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夏の雲と稲荷大社

作者: 忠3

 ーー夏休み。学生の身分に与えられる、長期休暇期間の事だ。

 小、中、高どの学生も、学生の本分を忘れ遊び呆ける。子供も大人もこぞって山だ海だと出かけて行く。

 

 夏は一種の異界だ。一夏の光景は、記憶の中で異彩を放っている。どこかボンヤリとした光景が思う浮ぶこともあれば、ありありと細部まで覚えている光景もある。

 郷愁の寂しさが胸を満たすこともあれば、少年時代の熱に胸が熱くなることもある。

 夏は思い出一つで人の心を揺さぶる。まるで傾国の美女のように。

 

 それに夏といえば、ノスタルジーの代名詞、そんな扱いを受けることも多い。青と緑。空に昇り立つ白。鋭い光とハッキリとした影。みんな夏に見る光景で、そして何処か物哀しく感じる。

 入道雲の壮大さ。カラッと晴れた日の青草のにおい。今それを見て感じても、湧き上がるのは望郷の念だけだ。

 私は夏を楽しめてないのだろうか? 即物的な享楽ではない、もっと心奥深くに感じるもの。私はそれを渇望してやまない。

 

 何故楽しめないのか、それを考えても一向に答えは出ない。

 

 しかし、そもそもが大きな間違いだったのだ。


 ある日、図書館へ行った日のことだ。猛暑だった。休日に図書館へ行くのは習慣になっており、その日も同じ様に出かけたのだ。違う所があるとすれば、姉の子供と一緒だったことだろう。

 

 姪は私が言うのも何だが可愛い女の子だ。まだ小学低学年ではあるが、将来は必ず美人になる。そう思わせる顔立ちをしてる。

 姪は私によくなついており、出かけることが度々あった。


 私は何時も自分の趣味に適った本ーー世界史、古代文明、民謡等ーーの所へ向かっている。

 しかしこの時は可愛い姪の頼みもあり、一緒に児童書の所へ向かった。その時とても懐かしい絵本を見つけたのだ。

 

 

 私が子供の頃に読んだ絵本だ。あらすじは『男の子が遊び相手を探しに社へ行くが、誰も居なかったためメチャクチャな歌を歌う。すると木のうろから声が聞こえ、男の子は吸い込まれる。吸い込まれた先には三人の妖怪が居て、一緒に楽しむ遊ぶが……』と言うところだ。

 妖怪ということもあり、少しホラーテイストだ。私も幼少の頃は怖がっていた。

 

 私がこの本を覚えていたのは、絵本の最後が印象に残っていたからだ。男の子は最後には家に帰ってしまうのだが、その後に何事もなかったかのように終わる。妖怪たちとは何もなかったかのように。

 たしか起きたら社の中に倒れていたので、夢だと勘違いしたのだと思う。

 

 そこが印象に残っていた。夢か幻だったような出来事だ。自分の感覚では確かに現実のはず。だけど痕跡も名残もない。確かにあった非日常の前に、日常が塞がっているのだ。

 

「お兄ちゃん?」

「ん!? なんだい久美ちゃん」

「ボーッとしてたでしょ!」


 そしてそれに夢中になってたせいで、姪に怒られる羽目になったのだ。久美子というこの娘は、おませさんというかとても賢い娘で、早くも大人の扱いを心得ていた。

 私が甘いのを知っていたのだろう。毎回奢らされるのだ。まあ微々たる金だが。

 

 この時、姪はカフェにはまっていたそうで。図書館に併設された、お洒落な喫茶店の一時を要求したのだ。

 

「お兄ちゃん何見てたの?」

「ああ、これだよ」


 そう言って、あの本を姪に見せる。読み返したくなった私は、少し恥ずかしかったが借りてきていた。

 案の定姪は中身を少しめくったあと、ぞんざいに返してきた。

 

「変な絵。なんか古っぽいし」


 この年頃の子は流行に敏感なのか、あまり古いのは好みではないらしかった。思わず苦笑していると、怒られたのを覚えている。

 

