3-7 《特別な誰か》
「――来た!」
わたしの兵隊である【輝使】の群れを吹き飛ばす【蜜技】。
あれは恐らく式鐘のものだ。【ヒロイン】であるわたしの呪いを受けてなおコレなのだから、奴もまた傑物、と言ったところか。
だが、強いだけならどうにでもなる。
結局、全力のわたし――【天秤地獄】の管理者、【ヒロイン】――に勝る程の強者などいないのだから。
どんなバケモノが来ようが、この場においてはわたしが上回る。単純な力勝負で負けはない。
やはり、最も警戒すべきなのは――
「名姫……拍都!」
何故、かはわからない。
得体の知れない予感が、わたしの中の警報を鳴らし続けているのだ。
「ここできみを見極めさせてもらおうかな!」
式鐘の【蜜技】で作られた、【輝使】の軍勢のど真ん中に出来た一本道を走る拍都。
わたしの元に続くその道。しかしソレはいつまでも開かれたままではない。
拍都に気づいた【輝使】達がそれを阻むため拍都に向かって一斉に殺到する。
(なかなか速いな)
拍都はそれなりのスピードでこちらに向かっていた。
単純な身体能力はその人間の力量を大雑把に図れる指標だ。
【蜜】の存在を感じられる者は、ごく自然に身体能力を強化する技術を扱える。
筋力や反射神経といったその者に元々備わる種類の力ならば、呪文も必要とせずに、ほぼ無意識でも増幅できる。
だが限界はある。
【蜜】とは精神力に影響するエネルギー。
弱い精神では【蜜】の力は引き出し切れないのだ。
では、いまわたしに向かってくる者の精神は、どうか――
(……それなり、でしかないな。わたしの感じた予感はただの錯覚だったのか?)
少なからず落胆している。
あのぐらいのレベルならばいくらでも見てきた。
拍都の持つ、わたしの足を両断した漆黒の刀も、触れなければその真価を発揮しないようだ。
あれなら対策といった対策すらいらない。
対峙することになったら、刀には触れないようにしながら普通に戦えば問題無く殺せる。
(――どころか、もう向かい合うことすらなさそうだね)
拍都は間に合わなかった。
ここに辿り着くよりも早く、【輝使】達は開かれた道を閉ざすようにその正面に立ち塞がっている。
側面、後方の【輝使】も彼に向かっていて、このままでは拍都は完全に包囲され、為すすべもなく殺されるだろう。
――その時。
つまらない結末だ、と白けそうになったわたしの瞳に、拍都が腰に下げた刀を抜くのが映った。
既に出口を閉ざされたその道を、意に介す様子も無く走り続けている。
「斬り拓くつもりか!」
立ちふさがる敵を倒し、わたしの元に辿り着くつもりだ。
だがソレは簡単なことではない。
道を塞いでいる【輝使】の数は多い。普通に考えれば、いくら強力な武装があれど即座に処理できはしない。
そして、時間をかければ取り囲まれて終わる。
(猶予は瞬きの間しかない――やれるっていうのかい?)
走りながら両の手に刀を持った拍都は止まらない。
本当に「やる」気だ――!
突撃してくる拍都を迎え撃つように、【輝使】達が拳を構える。
刀と拳。お互いの攻撃が当たる距離まであとほんの少し、というところで――わたしは悪寒を感じ、反射的に身をよじった。
――凄まじい早業だった。
拍都の初手は切り札である漆黒の刀での攻撃、ではなく――蹴りだったのだ!
それを受けた【輝使】は、警戒していた刀での斬撃とは異なる攻撃に不意を突かれた。
蹴りでグラついたそいつを、踏み台にして一気に跳躍し――
(――あぁ、まんまとやりやがったな……!)
わたしを剣の間合いに捉えた拍都の突き。
感じた直感を信じ、回避を試みておいてよかった。
――もしそのままでいたら、腕一本じゃ済まなかった……!!
