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V-1 アイドル市場

 中世の商人の間には、初対面の相手どうしで「名刺を交換する」という奇妙な習慣があった。それで「名刺」というのが何なのかというと、長方形をした手の平大の小さな厚紙に自分の名前と役職、連絡先の住所や電話番号などを書き記したもので、中世の商人は自身がどのような職業であれ、その名刺という名のカードを服の内ポケットに目一杯詰め込んで常時大量に持ち歩き、会う人間会う人間に対して、たとえ商人であろうとなかろうと、あるいは初対面であろうとなかろうと、所かまわず無差別にそれを渡しては文字列を強制的に読ませて自分の名前を覚えさせようとしていたという。まったく迷惑千万な話だ。


 なお、確かに俺は中世の習俗・風俗にはわりあい詳しい方だが、それは俺が演技の勉強をしている内に自然に身についたものであって、俺は別に歴史マニアなんかではないし、蓄えた知識をひけらかしたい訳でもない。前にも言った通り、俺は断じて自分のことを時代劇の役者だと思って欲しくない。誰が何と言おうと、俺の主戦場はトレンディードラマなのだ。もちろん学園アニメも違う。俺を学園ものに出そうとした作者は何を考えてるんだ? 他にふさわしい配役はいなかったのか? ただしその疑問は、学園ものをクビになって嬉しいという意味で言っているのではない。この世は約束と契約が全てなのだ。十六年前の記憶がふつふつと蘇ってくる。奴らは約束を破った。最終話までレギュラー役を保証するという契約を反故にしやがった。俺は、俺をクビをした人間に復讐せねばならない。俺はこのふざけた異世界をきっちり1クールだけ生き延び、元の世界に帰還し次第すみやかに、作者、監督、アニメスタッフ、俺を蔑ろにした人間すべてに殴る蹴るなどの暴行を加えて全治一ヶ月の怪我を負わせなければ気が済まない。それが今、俺がこの異世界を生きたいと願うただ唯一の理由だ。


「名刺を持ってらっしゃらないのですか?」


 自らの事をチェサイアと名乗った成金服のアイドル商人が、名刺を両手で持ち、きっちり三十度の角度でおじぎをしたまま俺に尋ねた。袖の赤いビラビラが誇張し過ぎて滑稽ですらある。


「ない」


 俺は率直に返答した。


 男がおじぎを止めた。そして不思議そうに首をひねった。


「はあ、それは妙なことで。プロデューサーなのに、ですか?」


「……ああ?」


 俺はプロデューサーじゃねえ、とブタ鼻に言明しようとしたが、それはひとまず止めておくことにした。言えば余計に話がややこしくなる。根拠は無いが、多分、ここはプロデューサー専用の場所なのだ。とりあえず、うやうやしく差し出された名刺のカードを手荒にもぎとる。


 名刺には「高価買い取りいたします 新品・中古問いません 株式会社アイドル市場 ベイシュテルン地区管轄 代表取締役 チンノ・チェサイア」と堅苦しい明朝体で書かれていた。装飾過多な服装に反して、名刺の方はごくごく質素なデザインである。


「名刺ね。うっかり忘れたんだよ。よくあることだろ。悪いか?」


「それでうっかりセーラー服を着て来たんですか?」


「ああン!?」


「あー、ゴホン」


 チェサイアは横を向いて咳払いをした。そしてそのまま後ろを向き、何も言わず立ち去ろうとした。


 俺はそんなアイドル商人の肩をつかんで制止した。会話を継続させる必要があった。


「ああ、待ってくれ。頼みがあるんだ。服を貸して欲しいんだよ」


「服ですと?」


「名刺と一緒に財布も忘れたんだよ。いや、貸してくれとは言わん。物々交換しようじゃないか。このセーラー服と」


 そう言ってセーラー服の上下を前に突き出した。商人は露骨に嫌そうな顔をした。なぜ作者はスマホと一緒に財布も渡さなかったのか。腹立たしいことこの上ない。


「あのですね、うちは服屋じゃないんですよ。それに何ですか物々交換って、中世じゃあるまいし」


「わかってるさ。でもそこを何とか頼むよ。ほら見てくれよ、これ結構高価なやつなんだぜ。なんと王室御用達だ」


「冷やかしは困るんですよ。アイドルを買いに来たのでないのでしたら、早々に帰っていただきたいのですがねえ」


「脱ぎたてホヤホヤだぜ?」


 商人の表情が慇懃から無関心へ、無関心から侮蔑へと変化していくのがはっきりと分かった。


「あー、まさかとは思いますが、あなた、もしかして営業妨害をしに来たのですか? 中途半端なストリーキングですねえ。誰の差し金です? スナーク商会ですか? それともサイレント・ヒューゲルですか?  もしこれ以上嫌がらせを続ける気なら、マセイヌさんを呼びますよ? そうなったらあなたも困るでしょう? ささ、今日のところはお帰り下さい」


