2-7 「常識なんてくだらない、と言ってみても、やっぱり僕らは常識にすがりついてしまうのだ」
――目を覚ますとベッドの上だった。
「……んあ。――あー、……あ?」
状況がつかめなくて少し混乱する。
「あれ、いつの間にベッドに入ったのかな?」なんて思ったり。記憶が全体的にぼやけている。
そのせいか、少しずつ思い出してきた記憶が、どこからどこまでが現実なのかはっきりしない。
深呼吸を一つした後、頭の中の非現実的な記憶を一つ一つ確かめる。
【黄金具現】を行い、異世界に降り立ったこと。そこで自分の理想の具現のような女性に出会ったこと。しかしその女性は恐るべき敵……【ヒロイン】だったこと。
「……現実、だよね?」
自分の頭が正常ならば、つい昨日の出来事だ。
だけどその昨日がどう終わったのかが思い出せなかった。
脳内で時間を進めていく。
【ヒロイン】に殺されかけたが、何故かそこにいた元の世界からの知り合い、式鐘おじさんに助けられたこと。
そのおじさんの作った【終幕】で、【ヒロイン】を斬り、彼女を退けたこと。
【ヒロイン】を斬った感触が手のひらに蘇る。
その瞬間、自分の記憶が間違い無く現実なんだと強烈に実感できた。
戦いの記憶はそれ以外よりも一回り強烈で、その手触りは確かなものであり、靄がかった思考に輪郭を与えてくれるのを大いに助けてくれる。
ここが自分の理想の世界でなく、【天秤地獄】という過酷な場所であることを知らされたこと。
おじさんの案内で仲間となる【勇者】のみんなと引き合わされたこと。
その中でも中心人物である、6人の隊長格――フォーデさん、ヴェネさん、静瑠さん、マジさん、ジュニ。
――そして、最後の一人は……
「――いや、ありえない。ありえない、はず……」
その人は、元いた世界で出会った、僕の大切な人にしか見えなかった。
だが彼女が生きているのはありえない。なんせ、あの人は――死んだ、はず……なのだから。
「あー、うーん・・・・・・?」
あまりにも荒唐無稽に過ぎて、確かだと思っていた記憶が途端に疑わしくなってきた。
瞬く間に疑問が頭の中を埋め尽くしていく。増えて、増えて、もう入りきらないってくらいにギチギチになって――
「――――――あ~、あ~……クソっ!」
煩わしくてたまらなくなった。
じっとしていられない。もう一秒だって止まっていたくない。
このままだと頭が破裂して死ぬ、と冗談抜きで思う。
「確かめればいいんだろ!?」、と半ばヤケクソになりながら僕はベッドから勢いよく飛び出したのだった。
……じっとしていられず飛び出した、のは良いが、どこへ行けば良いのか。
そんな一瞬の迷いも「どこへだっていいだろ」というこれまたヤケクソな思いで部屋を出ようとしたその時――昨日は無かったはずの――机の上にある紙切れを視界の隅に見つけた。
直感的にそれを確認すると、自分が今まさに欲していた情報がそこに書かれていた。
おじさんの筆跡だ。書かれているのはどうやら、この拠点における彼の部屋の場所らしい。
それ以外には何も書かれていない。きっとそこで全てを語るつもりなんだろう。
もし他に色々書かれてたって、今の僕の頭じゃあ咀嚼することはできないだろうから、その判断は正しい。
そういう対応をしてくる、ということは僕がどういう状態に陥っているのかよく理解してくれている証拠に思えた。
急き立てられるように部屋を出る。
指定されたおじさんの部屋に続く廊下を早歩きで進む。進む。すす、む――
「――は、は、ははっ、は……っ!」
歩いていたつもりが、いつの間にか走り出していた。
すぐさま噴き出た汗の理由は、疲れているから……では恐らくないのだろう。
うるさく響く心臓の音。潰れそうだと悲鳴を上げている。
