I-5
ひそひそ話のボリュームが大きくなっている。それは、声の方向に意識を集中すれば俺の耳でも内容を聞き取れるほどだ。
「だってレベル97でしょ? アイドルをプロデュースできないっておかしくね?」
「もしかして運営のサーバに接続できない?」
「いや普通につながるけど」
「じゃああいつ何やってんの」
「余裕のあらわれっしょ。なんかチ○ポ剣とか出してるし」
「親が親なら子も子だな。やっぱ育てたキャラはプレーヤーに似るんだよ」
「いい年こいたオジサンがこんな下ネタやって恥ずかしいとか思わんのかねえ」
「ほんとそれ。空気読めない中年はマジ出てってほしい」
「てかカード一枚のために家一軒とかフツーに狂ってるよなあ」
「だな。職業マジで知りたいわ」
「どうせ親のスネかじってるニートだろ」
「金持ちすぎワロタ」
「ルーベイって一日に何時間プレイしてんの実際」
「いつもログインしてるよねー。マジキモイ」
「これ以外に趣味がないとかかわいそう」
「てゆーかあんまり余裕とか無さそうに見えるが」
「なんかめっちゃ汗かいてるし。超うけるんですけど」
「このまま時間制限になったらマジ笑える」
「しかもこれが生放送っていうね」
「アホみたいに広告打って宣伝した結果がこれだよ!」
「こんなクズ廃人に信者がいることに驚き」
「信者じゃねーし、ウォッチしてるだけだし」
「あータイムオーバーしねーかなー。廃人とかマジ全員死んでくれ」
「ねえねえ、例の噂、あれもしかして本当だったんじゃない?」
「噂って、チートのやつ?」
「うん」
「チートして作ったキャラは最後の試練に合格できないってやつだろ」
「うっわマジかそれ。今のあいつと条件ピッタリじゃん」
「あいつの場合、前々からチーター疑惑あったもんなあ」
「めっちゃ焦ってるし。これもう決まりっしょ」
「チートやってんのバレたからあんな妙な事してんじゃね」
「やべえ笑いが止まらん」
「最後の最後で運営仕事したな」
「永久BANキタコレ」
「やっぱり正義は勝つんやね(ニッコリ」
「チーター死ね」
「うっわ超やべえ。歴史的瞬間になるぞこれ」
「公 開 処 刑」
「いえーいみんな見てるー?」
俺はもう作り笑いをする余裕もなくなっていた。俺がチーター? ふざけるな。俺は断じてチーターではない。俺は主人公だ。この異世界の未来と現在を司る物語の主人公だ。俺の歩いた足跡がすなわちこの物語の道筋であり、俺から語られる言葉だけがこの物語の真実だ。俺がいなければこの物語は成立しないし、お前らが存在することもできないのだ。話も作れない脇役は黙ってろ。あとチ○ポ剣とか言うな。
汗が止まらない。額からしみ出た透明な水は頬を流れ、顎を伝ってポタポタと床へ落ちていく。後ろを振り向くことができない。恐怖を感じている訳でもないのに、親父の表情を確かめることができない。傷つけられる誇り。崩壊する自尊心。あり得ない。こんなことがあってはならない。俺は主人公だ。ああ待て待て、自問自答している場合じゃない。時間がない。あと何回チャレンジできる。他に考えられる可能性は。箱を開ける。箱が開く。パスワード。特定の言葉を言うことで箱が開く仕組み。そうだ、もうそれ以外に考えられない。ではそのパスワードは? 今までの流れの中でその言葉が出てきたと言えるか。とてもそうは思えない。いや、あったのかもしれない。意識を、場面を巻き戻せ。箱の側面に描かれているのはやはり文字なのだろう。その文字を読むことができないのは、俺のせいなのか。必要なスキルを所持していないのか。読めない文字を読めるようになる、そんな効果を持ったアイテムを今までの生活の中で見たり聞いたりしたことがあっただろうか。いやない。絶対にない。読めない文字を解読するという試練は今まで一度もなかった、それだけは断言できる。じゃあこれが最初の前例なのか。そんなのおかしいだろ、最後の試練は大概今までやってきたことの復習をやるってのがこの業界の鉄則ではないか。ああいかん、無駄な思考をやってる場合じゃない。だがヒントぐらいは出てるだろう、常識的に考えて。一連のイベントのどこかに必ずヒントが出てきていたはずなのだ。多分俺が見逃しているだけなのだ。しかしわからない。裸の男たちが御輿をかついでわっしょいわっしょいする儀式のどこに、この問題を解くヒントがあったというのか。
