IV-3
俺の期待に応えるように、ベイシュテルンの街のNPCは俺の異常な格好に何の反応も示さなかった。警察もいない。トカゲ男もいない。依然として、馬車には御者が乗っていない。ひとまず俺は安堵した。素肌の九十パーセントを露出した状態であったが、何の問題もないことが判明した今、俺は主人公らしく背筋をまっすぐ伸ばし、街路の路肩を我が物顔で歩く。背中の入れ墨が効力を発揮しているのだろうと、俺は一人で思い込むことにした。
1町ほど歩いたところで、俺が歩いている側の通りの建物群が途切れた。レンガ造りの人工物の代わりに、緑にあふれる木々が無秩序に繁っている。ベージュ色をした通り道と手入れされた芝生、花壇に咲く花が見える。
「データ抜けか? いや、公園か」
俺は無意識に呟いた(そして即座にしまったと思った)。
公園か。待てよ、そうだ、中世の公園には無料で利用できる水飲み場が設置されていたはずだ。俺の置かれた立場は大変にアレな状態だが、ここは与えられた課題を着実に一つずつクリアしていこう。まずは水だ。それから服だ。最後に食い物と職業だ。
俺はそこまで規模の大きくない、せいぜい謁見の間と同じくらいの広さの公園に進入し、わき目もふらず水飲み場を探した。水飲み場は見当たらなかったが、敷地の隅に小さなコンクリの建物があり、それはトイレだったのだが、その内部に洗面台が、すなわち水道の蛇口があった。トイレの激烈な悪臭に耐えながら、つまみを回して水を出す。やった、水だ。早速飲も……くそっ何だよこれ、この蛇口、回転しねえじゃねえか。俺は腰を曲げ首を限界まで回して、何とかして流れる水にありつこうとする。ごくごく。ごくごく。出した小便の分だけ、俺は水分を摂取する。ごくごく。ごくごく。首の角度がかなり無理をしている。ごくごく。ごくごく。美味いとか不味いとか、そんな事は考えてられない。ごくごく。ごくごく。臭さで鼻がひん曲がりそうだ。
「ぷはーっ」
要件が終わると、俺は速攻でトイレから出た。そしてトイレからなるだけ遠く離れると、吸い込んだ瘴気を吐き出すべく五、六回は深呼吸をした。それから土を露出させた広場の片隅、太陽光が木陰にさえぎられた所に背もたれ付きベンチを見つけると、力無くもたれかかるように座った。風が涼しい。無性にタバコを吸いたくなる。
中世ファンタジー世界の子供服を着た中世ファンタジー世界の子どもたちが、それぞれの遊具でせわしなく無邪気に遊んでいる。ブランコ、すべり台、ジャングルジム、鉄棒。砂場、シーソー、うんてい、水飲み場(えっ!? 俺は思わず二度見した。あるんじゃねーか水飲み場!)。
そんな平和でのどかな光景に、俺は違和感を覚えた。その原因を見つけるのに時間はかからなかった。ブランコに乗った子どもの動きは、完全に同じ周期のリピートだった。シーソーも同じだ。まるで工場のピストンのようだ。鉄棒につかまった子どもが、半永久的に逆上がりを繰り返している。誰もいない砂場で、砂で出来た城が勝手に出来上がっては勝手に崩れ落ちている。すべり台に至っては、下まで滑り落ちた子どもが瞬間的に上に移動し、楽しげに滑り台を滑り続けている。終わることなく、永遠に。
結局この公園もまた、現実世界に元ネタがある既存の施設のコピー&ペーストなのであった。単なる3Dデータ映像。このようなデータを作者が自分で執筆するはずもなく、その作業の手間さえ惜しみ、ネットに落ちているフリー素材をただぶち込んだだけの代物だ。とはいえこれは、少なくとも今の俺にとっては純粋に、手放しで歓迎して良い状況だった。まっとうな知能と理性を持った子どもが今の俺の姿を見つけでもしたら、果たしてどれほどの惨事が起きる事か。考えただけでもぞっとする話だ。
俺は目を閉じて、へばり付くスライムのようにベンチにもたれかかっている。何分ほどそうしていたのだろう。空腹が極限状態でなければ、俺はこのまま眠ってしまっていたかもしれない。耳をすますと、遠くの方からざわめき声が聞こえる。俺は目を開けた。広場の中心に人だかりが出来ている。俺の鼻が自然に反応した。炊けた米と味噌汁の、懐かしくも香ばしい匂いがしている。何だろう、炊き出しだろうか?