「これは私にとって懐かしい本でね。また読んでみたくなり、つい借りてしまったんだ」


「子供の頃読んでたの?」


「ああ、夏にね。懐かしいなぁ。夏は本当に楽しかった」


「ねえねえ! なんか面白い話無いの? 夏の思い出的なさ!」


 その時だ。私はなにかいい話はないかと記憶を探っていたのだが。絵本が鍵となったのか、非常に既視感のある一つの光景を思い出した。

 なんでこの事を忘れていたのか疑問に思うほど、それは非日常な出来事だった。

 

 なんであの本の最後が気になっていたのか。それは似たような出来事を、自分も経験していたからだった。

 

「そうだなぁ……これは私が子供の時の話なんだけどね」


 自分の中で整理をつけるためにも、姪にそのことを話し始める。


「うんうん」


 姪は熱心に耳を傾けてくれる。その素直さや正直さが、この娘の美点だ。

 

「今もあるかは分からないが、稲荷大社で女の子にあったんだ」


「え!? なに恋話!? お兄さんにもあったんだ!」


 最近の娘はませてるな、そう思うと苦笑が漏れる。だけど残念なことにあまり面白くないだろう。ただ不思議な出来事が、夏の日に起きた。ただそれだけだ。

 


 あの時、私はまだ中学生だった。しかも中学一年生だ。周りの友人は、部活をするか新しい友達と遊んでいた。中学生という一つの区切りに、遠出を許された子も多かったのだろう。

 私に友達は居なかったのかって? あの時、私はまだ馴染めていなかったんだよ。不満はなかったが、急な変化に適応できなかったんだ。

 まあ一人が嫌な子供でもなかった。だから特に気にせず、夏を楽しんでいたんだ。

 

 二日目ぐらいの事だったかな。サイクリングが予想以上に楽しいことを知った私は、どちらかというと田舎の方角へ走っていったんだ。

 そこは見渡す限り田んぼだった。空は大きな入道雲があって、田んぼや林には生物の大合唱だ。日差しが強くてな。麦わら帽子がなければ、熱中症で田んぼに落ちてたかも知れない。

 

 一本の橋を渡っていた時だ。橋の下にある水面を見てたんだ。日光が反射して凄く綺麗でね。自転車をこぐ傍ら見るのにちょうどよかった。

 

 つい水路を奥に奥にと目線が先にいってしまう。すると道の先に、涼し気な林と社があるのに気付いたんだ。

 あまり広い敷地ではなかった。だけど結構大きい木が生えていて、日光を遮っていた。休憩には丁度いいのもあったけど、私は結構神社が好きでね。だからそこに直ぐ向かった。

 

 立派な神社だった。古い時代を感じさせる。凄く趣のある神社だったんだ。

 大木と神社の様子から思うと、多分あれは昔からそこにあったんだろうね。あの田んぼを開梱する前、ずーっと昔から祀られていたんじゃないかな。

 

 私は自転車を止めて、境内に入っていった。石畳も鳥居も全てが古めかしくて。しかも私以外誰も居ないんだ。その独特の雰囲気は、子供の私を興奮させるのに十分だった。

 しばらくはしゃいでいたが、直ぐ飽きが来た。本当に休憩しようと、私は縁の所に腰を掛け、足をブラブラとふる。


 そして気付いていたら、横になって寝ていた。

 

 起きた時には、真上にあった太陽が少し下がっていた。急いで体を起こす。欠伸が思わず出て、少し潤んだ目をこすっていると、隣に誰か居ることに気付く。

 びっくりして振り返ると、そこには一人の女の子が居た。

 

 真っ白で不思議な女の子だった。見た目は年下なのに、不思議と敬語をつかってしまう。大人気な雰囲気をまとう子だった。

 特に起きた私に優しげに微笑んで、おきた、なんて問いかけてきた時には胸が高まってしまった。

 お姉ちゃんっ子だった私には、母性のようなものを見せてくれるその子に一目惚れしてしまったのかもしれない。

 

 その子とはその後どうなったかって? それはおいおい話すから待っててね。

 

 それで返事をしたんだけど、その時は凄くどもってしまってね。顔も赤くなってたんだと思う。その娘はクスクスと上品に笑うんだ。それがまたきれいで見とれてしまった。

 

 好きな相手のことを知りたい。そう思うのもまた自然で、私はその娘に名前を聞いた。

 しばやく考え込んでから、その娘はこういった。

 