いや違う。そうじゃない。発想の転換をするんだ。作者の心を読むんだ。
考えてもみろ。これは明確ないやがらせだ。作者が俺をあざ笑うために、およそ答えにならなそうなものを答えとして用意しているのだ。はい残念これが答えでしたー、わかるかボケー、それがこの場面のオチなのだ。だからそうやって思考の裏をかいた作者の、さらに裏をかけば良いのだ。いくらなんでも作者だって、場に一度も出てきていないものを答えにするはずがない。なぜならそれは創作技法のルール違反だからだ。さすがに作者もそこまで馬鹿じゃない、と思いたい。物書きとしての矜持があると、いまだ落ちぶれていないという戯作者としてのプライドがあると信じたい。あの御輿の男たち。ギャグ要員としか思えない彼ら。だが一方で、この場に新規に現れたのはそいつらだけだ。巨大なうちわ。訳のわからない踊り。唯一の正解、唯一のヒント。だとすれば……。
「ゴホン」
俺は一度咳払いをし、深呼吸をして心を落ち着かせた。それが出来たところで、両手の拳をにぎりしめ、少しだけ腰を沈め、両足のかかとに体重をかけた。それから意識を遡らせ、ふんどし姿の男たちのモーションを思い出すために目を閉じた。もう時間がない。これはギャンブルだった。しかし、俺は決断した。行動を起こす時だった。
「それ、わっしょい、わっしょい」
俺は目を開けるとガッツポーズをするように頭の上まで右手を上げ、同時に右足の膝も上げて体を傾かせた。そしてすぐに足を下ろし、今度は左手と左足を同時に上げる。右、左、右、左、それをひたすら繰り返した。頭は決して動かさず、腰をくねらせ、リズムよく左右の足を交互に踏みならす。ジャンプするようでしない、中途半端な反復運動。もちろん顔は真顔だ。笑顔を見せようとか、そういう心の余裕はとうの昔に失われていた。
「わっしょい、わっしょい」
空気が冷え切っている。絶対零度と形容しても何ら差し支えないほどの沈黙が、紙吹雪が床にちらばる謁見の間を無情に支配している。
「わっしょい、わっしょい」
俺は周囲の突き刺さるような視線にもめげず、ひたすらこのエアロビクスにも似た踊りを続けた。何でこんなことをしてるのかって? これがアイドルをプロデュースするという行為だからだよ。
「わっしょい、わっしょい」
さあ箱から出て来い。来るんだ。来ないと、俺の心が折れる。
「わっしょい、わっしょい」
ピエロ。現実。破滅。そんな悲観的な言葉が俺の頭をよぎる。それにしても、俺は一体何をやってるんだ?
「わっしょい、わっしょ──」
「おお……おおおおお………!」
ルーベイ王の声は震えていた。それはほとんど、うめき声に近かった。
「なんで、なんでそんな……そんな馬鹿な……そんな事があってよいはずが……」
俺はダンスを止め、ゆっくりと振り向いた。そして親父を見た。顔があからさまに青い。手足が、死にかけの老人のように震えている。
「……おお……作者よ……! あなたはなぜこのような苦難を私にお与えなさるのですか……! あれだけウィキを見て研究して、慎重に慎重を重ねて育成したというのに、よりにもよって一番基本の、アイドルをプロデュースする能力を持っていないとは……!」
玉座の傍らで、ルーリが声を上げて泣いていた。ルーヨンもうつむいたまま、俺の方を見ようともしない。そしてルーファンはといえば、この状況下にあってなお依然として無表情のままだった。俺は……自分はどんな表情をしていたのだろう。
サイレントムービーの時間は終わった。どよめきは、一瞬で最高潮に達していた。ゲストたちの話しぶりはもはやひそひそ声でもなんでもなく、ほとんど暴言、怒号に近いものになっていた。
「はいチート確定」
「うわあ。。。ドン引きだよ。。。」
「ど う し て こ う な っ た」
「やっぱりチーターだったな。知ってた」
「ひさしぶりのでかい祭キターーー」
「くやしいのうwwwwくやしいのうwwwwww」
「炎上炎上、大炎上」
「鯖落ち不可避」
「ル ー ベ イ 終 わ っ た な」
「チーターが死んで酒がうまい!」
「運営乙」
「これを機に違反してる奴らを全員処罰して欲しいところ」
「ある意味期待通りの展開」
「最後まで笑わせてくれたなあ」
