2-9 「いきている」
「拍ちゃん。灯がどうやって自殺したか――なんて聞かされたか覚えてるか?」
「……え、……えっと、入院してた病院で、いきなり舌を噛み切って、って――」
実際は生きていたとはいえ、やはりその記憶を思い返すのは辛い。
「暴行」を受け、入院した灯姉を訪ねる機会が一度だけあった。
最初は意外と落ち着いているように見えた。
むしろ僕の方が気が動転していて、情けなくも「大丈夫だから落ち着け」などと言われてしまったぐらいだ。
だけど、本当に感覚的な見方でしか無いが――「気配」がそれまでの灯姉とは違っていた。
表には出されていなかった昏い感情がそこにあって。
それでも僕は何一つ気の利いた事は言えなかった。
「オレは詳しくねェけどよ、実際のとこ、舌を噛み切ってもそうそう簡単に死ねるワケじゃないらしいぜ。
……実際は、大学のヤツらから手渡された特殊な毒薬だ」
「毒薬?」
「病院の職員も丸ごと買収してアシがつかねぇように丁寧に隠してやがった……大学の、少なくとも上の方のヤツらはとんでもない外道だったってことさ……!」
大学が持つ施設の一つ、「人を異世界に送る」研究をしているその場所では、一つの毒薬が創り出されていた。
毒薬の名の通り、飲んだ人間に死をもたらすのだが、殺すのは肉体だけ。精神のみが生かされ、分離する。
肉体から別れた精神は、異世界へと送り込まれ――辿り着いた後、精神の情報から肉体を再構成し、その世界での「新たな生」を得る。
大学は、世界中から能力ある人間を集めて育成することに平行して、世界を救う手掛かりを異世界に求め、そこに育て上げた人材を送り込む為の方法を探ることまでしていたらしい。
そうした研究の成果が、その毒薬だった。
「だがその毒薬は開発されたばかり。臨床実験ってのが必要だった。
さらに、その毒薬が人を異世界に送りこむには条件が一つ。
飲む人間が、絶望している必要がある。
世界に絶望して、その救いを『こことは違うどこか』に求めるその思想に、その毒は反応する――」
そのおじさんの言葉を聞いて、酷く嫌な考えが頭をよぎった。
「……おい……それは、まさか」
「・・・・・・・・・・・・毒薬の効果を確認するために実験が必要だ。『人材』がいる。
世界に絶望しているヤツだ。出来ることなら、送り込まれた先で多くのデータを取る為、何が起こるかわからん異世界で長く生き残れるぐらいに能力がある人間が良い」
大学はそんな「人材」を探していた。丁度そのタイミングで、優秀な灯姉が「暴行」される予兆を確認した――
「今考えても……本当に……どうしようもなく……クソッタレだよな……!
あァ、拍ちゃんの考えてる通りだ! その施設を乗り込んで責任者締めあげたらゲロしやがったさ!
止めることも簡単にできたが、アイツらは灯を実験に使う為に、そのままにしといたんだとよ!
どころか、その他の奴らに無駄に知られねェように色々と根回しして支援までしたって言うじゃねェか……!」
――言葉すら上げれなかった。
あまりの悪意に、愕然とした。
灯姉に起きた悲劇を目の当たりにし、自分が元いた世界に確かに「悪意」があることはわかっていた。
だが、そのおぞましさはまさに想像以上、いや、想像すらできないほどだったのだ。
(やっぱり、あの世界に夢も希望も無い――ただの、ひとかけらも……)
そう、改めて痛感した。
どうしようもないのだ。「どれほどに」なんて、理解しようもないくらいに。
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「・・・・・・話はこれだけじゃあねェ。
オレがその話を聞き出した時、ソイツらは今まで確認できていた異世界での灯の反応を見失っていた。
……死んだ、と判断されたらしい。
流石にオレも、拍ちゃんにこの話を聞かせようとは思わなかった……
絶望の中で毒を飲んで死んで、辿り着いた異世界でもう一度死んだ、なんて話をしてどうなるってんだ、ってよ。もっと辛く、なるだけだ……」
「・・・・・・・・・・・・」
灯姉が死んだという知らせを受けるまで、僕は彼女を追って大学に加わる為に、自分なりに努力していた。
特別な才能など持っている自信はなくて、なればと灯姉と同じように「一般的」な能力を極限まで高めることを目指した。
運動か勉強か、ぐらいしか思いつかず、その二つの内だったら勉強か、と決めた。
ご飯を食べたりとか、そういう必要なこと以外の時間は本当に全部勉強時間に充てていたと思う。
それでも、苦しくはなかった。むしろ、目標に向かい励むことは僕の心を強く滾らせた。
周りの人々が醸し出す鬱屈としたムードも気にならなかった。
「どんな世の中でも自分の心次第だろ?」とわかったような口も利いた。
だが、そんな身の程知らずの思想は灯姉が死んだことにより綺麗さっぱり朽ち果てた。