炊き出しだ。間違いない。俺は安心して胸をなで下ろした。あーよかった。やはり救済措置はあったのだ。まあ当然だわな。俺は主人公なのだから。
俺は目を輝かせてゆっくりと立ち上がった。喜びを抑えきれない。鼻をヒクヒクさせながら、その人だかりの方へと歩いてゆく。俺は現状浮浪者だから、ご飯をもらう資格はあるはずだ。ひとつ懸念があるとすれば、その炊き出しを主宰しているのがリザードマンであるという可能性だ。しかし俺は行かざるを得ない。2メートルほどの高さの、頂点のとんがった紅白柄の、サーカスのテントを小さくしたやつが設営されている。俺は疑念を感じた。ああいうのは炊き出しのテントではないような気がする。それにしても変だ、近づくほどに白米の匂いがしなくなっていく。その代わりに、食い物ではない別の種類の匂いが強まっている。それも、つい数十分ほど前に嗅いだ匂いだ。これは──。
罠だ。俺は作者の罠に引っかかったのだ!
芝生の擦り切れた広場の中央で、ボロ服をまとった十数名ほどの少女たちが列をなして立っていた。各人が20センチほどの間隔を開けて、木製の手かせをはめられている。裸足にきつく締められた黒い鉄製の足かせに、見るからに重そうな鎖と丸い鉄球が非人道的に連結され主人からの逃走を禁じている。
アイドルだった。
理由は知らんが多数のアイドルたちが拘束され、裸足のまま一枚布のボロ服を着させられて廊下に立たされているのだ。いや、廊下じゃなくて公園のど真ん中でだ。これが作者の罠であることは分かるが、何だ? こいつは一体なんだってんだ?
ヒモを通した木の板きれを首からぶら下げた彼女たちは、みな顔をうつむかせて悲嘆に暮れていた。死んだ目をして、というやつだ。そんなアイドル達を、いかにも非モテでうだつの上がらなさそうなファッションをしたおっさんどもが、至近距離でなめ回すように観察している。その中には、アイドルの耳にフッと息を吹きかけたり、むき出しの足に自分の顔を押し当ててすりすりしたり、さらには服の襟元に腕をつっこみ、無心に胸部を揉みしだいている者もいる。
状況が把握できない。何をしているんだこいつらは。
ただでさえ集まりの正体が炊き出しでなかったことに落胆しているのに、俺は例によって一人称小説の責務を果たすべくこの場の情景を描写しなければならない。苦痛だ。ゆっくり歩きながら、手前から順番に見ていく。犬耳アイドル、ウサギ耳アイドル、キツネ耳アイドル、背中から羽をはやした灰羽アイドル、コウモリ羽の小悪魔アイドル、体が半透明のスライムアイドルにクリオネアイドル、耳が排気口になっているロボットアイドル、足が無いので本当は拘束されていないツチノコアイドル、巨乳のメガネアイドル、足が四本のケンタウロスアイドル、足が八本の蜘蛛アイドル、足が無数にある芋虫アイドル、体が半分腐ったゾンビアイドル、背の高いキリン耳アイドル、そして普通の猫耳アイドル。
「あっ!」
「あっ」
列の終端に立っていた猫耳アイドルが、手かせごと腕を上げ、俺を指さして大声で叫んだ。俺はその少女に、確かに見覚えがあった。しかしどこで会ったのか、街に入る前だったかそれとも現実世界のコンビニから転生する前だったか、記憶はあいまいなままでちっとも思い出せなかった。うそ。もちろん覚えているに決まっている。しかし俺はこの際、知らない振りを押し通してこの場を立ち去ることにした。なぜなら、これは作者の罠だからだ。本当にうんざりだ。俺にはもう、この後の展開が読めている。
「ちょっと! なんで無視するニャ!」
「何がだよ。お前誰だよ」
「ニャッ……!?」
見れば猫耳の拘束だけ、特別に厳しいものになっていた。手かせも汚れひとつない新品のもので、足にくくり付けられた鉄球の数は他の少女の倍以上ある。もちろん俺はその理由を知っている。
俺はため息をついた。この後の展開が分かっているのに、残念ながら俺はここから逃げられそうにない。俺の主人公性が俺の自由な行動を束縛する。
「あーわかった、わかったよ。なんでお前、そんな事になってんだ?」
「フニャー!? ふっ、ふざけるニャ! お兄さんのせいじゃないかニャ! なんでさっき助けてくれなかったニャ!」
「じゃあ逆に訊くが、そもそもなんで俺はお前を助けなければならないんだ?」
「そんなの決まってるニャ! お兄さんはあたしのプロデューサーだからだニャ!」
「……」
「でもあたし、嬉しいニャ! だって絶対に助けに来てくれるって信じてたニャ! 神様の言った通りニャ! プロデューサーの方から来てくれたニャ! わざわざ逃げなくたってよかったんだニャ! やっぱり運命ってあるんだニャ!」
「……」
運命。またの名を、台本。
