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第一章

 もしあの時、夢があったら、成績が良かったら、私は今ここにはいないだろう。こんな絶体絶命な状況に立たされた今でもあの時の決断に後悔はしていない。




(1年前)


 それは私がまだ何も知らなかった中学3年の12月のこと……。その時期といえば、私は受験に追われピリピリしていた。夢もなくて、進路もろくに決めていない状態。頭も全くよくなかったうえに、帰宅部だった私は自分に対して何の希望も持っていなかった。教師も親も私の進路だというのに口うるさく「ああしろ、こうしろ」とせかす毎日。ストレスだらけの日々がダラダラと続いていた。


 そしてある日、私にとって最悪の教育相談が行われた。

「お前は一体今まで何をやっていたんだ! 何を学んできた?」

 担任は、私を怒鳴りつけた。過去数回の教育相談の中でも最高と思われるぐらい恐ろしい勢いで。

「受験生なんだぞ! もうすぐ入試だ」

 分かってるよ、そんな事。今年何回聞いたのだろうその言葉。担任は机を何度か叩いた。正確には成績表が書かれた紙を叩いていた。静まった教室では嫌でもその音が響く。『受験生だ、入試だ、勉強だ、高校だ、将来だ、進学だ』この言葉は耳が痛くなるほど聞いた。それは、学校だろうが家だろうが全く関係なく、容赦なく私にたたきつけられた言葉たち。今、私の目の前にいる担任は特にこれらの言葉を発し、私をせかすのだ。そして、必ず怒鳴ったあとにため息をついた。ほらまた……。

「……はあ。なぜ危機感をもたないんだろうな、お前は」

 そして次はあきれ顔で話を続ける。

「S高校だったな? お前が第一希望に書いていたのは」

 私は頷いて見せたが、実際のところは違う。「希望」なんてもっていない。ただ近いし普通学科があるから、とりあえずS高校と書いておいたのだ。そうしなければ担任も両親も「まだ決まっていないのか?」と怒鳴ることだろう。どのみち夢がない私は行きたい高校など最初からあるはずはない。しかし、私はこの状況を切り抜けるために頷くしかなかったのである。

「このままの成績では、正直全く足りないんだよ、最悪なことに」

 担任はもう一度ため息をつき、静かに成績表を私のほうへずらした。S高校の合格ライン点には及ばない低い数字が並んでいたが、私はめをそらした。

「今現実から逃げたって、未来のお前に返ってくるんだ。もっと考えなさい、自分のことだろう」

 分かったような口ぶり。ああ、こんな担任、大嫌いだ。いつも一方的に話を進めていくんだもん。担任は40代半ばで色黒、いかにも頑固な雰囲気ただよう嫌われ教師だった。そんな担任が次に長々と落ちぶれた私の未来を根拠もないのに語りだした。耳が痛い。聞いてもいないのに、10分ほど続いた。2人っきりの教室は重苦しく、早く逃げたくて仕方ない。

「とにかく、今の勉強量+4時間。休みの日は一日勉強! これを続けろ。もちろん冬休みは、外に出るな」

 ようやく未来の落ちぶれた私の話が終わってもこれだ。「とにかく勉強しろ」で終わらせる。でも今日は言ってやるんだ。一方的に終わらせられたのは前回ので終わりにする。

「あの、私考えてないわけじゃないんです」

 私の資料を整理し、立ち上がろうとしていた担任は、動きを止め私をまっすぐ見た。私が今までとは違い、発言したことに驚いたらしく口を半開きにしている。思わずその間抜けな顔に吹き出しそうだった。

「先生は現実から逃げるなとおっしゃいました。成績が悪いことも怒鳴りました。でもそれは分っていることなんです。わざわざ言われなくたって。だって成績悪いですもんね、あたしは。でも考えてないとおっしゃったのは間違いです。毎日考えてます。毎日悩んで、緊張してます。危機感持ってます。だから勉強もしてるんです。でも馬鹿だからなかなか成績に出ないだけ。それでも、考えてないとか何もしてないかのように、私を怒鳴りつけるんですか? 結果にならないから許されないんですか?」

 今まで心の中で何度もグチグチとためこんだ言葉だった。なんだか胸の中がどこかすっきりする。これで言い返す言葉が果たしてあるだろうかと勝ち誇る。しかし……。

「ああ、大切なのは結果だからな。そう、その通りだ。正直最終的には結果なんだ」

 大嫌いな担任は私の勝ち誇った顔を踏みつぶすかのように低い声で答えた。

「いいか、お前は間違ってるぞ川下。考えていると、努力していると思っているだけだ。結果に出ないのはお前の思い込みのせいだろう。やった気でいるからいつまでも進歩しない。先生にむかってそんなことを言いたいなら、結果に出してみろ。受験は結果が勝負だぞ」

 担任は見下したように私を見て立ち上がった。私は悔しかったが返す言葉が出なかった。大人って卑怯だ。怒りが湧き上がるだけで何もできない。

「さあ、早く家に帰ってご両親ともう一度話し合うんだ。早く自覚を持って勉強しなさい」

 そう言って最後に私の肩を軽く叩くと、教室を出て行った。私が今日の教育相談で最後の番だったから、先に先生に逃げられてしまった。あの担任だけは本当に嫌いだと心から思った瞬間だった。


