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絶望の海に身を投げて  作者: ネコパンチ三世
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二話 「彼女は静かに身を投げた」

次の日の朝もいつもと変わらない。

窓から朝日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえる、少しだけ体が重いだけのいつもと寸分違わぬ朝だった。

いつものように朝食を作り、父を送り出し、学校に向かう。そして授業を受け、いつものようにいじめを受ける。だが今日は珍しく屋上に呼び出された。


場所が変わってもされることは何一つ変わらない。いつものように叩かれてから蹴られる、体に走る痛みすらも日常の中にある。


「じゃ、もう一発いきまーす!」


拳が振り上げられ亜子に振り下ろされる瞬間だった。亜子は見た招かれざる客を、救いの権化を。


それは醜かった。だらしない体の中年男性のような体に羽が生え、顔は吐き気をもよおすような笑顔を浮かべ、下半身に白い布を巻き付けている体からは甘ったるいアロマのような匂いが漂う。


『それ』は拳を振り上げていた少女にそっと優しく触れる。すると少女は恍惚とした表情を浮かべ、衣服だけを形見に残して光の粒となり消え失せた。


「ひっ……」


あっという間にもう一人の少女を胸に引き込む。その少女もまた幸せそうに消えていった。二人の少女を瞬く間に分解した『それ』は亜子の方を向くと、表情を一変させた。


笑顔は消え少し曇ったような表情に変わり、手には光が集まった剣を握ると亜子に向けて振り上げた。

緩慢な動きではあったがあまりにも現実離れした光景に腰が抜けて亜子は動けない。



「おいおい、死ぬにしたってこんなつまらない死に方はしないでくれよ」


『それ』の脳天にナイフが突き立てられると、体液であろう赤い液体が噴水のように吹き出し亜子に降り注いだ。

液体を全身に浴びながら呆然とする亜子の前には、屋上で会った少年がまるで玩具を扱うようにナイフを弄びながら立っていた。


「あなたは昨日の……」


「楽しく話をしたいところだけど今はまずい。とりあえず降りるよ」


そう言うや否や少年は、亜子を抱えて何の迷いも無く屋上から飛び降りた。

5階建ての学校の屋上から人一人を抱えて飛び降りる、それは普通の人間には不可能な上にそもそもそんな事をしようとは考えないはずだ。

だが少年はそれを考え実行した。それだけで十分に少年が並の人間では無い事を明らかにしていた。


「あなたは一体……」


「ストップ、電話来たから」


少年は亜子を制し、誰かからの電話に出る。


「守谷、今どこだ?」


守谷という電話の向こうにいる人物はどうやら声が大きいらしく、側にいる亜子にまで声が聞こえてくる。


『学校の前ですよ。てか先輩は無事なんですか? 正門から見る限り天使まみれですけど?』


「ああ問題無い。それより持ってきたか?」


『もちろんですよ。使える後輩、守谷正義(もりやまさよし)にかかればおちゃのこさいさいですよ』


「じゃあ、校庭脇の体育倉庫で合流だ」


『了解です』


電話を切ると、すぐに少年は亜子の手を掴んで走り出した。少年の足の速さに転ばないように必死に亜子は走る、走りながら亜子は息も絶え絶えに先程の電話の事を訪ねた。


「一体なにがどうなってるんですか……天使って……?」


「見たほうが早いよ」


二人が校庭に出ると、そこにはおぞましい光景が広がっていた。

校舎に先程の生物が群がっている、窓を割り校舎内に侵入し目に付いた人間を片っ端から粒子に変換しているようだ。

その数は見た分だけでも二十はいる、校舎内から耳をつんざくような悲鳴がいくつか聞こえるがすぐにそれも聞こえなくなった。


「あーあ、こりゃ相当「救われ」ちゃってるわ。ま、亜子ちゃんが無事だったから良いけど」


事もなげに少年はにこやかに笑っている。少年にとって亜子の命に代わる物は今ここには一つもない、亜子以外の命など取るに足らない無価値な石ころに過ぎなかった。


「せんぱーい、こっちですよー」


おそらく守谷と言われる人物だろう、眼鏡をかけたどこか軽薄な少年が体育倉庫の入り口から手を振っている。

初めはにこやかだった守谷の顔が急に険しくなり、走ってくる二人の後方に向かって指差しながら叫ぶ


「先輩! 後ろやばいですよ!」


二人の後ろに一体の天使がいた。

光の剣を亜子に向かって振り上げている、舌打ちした少年は亜子を勢いよく引き寄せ胸の中に抱いた。天使の剣は少年の背中を深く斜めに切り裂く、小さく呻きながらナイフを天使の眉間に突き立ててから体育倉庫に滑り込んだ。


