I-1 はい転生はい追放
「おぎゃーおぎゃー」
こうして俺は異世界に転生した。
「おおっ! やっと産まれたか!」
遠くから、いかにも私は中年ですといった感じの、ドブ川じみた男のダミ声が聞こえる。声に続いて、ドタドタドタと、小走りをしているとおぼしき足音。その音はずいぶんと厚くて重い。どうやら俺の父親となる男は相当な肥満体、というかぶっちゃけデブのようだ。まーた俺の親父はデブ男なのか。ワンパターンだな。床を踏みつける振動が空気中に響いているのが、額と頬の皮膚で感じられる。
「ああ……。見てください、立派な男の子ですわ、あなた」
俺の耳のすぐ近くから囁きにも似た、若い女の声が聞こえてくる。この声の主が、この世界における俺の母親なのだろうか。多分そうなのだろう。だとすれば、父親役の男とは、随分と年が離れているように思える。少なくとも十歳、いや二十歳は離れているはずだ。いや待てよ、もしかするとこの母親は、この男の正妻ではなく愛人であるという可能性があるな。もし愛人の子だとすれば、またしても前世の設定とマルカブリということになる。毎回毎回同じ設定で、芸がなさ過ぎやしないか。とはいえ、産まれたばかりの赤子に過ぎない今の時点ではそれを証明する方法もないし、仮に証明できたところで、何がどうなるという話でもない。ここが何処なのか、史実に基づく世界なのか架空のファンタジーの世界なのか、今の俺には知る術がない。
「うむっ、でかしたぞ! ……さあ我が息子よ、私に顔を見せておくれ……!」
新生児であるところの俺は、まだ目が見えない。何か、鉄製の大きなトングのようなもので胴体を掴まれる。いや、さすがにこれはトングではなく男の右手と左手だろう。だが、感触がまるで柔らかくないのだ。まさかUFOキャッチャーではあるまいな? どうやら俺は、この世界における父親担当の男に抱き上げられたみたいだ。下から上へ、高速な移動に起因する強い風圧を感じる。顔を近づけられているのだろうか。タバコくさい匂いがする。タバコだけじゃない、もっと色んな食物のスメルが混ざった、激甚災害レベルの悪臭だ。はっきり言って吐きそうである。
「おぎゃーおぎゃー」
「おうおう! わしが父親だと判るのだな! 嬉しそうな顔をしておるわい!」
息がくせーんだよ。顔を離せよ。
「おお、よしよしっ! いいぞいいぞ、やる気、元気に満ちあふれておるな、ガハハ! お前が男子を産むことは、ひと月前より作者のお告げによって予言されていたこと! ゆえに私は、その時よりお前の名前を考え、前もって決めておいたのだ! 誰よりも男らしい、この王国を統治するにふさわしい威厳ある名前をな! さあ喜べ! ほれ、ほれっ!」
「おぎゃーおぎゃー」
「まあ……。それでルーベイ様、この子の名前は……?」
俺は父親担当の男に、頭を過剰になでられる。つむじのある頭頂部を手のひらでスライドぎみになでられることによって、俺の首が前後に振られ、骨格的に危うい角度になってしまっていることに、果たしてこの男は気づいているのか。
「うむっ! よおーく聞けい我が息子よ、お前の名前はぁ……」
ダラララララ……。どこからともなく、ドラムロールの軽快な音が聞こえてくる。
カチッ、と、どこかで誰かがマウスをクリックする音が聞こえた。そして、ジャンッ! という耳に悪い強烈なオーケストラヒットの効果音とともに、ドラムロールが強制的に停止する。
「おっ、止まったぞ! えーとどれどれ、ふむっ、これだな? よーし、決まったぞ! 我が子よ! お前の名前は、“ルーシェン”、だ! ルーシェン! うむ! 実に男らしい……という程でもないような……、まあとにかく、素晴らしい名前ではないか! いや、わしは一向に構わぬぞ! どうせやり直しもできないしな! はっはっは!」
あれ? さっきひと月前から名前は考えてあるって言ってたよな? なんか今決まったみたいな事言ってない? てか、やり直しって何?