「イナホお姉さんかのう」


「自分の名前なのに?」思わず私は言い返していた。単純に疑問だったのだと思う。


「些細なことは気にするもんではない」


 そう言って女の子ーーイナホ姉さんは、他所を向いていじける。

私は他にも知りたかったので、次々とイナホ姉さんに質問をした。

 何処に住んでるのか。好きなもの嫌いなもの。けれどはぐらかさるのも多かった。

 

 色々な質問をした後、思ったことを口に出してしまったのだ。

「イナホ姉さんって狐みたいだね」と。


 するとイナホ姉さんは慌て始めた。すごい焦りようだった。あの様子からすると。もしかしたら、お稲荷さんだったのかもしれないな。

 

 話を変えようと思ったのか。イナホ姉さんは「かげおくりをしようかの!?」って叫び始めた。

 久美ちゃんは知ってるかい? かげおくりって遊びはジッと自分の影を見てね。そして空を見ると、自分の影が空に白く浮かび上がるっていう遊びなんだけど。

 そっか、しらないか。

 

 だけど境内は日陰だった。だから陽のあたる場所に出ようと言ったんだ。だけど陽のあたる場所は神社の外なんだよ。イナホ姉さんは頑なに出ようとしなかった。

 こうして話すと、イナホ姉さんは本当にお稲荷さんだったんじゃないか。そう思えてくる。

 

 自分で言ったくせに、やろうとしないもんだから。私は少し不機嫌になったんだ。一息ついたのか、少し辺りを見回す気になってね。

 日がさっきより少し傾いてるのに気がついた。

 

 自転車で行けるとこまで行く。そんな計画性もない予定だったんだ。勿論家からここまでにどれくらいかかるかもわからない。

 この時の私にとって。いや子供ならみんなそうかも知れないけど、門限は絶対だ。少しでも破ったら怒られる。その時私は怖くなったんだ。

 

 恋の熱が冷めた。というわけではないが、私は少し冷静になった。そしてイナホ姉さんに帰ると言ったんだ。

 そしたらイナホ姉さんは顔を青くして引き止めてくる。

「さっきのが気に食わなかったかの?」「もっと入ればいいのじゃ!」ってまくし立ててくるんだ。私はそれに気圧されたが、そう言って前に痛い目にあったから、そこに留まる気はなかった。


 もう少しだけ、イナホ姉さんが必死に言うものだから、ほんの少しだけと私は座り直した。

 何を話すのかなとイナホ姉さんを見ていると。

 

「あたくしの事好きじゃろ?」


 いきなりそう言い出したのだ。単純な好意だけでも恥ずかしいのに、抱いてる恋心までバラされたのだ。

 思わずちがうと叫びそうになるが、イナホ姉さんが私の口に手を当て静かに、という。

 私は笑顔じゃないイナホ姉さんの顔を見て、なおも叫ぼうとするのをやめる。

 

「もうのぅ、坊っちはあたくしとは会えんのじゃ」


 なんで? 私はすぐさま問いかけた。ここに来ればまた会えると、当然のように思ってたからだ。

 

「なんでと言われても、そもそも今会えたのが珍しいことでのう……こんな事は二度と無いかもしれん」


 もしかしたら旅行か何かで来たのかも知れない。私はそう思った。今とは違って、イナホ姉さんが人間じゃないなんて、思うことすらしなかった。

 

「だからのぅ、まじないじゃ」


 そう言って話してくれたのは、簡単な指切りげんまんの様なものだった。

 

 向かい合いながら人差し指と中指を絡め、一緒に手を振りながらこういうのだ。

 

 “ヒモコトツナゲ、タヨリツナゲ、オンモトアエルマタアエル、フタビミタビヨタビド”

 

 一緒に歌い、最後の“ド”で手を離す。

 私はこういうのを信じない子供でね。だからこの時も、胡散臭げにイナホ姉さんを見ていた。だけどイナホ姉さんは上機嫌に笑っていて、自然と私も嬉しくなった。

 

 イナホ姉さんも上機嫌で、私も門限を破るとは思えない時間に帰れる。万事がうまくいっていた。気持ちよく帰れると思っていたら、イナホ姉さんが不安げな顔でこういったんだ。