――気にしてる場合じゃない。
そんなに遠くない距離のはずだったが、辿り着いた時には喚き散らしたくなるくらいに長い間走っていたような気分になっていた。
>>>
「……いやァ……参った。……参っちまうな……コレは……ハハハ、は……」
「……そ……そう……だな……」
「……ど……どうすれば、良いのか……うん……わかんないなぁ……これ……」
この3点リーダー使いすぎなセリフ。式鐘おじさん、灯姉、僕の順である。
会話ヘタクソ三人衆が唐突に爆誕していた。あぁ難しきかなコミュニケーション。
現代社会は何かとコミュニケーション能力が重要だー、と説いてくるが、そんな魔法よりも取得の難しい異能力を軽率に要求するのはどうかと思う。
少なくとも今、そんな超絶便利チートスキルを発揮できる気がしない。無理ゲーだった。
おじさんの部屋に辿り着き、ノックもせずに扉を開け、自分でも制御できないくらいに勢い良く部屋に飛び込んだ僕の足は、一人の女性を見た瞬間に凍り付いた。
――美核 灯。
死んだはずの式鐘おじさんの妹。僕の初恋の相手。
耳がぎりぎり隠れる程の長さの髪と、澄んだ瞳は、最後に見た時と同じ混ざり気の無い純粋な黒色。
それらは彼女しか持ちえないほど綺麗なもので、僕の記憶にしっかりと刻み付けられている。丁度、今目にしているのと同じだ。
黒地に、薄い桃色の花びら模様をあしらった着物姿の彼女がそこにいた。
「・・・・・・お、おはよう・・・・・・拍君」
「・・・・・・あ、はい。おはようございます・・・・・・灯姉」
……なんで敬語だ。
ホントにどうしてしまったというのか僕は。人はここまで異常な状態に陥れるのか。
非現実的な光景など昨日一日で一生分くらい見つくしたというのに、これ以上なく動揺している。
「・・・・・・ま、まァ。・・・・・・座れや・・・・・・拍ちゃん」
「・・・・・・あ、はい・・・・・・座ります」
……だからなんで敬語。
部屋の中央にある机を囲むように置かれた椅子に向かうための足取りが、酷く頼りなかった。
床がスポンジみたいに柔らかく感じる。そのまま足がめり込んでしまうんじゃないかと不安になりながら、なんとか辿り着いて、ぎこちなく椅子を引いた――
「――――――ああ、そうだ、アレだよアレ!!」
しばらく続いていた3点リーダーだらけの会話を続けるのが嫌になった僕は、わざとらしく叫んでいた。
「アレなんだよ!! アレ!! なんで、その、アレ!! えっと、そう、アレだ!! えー、あー・・・・・・なんで生きてるの!?」
……絶望的に知性の欠けた発言だった。アレアレ言い過ぎだろ。なんで生きてるの、はねぇよ。もう侮辱だろソレは。
口から飛び出したソレに頭を抱えたくなったが、もう、なんか、どうでもよくなった。
「な、なんで・・・・・・? て、哲学、とか・・・・・・?」
灯姉の返事は困惑一色である。
あぁ良かった、暴言とは取られなかったみたいだ、って違う!
「いや、その、そうじゃなくて!
その、あの、僕は聞いてたんだけど、そう、灯姉が、その――」
気を抜いたらバラバラになってしまいそうな思考を必死でまとめ……られてないなコレ。
死んだはずだ、というセリフが頭に浮かぶが、どうしても外に出すことができなかった。
無視するには大きすぎる矛盾が横たわっている。そのせいで、僕は言葉すらマトモに取り扱えない――
「――死んでなかったんだよ!!」
おじさんの大声が響き渡った。
ハッとして向き直ると、彼自身も自分の声の大きさに驚いているような顔だった。
それでも、「もうどうにでもなれ」といった様子で口を開く。
「あぁ、俺たちは確かに灯の死体をこの目で見たさ!! 冷たくて、ピクリとも動かなくて、あぁそうさ俺達は、死んだ、としか思えなかった……!!