見える光景は全てくすんだ灰色。
吐き出す言葉は全て空虚の響き。
何を食べても味がついただけの砂みたいだった。
そんな時に、「おい、あの話もっとヤバイ裏があったぞ」なんて聞かされたら……どうなってただろうな。
「何で教えてくれなかったんだ」という戸惑いとか、そんな真実をおじさん一人に背負わせていたことに対する申し訳なさがどこかにあった。
けど、きっと……その対応は正しい、と理由もなく思った。
灯姉は、他の【勇者】と違って理想の自分としての肉体ではない。
彼女はこの場で唯一、【黄金具現】ではない方法で異世界に送られた人間だった。
最後に見た時から何も変わらない……いや、あれから数年経ってるからか、真っ当な成長という変化は見られた。
落ち着いて見てみると――――――さらに綺麗になった、と思う。
だけど、それでドギマギする、とか……そんな気分にはなれなかった。
ただ、「美しさ」がそこにあるだけ。それだけ、だった。
「……この場所でばったり出会った時はそりゃあたまげたさ。それこそ、この【天秤地獄】に引きずり込まれたことよりも信じがたいってモンだ。
二度も死んだ、と聞かされたオレの妹と、よりにもよってこんなとこで出会っちまった!」
「・・・・・・あの時の兄さんは……その、なんというか凄かったな……人とはこんなにも驚けるのか、と――その、面白くなってくるぐらいだった。うん」
「・・・・・・オマエ、それもしかして冗談か? もう一回ビックリしてもいいか?」
「――――――好きに、すればどうだ」
……もしかして、場を和まそうとしたのかな。
それこそ面白くなってくるぐらいの不器用さに、なんだか力が抜けた。
ふはっ、と僕の口からほんの少しの笑いが漏れ出て、それにおじさんと灯姉もつられて控え目にクスクスと笑った。
随分と話して、ようやく気ごちなさが薄れてきたみたい。
「つまり、異世界で死んだのは嘘、っていうか、『大学』の人達の間違いだったってこと?」
あるいは、本当に死んだけど生き返ったとか?
そんなことを考えたらまた笑いそうになった。笑える話題でもないはずなのに。
一体どれだけ生死の境をいったりきたりしてこっちをアタフタさせれば気が済むんだ、と。
僕の質問に、灯姉が口元をほんの僅かに緩ませていた。
彼女も自分自身の経歴のムチャクチャっぷりに、笑いたくなったのかも知れない。
「間違えても仕方がないかもな。
その毒薬で向かう異世界は、【黄金具現】のようにこちらの理想を考慮して、というモノでは無かった。
まぁ詳しいことはわからないけど、過酷な世界ではあった。
毎日命のやり取りをしていた。死にかけることも何度もあった。
走馬灯なんか見飽きたよ。そんな風だったから、あの毒に付与されていた、生体反応を見る機能が不具合でも起こしたんじゃないか」
「……そりゃあ、ぶっ飛んでるなぁ」
「あぁでも、結構楽しくもあったかな。真剣勝負の張り詰めた空気は何度感じても良いものだ。
死線を超えた後に感じる生もたまらなかった。無我夢中で戦ってたら元の世界での絶望なんか綺麗さっぱり忘れてしまったよ」
「それを楽しいって言えるの、凄まじすぎない?」
「それに、一応は異世界だったからかな、【蜜技】の使い方も自然と知るようになったし、戦いの経験や勘も売れるくらいに身についた。
……あぁ、だからこの【勇者】だらけの集団で、クイーン隊の隊長を任されたって訳だな。
他にも、苦難を分かち合える友人や、尊敬できる師匠にだって知り合えた。
……どうだ、悪くないだろう? 私は異世界じゃ元気にやっていたんだ」
「友人? 師匠? ――それ、男の人? 野郎なの?」
「――そこなのか? ……ふ、ふふ……さぁ、どうだったかな?」
限界だった。
僕ら3人は思いっきり馬鹿笑いしていた。
今までずっと我慢してたような、つかえたものが外れたような。
笑えるような話じゃないのはわかっているけど、あまりにどうしようも無さ過ぎる。
もうお手上げ、どうしようもない。笑うしかないのだ。
「――ったく、本当にさ――」
笑い過ぎて涙が出ているみたいだ。視界が滲んでいる。
ぼやけた視界の中、僕は何故だか灯姉の方に手を伸ばした。
それで何をしたいのかもわからないまま。
「――いきて、るんだよね――」
生きている。彼女は、生きている。
それに対して自分がどう思えばいいのかはわからない。
ただただ笑い続けた。わからないから、笑い続けた。
――不意に、灯姉が僕の手を取った。
引き寄せられた手は、彼女の頬に――触れた。
「――あぁ。いきている。ここに、いる――」
手の平から伝わる感触があまりにも心地良くて、まだまだ笑い続けられそうだった。
視界はずっと涙でぐちゃぐちゃになったままだ。目の前の彼女がどんな顔をしているのか、はっきりわからなかった。




