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IV-2

「食い逃げだー!」


 平穏を保っていたベイシュテルンの通りが、にわかに怒号に包まれる。複数人の男たちが石畳を駆け回る足音。殺気だった空気。手に持った刃物と拳銃。


 緑色の皮膚をしたトカゲ男の集団が、群れをなして俺のことを探している。ラーメン屋の叫び声とともに集まった彼らは、どうやら外食産業の同業者のようだった。コックにパティシエ、すし職人に宅配ピザ屋、居酒屋の店主にターバンを巻いたカレー屋もいる。がしかしそのカレー屋、ターバンで顔の上半分が完全に覆われているため、目が見えているのかどうか疑わしい。


 それにしても、この世界の食い物屋はリザードマン種族が牛耳っているのか?


「あの野郎、どこに行きやがった!」


「大変な目に遭ったなラーメン屋! ほら、チャカ持ってきたぜ!」


「おう、すまねえな!」


「マセイヌさんのテリトリーでこんな事をするたあ、ナメた野郎もいたもんだぜ!」


「おい、加勢に来たぜ! どういう格好のヤツなんだ!」


「見ればすぐ分かる! 男のくせにセーラー服を着た変態人間だ! くそったれ、あんな格好をしてる時点で警戒しておくべきだった!」


「セーラー服だあ!? そいつはとんでもねえド変態だな!」


「男のくせにアイドルの格好するとか、頭イカれてるぜそいつ!」


「どう考えてもこの街の人間じゃねえな! 殺しても問題ないだろ!」


「そういやどうする? マセイヌさんに連絡しとくか?」


「いや、その必要はねえな! どうせまだ遠くにゃ逃げてねえ! そんな女装野郎、見つけ次第こいつで頭をズドンしてやらあ!」


「そうだな! わざわざマセイヌさんの手をわずらわせることもねえや!」


「へっへっへっ、久しぶりに合法的に人を殺せるぜ!」


「おいおい、こういうのは早いもん勝ちだって決まりだろ!」


「言うじゃねえかこの野郎! 新鮮な人肉は渡さないぜ!」


「何だとコノヤロ-! こっちだってケーキの上に乗せる目玉が必要なんだよ!」


「ケンカすんなお前ら! とにかく食い逃げした野郎を屠殺するのが先だ!」


「おおう、興奮しすぎちまったぜ! 悪いな、ラーメン屋!」


「気にすんな、みんな頼んだぜ!」


「おうよ!!」 (修正前の原文:「「「「「おうよ!!!!!」」」」」)


 かけ声とともに、いかついリザードマンの集団が各方面へ散らばってゆく。そのうちの一人がラーメン屋に隣り合うクリーニング屋に侵入し、その数秒後に何発かの銃声が鳴り響いた。


 俺は通りの向かい側で片膝をついて座り、人差し指で開けた覗き穴から、ラーメン屋の前で行われた会合の一部始終を遠巻きに眺めていた。集まった全員がトカレフやらマカロフやらを持って引き金に指をかけているが、もっともそれらは中世の拳銃であり、オートエイム機能が発明される以前の欠陥品だ。恐るるには足りん。


 奴らの武装はどうでもいいのだが、その事とは別に、今の状況を打開するための材料を俺はひとつも持っていなかった。俺は依然として空腹のままであり、脱水症状の寸前であり、金も無く、無職の浮浪者のままなのだ。さらにそれに加えて、尿意まで襲いかかってきやがった。スマホの時計を見る。三時半。こんな所でボヤボヤしてたらすぐに日が暮れてしまう。


 俺はコンビニにいた。


 俺は「コンビニ 目下交渉中」とサインペンで書かれたダンボール箱に爪を立てビリビリと破り裂くと、できた隙間に潜り込んで外の様子を伺っていたのだった。


 コンビニの店舗と全く同じ大きさのダンボール箱だ。内部は当然のように真っ暗だった。スマホのライトで地面を照らしてみると、そこにはダンボール紙ではなく草原があった。俺が数時間前にルーベイ城から飛ばされて来た、あのコンクリートの固さを持った平らな草原だ。風が遮断された環境下であるにもかかわらず、短い背の雑草が一定周期の間隔でゆらめいている。ライトを使って箱の内部の全体像を確認するが、コンビニにあるべきカウンターも棚も無く、もちろん店員もいない。だから当然、食い物のたぐいなど何も無い。たとえ建前でもここがコンビニだと設定されている以上、せめて唐揚げのひとつくらい置いてくれてたっていいじゃないかと俺は心の中で愚痴ったが、どうにもならない。


 俺はとりあえず、先に尿意を何とかすることにした。入れる方の問題はいかんともしがたいが、出す方の問題ならすぐに解決できる。俺はダンボール箱の街路に面していない方の側に立ち、スカートをまくり上げパンティーを下ろして小便をした。側面のダンボールがしぶきを受けてじんわりと黄色く濡れる。朝から結構我慢していたせいか、排尿行為はまるまる一分間にわたって続き、自分でも驚くほどかなり大量に出た。出した小便の分量が果たして俺の主人公性を強化するものなのか、俺には判断がつかなかった。水分によってダンボールはふやけて破れ、外から光が入り込んできた。勢いよく出る小便はそのまま光あふれる外側に向かって放出され、黄色い水流のすぐ上に小さな虹を作り出した。俺は、通りの方に向かってやらなくて本当に良かったと心の底から思った。


