1-0 (地獄には堕ちない)プロローグ
雲一つない青空を見ていると、イライラするようになったのはいつ頃からだったか。
その「何ら後ろめたいことはございません」とでも言いたげな、どこまでも広がる青色を見ていると気分が悪くなってくる。
作為的で人工的、色んな事を捻じ曲げて作られた、偽りの景色のように感じるのだ。
もちろん、青空を見ただけでこんなに妄想を逞しくし、眉間に皺を寄せるような人間は、ちょっとアレってのは自覚できている。
僕がこうなってしまったのは、全部この世界が悪いのだ。……いや、ホントに。
24世紀を迎えたこの世界に、「夢も希望もありはしない」のは、まごうことなき事実。
あと少しでようやく二十歳を迎えるような、酸いも甘いもロクに知らない僕ですらわかる。
21世紀の中頃に発見された夢のエネルギー、【理力】。
その万能の力に魅了された人類は、それに依存し過ぎた。
後先考えず【理力】を湯水のように使い、文明を無理矢理発展させたその結果、23世紀にはあっさり枯渇寸前。
【理力】の節約も、代替を用意することにも失敗し、人類は為すすべなく後退の道を現在進行形で歩んでいる。
今の文明レベルは21世紀前半相当だ、と評される程。
しかも、その衰退の傾向は今もなお強くなっている。
時は未来へ進むのに、文明は過去に引きずられていく。
そんな光景を見てれば誰だって気が沈むだろ?
外をぶらっと歩いて人々の顔を覗き込めば、大体は目が濁ってる。こんなもんどうしろってんだ。
ほら、やっぱり全部この世界が悪い。
僕が愉快な人生を送るためには、「ここではないどこか」が必要なんだ。
この世界はもうダメだ。袋小路だ。
だから、別れを告げる。
そして、ここじゃない世界――異世界に旅立つ。
「世界を変える」。僕の人生という物語の舞台を、丸ごととっかえる。
今から執り行われるのは、異世界に旅立つ儀式である。
名を、【黄金具現】。
アスファルトの地面が広がるこの場所。
周囲には描写する程大したものはない。
ただ一つ、数10メートル先に停まっている高級車を除いては――
真っ黒く、長い車体のリムジンだ。
こんなお高い車、今時そうそう見ない。
僕のような赤貧フリーターからすれば非現実的、と表現しても良いぐらいだが、車体の前面にはさらにファンタジーな模様が見える。
黄金の光で描かれた魔法陣だ。
その輝きは化学で再現できるものではないと、理屈でなく本能で理解させられる。
正直なところ今日この場に来るまで半信半疑だったが、いざ目の当たりにすると――
「これは、ガチだ……!」
と、はっきり実感できた。ワクワクが止まりません。
「――おっ待たせしましたぁー!! 準備完了です!! いつでも行けますよー!!」
「キタ! きた来たキタァーッ!! 了解でっす!!」
「心の準備ができたら合図お願いしまーす!!」
「はいはーい!!」
車内でハンドルを握る、担当のお姉さんの明るい声が聞こえる。
美人で、元気いっぱいな人だ。
打ち合せの時、「素直でいい子!」なんて彼女に言われた時は結構ドギマギした。
おいおい困るぜ、こっちはナニがとは言わないが非経験なんだ、ちょっと優しくされたら好きになりそうだろ! なんて脳内で悶えたりしなかったり。
ま、こっちにも色々事情があるから、告白したりとかは絶対に無いけど。
さぁ、もう間もなくでこのサイテーな世界からおさらば。
僕は自然と、今までの人生を思い返していた。
別に、何もかもが気に入らないってワケじゃない。
僕にも何人かの気の合う友人や、甘酸っぱい片思いの相手ぐらいはいた。
隣の家の式鐘おじさん、その妹の灯姉、中学からの友人の花子ちゃん。
式鐘おじさんとは結構年が離れていたけど、昔の漫画や小説、アニメやゲームなんかを教えてくれた。
おじさんとそれらについて語り合っている時は、本当に楽しかった。
おじさんの歳離れた妹である灯姉は、剣道が得意なカッコイイ美人だった。
一目であっさり恋に落ちた。……まぁ片思いから進展は一切しなかったけど、良く気にかけてくれた。
中学からの付き合いである花子ちゃんとは何だか妙に趣味が合った。
お互い、好きになるものが似ていて、気楽に話せる相手だった。
その3人を置いて行くのは気が引ける――なんてことは無い。
花子ちゃんは【黄金具現】に乗り気だった。確かに、お互い会えなくなるのは残念だけど……どっちもこの世界に真っ当に愛想が尽きていた。
「ここではないどこか」を、ずっと求めていた。
そして僕らは、お互いを引き留めて足を引っ張り合うような面倒くさい関係じゃない。
二人ともが気の向くまま、望むことをやるのが、何よりも優先すべきことなのだ。
式鐘おじさんは、なんと【黄金具現】を産み出した張本人。
このどうしようもない世界に、【黄金具現】という裏技を提示したのは他ならぬおじさんだ。
つまり僕が「ここではないどこか」に行ったところで、文句など言う訳が無い。
そして、灯姉は――――――
「……って今更考えても仕方が無いっての!」
――もう全部、終わったことだ。
「よっしゃあ!! 名姫 拍都、行けます!! むしろ逝けます!!」
「元気があっていいですねー!! せっかくの旅立ちですし、明るく逝きましょー!!」
――そう。
これは断じて、暗―い出来事ではない。
志を同じくする仲間との絆。
怪物との血沸き肉躍る死闘。
魅力的な女の子とのロマンス。
光輝く未来を目指す、毎日が刺激的な冒険譚。その幕が上がる瞬間なのだ。
――だから。
まさに今、目の前のリムジンが僕に向かって真っすぐに爆走していても、気に病む必要は無い。
事情を知らなければ数秒後の凄惨な事態を想像し、身震いするだろうけど。
これが、儀式なのだ。
あの魔法陣が描かれた車にぶっ飛ばされて命を落とす。
そんなバカみたいなやり方で行われるバカみたいな儀式。
――そして、そんなバカみたいな事をやりたいと思いついた僕も、相当なバカである。
だけど、バカで結構。
異世界に行けるんなら、バカの役ぐらいノーギャラで演じてやってもいい。
「――ィィィイヤッホォーーーウ!!!」
ついに激突し、想像以上の勢いでぶっ飛ばされる。
体がバラバラになるかと思うぐらいの激痛だったが、口から飛び出たのは苦痛による悲鳴ではなく、歓喜による雄叫びだった。
死の恐怖を未来への希望がねじ伏せる。
地面に激突し、腕やら足やら首やらが曲がっちゃいけない方向に曲がっても何ら気にはならなかった。
閉じていく視界に見えた最期の景色は、大嫌いな雲一つ無い青空だった。
……でも、そんなに悪くない。久しぶりに青空が美しく見えた。
「ではでは、良い異世界ライフを!!」
闇に沈んだ視界に続くように霞んでいく意識の中で、担当のお姉さんの楽しそうな声が聞こえた。
最後は綺麗なお姉さんに見送られ、逝く。
悪くない。案外この世界も捨てたモンじゃなかったかも知れない。
・・・・・・・・・・・・いや、それは無いな! さらば、クソッタレな世界よ。
僕はご都合主義でイージーモードな異世界に行きます。もう、帰りません。絶対に!