三話 「彼女は絶望を受け入れた」
守谷は激しく後悔していた。上司に怒鳴られるのを承知で、保管されていた鎌を持ち出したのが間違いだった。
焼肉を奢るなんて言葉につられたのが間違いだったのだ。
ーーちくしょう、焼肉じゃ割に合わないよ。
静かに守谷は目を閉じた。
だが守谷はすぐに目を開くことになる、目を閉じた直後に何か柔らかいモノが体にぶつかったからだ。
目をゆっくり開くと、両断された天使の上半身が目の前に転がっていた。
「ちょ......これ」
天使を殺したのは亜子だった。三人を取り囲んでいた天使たちは、時計回りに振られた鎌によって残らず上下に分けられた。
「亜子ちゃん、一人で大丈夫?」
何も言わないまま、亜子は天使の群れに飛び込んだ。
そこからは一方的だった、亜子の一振りは暴風が容易く樹木を吹き飛ばすが如く天使たちを屠る。その動きは人間のそれでは無く、もはや人外の域に達していた。
地を蹴った衝撃で大地は抉れ、その勢いを存分に乗せた斬撃は天使を2〜3体まとめて殺していく。
「凄いですね、あれ」
「あれは特別なんだよ、あの鎌は」
亜子の持つ、細く美しい三日月がそのまま刃になった様な鎌。刃は近年開発された形状自由合金を採用しており、刃は武器に加工する際に可能な限り不純物を取り除き、薄くも鋭さを追求した。
内部には小型バランサーを搭載し、重心がぶれて刃が使用者に向く事がない様になっている。
更には、これまでの試作兵器では考えられない出力を出せるように調整されている。
だが出力を上げた分Dエネルギーの消費は凄まじく、本来ならば身体強化と武器強化に半分ずつ消費されるDエネルギーが武器に流れこみ過ぎてしまい、身体強化不全に陥ってしまうという欠点があり加えて鎌という特殊な形状のため扱うのには高い技術が必要だった。
「だからこそ、厳重保管っていう建前で実質破棄されてたんだけどね」
「先輩はあれがどんな物か分かってたんですか?」
少年が笑みを浮かべ、ナイフを軽く投げた。
ナイフは天使に脳天に突き刺さった。守谷は目を疑う、少年の傷はもうほとんど塞がっており出血も止まっている。
「先輩......もしかして」
「あんだけお膳立てしたんだ、あれくらいやってもらわなきゃなぁ」
「先輩ってホント最高に最低ですね」
「自分は大好きですけど」
亜子は最後の天使を手にかける瞬間だった。羽を切り裂き、剣を折り、それでも逃げようとする天使に鎌を振り上げていた。
「なぁ、守谷。お前はあの武器の名前分かるか?」
「確か、武器自体の名前は
『対天使用特装重刎首鎌試作六号』でしたっけ? 通称D兵器とかなんとか」
「D兵器のDは何の略か分かるか?」
「そりゃあ、DespairのDでしょ?」
くっくっと笑うと、少年は大きくかぶりを振った。
「違うよ、いや合ってはいる。でも違う、あのDはDespairじゃなくDevilのDだよ」
「あの鎌の銘はラボラス、殺戮の悪魔の名を冠する武器だよ」
亜子は天使にあっさりとトドメを刺す、赤い液体を浴びながら地面に転がる天使たちの骸の上に立つ彼女は間違いなく悪魔だった。
「状況終了ってとこですかね、もう天使の反応も......」
守谷が開いたレーダーに一際大きな反応があった。
並の天使の物では無い、有象無象とは格が違う反応だった。
「先輩、天使来てます。それも第八階級のアークエンジェルですね」
「持ってるね、亜子ちゃんは」
天使は神々しく亜子の前に降り立った。天上からの光に包まれながら、白く美しい羽を二枚背負いまるで絵画から抜け出したような天使がそこにいた。