 俺はお小水を終えると、パンティーを上げ、スカートを持った手を離した。こういうケースだけで言えばスカートはズボンよりも便利だが、それ以外のケースにおいてはこれは最低最悪の部類に属する衣装だとしか言いようがない。なお、今俺が穿いているパンティーには小便用の穴が備わっていない。これはそういう種類のパンツなのだ。これはそういう種類の男性用パンツなのだ。俺は断じて男であり、だからこのパンツも男用だ。ハオファンにそそのかされて女性用のパンティーを穿いているなどとは、絶対に考えたくなかった。


 そうだ、スカートだ。俺の格好が奴らに知られてしまったのだ。それを何とかしなければならない。


 リザードマンは聴覚と気温の変化には極めて敏感だが、嗅覚と視覚の方はそれほど優れているわけではない。俺たち人間がリザードマンの顔を区別できないのと同様に、奴らもまた人間の顔を判別できないのだ。しかも奴らはドの付く近眼ときている。だから服装さえ変えてしまえば、連中が俺に気づくことはないはずだった。リザードマンは頭が悪いのだ。ここが俺の理解の範疇にある異世界ならば、の話だが。


 しかし服を変えると言っても、俺が所持している衣料はこのセーラー服が全てなのだ。すなわち、「服を変える」という行為に際し俺が取り得る唯一の手段は、服を脱ぐ、それ以外に無いのである。


 パンツに手を入れてポジションを整えながら、俺は念入りに熟考していた。これはかなりの難問だった。確かに、服を脱ぎ捨てることで、リザードマンたちの追跡はかわすことは出来るだろう。だが、そんな俺の姿を見た街の人々の反応はどうなることか。俺はその情景を思い浮かべて、身の毛がよだつ。それは危険な行為だった。ギャンブルとすら呼べない無謀な行為だった。社会的自殺とも言うべき行為だった。だいいち俺は、いまだ行くべき目的地を見つけられていないままなのである。大の男がセーラー服を着て街を歩いているというだけでも相当に危ういのに、さらにそれ以上のリスクを抱えるというのは──ほとんど致命的だった。


 あるいはいっそ全裸になって、ストリーキングのパフォーマンスをやる、という考え方もあった。俺が今女物のパンティーを穿いているという事実は、全裸でのストリーキング以上に危険なニオイが漂っていた。全部脱ぐべきだろうか? 家から家へ、路地から路地へ。完全にギャグコメディーの方向へ振り切ったストリーキングなら、街の人々も「ああ、あれね」と勝手に解釈して許してくれるかもしれない。だが、しないかもしれない。


 かなり迷ったが、さすがの俺も全裸というのは躊躇われた。やはりアニメ化した時のことを考えると、隠すべき所は隠しておくのが賢明であると思われたからだ。だがもうセーラー服のままではいられない。選択肢はもう、二つに一つしかなかった。セーラー服か、パンティーか。くそっ、主人公であるこの俺が、コンビニに隠れてセーラー服を脱ぐかどうかでひたすら悩むって、これは一体どういう物語なんだ?


 いずれにせよ、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。どちらか一方を選択しなければならなかった。俺はもう街の人々を信じるしかなかった。何を信じるのかって? あいつらが単なる動く人形で周りを観察することもしない脳無しNPCだってことをだよ!


 俺は暗闇の中、スマホの時計を確認した。四時になっていた。そんなに長い時間、俺は考えていたのか。それにしてもこの異世界の日の入りは何時なのか。ここで日が沈むのを待つべきだろうか。いや、多分それは正解ではない。ここでひたすら待っていたところで、事態は何も進展しない。俺の主人公性を増幅するためにも、ここは打って出るべき場面だ。大丈夫、きっと上手くいく。救済措置はもう一度来るはずだ。時刻を確かめた後で、俺は意を決してセーラー服のトップスとスカートを脱衣する。これで俺はほぼ全裸だ。体が熱い、火照っている。もう何の言い訳もできない。こんなの主人公の格好じゃない。うっかり警察にでも出会った日には、問答無用で殴り飛ばして逃げるほかない。もうしょうがない、リザードマンに出くわした時は首でも折って始末しよう。


 最初から殺すつもりでいるんだったら、別に服を脱ぐ必要もないのではないか? 俺は自分の出した選択に自分から疑問を呈していく。何が正しいのか分からない。いや、正解など無いのかもしれない。俺は自分の意志で、レールからはずれることを選んだのだ。だが犯罪はしたくない。いやもう犯罪を犯している。ものすごい勢いで、俺の高潔なる主人公性が失われていく。だがこれも物語を盛り上げるためなのだと、俺は自分に言い聞かせる。そうとも、これで話は面白くなるのだ。空前絶後、前人未踏、史上最高のサクセスストーリーだ。何よりも大切なことは、作者の言う通りになんか従わないという確固たる意志だ。ああそうとも! ざまあみろ作者! 誰がプロデューサーになどなるものか!


 脱いだセーラー服をスマホと本を持った右腕の脇に抱えると、俺は慎重に辺りを見渡してダンボール箱の外へ出た。トカゲ男たちの姿は見えなかった。道を歩く人も今のところはいない。服をその場に捨てなかったのは、あとで換金できる可能性を考えてのことだった。風が冷たい。

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