V-2
猫耳を含む、公園のアイドル市場に陳列された商品としての少女たちは、みな一様に穴の開いた薄い木の板を首からヒモでぶら下げていた。近づいてみて分かったが、それは値札だった。「4980G」や「9980G」といった半端な数字が、インクの出が悪い中世の油性マジックでぞんざいに走り書きされている。「G」というのはこの異世界の通貨単位、ゲンブツのことで間違いないだろう。これは税込みの数字なのだろうか。いやその前に、これらの値段は果たして高いのだろうか、安いのだろうか。比較対象がないから判断がつかない。さて、ひるがえって我らの猫耳アイドルはと言えば、板の左側に「半額!」と書かれた太文字がギザギザの線で囲まれており、その右側には「333G」という数字が一筆書きに近い適当さで書かれ、値付けされていた。逃亡したことが半額の原因にあることは容易に推察された。板の中央部は、本来の値段がマジックによって執拗に黒塗りされていた。
アイドル引換券。街に入る直前、全知全能の存在・作者から四の五の言わさず一方的に渡されたクエストアイテム。
俺は、それをここで使う事で、この物語のストーリーが進む事を知っている。
しかし俺は、それをここで使う論理的必然性をまだ見つけ出していないのである。
これは俺の主人公性に直接関わってくることだ。すなわち、俺はここで理にかなった、読者を納得させられる適切な行動をとらなければ、ああこの作者はバカだなと思われて購読を打ち切られてしまうし、アニメ化も遠のいてしまう。とはいえ実際問題、作者は本当にバカなのでどうしようもないわけだが。しかしそんな悲愴感、主人公である俺が許容できるはずもない。そのような物語の無意味さを俺は認めない。この苦境を挽回できる逆転の目は絶対にあるはずだし、そのために俺という人間は存在するのだ。逆転。いい響きだ。まさに俺の主人公性が発揮される瞬間だ。
つまり俺としては、このアイドル引換券をアイドル以外の有益な物品と引き替えたいのである。服、食糧、ベッド、女、今の俺が必要とするものは沢山ある。そういう有益な品と交換したいのである。アイドルなんかいらん。全く意味が分からない。なんで食い物を手に入れる前にペットを飼わないといけないんだ? 一文無し、無職、着の身着のままで街に入って、最初にやることがペットを飼うこと、そんなアホな人間がいるか? 完全に物語が破綻している。もしそんな登場人物が目の前に現れたら、俺は問答無用でぶん殴って海に沈めているところだ。
もちろん、これが作者の嫌がらせなのは承知している。作者は俺を哀れなピエロに仕立て上げたいのだ。徹底的にいじめ抜きたいのだ。それをすれば読者が喜ぶと、全く見当外れな勘違いを犯しているのである。作者は、ツールで自動生成したこの手抜き世界を、俺を困らせるために緻密な計算をもって創造したと言い張るつもりなのである。ふざけるな。
考えれば考えるほど馬鹿げた状況であるが、しかし実のところ、俺はそれほど絶望に沈んではいなかった。俺はむしろ、これを好機と悟った。そもそもの嫌がらせの元凶である「アイドル引換券【レア】」。使うことで俺を底なしの馬鹿に貶めるこのアイテムこそ、一転して俺の主人公性を閃かせ、輝かせることができる逆転の目なのだ。
【レア】と書いてある以上これは貴重品のはずだし、あのアイドル商人はその価値を理解しているはずである。あんなボロ服の猫耳なんかのために使っていい品でないことは明らかだ。明らかにチンノ・チェサイアは、この黒い紙が現金にして何ゲンブツの価値があるのかを把握しているはずなのである。換金してはいけません? 知るか。この券を欲しがっている人間は大勢いるはずだ。これはそういう世界観の物語なのだから。この券を通してコネを作るのも悪くない。中世だから、金券ショップもどこかにあるだろう。俺はこの紙の本当の価値を、あの成金のブタ面から何としてでも聞き出さなければならない。それからもし可能であれば、この券を欲する人物の住みかと資産も。嘘をつかれては困るので、正直にゲロしてくれるよう、俺のむき出しの暴力性を十全に顕示させていかねばならぬ。丹田に力を込め、セーラー服を小脇に挟んだまま、俺は拳を握る。
よし、これでアイドル引換券の使い道は決まった。とはいえ、問題が無くなった訳ではない。すなわち、「ではなぜ俺は金も持ってないくせに、アイドル引換券【レア】だけは持っていたのか。そもそもなんで俺はセーラー服を着て街に入ってきたのか」という、第一話の序盤にしてひどく意味深で重大そうな謎解きが残されたままなのだ。これは伏線であり、最終的には必ず解決されなければならないものだ。俺は、伏線が解決されないままに終結する物語というものを軽蔑しているというか、ほとんど憎悪しているのである。しかしそうは言ったものの、この伏線を一体どう片付けたものか。なにぶんこれは、俺自身の立場に起因することだからたちが悪い。この先物語が進む過程でどんな伏線が出てくるか知れたものではないが、ことこの謎かけに関してだけは、俺はこの異世界において誰の助けも借りられないのだ。
