第23話 忘れる?
可奈は華が気落ちしていることを感じ取って、いつも励ましてくれていた。それでも華はそれに応えることができずにいた。
「華ちゃん。前に倒れたことあるでしょ?」
「うん。」
そういえばその時に南田さんと…。ううん。そんなこと、もうどうでもいい。
「その時に南田さんが医務室に運んでくれたんだよ。」
「え…嘘…。」
確かに目を覚ました時は南田さんが側にいたけど…。
「倒れた華ちゃんを責める人なんて誰もいないのに、南田さんが華ちゃんを庇ってさ。医務室に運んだ後に、奥村さんが倒れたのは僕のせいです。って。」
な…んで…。確かにそうだけど、特にその時は急にキスされた最初の頃で、振り回されて寝不足で…でもそんなこと公言しちゃダメなはず…。
混乱する華に可奈は続けた。
「華ちゃんは認証の機械を設計してたでしょ?」
「うん。」
今となっては懐かしい話だった。
「南田さんは、そのことでどうしても知りたいことがあって深く聞き過ぎて討論になった。その時に泣かせてしまったから彼女に負担をかけて…。みたいなことを部長に一生懸命訴えてたんだよ。」
そんなことを…。わざわざ…。だってそれは作り話だよね?
「その上、私が聞いてたことに気づいて、吉井さんの友人には秘密裏に。って言われたの。南田さんに。もうその時から余計に南田さんのファン!」
可奈がキャッキャッしている声が遠ざかっていく。
どうしてそんなことを…。それが南田さんの優しさだと言うの?
華はますます分からなくなって、心に蓋をした。だって考えても答えは出なかった。可奈が一生懸命に何かを伝えてくれても、華は南田に希望なんて持てなかった。
変わらずペアで一緒に仕事をしていても、あれ以来、仕事の話しかしていない。距離を置かれているのを嫌でも感じた。
年の瀬も迫ってきた今日は忘年会だった。部署に女の子が増えて男性社員は張り切っていた。
帰り支度をしながら横目で南田を観察する。パソコンを操作しているマウスの手に触れたい衝動にかられるのは、何も今日だけじゃない。
せめてマウスを操作していない腕の服の端だけでも、そっとつまめたら…。
はぁ。すっかり、変態まっしぐらね…。
苦笑いして「お先に失礼します」と南田に声をかけた。こちらを見もしない「あぁ」に毎度のことながら胸がチクッとした。
「一緒の宴会場に行くんだから一緒に行こう」なんて前なら行ってくれたかな?ううん。南田さんだもん。難解な言葉を発するはず。そして今は…。こんな気持ち、気づかなければ良かった。
忘年会に向かう途中。華の元ペアの内川と南田の元ペアの加藤が仲良く歩いているところを目撃して、胸を痛くさせた。
内川さんがどうとかではなく、南田に言われた言葉を思い出してしまったのだ。「君が内川さんと付き合っていたかもしれないのにな…」という言葉を。
南田さんは結局のところ、やっぱり私をからかってただけなのかな。それにまんまと翻弄されただけで…。
嫌がらせがあったとしても、それはもう収まっている。なのに簡単に契約を解消できるほどのことだったのだ。それとも契約解消のいい機会だとでも思ったのかな。
華はまた答えが出ないまま、忘年会が開かれるお店へと入っていった。お店のすぐ近くにある認証の機械を目の端に捉えて、ため息をつきながら。
飲み会はみんなと仲良くなれるいい機会だと思いつつも華は苦手だった。お酒が飲めない華は断るのも気を遣うし、何より酔っ払いのノリについていけなかった。
ふと視線を移すと南田は部長と何やら話し込んでいる。
女の子じゃないってところが南田さんらしい。そこまで思って首を振る。もう関係ないじゃない。
嫌気がさした華は宴会場を抜け出した。
お店の外まで出ると外は寒くて身が引き締まる思いがした。
「上着を持ってこれば良かったなぁ。」
そうつぶやいていて、そっと頬を触る。いつも眼鏡が当たっていた場所。そしてポケットに手を入れた。
封筒越しの固い金属が手に当たる。いつも持ち歩いている南田のマンションの鍵。返しそびれていた。でも次に返したら南田は受け取ってしまうだろう。もう何もかもが無かったことになるようで華は返せずにいた。
返せ。なんて言って来ないのが南田さんらしいのか…なんなのか…。
はぁ。ため息をつくと息が白い。寒いのに寒いおかげで頭の芯はハッキリとした。華は南田とのことを思い出していた。
キス税を嫌だと悩んでいた自分を見て、契約を持ちかけてきた南田。最初なんて無理矢理で…。
重ねたくちびるを思い出すと胸がキュッと痛かった。しちゃったから好きになっちゃったのかな…キス…。南田さんもそうだったら良かったのに…。キスして認証すると好きになるって、そういう…さ。無理だよね…。
もういい加減、踏ん切りをつける頃なのかもしれない。南田さんに嫌がらせをしていた人に一転して応援されちゃったけど、私じゃ無かったみたい…。南田さんの相手。
一人、悶々とそもそもが解決しない思いを処理できないでいると、誰かが背後からやってくる気配がした。
「寒いだろ?」の声とともにコートをかけられた。そのコートは暖かく、体が冷えてしまっていたことに気づくことになった。