「おいおい待ってくれよ! 猫耳を捕まえるのを手伝っただろ!?」


「お帰りください」


 最初の愛想笑いはどこへやら、アイドル市場の商人チェサイアはしかめっ面をしてテントの方へ引っ込んでいった。消える寸前に小男が見せたのは、三十三丁目のスラムで靴磨きをするプアドワーフの子どもを見下し嗤うハイエルフの、あの軽蔑しきった優越感の眼差しだった。俺のほぼ全裸の体に、冷たい風が吹き付ける。俺は腕を組み、フフンと鼻息を鳴らした。失敗か。うーん、俺の説得術もまだまだだな。それにしてもマセイヌってのは誰だ? リザードマンたちも同じ事を言っていた。この街の元締めか何かか? まあそんなことはどうでもいい。ここで大人しく引き下がるつもりはない。服と食糧を勝ち取るため、交渉をしくじる訳にはいかないのだ。


 商人を追ってテントに突撃しようとした瞬間、猫耳の大音声が至近距離で炸裂した。


「コラーッ!」


「うおっ。おどかすなよ」


「あ・た・ま!」


 俺はまだその汚いものを手に持っていたことに気付いた。しぶしぶ、猫耳のカチューシャをきっちり元の状態に戻してやる。はい完成。そして俺はテントに突撃しようとした。


「コラコラコラコラーッ!」


 猫耳が再び怒鳴り声をあげた。


「だからおどかすなよ! さっきから何なんだよ一体!」


「何だとはなんニャ! 早くあたしを助けるニャ!」


「はああ?」


「ほら、今ならあいつもいないニャ! 足の鎖をはずすなら今ニャ! 一緒に逃げるニャ!」


 俺はため息をついた。こいつ何にもわかってねえな。つうか大声出すなよ。


「あのなあ、ちゃんと考えろよ。いいか、じゃあ訊くけどな、俺がお前を助ける理由は何だ?」


「ニャ?」


「俺とお前は完全に初対面の赤の他人なんだぞ? おかしいだろ? 論理的に言って、俺が危険を冒してまでお前を助ける必要性がどこにある? ないだろ? 話の展開に説得力が無いだろ? 俺の行動に一貫性がないと思わんか?」


「ニャニャニャ?」


 猫耳がまたぴょんぴょんと、落ち着き無く跳ね始める。


「フニャーッ! ワケのわかんないこと言うんじゃないニャ! あたしはアイドルで、お兄さんはプロデューサーニャ! その事実だけで十分ニャ! これは運命の出会いなのニャ! 理由なんて必要ないニャ!」


「ああ、もう……!」


 空腹やら寒さやらで頭がどうかなりそうだ。もう陽が傾き始めている。風がいよいよ冷たくなってきた。本気で時間が無くなりつつある。だが焦りは禁物だ、こんな時ほど冷静にならなければ。俺は発狂しかけの頭脳を何とか冷却し、この後に起こるであろう避けられない展開のための準備をし始める。


 物語の自然な流れ。演者の心理。行動の論理的必然性。俺が猫耳を助けたいと思うのならば、それらが絶対に必要なのだ。理由なんか必要ない? 馬鹿が。俺がお前を助けるために一番必要なのが「理由」なんだよ。読者を納得させることのできる筋の通った理由がな。台本に「助ける」と書かれてあるから助けるとか、あまりに論外すぎる。話にならない。だから作者はアホなのだ。


 ラーメン屋から逃げるのに貢献した? あれはノーカンだから。このガキがいなくても俺脱出できてたからマジで。


 俺は猫耳への説教をいったん中止し、先ほどブタ面の総金歯野郎からもらった白い名刺をパンツに突っ込んだ『虚人たち』の白紙のページに挟み込むと、そのまま空いた手で、名刺と同じほどの大きさの、同じページに挟まっていた黒い紙──アイドル引換券【レア】──を二本の指でつまみ上げた。


「何を出したニャ? それは何ニャ?」


「駄目だ。お前には見せられない」


「なんでニャ!」


 俺がラーメン屋でこの猫耳アイドルと会ってからずっと考えていたこと。それがこの、アイドル引換券の不自然でない適切な使い道に関してであった。

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