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IV-1 猫耳

 開いた扉から、冷たく涼しい風が吹き込んでくる。しかしそれは単に、自分の体温と比較した上で相対的にそう感じられているだけなのかもしれない。


「ねえ、お兄さん!」


 吐きそうなのを必死に我慢している俺の姿を見て、猫耳が大声で叫んだ。


「あたしを……あたしを助けてニャ! 今すぐあたしを買って、プロデュースして欲しいニャ!」


「……あぁ?」


 俺は今、すこぶる機嫌が悪い。入り口に立つ猫耳少女とカウンターに座る俺との狭間で、リザードマンの店員がまごまごしながら右と左を交互に見つめている。突発的な事態に対応できない、マニュアルに書いてあること事以外は何も出来ない悲しき指示待ち世代のトカゲ男だ。


「あ、あのう」


 数秒間の沈黙の後、やっとのことで店員が口を開いた。


「お一人様ということで、よろしいですか?」


「あのな。見ての通り、俺は今ラーメンを食べているんだ。頼むから邪魔しないでくれるかな」


「お兄さん、プロデューサーでしょ?」


「……は?」


「やっぱりそうニャ! お願いだから助けてニャ! あたし、プロデューサーのために一生懸命働くからニャ!」


「おい待てや、俺はその、プロデュー……何とかじゃねえぞ」


 俺がそう明確に主張すると、猫耳の声のボルテージがさらに上がった。


「嘘ニャ! お兄さんはプロデューサーだってあたし知ってるニャ! ニオイで分かる

ニャ! あたしずっと、ずっとお兄さんが来るのを待ってたんだニャ! お兄さんがあたしのプロデューサーになる人ニャ!」


「へっ? いやいやいや、何言ってんだお前?」


「あのう、ギョウザのお持ち帰りでしたら、レジの方に……」


「あー、ゴホン!」


 俺は一度は置いた箸を持ち直すと、大げさに咳払いをした。


「いいかなあ! 俺は今ラーメンを食いたくて食いたくて仕方がないんだよなー! うわー、困ったなー! 変な奴が来たせいで、おいしいラーメンが食べられなくて困っちゃったなー! すっごくおいしいラーメンなのになあー! あーあーあー、どうしたものかなー!」


 俺はほんの少しばかり怒った調子を出して、さもラーメンを食べる意欲があるかのようなセリフをいけしゃあしゃあと吐いてみせたが、それは店員を欺くための周到なブラフだった。俺は突如発生したこのアクシデントを利用して、この食い物の体をなしていないラーメンから波風を起こさず華麗に逃れる方法を必死に探っていたのである。


 俺は、この猫耳少女が誰なのか知らない。本当に知らないのだ。完全な初対面だ。


「ラーメンなんかどうでもいいニャ! ほらっ、早くしないとあいつが捕まえに来るニャ! 早くあたしを連れて逃げ出すニャ! もう、何してるのさ、プロデューサー!」


 俺は、一旦ラーメンに向けた視線を少女の方に戻した。少女は裸足だった。そして服は有り得ないほどにぼろぼろだった。色あせたエプロンドレスは裾と袖が無惨にすり切れ、少なからぬ部分が糸目を出して破れている。どうやら服の元々の色は青色であるらしかったが、一体どれだけの期間身につけていたらそうなるのか、俺の目に付く全てが泥と土と砂に汚れ、下地の服は茶褐色に、純白であったはずのエプロン部分はドブ川のような黒灰色の迷彩模様にまみれている。


 茶色い髪に茶色い猫耳、尻尾も茶色で瞳もブラウン。そのマッシュボブのヘアスタイルは当然のように何ら手入れがなされておらず、まだらのように泥やら土が付着している。潔癖症の俺には耐えがたい風体だ。