 重い足取りで階段を下りた。家に帰ることも私にとっては苦痛だった。ため息をついて靴箱までやってきたとき

「遅かったな」

 馴染みのある声が私の動きを止めた。

翔平しょうへい?」

 坊主頭の少年が腕組みして壁に寄り掛かっていた。待っていたらしい。

「教育相談ってきいて、俺もちょうど今日だったから待っててやったぞ。お前より全然早く終わったけどな」

 翔平は私の幼馴染で、家も近い。男子の中でもしっかりしていて周りからの信頼もあつい奴。野球部のキャプテンや生徒会長といった役も務めてきた。まさに完璧で上に立てる者なしといった感じ。顔もキリッとしていて、ケチのつけようがない人気者だった。

「だって翔平は頭いいでしょ? あたしは馬鹿だから教育相談も長々とかかるわけ」

 そう、腹立つことに翔平は頭もいい。成績は校内トップなのだ。私は靴を履き替えると重い鞄を持ち、駐輪場へと歩き始める。そのあとを翔平はついてきた。

「だろうな。お前を世話する教師はかわいそうだな」

 翔平は相変わらず鞄片手に冷めた口調。だから私はこいつがむかつくんだ。

「そんなこと言うぐらいならわざわざ待っててくれなくても良かったのに」

 私がため息交じりに言うと翔平は少し表情を和らげた。

「だってもう真っ暗だろ? 一人は危ないぞ」

 私は思わず驚いて足をとめた。

「なに? 心配してくれるようになったわけ?」

 普段は私を馬鹿にしてばかりの翔平がそんな優しいことするわけがない。

「ああ、当たり前だ。お前がチャリで人ひかないか見守っててやるよ。暗い中じゃ普段からヨレヨレ運転のお前だ、だれかをひきかねない」

 そう言って翔平はフッとクールな笑みを見せた。またからかわれた。

「ありがとう。でも結構です、1人で帰れますので」

 腹が立った私は勢いよく鞄を籠に乗せ、ハンドルを握ると乱暴に自転車を押して門のほうへ歩いた。それを見た翔平は慌てて自分の自転車を押しながら追いかけてきた。

「なあ、お前S高校行くのか?」

 私はそんな質問には答えたくなかったが、聞かれた以上は無視できなかった。

「その予定だけど」

 冷たく返したとたん翔平はすべてお見通しといった様子。

「大丈夫か? お前最近、いかにもストレスたまってるって感じだぞ」

 ちらっと翔平を見ると珍しく心配そうな眼を向けていた。

「うそ? 顔に出てた? 確かに成績上がらなくて悩んでるけど……」

 私はあからさまだった自分に対し恥ずかしさをおぼえ下をむくと、黙って自転車にまたがる。翔平もサッと自転車にまたがったので、私たちは黙ってペダルをこぎ始めた。数分の沈黙の後、私は話の続きに戻る。

「教育相談でも点数が満たないって言われちゃったよ」

 冷たい風に当りながら、私はため息交じりにそう言った。今日で何回目のため息なのかもう分からない。 

「あの堅苦しい教師だ、容赦なく怒鳴ってきたんだろうけど」

 まさに図星だった。

「ほんとだよ、あー頭いたい」

 私は大声で叫んだ。薄暗い田舎道は静かで、誰もいないからありがたい。自由に声を張り上げられた。

「ま、深く考えたって仕方ないしな、元気出せよ」

 そっけなくそう言ってくれる翔平。これがモテル要素か。ここは素直にお礼を言うべきだが

「うるさいなあ、分ったように言っちゃって」

 と思わず冷たく返すのが可愛くない私。しかし翔平は気にせずに続けた。

「あのおっさんには、もっと頑張れって言われただろうけど、お前は今のまま頑張ればいいんだよ。佳奈も俺もお前が頑張ってんのは知ってる。ただお前は勉強の仕方がへたくそなだけだ。少し勉強の仕方変えて今まで通りコツコツ頑張ればいいんだよ」

 優しい言葉だった。私は少しホッとする。佳奈は私の親友で、佳奈も翔平もよく分からない問題を教えてくれる。2人だけは私を認めてくれていて素直に応援してくれてると思う。私も日々感謝していた。2人には迷惑ばかりかけている。私は少し恥ずかしくなって小さくうなずいた。

「ま、バカはバカなりにだ」

 余計なことさえ言わなければ、いい男なのに。だけど、その日の帰り道は翔平の一言で意外と気楽に帰ることができた。




 教育相談の後それでも言われた通り勉強した。あの日の悔しさもあって、意地でもやり続けたのだ。でも私はいくら勉強しても自分に進歩がないことに気づいていた。それと同時に自分に対して失望していた。なぜ周りの子たちのように結果が出せないのか分からない。世の中不平等だ。私にはなんの力もない。担任に言い返すこともできない。こんなに悔しいことってあるのかな。どんなに悩んでいてもその日はゆっくりと近づいていた。


 

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