「先輩! 大丈夫で……」


「守谷……防壁を展開しろ!」


「りょ……了解!!」


守谷は慌ただしく倉庫内に置いてあったスーツケースに駆け寄る、ケースを開きスイッチを入れると体育倉庫全体に電磁壁が展開され天使たちの侵入を防ぐ壁が出来上がった。


倉庫内には、中に入ってこようとする天使たちの壁を攻撃する音が響く。


「先輩らしくないですね。大丈夫ですか?」


鞄から取り出した包帯を少年の背に巻きながら守谷はぼやく。

たしかにらしくなかった、守谷の知る少年は例え一般人を守りながらでも先程のような事はあり得なかった。


「少しへまっちまったな、戦闘は厳しいかも」


右肩から入った天使の剣は斜めに背中を切り裂き、左脇腹から抜けていったようで傷は深くはないが大きく、出血量も多い。満足な戦闘ができないのは誰の目にも明らかだった。


「どうするんですか? 電磁防壁のバッテリーは十分もてばいいくらいですけど」


「大丈夫だ、代わりはいる」


「代わりって、まさか」


守谷は隅で小さくなっている亜子を訝しげに見る、話は軽く聞いていた、見込みのあるタイプの女の子を見つけたと。

無理だと守谷は思わずにはいられない、こんな女の子には無理だと。

それは亜子自身も分かっている事だ。二人の話を聞きながら亜子は震えていた、自分には無理だと確信がある。

何ができる? こんな訳がわからないままで出来ることなどない。


「無理です……訳がわからないんですから! 天使って何なんですか!?」


「教えるよ、丁寧かつ迅速にね」


 天使ーー三年前に現れた『神の手』から出現する有機生命体の総称。見た目はほぼ同一だが上位種が数種確認されている。人間に触れる事によって粒子に分解可能、また分解される過程で被分解者は麻薬等によって得られる数十倍の快感を覚える、これは捉えた人間が暴れないようにするためだと考えられている。

そのためか関係者は『襲う」という表現では無く、皮肉を込めて『救う』という事が多い。


少年は淡々と説明した、何度も練習したように適切なタイミングで緩急をつけて上手く喋る少年はどこか不気味で、まるでドラマのワンシーンのように台本を読んでいるような感覚を亜子は覚える。


「で、あいつらに対抗するための武器が......守谷、出してくれ」


守谷は厳重にロックがかかった銀色のスーツケースを取り出した。手早くロックを解除するとスーツケースはゆっくりと開き、中に何が入っているかを亜子に教える。


「これが君の武器だよ、亜子ちゃん」


 ケースの中には、折りたたまれた鎌が入っていた。

 鎌ーー武器としての鎌の評価はそう高くは無い、あくまでも祭儀的な意味合いや象徴として使用されることが多く戦闘で使用するには高い技術が必要となっている。

 それがこの鎌がまだ一度も使用された事のない大きな原因の一つだ。


「それから、これが亜子ちゃんの分のDCDね。赤いボタンを押してユーザー登録してからラボラスの柄の部分に付いてるアタッチメントに装着すればいい」


少年が胸のポケットから取り出したのは、手の平に収まるほどの大きさのデバイスだった。

1から9までのボタンと一際大きな赤いボタンがあり、見た目だけなら一昔前の携帯に近い。


「DCD......?」


「そう、『Despair Convert Device』略してDCD。

亜子ちゃんの中にあるDエネルギー......簡単に言えば君の中の絶望を力に転換して使えるようにするためのものだよ」


 天使たちはほとんどの人間を平等に襲う、それが当初の認識だった。

 しかし天使の襲撃回数が増えるにつれ奇妙な事実が明らかとなる、それは粒子に分解される者とそうでは無くただ単純に殺害される二パターンが確認され始めた。

 研究者たちは研究を重ね被害者たちについて徹底的に調べつくしたところ、殺害されるパターンの人間は過去に大きな不幸に見舞われていることが明らかとなった。

 家族で事故にあい一人だけ生き残る、家族が目の間で惨殺されるといった尋常ならざる不幸に出会ってしまった人間は分解されずに殺されていた。


「この事からさぁ、天使研究及び特殊エネルギー工学の第一人者のおっさんが言ったんだよ」


『真の絶望を味わった人間を天使は救えないのではないだろうか?』


 そして彼は調べ、研究した。寝る間も食事もろくにとらず没頭した。そしてたどり着いたのだ、Dエネルギーに。

 人が真の絶望を味わった時のみ生み出されるそのエネルギーは、天使を倒す決定打になるのではないかと彼は考えた。

 天使はDエネルギー保持者に触れることが出来ず、分解できない、だから物理的に殺害していると彼は結論付けそこからはDエネルギーを武器に応用させるためのデバイスとそれに対応した武器を作るための基本理念を築き上げた。