「生放送で起きた奇跡」
「やってしまいましたなあ」
「つーかこれだけ金かけといてチートに手を出す奴の気が知れん」
「ランキングで一位取れないから焦ったんやろなあ」
「自業自得だろ」
「せやな」
「頭が悪いって悲しいことよね」
「ほんとそれ」
「悪事はできない。作者様はちゃんと見てるんだね」
「(垢バンになったらもう生きる意味)ないじゃん」
「あ、もう終わってたか。明日仕事はやいからもう寝るわ」
「じゃ私も寝るー」
「おやすー」
「おやすみー」
「これでこの鯖もちっとは平和になるかな」
「あーあ、こんな人間にはなりたくないわホント」
「クソゴミにふさわしい末路でしたっと」
「失望しましたルーリちゃんのファンやめます」
「チーター死ね」
「初見です。何かあったんですか?」
「廃課金ざまあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
「……ルーシェン……お前ッl……!!」
ルーベイ王が、その震える手で俺を指さした。その意図は明白だった。弾劾だ。唇をゆがめ、痙攣でもしているかのように歯ぎしりをし、眉毛を30度以上つり上げ、鼻息を荒げ、深夜の信号灯のように両目を赤く充血させている。顔の表情が、青から赤へ、絶望から怒りへと変わっていく様がよく見てとれた。リトマス試験紙のように鮮やかな変化だった。いずれにせよ、その男はもはやブタではなかった。ブタの顔をしたキーボードクラッシャーだった。
「いや、違うんだって親父!」
俺は弁解しようとしたが、無駄だった。
「黙れっ!! この私に恥をかかせおって! 余は偉大なるルーベイ王であるぞ! もう貴様など私の息子ではないわ! お前を作りだすためにどれだけリセマラしたと思っている! あークソ! マジでこのクソ野郎が! どれだけ時間をかけたと思ってるんだ! わかってんのかクソが! クソックソックソッ! そうだあの女だ! あのクソビッチにだまされた!! 全部あいつが悪いんだ! もうマジでキレた、あいつだけは絶対に許さねー! 今度会ったら絶対にぶっ殺してやる! 詐欺罪で訴えてやる! 今まで使った金を返しやがれ!! あーあーあーあー!! ふざけやがって、お前なんか死んでしまえ! あーもーこんなクソつまんねーゲームなんかやってられるか! 削除だ! 削除!!」
世界観が壊れていく。俺が主人公として行ってきた渾身の演技が、全て水泡に帰する。長年かけて積み上げてきたこの物語世界のリアリティーが、音を立てて崩壊していく。実写かと見まごうほどの地下大迷宮の物質的リアル感。そこに仕掛けられた一筋縄ではいかない謎の数々。襲いかかるモンスターの圧倒的迫力。武器攻撃と魔術が見せる美麗なエフェクト。臨場感あふれる戦闘描写。戦略性が要求されるレベリングとスキル選択。仲間(愛人)との友情(劣情)。俺はこの物語を精一杯盛り上げようと、ひたすら頑張ってきた。なのに、なぜなんだ? 俺はどこで間違えた?
足下の空間がゆがんでいる事に気づいて、俺ははっとした。足が床に沈み込んでいる。俺と、俺をこんな目に遭わせたあの黒い箱の周囲が、あたかも水晶玉を通して見た世界のようにぐにゃりと歪曲している。まるで底なし沼に入り込んだかのように、謁見の間の白い大理石の床と赤い絨毯を巻き込んで、俺の体が音も無く、着実にじわじわと地面に飲み込まれていく。もはや足で立っているという感覚がない。これは水だ。このスローモーション時空の中で、俺は今まさに水に沈み溺れようとしているのだ。俺はこの悪夢から逃れようと手足を必死に動かすが、目に見えているはずの床にも絨毯にも感触がなく、どうすることもできない。抵抗もむなしく、俺の体は黒い箱とともに一定の速度で沈み続ける。状況を理解することができないまま、腰が埋まり、胸部が埋まり、とうとう首まで浸かった。
体が全て埋まり、頭だけになった俺はただ上をを見上げるほかなかった。激怒する父のルーベイ王。悲しみの涙を流す妹のルーリ。事態を直視することができず背を向ける弟のルーヨン。頭部が完全に埋没する寸前、俺は兄のルーファンが、たとえ一瞬の間といえども、俺を一瞥するなり嘲笑の顔を浮かべたのを、決して見逃しはしなかった。
やがて頭も沈んだ。世界は暗黒に包まれた。