 

「あたくしの事忘れないでくれのぅ?」


 忘れないよ。私は自信を持って答えた。実際記憶力はいいほうで、明日も来る気だったのだから。

 だけどイナホ姉さんは、私を悲しげに見るだけだった。

 イナホ姉さんがこんなに悲しんでいる理由がわからず、私は釈然としないまま境内を出ようとする。

 

 するとイナホ姉さんが最後にと木苺をくれたのだ。

 私がどうしたの? と問うと。

 

 イナホ姉さんは「社の裏側に生えてるのじゃ」と胸を張りながら言う。

 食いしん坊だった私は嬉しくて、ありがとうって大きく叫んだ。かなり大きな声だったと思う。イナホ姉さんは耳を抑えながら笑っていた。

 

 私はそれを見届け、上機嫌なまま境内を出た。


 だけど目を開けたらいつの間にか横になっていた。

 仰向けに寝転がっていて、視界の隅には神社の梁や立派な彫刻が見えていた。

 

 わけがわからなかった。今までのが全部夢だったのか? 急いで起き上がって周りを見回すが、イナホ姉さんはおろか人影すら無い。

 すると手の中に何かが潰れた感触がある。恐る恐る見てみると、それはイナホ姉さんに貰った木苺だった。

 

 安堵すると同時に、更に混乱する。

 夢ではないが、かといって不可思議すぎるからだ。

 

 そういえば帰らなければ。これで門限を破ったらイナホ姉さんに申し訳ない。

 そう思い鳥居の方向へ向かうと、柱の陰が少し伸びていた。

 

 急いで帰った私は、なんとか門限は破らずにすんだ。しかし家につく頃には、イナホ姉さんのことはすっかり忘れてしまっていた。

 母に木苺について尋ねられた時、しらないと答えたのを覚えている。

 

 イナホ姉さんが哀しげな顔をしていたのは、このことを知っていたからなんだと思う。

 結局、その夏。そしてその次の年も、その神社に行くことはなかった。

 

◆ 

 

 話し終わった私は、口を湿らすためグラスを傾ける。

 意外なことに姪はこの話について真剣に考えているようだった。

 

「その神社があるとこって、おばあちゃんちのとこ?」

「ああそうだよ」

「じゃあ今度行けばいいんだよ! 会いに行けばいいじゃん」


 そうは言うが、正直自分でも信じきれていない。

 木苺だって、自分で記憶を捏造してると考えたほうがまだ判る。

 

「お稲荷さんだよ!? ほんの数十年まだ間に合うって!」


 どうせ結婚相手いないんだから 姪はなかなか厳しいことを言う。しかし今まで付き合うことなく生きてきたのは、何処か違う違和感のようなものを感じていたからだった。

 

「もしかしたら、知らず知らず引きずっていたのかも知れないな……」


 そのつぶやきを聞き、姪は更に私を行かせようとする。


 結局しつこく言う姪に負け、私は実家に帰ることにした。

 ここ数年帰っておらず、母からは「どうせくみちゃんにいわれたんだろう?」と言われたぐらいだ。

 

 一夜を実家で過ごし、翌朝私は家を出る。

 夏の朝は涼しい。暑くなる前にと、私は自転車を更に早くこぐ。

 

 子供の頃は長く感じるが、大人になればあっという間で。なんとか熱くなる前に、私は神社についていた。

 

 子供の頃と、何も変わっていなかった。神社は勿論周りの風景でさえ。

 郷愁の念が湧き起こってくる。しかし今はそれさえも何処か心地よかった。

 

 苔むした石畳を歩く。境内は靴が石を叩く音がひびく程に静かだ。ゆっくりと歩きながら見回す。

 本殿まで行き、私は裏に回った。

 

 裏には木苺の木があった。今の私には小さいが、あの頃のこどもには少し大きいかも知れない。

 それを見た私は、一旦表に戻り縁に腰掛ける。

 

 あの頃は足が届かなかったが、今は足裏までもがピッタリとつく。行き場を求めて足を振ることはもう無い。

 境内の風景を見ながら、大きく息を吸う。そしてゆっくりと目を閉じた。

 