「はじめましてお嬢さん、随分と私の同胞を殺したようですね」
「......誰?」
天使の声は温かく、聞く者の脳を蕩けさせてしまうような甘い声だった。温和な表情を浮かべ、両手を亜子に向かって差し出している。
「守谷、あいつ『名付き』か?」
「登録ありません、名無しですね」
「じゃあ余裕だな」
静かに亜子に近づきながら、天使は語りかける。ゆっくりと優しく温かく。
「貴女は同胞を殺した、ですが許しましょう。
貴女もまた救われるべき存在なのですから」
「どういう意味?」
「我々が望むのは人類の救済。絶望を抱えて生きるのは辛いでしょう? 私なら貴女を救える、最下級のエンジェルズには無理でもアークエンジェルたる私には」
「救い......私を救ってくれるの?」
天使に向かって構えていた鎌の切っ先は、静かに降ろされ亜子は無防備に天使の前に立つ形になってしまった。
天使は満足そうに両手を広げ、手に光の剣を握る。
「先輩ヤバイですって! あれ死ぬ気でしょ!?」
少年は黙って亜子を見守る。ここでもし亜子が死んだとしても仕方ない、自分の見込みが間違っていたと少しだけがっかりして終わりだ、くらいに考えている。
「貴女も望んでいるんでしょう? 温かで慈悲深い救済を」
「私は......」
「私が貴女を救ってあげ......」
亜子は天使に向かって鎌を振り下ろした。天使は全く予想していなかったため、避ける事が出来なかった。
斜めに吸い込まれるように、鎌はその体を切り裂いた。
「私に救いなんて必要ないよ」
ーーああ、やっぱり君は最高だ。
満足げに笑う少年は心の中で一人て拍手を亜子に送った。
天使の体は、一拍置いてから再生した。文字通り元通りに、最下級天使ならば今の一撃で仕留められていたはずだった。
「救済を否定するんだな? 分かった、ならば貴様は救わない、我らに背いた不届きを後悔しながら死ぬが良い!」
滲み出す殺意は光弾となって降り注ぐ、亜子はそれを躱し思いっきり鎌を振り下ろした。
だが、刃は天使の体を傷つける事無く純白の羽に止められてしまう。
「所詮はその程度、上位種たる我々に下等な人間ごときが勝とうなど......思い上がりも甚だしい!!」
刃を弾いた羽は、亜子の腹にめり込みそのまま吹き飛ばした。鋼鉄並の強度を誇る羽の一撃は亜子が吐血するには十分なダメージを彼女に与えていた。
口から吐き出される血は、赤く地面を染め上げていく。目の前が少しずつぼやけ始めながらも、亜子は鎌を杖代わりに立ち上がる。
伏せてわならない、ここで立ち上がらなければ自らに価値はないという事を亜子は知っている。
「亜子ちゃん、デバイスの数字をどこでもいいから押してみて。三回同じ場所をね」
「先輩......まさか共鳴させる気ですか?」
亜子は9のキーを押した。ゆっくり確実に三度押した。
『コード認証......共鳴領域999
共鳴スタート』
亜子の右目から青白い光が漏れ出しはじめ、鎌を黒いオーラの様なものが覆いだした。
少年は目を輝かせる、踊り出しそうな心臓を必死に抑えながら亜子を見ていた。
「共鳴率......60......70......まだ上がります!!」
別々の回路を使って使用者の肉体と武器に流れ込んでいたDエネルギーの流れを使用者が武器そのものと共鳴する事でその流れを一本に絞る。
そうする事により、通常時を大きく超えた出力を発揮する事ができる。
「死んだな、天使」
湧き上がる恐怖に、天使はひたすらに困惑していた。
何故さっきまで死にかけていた女が、絶望に塗れ希望の一つも無い状況で。
ーーここまでの殺気を放てる......?