「ねえっ、早く!」


 猫耳が怒りのオーラを発散させながら、ずかずかとこちらの方へ近づいてきた。


 見た目の身長はせいぜい七歳か八歳にしか見えない。それなのに、初対面の人間に対してこの傍若無人な態度、物怖じしない口ぶりは何事だろう。


「あっ、あのうお客様」


 トカゲ男がカウンターを出て少女の背後に回り、慌てながらこう言った。


「タバコをお吸いになられるなら、喫煙席はこちらになりますが」


 猫耳少女は店員を無視した。そして椅子に座る俺のすぐそばまで来ると、おもむろに俺の左腕をぐいと掴んで引っぱった。俺の体がメトロノームのように傾く。


「おっ、おい!? 離せよ!」


 このような乱暴をされるとは夢にも思わなかったので、俺は危うく椅子からずり落ちそうになった。


「いやニャっ! あたし、ずっと待ってたんだニャ! だから早くあたしをプロデュースするニャ!」


「はあっ!? くそ、何言ってんだよ、ちっとも意味がわからんぞ!」


「わからないはず無いニャ! 神様がちゃんと教えてくれたニャ! お兄さんがあたしを買い取って、トップアイドルに育ててくれるんだニャ!」


「ああもう、何を言ってんだか……」


 ラーメンの耐えがたい悪臭がかき消されていく。額から汗を流す少女の体から、泥や土に混じってアイドルの匂いがした。


 彼女はアイドルなのだ。


 俺は声こそ荒げているが、それは意図的にやっていることであって、実際のところ突然の乱入者に、俺が驚くことは無かった。別に不思議がることでもない。俺は主人公なのだから、何かしらの救いの手があるだろうことは予期していた。そして実際に、救済の使いがやって来たわけだ。ただしやって来たのは、いつもの女神ナホタホメヌノではなく、一度も会ったこともないボロ服を着た猫耳アイドルだったが。


 それはともかく、しかし、俺はこの救済措置に対して、内心いい気分にはなれなかった。なぜなら、これは典型的な「巻き込まれ型主人公」の物語導入パターンだからだ。


 俺の前に、1ナノのゆがみも無い直線フォトンレールが敷かれている。どんな初心者にだってはっきり分かる、あからさまな一方通行道路だ。俺はこの娘の言うことに従うことで、さし当たりこの場の窮地はしのぐ事ができるだろう。どういう方法によってかは知らないが。


 だが、問題はその後だ。俺はこの猫耳アイドルと一緒にい続けることによって、いずれこの後必ず、何らかの揉め事に巻き込まれることになるだろう。そして揉め事はさらなる大きな揉め事を呼び、そして物語の最後まで、俺はただ揉め事を解決するためだけに奔走するだけの馬車馬、ロボット、自動走行マシーンと化すだろう。そうなればもはや、俺はこの世界で自発的な行動を起こすこともできず、世界の不自然さを告発するための発言権も失って、この世界で発生する物語イベントをただただ受け身で応じるしか無くなる。この娘の願いを聞き届けた瞬間、俺の自由は消えてなくなるのだ。それは悲劇だ。茶番だ。一本道。お使い。ムービー。予定調和。ご都合主義。小説家になろう。


 長年物語の登場人物を演じてきた俺の定義によれば、そのような存在を主人公とは呼ぶことは出来ない。俺に言わせれば、そんな人間は作者の言いなりに動くだけの末端の手先、考える頭の無い哀れな働きバチだ。そこらの道を歩いているNPCと何ら変わりはしない。笑わせるな。俺は今回の役者人生において、この後の展開が載せられているであろうこの物語の台本を、どんな事があっても決して読むまいと固く心に誓ったのである。たとえ今後作者から土下座されて台本を読んで下さいと渡されることがあっても、俺はその場で破り捨てて作者に投げつけてやる。俺がそうする理由は、作者が作る物語が決定的に面白くないからだ。作者の才能が枯れてしまった以上、読者に見捨てられないようにこのクソつまらない異世界を盛り上げることが出来るのはただ一人、主人公である俺しかいないのだ。主人公であるこの俺が自発的な態度をもって斬新かつ大胆かつ独創的な行動を継続的に起こし続けることで、この何も無い世界を狂乱の渦に巻き込み先の読めないスリリングな展開をクリエイトしていかなければならない。それこそが俺に課せられた主人公としての役目であり、同時にこの物語を面白くすることの出来る唯一の手段なのだ。


 この小説をアニメ化まで持っていけるのは、俺だけなのだ。


「ほらっ! 早くあたしと一緒に逃げるニャ!」


 猫耳がぐいぐいと、俺の左腕を引っ張る。俺はそんな少女を不快な目で睨みつける。


 まあ何にせよ、猫耳が自らこちらに近づいた事は俺にとって好都合だった。ラーメン屋から脱出できる可能性が俄然近づいてきたのである。しかも、俺が嫌悪してやまない「巻き込まれ型主人公」になりうる危険性を上手いこと回避しながら、だ。


