるのはそういうことだったのか」
「逃げている……」
その場にとどまること。
戦場の真っ只中にいるという、そんな現状を維持することへの恐怖。
いつも僕はそこから飛び出していく――逃げ出すように。
なるほど、妙に納得できる――と頷きかけたが、灯姉の次の言葉は僕の虚を突くようなものだった。
「だが、逃げるのならば前に出るのではなく、後ろに退くべきなのでは?」
「え……」
逃げるのなら前ではなく、後ろ。
……もの凄く当たり前の話だ。
じゃあなんで僕はいつも前に出て、【ヒロイン】とやり合っているんだ?
一瞬、わからなくなった――
「――いや、僕が逃げちゃったら、ほら……みんな迷惑……ってどころじゃないくらいに困るし……僕自身の目的も果たせないから……」
「……あぁ。正しいよ。お前の理屈は完璧だ。
現状を変えるには前に出るしかない。どれだけ怖かろうが戦う以外には無い。
お前は逃げ出すように敵に向かっていくが、剣を振るう手に躊躇は見えない。
完璧な自分の理屈に従い、心情に反しているであろうことを完璧に実行している――だが、生き死にとは理屈なのか?」
ドン、と胸を衝かれたような気分だ。
自分の「致命的な欠陥」の認識に、輪郭のようなものが出来始めていた。
「死にたくない、その感情に理屈は必要か? 殺したくない、その抵抗感に理屈は必要か?
それこそ人によって答えは違うだろうが、私は『いらない』と答える。
……だから私は、自分の心情を理屈で誤魔化して戦い続けるお前を見ると落ち着かなくなる。
自分が死ぬのは怖い。だけどこういう場なら仕方が無い。
誰かを殺すのも怖い。だけどこういう場なら仕方が無い。
何故そんな風に割り切ってしまえるのか。
ソレはお前が、殺し殺されることについて……表面上では怖がりつつも、結局のところは理屈で割り切れてしまう程度にはどうでもいいと思っているからだ」
あぁ、なるほどなるほど、と僕は大きく頷いていた。
ここまで鮮やかに言い当てられると色んな感情を飛び越して感心してしまう。
「【蜜】を使った戦いは精神の戦い――兄さんもそう言っていた。それで無くとも戦いとは『信念』も重要な要素の一つだと私は思う。
拍君の『割り切り』はある意味でお前の強みだが、それ以上に致命的な欠陥だ。
仕方が無い――それもある意味では真理かも知れない。
だが、自分や相手の命に対して、あがいてでももがいてでも必死になって向き合えない人間が――【蜜】を使った戦いにおいては特に――強い、とは私にはどうしても、思えない」
「……う~ん。……確かにそんなヤツ絶対強くなさそうって僕自身でも思っちゃうし。そりゃ【終幕】持ってても怖くもなんともないだろうなぁ……」
「……あぁ。
戦争に行く兵士なんかは、恐怖心や殺人への抵抗感を抑えるような訓練を施されていたと聞きはするが……それとも違う気がする。
お前はそんな訓練など受けてはいないだろうし、もっと冷めていて……意志から来る熱が感じられない。
一方、【ヒロイン】はふざけているように見えて、妙な芯の強さを感じる。
このままではきっと、今のお前では通用しなくなってくる瞬間がやってくるだろう」
実戦でも言葉でも灯姉に全く敵わないこの感じ。
「厳しめの事を言う」なんて言われてたけど、むしろ妥当だろう。
「……どうすればいい、とかある?」
そう聞くと、灯姉が今よりもう一段階上の困り顔を見せてきた。
……まぁ何となく予想できてたけど、途方に暮れすぎて変な質問をしてしまったなぁ。
「悪いけど……それは自分で見つけてもらうしか」
「だよなぁ……」
「『答え』というのは往々にして、自分で見つけるしか無いモノだ。
例えば、1+1の『答え』が2である、とわかっていても、『なら2+2は?』と問われて首を傾げているようでは話にならない。
『答え』と『理屈』は誰かに説明してもらえるかも知れないが、それを『理解』するのは結局自分自身だ。
ましてやこのような、『人によって答えが違う』ような問題、『答え』も『理屈』も他人が好き勝手に口を出せることじゃない。それらを見つけて『理解』するのは、絶対にお前自身でなくてはならないんだ。
私に出来るのは精々、訓練の相手になってやることぐらい――それで良ければ、今後も続けていこう。
……その……ど、どう、する……?」
「なんか妙な所で押しが弱くなるよな灯姉……もちろんやる。このままじゃ本当にあっさり死んじゃうし」
そんなワケで、毎日の探索終了後に灯姉の個別特訓することに決まった。
灯姉と一緒にいられるのは嬉しいのだけど、目の前に大きな壁が現れたような感覚に途方に暮れてしまう。
――いや、ずっと見て見ぬフリをしていただけなんだろうけど。
灯姉に指摘されて自覚することになった僕の欠陥。これをどうにかしないとこの先の戦いに勝つことは出来ない。
このままでは【天秤地獄】を生きて出ることはできないだろう。そんな予感があった――