 都会では味わえない空気を吸っていると、手の甲に誰かの手が重なる。

 ゆっくりと目を開け、振り向くと。

 変わらない姿で、イナホ姉さんが微笑んでいた。

 

「ひさしぶりよの!」


 そういって笑うイナホ姉さんの目は、少し潤んで光っていた。


 

 今現在も、私は普通に過ごしている。

 あの後仕事を止めて、今は親戚の農家を継いでいる。米が有名な県だからか、親戚が作っていたものもブランド米だった。

 

 前に住んでいた家は引き払い、田んぼ近くの古民家を買ってそこに住んでいた。

 結局結婚はすることなく過ごしている。

 実家に米を送ると、お礼の手紙と共に母親の小言が送られてくるのが最近の悩みだ。

 

 では一人寂しく過ごしているかというと、実はそうではない。

 この期に狐を飼うことにしたのだ。|人が居る時だけ狐になる・・・・・・・・・・・・を。

 そのおかげで近所からの評判は良くないが。

 

 もう一つ変わったことがある。

 姉夫婦がこちらに引っ越してきたのだ。今は実家近くの一軒家に住んでいる。

 

 ここからは遠いが、バスを使えば気軽に来れる距離だ。

 だからかーー。

 

「おっじゃましまーす! 義姉さんいる―?」


 ーー姪が入り浸るようになってしまった。しかもうちの狐と仲がいいのである。

 イナホさんも、この時だけは人の姿を取る。

 

「また来たのか久美!」

「またきたよー!」


 口ではざおなりな反応だが、イナホさん自身嬉しいのだろう。

 一緒に住むようになってから出すようになった尻尾と耳が動いているからだ。

 

「いなほさーー」

「何じゃ―?」


 いやなんでもない。そう言って再度呼び直す。

 

「イナホ! 今日の飯は何だ?」


 姪の冷やかすような悲鳴が聞こえる。

 イナホの顔は真っ赤になっていたが、直ぐに満面の笑みになってはい! と大きく返事をする。

 

「今日はきのこの味噌汁と天ぷらにしようかとのぅ!」

「秋だなぁ……」

「天ぷら!? 私も食べたい!」


 なら電話しなさい、と言う前に素早い姪は電話の所へ走っていった。

 それを私とイナホは苦笑しながら見送る。

 

 望郷や郷愁という思いは、本当に哀しい感情なのだろうか? 懐かしいという感情はもっと暖かなものなのかも知れない。

 私は海に行くなど、一般的な遊びに楽しさを感じなくなっていた。心で味わうような楽しみを、求めていたのだろう。

 私はそれを懐かしむことで満たしていた。

 

 あの頃は楽しかった。最初はそう思えた。私は楽しめていたのだろう。

 しかし途中から、それは変わってしまった。懐かしさに哀しさを感じるようになってしまったのだ。

 

 何故人は過去を懐かしむのか、過去に縋るのか。

 それは過去に自分の居場所を求めているのだろう。大人になるにつれ、純粋に楽しむことはできなくなる。それ故に過去を美化し、それを活力に生きるのだ。

 

 私はそれが出来なかったのだろう。

 過去を思い出せば出すほど、心の底で足りないものを求めていた。

 

「できたのじゃ!」


 嬉しそうなイナホの声と姪の笑い声が聞こえてくる。

 私は座布団から腰を上げ、食卓へ向かう。

 

 食卓では姪やイナホは既に腰を下ろしていた。準備は万端である。

 湯気が立って美味しそうだ。

 

 いただきます、と手を合わせる。すると姪がすごい勢いで箸を伸ばす。しかしイナホも負けてはいなかった。

 楽しげに食べてる姿を、私は味噌汁をすすりながら眺めた。

 これからもこの家では、食卓だけでなく家の中全てで笑顔が咲き続けるだろう。

 

 そして私がノスタルジーを抱くこともないのだろう。

 

 なぜならーー私はもう満たされているのだから。

 




 しかし、どうやらお腹は満たされないようだ。

 

 申し訳なさそうにするイナホも、また可愛い。

 そう思った。

 

 

 

神社のモデルは新潟県某所の神社。

絵本はあらすじで検索すれば出てくると思うので、気になったのなら一度読んでみるのをオススメします。

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