 俺は少女に掴まれた腕を無造作に振り払うと、今度は逆に少女の細い手首を掴み返した。


 そして声を振り絞って叫んだ。


「あっ、痛い! 痛ててて! うわあー、なんという握力だ! 頼む、離してくれ! 駄目だー、離れない! どうすればいいんだー!」


「ニャッ!?」


「うわあー、手が入り口の方に引っ張られているー! 駄目だー、戻ろうとしても全然歯が立たない! 俺は急いでラーメンを食べなければならないのにー!」


 俺はポイと投げ上げる感じで、極めておおげさなジェスチャーで箸を地面に落とした。そして空いた右手でスマホと『虚人たち』を握り、店員の視線から逃れるように椅子からわざとらしく崩れ落ちる。


「ぐ、ぐわあああ! 痛い! 痛い! 体の鍛え方が足りないばかりに腕力に乏しい俺はこの猫耳少女によってなすすべもなく無理矢理に外の方へ引っ張られているー!」


「う、うそニャ! あたしそんなことしてないニャ! 引っ張ってるのはそっちニャ!」


「なんてことだ-、このままでは店の外に連れ出されてしまうー! うわー、助けてくれー! 俺の力ではどうすることもできないー! 善良な一市民である俺はその無垢な善良性ゆえにこのような理不尽な暴力に勇気を持って立ち向かうことが出来ないー!」


「ち、違うニャ! 何を言ってるかぜんぜん意味わかんないニャ!」


「俺はラーメンを食べたいのに-! あの美味しいラーメンをすごく食べたくて食べたくて仕方がないのにー! 非常にとてもベリー残念であるのことだー!」


 俺は少女を引きずりながら、中腰でかがみながらじりじりと引き戸へと近づいていった。店員の顔は見ないことにした。


 扉は開いたままだったので、俺は意外にあっさり店の外に出ることができた。老人のように丸めた体が白色光に照らされる。太陽はいまだ天空に輝き続けている。


 小太りの男がそこにいた。別の言い方をすれば、待機していた。


「あ、見つけたぞ! この野郎、いらん世話をかけさせおって!」


「あっ! いやニャ! 捕まりたくないニャ!」


 分かりやすく大げさな口ひげを蓄え、いかにも成金、といった感じの派手な服を着た中年の小男がラーメン屋の前で息巻いていた。その野太い声は外で聞いたのと同じものだった。だから猫耳アイドルを捕まえろと言っていたのは、この豚ヅラの中年のことで間違いないだろう。


 俺はかがむのを止めて背を伸ばすと、猫耳の腕を掴み上げたままその小太りに尋ねた。


「こいつがあんたの探し物か?」


「はっ、離すニャ! どうしてこんなことするニャ! 話が違うニャ!」


 小太りが気持ち悪くニタアと笑った。


「いやはや、全くもってその通りですよ。どなたか存知上げませんが、本当にありがとうございます」


「いやニャ! 離せニャ! もうあそこには帰りたくないニャ!」


「うるさい黙れ! 商品の分際で逃げようとしおってからに!」


「プロデューサー! こんなの絶対おかしいよ!」


 猫耳が俺の顔を、上目遣いで見つめていた。体が小刻みに震えている。それは連れ戻される恐怖のためなのか、あるいは俺の想定外の対応のためか。両目にじわりと涙を浮かべて、俺に懇願している。いたいけな少女アイドルが、作者が想定した物語のレールに俺を無理矢理乗せようと、必死の思いで説得している。まったく気の毒な話だ。


 が、そんなの別に俺の知ったことではないのであった。俺はここから逃げ出さなくてはならないのだ。なにしろ俺は、金を持っていないのだから。この少女を買い取る以前の問題だ。


「プロデューサーはあたしのプロデューサーなんだよ! 本当は知ってるんでしょ!? だからあたしを助けてよ! 何で知らないふりをするの!? これは決められた運命なんだよ!? 助けないといけないんだよ!? あたしはプロデューサーにプロデュースされるためにこの世界に生まれたんだよ!? あたしをトップアイドルにしてくれるんでしょ!? どうしてなの!? ねえ、プロデューサー! ……プロデューサー!!」


「あいにく俺はプロデューサーじゃないし、決められた運命なんていうのも存在しない」


 店員が店の外に出てきた。俺は猫耳の手を離すと同時に、背中をドンと押した。少女の体は一瞬よろめくと、直後に手錠を持った肥満体の中年によって抱きかかえられ、そのまま両腕を拘束される。


「じゃあな」


 俺は後ろも見ず、ダッシュで駆けだした。

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