2-0 《されど悪役は不敵な笑みを》
――情けない。
両脚を無くしたわたしは、手を犬の前足のように使い、なりふり構わず逃走していた。
「グ――……グくゥッ!」
恥辱に唇を噛み締める。
この【天秤地獄】の管理者である【ヒロイン】が、これ程までに無様に敗北するとは――!!
「ぐぐクっ……うウゥ――!」
口を開けてしまうと獣のように野蛮な咆哮を上げてしまいそうだ。
顎に必死に力を込めて、絶対にソレを外に出さないようにしたかった。
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――随分と遠くまで逃げた。
余裕を無くして気づかなかったが、どうやら敵は追っては来ていないらしい。
深追いして反撃を食らうのを警戒したのか。
もう危険は無い、と悟った瞬間、気が抜けた。
腕に力が入らなくなり、地に体を投げ出す。
そして、ずっと開かないようにしていた口が緩み……そこから飛び出したのは――
「――ぐ、クク――……っ――ハ! は――アハハハハハっっっ!!!」
自分でも意外な事に。
気持ちの良さそうな笑い声だった。
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「は、ハハハ……――っ! は、は……あぁ、ダメだ、そうだ! おかしいなぁ!」
これだけ大笑いしたのは、いつ以来だろうか……っ!?
死にかけた癖に愉快で堪らない。
そんな自分の感情が意味不明で、しばらくの間笑いながら「一体わたしは何で笑っているんだ!?」と自問自答していた。
「――フフ……っ! いや、腹は立っている。立ってはいるんだがっ!」
私の脚をぶった斬ってくれやがった、名姫拍都に対しても。
油断して相手の力量を見誤った自分自身にも。
ムカついているのは確かだ。
もしあのまま殺されでもしたら、憎くて憎くて死んでも死にきれない。
だが、そんな事が二の次になるくらいに。
おかしくて楽しくて仕方が無かった。
「あぁ、ホント、びっくりするぐらいに想定外だっ!
この【ヒロイン】が、ああも見事に追い詰められるとは!」
負けるはずの無い立場。
それ故の、退屈。
だが今、ソレはまとめてぶっ飛ばされた。
「殺されかける」という強烈な刺激が――わたしの「熱」を呼び戻したみたい。
「いきている……! わたしは、いきているんだ! ははははははっっっ!!!」
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思えば、今回のお仕事は色々と妙だった。
いつもよりここに引きずり込まれる人数が異常に多かったり。
イレギュラーが混じっていたり。
「美核式鐘、だったか……」
あのいかつい金髪オールバック、相当な強者だ。
わたしとサシでやり合って、生き残るとは。
「⦅シイシ・ソミニ・コイシ⦆――鎖の呪いを食らうだけで、その命は守り切るとはね。
今回も――【アーティファクト】の保管庫の扉をあっさり開けてみせ……恐らくはアレらを材料にしてあの刀を創った、か。
単純な『格』で言えば、今までここに堕ちてきた者の中で一番かも知れない……」
そして、もう一人。
式鐘より遥かに格下のハズだが――
「勘……だけど。あいつが一番ヤバイかも知れないな」
名姫拍都。
あんな動き方は見た事が無い。見事に騙されてやられてしまった。
あの刀との相性は抜群だ。
「力をきちんと込められたワケではなさそうなのに、コレだ……!」
斬られた足を見やる。
というより……これは「斬られた」なんて次元だろうか。
普通の刀と思うのはマズそうだ。どれだけ肉体を強化しても防げる気が一切しない。
肉体を欠損しても、【蜜技】で再生は簡単ではあるが……もし足では無く、心臓や脳であれば即死していただろう。
「だが、動き方よりも刀よりも――」
あの男自身が気になる。
妙な違和感というか、なんというか……