だが、精神だ――灯の精神は肉体を離れ、異世界へと辿り着いて、そこで新たな生を得ていたんだ!!」
「・・・・・・え、は? ・・・・・・んん!?」
>>>
そこから先も酷いものだった。
どうせマトモじゃいられん、と開き直った僕達は好き勝手に言葉を吐き出した。
結果、時系列が滅茶苦茶な情報がとりあえず明らかになり、その過程で少しずつ冷静さを取り戻した僕らは協力し合いながら、どうにか話をまとめきることに成功した。
「涙ぐましい」と表現できるぐらいの努力の結晶である。誰か、褒めてくれ。
灯姉は高校を卒業した後、上京し「大学」に籍を置くことになった。
昔は「大学」と呼ばれる場所はいくつもあったらしいが、今の時代では一つだけだ。
そして、この「大学」は過去同じように呼ばれたそれらとは明確に異なる、一つの目的の為の場所である。
【理力】が枯渇していくこの世界を救う為に、能力がある人間を集め、育てる――という。
大学に加わることができるのは、主にその関係者の目に留まり、認められた者。
街中で極めて容姿の良い人間がアイドルか何かに誘われるのに似ている。スカウトされるのだ。
一応、年に一度受験はある。自分自身が有用な人物だと面接や試験で示せれば、大学に入学できることが出来る場合がある。極めて僅かではあるが。
灯姉は高校時代に出場していた剣道大会の場で、大学の関係者にスカウトされたのだ。
彼女はそこで優勝した、と言うわけでは無かったが、関係者の目には才覚の芽があると感じられたらしい。
それこそ、日本一、いや世界一の剣道家と成るかも知れない、という可能性が。
大学とは最低限そのぐらいの傑物で無ければその門を開かない。
勉強、運動といった「一般的」な分類の能力ならば、それこそ世界一を狙えるほどでなければならない。
むしろ、主だったメンバーは決して「一般的」でない、自然の摂理を捻じ曲げるような「超能力」などのぶっ飛んだ力を取り扱えるような人間だと言われている。
逆に言えば、「異常」な人間であれば何の努力も無く加われる、ということでもある。
大学は衰退していくばかりの世界を、摂理を捻じ曲げてでも救えるほどの、圧倒的な人材を作り上げる為の場なのだ。
その目的を思えば、常識的な基準での「優秀な人物」などお呼びじゃない、と言ったところだろう。
この時代の人々は、一度は大学にスカウトされることを夢見るだろう。
なにせ、ほぼ唯一、現状を打破しようと動いている組織だから。
みんな内心では、世の中の白けたムードにうんざりしていて、変えられるものなら変えてやりたいのだ。
だけど、ほとんどは大人になる前に諦めてしまう。
大学は人類のほとんどが分類されるであろう「一般的」な能力しか持たない人間に用は無いのだから。
「いつか、それまで自覚していなかった能力に目覚め、世界を変える為に邁進する大学の一員となる」――それは、この時代の人々にとって「メジャー」な夢物語だ。
慰め、と言っても良い。
到底ありえないような空想で、空虚な日常を耐え忍ぶ。そんな経験が無い人間はほとんどいないだろう。
僕もご多分に漏れずそのクチだ。そしてこれまたご多分に漏れず、その門の狭さを悟り心が折れて諦めかけていた。
だからこそ、大学に灯姉が加わることを知った時は誇らしく思った。
ある意味、とんでもなく運が良ければ苦労の無い「異常者」としての入学よりも、ただひたすらに自らを鍛え上げた結果である「一般人」として大学に加わる方が、よほど難しく、困難なことだと言えるから。
そんな高すぎるハードルを乗り越えた灯姉の姿は、僕にとってそれまで以上に輝いて見え、折れかけていた心をしばらくの間持ち直させた。
消えかけていた「希望」と言う名の灯が心に蘇り、日常は潤いを取り戻した。
勢いあまって、彼女が旅立つその日、彼女を追って大学に加わることを身の程を知らずに宣言したものだ。
自分も灯姉と同じように、特別な力など無くても、何らかの分野を極め、自分の存在を認めさせてやる、と。
灯姉は大学でその能力をさらに鍛え上げ、輝かしい道を進んでいくのだ、と思っていた。
だが実際は、その僅か一年後に、彼女は「自殺」という結末に至ってしまうことになる。
……そう、少なくとも式鐘おじさんや僕は、そう聞かされていた。
しかし、真相はそれとは全く異なるものだった――