俺は頭をかいて考えた。まあ、記憶喪失ということにでもしとけばいいか。
記憶喪失キャラ。うむ、我ながら素晴らしい発想だ。今回の人生のキャラ設定はこれで行こう。なぜ俺はセーラー服を着ていたのか? 記憶喪失だからわかりましぇーん。これでしばらくの間は、伏線の回収を後回しにできる。
「さっきから止まったままニャ! ねえねえ、何を考えてるニャ!」
猫耳が枷をはめられた手を伸ばして、俺のサイドボーンを引っ張ろうとする。
「おいっ、触るなよ! 俺は考えるのに忙しいんだよ」
「何を考えてるのニャ? どうやって逃げるかニャ?」
「さあな」
「あっ!? ちょっと待つニャ! どこ行くニャ!?」
「ここではないどこかさ」
「行ったら駄目ニャ! あたしを助けるニャ!」
俺は猫耳の元を離れ、テントの方へ近づいていく。すると、俺が入り口の幕に手をかけるより先に、中からチェサイアがぬるりと現れた。
「まだいたのですか。困った人ですねえ」
ブタ面があきれ顔で言った。片腕に鮮やかな色をした布を、シャツを抱えている。
「三ツ倉さんからお土産でもらったアロハシャツがありましてね。私にはサイズが合わないもので、何ならあなたにお貸ししてあげても良いのですが」
「……本当か!?」
これは意外。アイドル引換券を使わずして服が手に入った。最悪、引換券を服と交換する覚悟もしていたのに。
「あー、勘違いしないでいただきたい。あくまでも貸すだけですからね。来週までには必ず返却してください。私は商人ですからね。物々交換なんて原始的な取引方法に応じるつもりはありませんから」
そう言って、アイドル商人は俺のセーラー服を強引にぶんどった。
「ちょっ、お前、物々交換はしないって今言ったじゃないか」
「担保ですよ」
チェサイアが、手に持ったアロハシャツを俺の顔に投げつけた。
「ぶほっ」
「早速ここで着用してもらいましょうか。なぜ貴方がここにいるのか存知上げませんが、もし、あの猫耳アイドルの口車に乗せられて逃がそうだなんて考えているのでしたら、是非とも止めていただきたいものですね」
「はあ?」
「げげっ……バレてるニャ!?」
「あのなあ、そんな訳ねーだろうが」
「本当にですか?」
「俺があいつを逃がす理由がないじゃないか。考えなくても分かる」
「確かに。同感ですな」
「やったニャ! うまくごまかしたニャ!」
「お前は少し黙ってろ!」
俺は猫耳に怒鳴った。チェサイアが手を後ろに回して、気まずそうな顔をしながら言った。
「つまりですね、率直に申し上げて、貴方にそのような風体のまま市場にいてもらうと迷惑なのですよ。ただでさえアイドルを売り買いしているというだけでも世間の風当たりが強いのに、その上貴方みたいな大の男がそんなほぼ全裸の格好で突っ立っていたんじゃ示しがつきません。道を歩いている人たちから、『あーやっぱりチェサイアの奴、アイドルだけに飽きたらず男も売り買いするようになったんだな、あいつの事だから薄々やりそうな気はしてたんだよ、だいたい顔がソッチ系くさいもんな、しかも相当のサディストだぜあいつ、男に女物の下着はかせて公園のド真ん中で立たせるんだからな、それでカメラ持って撮影とかするんだぜ、あんなポーズとかこんなポーズとか取らせたりしてさ、でもって家帰ってビデオ見ながら夜な夜なオナニーするんだろ、とんでもない変態野郎だな、俺たちのことも狙ってるんだぜ、うわーあいつそんな目で俺たちのことを見てたのかよ、怖えーなーおい、これじゃ逮捕されるのも時間の問題だろうな、どう考えても犯罪者だもん、事件に巻き込まれるのはゴメンだぜ、やっぱりあの辺には近寄らないで置くのが賢明だな』、なんて思われるかも知れないじゃないですか。ああ、何てことだ! どんな噂をばらまかれるか分かったもんじゃない! そんなことになったら私の評判はガチ落ちですよ!」
「分かった、分かったから落ち着けよ」
「私は小さい男の子が好きなだけなんです! あなたのような成人男性なんて、かけらの興味もありませんから!」
「そんな事は聞いてねーだろ!?」
こんなチビ男に命令されて、というのがどうにも気にくわないが、とにかく俺は渡されたアロハシャツとショートパンツを、言われるがままにその場で身につけた。見られながら着替えるというのは何とも恥ずかしい。興味ないとかぬかしやがって、凝視してんじゃねーかこのブタ野郎。ショートパンツは味気ない白で、アロハシャツには、青空をバックに火山弾を上げて噴火する花果山の風景が刺繍されていた。着終えてはみたものの、風が袖の隙間を通り抜けてゆく。着てもちっとも暖かくない。寒い。