「何はともあれ。愉しくなってきたじゃないか」
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斬られた足をゆっくりと再生させながら、久々の刺激を堪能していると『ご主人様』からの指示を受け取った。
今回の仕事の為に、さらにいくつかの【蜜技】と配下の使用許可が下りたのだ。
その内の一つ、⦅リーチ・ラズ⦆――【天秤地獄】内であれば、瞬きの間に好きな場所へ移動できる【蜜技】を使ってみた。
……本当に一瞬で、「ご主人様」のいる最奥に到着してしまった。
「――おいおい、コレはもうちょっと早く許可するべきじゃなかったかな。
さっきコレが使えれば、あんな無様を晒すことは無かったのだけど?」
文句を言ってみたが、返事が返ってこないのは承知の上だった。
「ご主人様」は今や「生命」に区分される存在では無くなっていた。
この【天秤地獄】が創られた時点で、「ご主人様」は「人」から「物」になり、ただ機械的に【天秤地獄】とその管理者である【ヒロイン】に力を与える存在となったのだ。
飾り気のない祭壇に置かれた天秤をヒョイ、と持ち上げてみた。
「一人で喋ってても寂しいばかりだよ。きみが口を利ければ良かったんだがね?」
この天秤こそが、わたしの「ご主人様」。名はそのものずばり、【天秤】。
恐らくは――最高峰の【アーティファクト】。
きっと式鐘の狙いはコレだ。
【天秤】を制御下に置ければ、それこそ何だってできるだろうから。
【天秤地獄】を脱することはもちろん、世界征服すら簡単だろう。
その【天秤】を守ることは、【ヒロイン】の仕事の一つだ。
「ご主人様」は口こそ利けないが、【ヒロイン】の脳内に直接情報を送りこむことはできる。
無感情な情報の群れを、わたしは一つずつ確認していく。
いつもは憂鬱な作業だが、今回ばかりは気分が良かった。
「――なるほどなるほど? 式鐘が使ったのは⦅イリカ・ソクイ・クイラ⦆に――⦅イーリ・ガラノ⦆か。
呪いをかけられた身でよくやる。
放置するしかなかった【アーティファクト】を丸ごと利用して、【蜜技】の極致に限り無く近づくとは……」
⦅イリカ・ソクイ・クイラ⦆。聞いたことも無い呪文だが、どうやら様々なモノを自分の力へと変える技らしい。
【アーティファクト】まで利用できるとは、まさに規格外――
しかし、⦅イーリ・ガラノ⦆はさらに次元が違う。
【蜜技】の極致である、「妄想の具現」を為す技。
まっとうな者なら、到底行きつけない境地だが……式鐘は⦅イリカ・ソクイ・クイラ⦆によって力を得て、なかば無理矢理にそこに至ったのだ。
「……いやぁ、大したものだ。
単純なスペックでは本当に、コイツに勝る者はいないだろうね」
確かに今回は、【ヒロイン】になってから最大規模の仕事だ。
全力で挑んだとしても、失敗する可能性はゼロではない。
こちらが圧倒的に有利なのは変わらないが、それでもスリルは十分に感じる。
「この大判振る舞いっぷりにも納得がいくというものだ」
先ほど使った転移の【蜜技】をはじめとする反則級の技もそうだが、与えられた「配下」達も凄まじい。
「【輝使】はもちろん、【サブヒロイン】まで……ハハ、もうコレは総戦力そのものじゃないか!
なるほどなるほど、そこまでするべき相手なのか! よーしよし、派手にやってやろうか!」
これは祭りだ。
お互いの全力を持ってしてぶつかり合う、「全面戦争」と言う名の祭りなのだ――
「……む? 【魔王】まで使うって言うのかい? どこにいるのか――ふ、フフっ! 酷いな、なんて配役だ! 『ご主人様』よ、容赦が無さ過ぎるぞ!」
最大の切り札、【魔王】までもが駆り出されている。
まさしく地獄の名にふさわしい、最悪の展開になりそうだった。
「――拍都。
楽しもう。楽しもうじゃないか……っ!」
ふと思い浮かんだ顔に語り掛けてみる。
きっとしばらく、楽しくて仕方がない日々が続くことだろう。