「ゴホン! よいかルーシェン、お前はこのルーベイ王の正統なる跡継ぎとして、我が偉大なる王国の民に恥ずべきことの無いよう、強く逞しく育つ義務があるのだ! そうだな、さしあたって腕力は120、知力はざっと90は欲しいところだな! もちろんヒットポイントは250が最低条件だ! おっと、それから3歳までには『作者の加護』と『敬語マスター』のスキルも身につかせておかねば! いやはやまったく、これから育成の作業が忙しくなりそうだわい! わーっはっはっ!!」
「まあ、3歳までに『敬語マスター』だなんて、あなたったら気がはやいこと。うふふっ……」
「何を言う! このルーベイ王の息子ならば当然のことよ! あとは5歳のイベントで『見切りの達人』を取るのは鉄板だな! がっはははは!!」
「うふふふ……」
「おぎゃーおぎゃー」
残念ながら異世界に産まれたばかり俺には、このヤニ臭い父親なる男の言っていることが半パーセントも理解できない。現状、俺は泣き声を上げる以外のアクションを取ることができないので、その唯一行うことのできるアクション、泣き声を上げるという行為を、リズミカルに絶え間なく繰り返した。
さてここらへんで、これまでの話を一旦整理してみるとするか。なんでも俺はルーシェンという名前で、時代背景はわからないが、とにかくどっかの国の王子様というテイで産まれてきたらしい。まあ、名前ならあとで変更もできるだろう。だがそれにしても、この俺が、よりにもよって王子様とは。予想もしていなかった人生のスタート地点に、思わず失笑が漏れる。不良とか、ヤクザとか、薩摩藩士とか、俺はおおむねそういう方向性で今まで演技を磨いてきたのだ。それがプリンス、王子サマ。自分がそんなキャラでないことは、自分が一番よくわかっている。いったい作者はこの異世界で、俺に何をさせるつもりだというのか。王様になって政治をしろとでも? あるいは戦争? それとも単に何も考えていないだけなのか? いずれにしても重要なことは、作者にはもう創作の才能がなくなっているという恐るべき事実だ。これから何が起こるにせよ、それだけは留意しておかねばならない。初っぱなから不穏な空気が流れていることに戸惑いを隠せないが、その一方で、まあ、たまには、こういう形のプロローグも悪くはないかも知れないと俺は思い始めていた。
もともと俺はデビュー当初から、与えられた台本を最後まで読みこんだ上で、前後の展開に矛盾が出ないよう先を読んで行動していくことを信条としてきた。そして、それをしないような登場人物を鼻から軽蔑してきたものだ。今、俺は赤ん坊で、何の台本も与えられていないどころかそもそも台本を読むことが出来ない。そしてこれは俺の推測だが、この先、俺にこの物語の台本が与えられることは、ズバリ最後まで無いのではないだろうかと疑っている。なぜそう思うのかを説明するのは難しい。まあ簡単に言えば、俺は自分が、作者に好かれていないということをはっきり自覚しているからだ。十分すぎるほどに、な。コンビニでのシーンのことは挙げるまでもない。俺は作者から嫌われている、となれば、あのチビガリのわかめヘアーてっぺんハゲが、俺を困らせるためにあらゆる嫌がらせを仕掛けてくるであろうことは容易に予測できるというわけだ。だいたい俺が王子様としてここにいること自体、既に嫌がらせは始まっていると見るべきなのだ。
フン、まあいいだろう。こういう先の見えないオープニング形式も、それならそれで結構、どんと来いだ。少なくとも、先が読めないという理由でこの人生の物語に臆するような俺じゃない。鬼が出るか蛇が出るか、せいぜい、作者のお手並み拝見といこうじゃないか。そうとも、俺は一流のアクターだ。台本なしのアドリブオンリーでやるスノッブでコンテンポラリーな物語形式でも滞りなく演れるということを、俺を殺した作者に、そしてアニメスタッフの連中に見せつけてやる。そう、これは俺の、復讐の物語だ。憂慮すべき問題は何もない。なぜなら俺はそれだけの実力を持ったキャラクターのはずであり、主役をはれるだけの資質を持った演技力の持ち主であるはずだからだ。よし、やるぞ。やってやる。
「おぎゃーおぎゃー」
俺は大きく口を開け、この人生を悔いなく精一杯生きるのだという決意表明を、全身全霊をこめて泣き声で表現した。
「おお、よしよし。さあさ、ママと一緒におねんねしましょうね」
俺の体は設定上の父親の手を離れ、設定上の母親のもとに返される。羽毛というかシルクというか、大きな密度のある空間に密着し、一体化し、包みこまれるような感覚。ふんわりと、柔らかくて、温かくて、そしてどこか懐かしい匂い。彼女は誰なのだろう。わからない。なぜ彼女は、こんな男と結婚する気になったのだろう? わからない。まあいいさ、話が進めばいずれわかることだ。何にせよ、こんな体験ができるのは今の間だけなのだ。落ち着きと静寂とともに、自然と眠気が誘われる。うーん、なんか眠くなってきたな。よしじゃあ、寝るか。どうせ赤子の体でやれることなんかない。結局のところ、今の俺は寝ることだけが仕事なのだ。それに、俺が寝ている限り、あのクソ不愉快な中年親父がやって来ることも無いだろうし。あのニオイだけは勘弁して欲しい。ああ眠い。寝よう。はいじゃあおやすみなさーい。
「おぎゃーおぎゃー」
「ねーんねーん……ころーりーよ……おこーろーりーよ……」
「おぎゃーおぎゃー。すやすや……」
そして俺は眠りに落ちた。
「あら? うふふ、もう寝ちゃったのね……。いいのよ、おやすみなさい、ルーシェン。大丈夫、何も心配することはないわ。きっと今度こそ、うまくやってみせるから……」
《こうしてルーシェンの異世界での人生は幕を開けたのであった──》