「今ならまだ間に合うニャ! 早くあたしを買ってプロデュースするニャ! 一緒にトップアイドルの道を目指すんだニャ! だってお兄さんは天才プロデューサーなんだもんニャ! だからあたしも、誰にも負けない、この異世界で一番のアイドルになるんだニャ!」
「……」
猫耳がぴょんぴょんとジャンプしてアピールしている。その度に、鉄の鎖がジャリジャリと音を鳴らして拘束具の存在を主張する。俺は不審の眼差しで、少女の頭に顔を近づけた。猫耳の頭の猫耳が、どうも斜め後ろにずれているような気がしてならなかったからだ。
「お前、名前は何ていうんだ?」
「名前はまだ無いニャ! だからプロデューサーに付けて欲しいニャ! あたしの初めての名前ニャ!」
「なあ、お前のその猫耳、もしかして取りはずせるやつか?」
「ニャッ!?」
俺は手を伸ばし、猫耳の猫耳カチューシャをいっぺん外してみる。ボロボロだ。ひどく汚い。
「なななっ、何してるニャ! そんなことしたら駄目ニャ! 神様に怒られるニャ!」
少女がひどく狼狽しているが、別に取り上げようとしたわけではない。きちんと猫耳を元の位置に戻そうとしただけだ。俺は役者として、こういうのがひどく気になる性分なのだ。
俺は手に持ったスマホと本をパンツのゴムに挟むと、カチューシャについた泥やら土を手で払って取り除く。もうもうと、土色の煙が立ち上る。表面の汚れを取ってみても、猫耳はやはり茶色のままだった。
「ったく、汚ねえ耳飾りだなあ。ちゃんと洗ってるのか?」
「と、取ったら駄目ニャ! それはあたしの猫耳ニャ! 早く返すニャ!」
「んなこた分かってるっつーの。だから頭をそんなに動かすなよ」
「ちょっと、お客さん! 商品には触らないでいただけますかね!」
背後から野太い怒鳴り声が響き渡った。俺は手を止めて後ろを振り向いた。
「おや? お客さん、あなた確か……」
数十分前に見た顔だった。さっきラーメン屋の前で猫耳を預けた、チビで肥満で成金の中年男だ。
この後の展開が分かっている俺は、白い歯を見せて快活に笑ってみせた。
「やあ、また会ったな!」
「えっ!? え、ええ、また会いましたね」
こういう会話はまず先手を取ることが大事だ。成金が、いかにもばつが悪そうに笑みを返した。そうして俺の胸部を見て、下腹部を見て、足を見た後に顔を見た。そして言った。
「あのうあなた、リザードマンの方たちが、食い逃げがどうとか言ってたような気がしましたが」
「気のせいだろ。なあ、あんたにひとつ訊きたいことがあるんだが」
「ええと、何でしょう?」
「ちょっと! あたしの猫耳返すニャ!」
「こいつは一体どういう催しなんだ? 炊き出しじゃないよな? アイドルたちが捕まって、何やら見世物にされてるみたいだが」
「は?」
ブタ面はあっけに取られながら、何を言ってるんだこいつ、という表情を俺に向けた。
「いや、何って、ははは、面白いことをおっしゃられる、はは、はははは」
露骨な愛想笑い。
「あーいやあそのう、なるほどなるほど、お客様は見た目の格好と同様、なかなか上質なご冗談をおっしゃる御仁のようで」
「ああ?」
にわかに俺の眉間にシワが寄った。このチビデブは、言ってはならない禁句を俺に向かって発したのだった。
「おい、もう一度言ってみろよ。あんた今、俺の格好が何て言ったよ?」
俺は見た目のディスアドバンテージを、長年鍛えた会話術によって挽回せねばならない。俺の恫喝を含んだセリフに、成金は開いた口を手でふさいだ。そしてまた愛想笑い。
「あっ……いや失礼! このチンノ・チェサイア、アイドルを見た目で差別することはあってもお客様を見た目で判断することなどありませんよ! ええ、ありませんとも! 昔のエラい人が言った通りですよ! お客様は作者様です! いやー、至言だ! 実に素晴らしい言葉だ! もちろんあなた様も得難いお客様ですよ! たとえあなたが女物のパン、ええ、その、まあ」
そこまで言って、小男が俺の外見をもう一度見渡した。その後に続く言葉はだいたい予想がついたが、俺は聞こえるように舌打ちをすることでそれを言わせるのを封じた。
「じゃあもう一度訊くけどな、ここは何なんだよ?」
成金は「マジで?」という顔をした。
「いや、何って……アイドル市場ですよ、見れば分かるでしょう?」
「アイドル市場?」
「フニャッ!?」
俺は猫耳のカチューシャを、少女の頭に対して垂直にかぶせた。
「フニャー!!」
「ああ! お客さん、もしかして初めてですか? 毎週月・水・金はこのベイシュテルンの街で、まあこのような場所をお借りして、営業をやらさせていただいておりますのですよ、ええ。……おっと! 名刺を渡すのを忘れていましたね! 私はここいらのベイシュテルン・エリアでアイドル商人をしているチェサイアという者です、以後お見知りおきを」