「は――は、はははっ!!」
笑っていた。
腕を斬り落とされた痛みも気にならなかった。
よくもまぁここまで上手くわたしの不意を突くものだ。
余計な思考を挟む余裕はない。このままではあっさりと殺されるから――
「――そぉらっ!」
「っ!?」
ほとんど反射的だった。
斬り落とされた左腕が地に落ちるよりも先に、残った片方の腕で受け止め、そのまま拍都に向けて投げ飛ばしていた。
思った以上に力が入った。生命の危機故に、わたしの中の【蜜】が猛ったのか。
斬られた自分の腕を即座に飛び道具として用いる、という奇抜さと、その速さが功を奏した。
「ぐぅっ……!!」
豪速で投げつけられたわたしの腕に直撃し、その勢いで拍都は壁まで吹っ飛び、叩きつけられた。すぐには起き上がれまい。
……あぁ、危なかった。自分の機転の良さを褒めてやりたい。
「――まったく、大恥をかかせてくれたねぇ、拍都!
『その剣がわたしに届くのは今ので最初で最後ダ―!』とか言ったのにコレだ!」
あの刀は確かにとんでもない業物なのだろう。
しかし、今確信した。本当にとんでもないのは拍都自身だ。
【輝使】の不意を突いた蹴りからの、そいつを踏み台にした跳躍からの突き。
この間の拍都のスピードは、それまでの動きとは次元が違った。
式鐘の【蜜技】で開かれた道を走っていたときは、意図的に手を抜いていたのだろう。
そうで無ければここまで綺麗にわたしに一撃を与えることはできなかったはずだ。
そのスピードの差に、【輝使】もわたしも完全に意表を突かれた。
包囲しかかっていた【輝使】達。圧倒的な力を持つ【ヒロイン】。
有利な状況にいたこのどちらも、名姫拍都のこの一手に上回られた――!
恐らく拍都は、本気を出せば【輝使】に立ち塞がられれるより前に、わたしに辿り着くこともできたのだろう。
だが、彼はそんな安全策を捨て、わたしを奇襲する為にあえて敵に包囲されかける状況を選んだ。
しくじれば、間違いなく拍都は死んでいただろう。
そんな死地に自ら向かうような手段を、恐らくは戦いの経験が浅い彼が使う、というのがぶっとんでいた。
自分の命を賭ける、なんて言うのは簡単だが実行できる奴は結局のところそうはいない。
「そうするしかない」のならまだしも――拍都には「素直に道を走り切って辿り着く」ということができたにも関わらず、そうしなかった。
たった一度の奇襲。
それに命を賭ける価値を見出したのか、それとも気が狂っているだけか。
「何にせよ……そんなにあっさりと命を賭けられちゃあ、びっくりするしかないよ!」
わたしの腕を落とした突きを放つ、その瞬間の拍都の目に恐怖は見えなかった。
命を賭したギャンブルに挑んでおいて、何も揺らがなかったのだ。
「死ぬのが怖くないのか!?」
そう言ってみたが、違うと思った。
「もしかして飛び抜けた馬鹿だったりして!?」
少しズレている気がした。
「あぁそうか、自分の命に価値を感じていないのか!!」
――恐らく、コレだ。
根拠はない。だけど、不思議と確信できた。
自分の命の扱いの軽さが異常なのだ、拍都は。
壁に叩きつけられた拍都がよろめきながら立ち上がっていた。
……おっかないな。
いくら力の差があっても今の段階では直接やり合うのは怖すぎる。
「興味深い」だけでは全く割に合っていなかった。
――ここらが潮時だろう。
「いいねぇ拍都! すごくいい、壊れ方をしているじゃあないか!
他の【勇者】連中は何だかいけ好かないけど――わたしはきみになら同情できるかも知れない――」
同情。咄嗟に出た言葉だったが、割と自分の心情に合っている気がした。
【勇者】にはほぼほぼ悪い感情しか抱かなかったのに――彼だけには。
「名姫拍都は、わたしにとって極めて特別な存在なのだ」
そんな思いが、わたしの心に刻みつけられた。
この確信もまた、根拠はない。だけど、間違っているとはどうしても思えない。
きっとこれからも、拍都はわたしを楽しませてくれるに違いない――
心躍る未来の予感に頬を緩ませながら、わたしは撤退の準備を始めたのであった。