 そうしていくつか造られた武器の中の一つがこの鎌だった。


「使用者の抱える絶望=Dエネルギーの総量、抱える絶望が深く重いほどに武器は輝きとその威力を増すって寸法さ、簡単だろ?」


「ふざけないで!! 私の中に絶望なんてない! だって私は不幸なんかじゃないんだから!」


 亜子の突然の大声に少し驚きながらも、少年はため息をつきながらポケットから取り出した豆粒ほどのチップを亜子の右目にねじ込んだ。突然暗くなった視界のせいで何がなんだか最初は分からなかったが、すぐに理解することになる。

 少年の人差し指と親指は盛大に亜子の眼球をいじくりまわす。

 想像してほしい、眼球を直接いじくりまわされる感覚を。脳は考える事をやめ心は秒単位で崩壊していくほどの痛みを。


「う……あああああああ!!」


「ごめんね、ホントは麻酔とか使うんだけどさ。これは変換したエネルギーを受け取って身体強化に回すためのチップなんだ。時間ないから粘膜から失礼したよ、ちなみに右目の事は心配しなくていいからね……ちゃんと見えるようになるから」


 少年は喋りながらも手を休めることは無かった、亜子の気が遠くなり始めたころになってようやく指は糸を引きながら引き抜かれる。瞼によって固く閉ざされた右目を抑えて呻く亜子の髪を少年は掴んで引き上げた。


「いい加減に理解しろよ、いつまで甘えてんの? もう分ってんだろ、自分の置かれてる状況をさ。

 受け入れろよお前の中の絶望を、とっくに人生に何て絶望してんだろ」


「違う……私は……違う」


「何でそんなに認めたくないかなぁ? 不幸なことも絶望することも何一つおかしなことじゃない。他の奴等みたいに幸せなフリなんかしてるからきつくなるんだよ」


「まあ亜子ちゃんが? クラスメイトにボコられて、実の父親にあんな事やこんな事されて喜ぶドМの変態さんだってなら話は別なんだけどなぁ!」


「やめてぇぇぇぇぇ!」


 少年の手を振り払い、亜子は地面に貝のようにうずくまった。もう何も聞きたくない、やめて欲しい、そんな感情が亜子の中で嵐のように吹き荒れる。心にはとっくにひびが入っている、もう壊れているのかもしれない。


「認めなよ、君はとっくに理解してるんだろう?」


「いつまで目に見えない希望にしがみつく? 人が生きていくのに希望はいらない。

底なしの絶望に身を沈めながらでも人は息ができるんだから」


 無言、亜子はただただ何も言わずにうずくまっている。そんな時、防壁を発生させていたケースからけたたましいアラートが聞こえだした、守屋が駆け寄り状況を確認する。


「もうバッテリーが持ちません! あと三十秒です!」


「それが答えだね? 何もしないで自分を偽って死んでいくのが」



 --私は、どうすれば良かったんだろう?


「なんで私が……こんな……」


「理由はないよ、君が知らずに虫を踏み潰したとしてもそこに理由はないだろう? 同じさ、強いて理由を上げるなら君が『小野坂亜子』だったってだけのことだよ」


ーー私は、きっともう分かってた。


ーーでも認めてしまったら心が壊れてしまうから、

分からないふりをした。


ーーそうだ私は。


アラートが鳴り響き、防壁は消えた。窓やドアを破って天使たちが流れ込んでくる、三人は取り囲まれ、退路は無い。

ジリジリと距離を詰めてくる天使たち、守谷はすでに諦め床にへたり込んでいる。


少年は、静かにDCDをうずくまっている亜子に差し出す。もう分かっていた、これから起こる事も何もかも。


「最後にもう一度だけ聞くよ? 君の中に絶望は無いのかい?」


亜子は無言で、ひったくるようにDCDを手に取りスイッチを入れた。起動音と共に認証が始まる。


「それでいい、どうせ死ぬならぶちかませ。

いい子ちゃんでいたって意味はないんだから」


「弱い奴はいい子ちゃんじゃいられないんだから」


彼女はまだ崖の上にいた。風に体を傷つけながら、落ちまいと抵抗しながら、だが気付いてしまったのだ。

こんな事に意味はない、抵抗しても体は傷つくだけだ。


ーーとっくに自分自身に絶望していたじゃないか。


『ユーザー認証、小野坂亜子を登録。

ラボラス起動します」


こうして彼女は身を投げた。

暗く、広く、静かで深い絶望の海に。

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