亜子の顔に亀裂の様な、夜に浮かぶ鋭い三日月の様な笑みが浮かぶ。
天使は悟る、こいつは今ここで殺しておかなければならないと。
光弾が放たれ、亜子に襲いかかる。放たれた光弾の速さは、人間の扱う銃弾などとは比べるのもおこがましいほどの速度を誇る。
だが、それは難なく弾かれてしまった。
「あは、あははははははは!」
狂った様に笑い出す。それは壊れた笑いだった、ただただ可笑しくて仕方ない、生き物を殺すのが楽しくて仕方ない。
そんな、どこか下卑た笑いだった。
「狂ったか、犬がぁ!!」
叫んだ天使の眼前にはすでに刃があった、反射的に羽で防いだ事を天使は後悔する事になる。
白き純白の羽は、黒い鎌にあっさりと切り落とされた。
「馬鹿な!? 羽を......?」
「もっろ」
切り落とした羽を踏み付け、笑う。
生者を、善行を、希望すら食い尽くす悪魔の如く。
「主から賜りし羽を......!」
怒りに身を任せ向かって来た天使の腕を、亜子はすれ違いざまに切りとばす。赤い液体が切り落とされた箇所から吹き出し、天使は顔を歪める。
腕が落とされる事など問題ではない、その程度ならすぐに回復するのだから。
精々笑っていろ、と腕に力を込めるがただただ液体が溢れ出すばかりだった。
「どうして再生しない!? くそっ!」
天使は知らない、亜子が通常時ならばたとえ腕を切り落としたとしても瞬く間に再生されていただろう。
しかし、共鳴状態の鎌には通常時よりも多くのDエネルギーが流れ込んでいる。
そのため、切り口にはDエネルギーが残り再生を阻害していた。
「何故だ!? どうして......くそおおお!」
「はぁ......とりあえずさっさと死んでくれる?」
天使の胸に鎌の上部を押し付けて、亜子は柄のスイッチを入れた。
押し付けた箇所から、杭のようなものが打ち出され胸に深く食い込む。
「こんなもの......ぎっ......!」
破裂音と共に胸が破裂し、あたりに肉片をばらまく。胸に空いた大穴は塞がるはずもなく、天使の命を流れ出させていた。
地面に仰向けで倒れた天使は、最初こそ呻きもがいていたがすぐに諦めたように動かなくなった。
「私はどうやら死ぬようだな。だがすぐに私の同胞が貴様たちの元へ来る、精々足掻けこの悪......」
最後まで言わせずに、亜子は倒れた天使の頭を切り落とした。
力が抜けて、地面に倒れそうになった亜子を少年が受け止める。
「おつかれさま、体はどう?」
「全身痛い、最悪」
「気分は?」
「悪くないかな」
「じゃあオッケー」
すぐにどこかに守谷が連絡すると、迎えの車がやってきた。黒スーツの男達と共に車に向かう。
「そう言えば、名前聞いてなかった。」
「今更? まぁいいや、白南風誠って言うんだよ」
「似合わないね」
そう言って静かに車に乗り込んだ。
『敵勢力は、エンジェルズが二十、アークエンジェル十、うち一体はガブリエルと判明!』
揺れる車内にオペレーターの焦った声が響く、それを二人は黙って聞いていた。
「やばいね、今度こそ死んじゃうかもよ?」
「かもね、まぁそん時はそん時じゃない?」
「三カ月でずいぶん変わっちゃったね」
「現場に着きました! お二人ともご武運を!」
亜子と誠が車から降りると、既に出ていた軍は壊滅しており生存者はいなかった。
静かに武器を取り出しながら、誠は笑う。
「絶望的だね、この状況」
「なら、好都合じゃない? 私たちにとって希望は価値がないんだから」
天使たちが、二人に向かう。
希望を持たず、絶望しか知らない二人は、絶望を抱いて希望を殺す。
無慈悲で残酷な悪魔のように。
「さぁ、亜子ちゃん? あいつらに世界を救わせないようにしないとね」
「分かってる、さっさと殺そうか」
そしてまた彼女は、絶望の海の底に向かって沈み始めた。