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III-2

「……むっ?」


 足をもつれさせながら通りを歩いていると、ひとつの張り紙に目が止まった。


 そこにはこう書かれてあった。


《激辛ツチノコラーメン 時間内に完食できたら無料!》


「これは……」


 見れば四角いサッシのフレームパーツとガラスとタイルだけで構成された、良く言えばシンプルな、悪く言えば低予算な佇まいをしたラーメン屋だった。安っぽいプラスチック製の看板から察するに、チェーン店と思われる。こんな店、普段の俺だったら入ることなど有り得ないのだが、なにぶん空腹が限界に来ていた。換気口から流れ出る濃厚な豚骨スープの香りが、俺の理性を狂わせる。


 完食できたら無料。これだ。まさしく今の俺のためにあるような言葉じゃないか。金を要せずして飢餓状態を解決できる。それはとても大切なことだった。異世界に来て早々、犯罪に手を染めずに済むのだ。


「いいじゃないか……!」


 逡巡は無用だった。俺は迷うことなく暖簾をくぐり、ラーメン屋のぼろっちい引き戸に手をかけた。


「いらっしゃい」


 外から見た印象のままに、店内は暗く狭かった。カウンターの向こうで、頭にえんじ色の和帽子を乗せたリザードマンが皿を洗っていた。店員は一人だけのようだった。客はいない。座敷席の畳がいやに汚い。俺は舌打ちをした。俺は潔癖症なのだ。


 俺はカウンターの一番奥の席に腰掛けようとしたが、その丸椅子はクッションのスポンジが四方向からはみ出ていた。なので俺は慣例を破り、その隣、奥から二番目の比較的マシな部類の椅子に着座した。


 開口一番、俺は店員に告げた。


「激辛ツチノコラーメンを頼みたい」


 リザードマンの目が丸くなった、と、俺には感じられた。リザードマンの表情の変化なんぞ、俺には分かりようがない。むしろ目が細くなったと言うべきかもしれない。


「それは、チャレンジに挑戦するということで?」


「そうだ」


 俺はそう言って、すぐに言葉を付け足した。


「ああ、待ってくれ。先に水を飲ませてくれないか」


「でも、チャレンジに挑戦するんでしょう?」


「そうだが、それがどうした」


「いえ、チャレンジ中は水を飲んではいけない決まりになってますんで。ここでお出しするわけには……」


「はっ?」


 意表をついた対応に、俺の声は思わずうわずった。


「いやいや! まだやる前だからいいじゃん! 俺は喉が渇いてるんだよ! 水!」


 いかん。大声を出すと喉が焼ける。


「ですが……」


 トカゲ男が申し訳なさそうな顔をした(と俺には感じられた)。


「チャレンジを表明した以上は……決まりですので……」


「おいおい……!」


 ああクソッタレ。俺は自分の失策に顔を引きつらせた。セリフを言うタイミングを間違えたのだ。なぜ水が出てくるのを素直に待てなかったのか。慌てているどころの話じゃない。やはり俺は、自分で思っている以上に冷静さを失っているのだ。


「ああもうわかったよ! じゃあさっさとラーメンを出してくれ! 俺は腹が減ってるんだ!」


 俺は叫ぶように言った。


「それは、チャレンジに挑戦するということですか?」


「そう言ったろ! テメエ聞いてなかったのかよ!」


「でしたら、まずはルールの説明をさせていただきますが、よろしいですか?」


「はあ!? そんなのいちいち必要か!? 食べ切ればいいだけの話だろ!?」


「そうなのですが、一応、本社から言われてることなんで……」


「あーそうかい、わかったよ! じゃーさっさと説明してラーメン作れっての!」


 喉が痛い。俺は空腹と水を飲めない怒りとでイラツきまくっていたが、リザードマンの表情にさしたる変化はなかった。店員の声には抑揚というものが一切ないが、もとよりリザードマンはそういう種族である。


 トカゲ男がカウンターテーブルに、冷えたおしぼりとメニューを置いた。


「それではご説明いたします。制限時間は30分となっております。チャレンジに用いる当店の激辛ツチノコラーメンの分量は2000グラム、辛さは通常の50倍となっております。辛子高菜のおかわりは自由となっております。なおチャレンジ中につきましては、水を飲むこと、トイレに行くこと、味覚変化魔法を使うこと、およびそのような効果をもたらす薬品を事前に服用することを禁止いたします。これらの違反が発覚した場合、ただちにチャレンジを中止し、挑戦に失敗したものと見なします。ご了承ください。完食に成功した場合、料金は無料になるとともに報奨として、当店オリジナルの特製シルバー・マイクを進呈いたします。また、成功者の方は承諾を得た上でお顔の写真を撮影し、店内に貼り出させていただきます。ただし、時間以内に食べ切れなかった場合は、代金として3500ゲンブツをお支払い願います。なお、このお支払いは現金のみ可能で、クレジットカードはご利用いただけません。ご了承ください。成功・失敗にかかわらず、当店のチャレンジに参加するのは一度限りとさせていただきます。よろしいですか?」


「あーもう長えなあおい!」


「そうですか? 分からない所がありましたならば、もう一度始めから説明いたしますが」


「いらんわボケ! 早くしろや!」


「あっ、人数を訊くのを忘れていました。一名様、ということでよろしかったですかね?」


「はあああ!? んなもん見りゃわかるだろーがよ!! さっさと始めろって言ってんだろ!」


「分かりました。それでは支度いたしますので、しばらくお待ちください」


 それだけ言うとリザードマンの店員はメニューを即座に取り上げ(じゃあ置くなよ)、俺に背を向けると湯切りを片手に淡々と麺を茹で始めた。


 俺はかなり意識的に貧乏ゆすりをしていた。この精神状態の下でテーブルを殴って穴を開けなかったというのは俺にとって奇跡であり、自分で自分を褒めたいとさえ思った。


 貧乏ゆすりをしながら、俺は考えていた。2000グラム、ということは40センブルくらいか。なんだ、楽勝じゃないか。苛立ちの中にありつつも、俺は心の中でほくそ笑んでいた。なにしろ今の俺ときたら、いまだかつて経験した事がない腹ぺこ状態にあるのだ。こりゃ完食に五分もかからんな。一回しかチャレンジできないってのが惜しいぐらいだぜ。いや待てよ、チェーン店ということは、同じ名前のラーメン屋ならどこでもやっているチャレンジなのだ。こうやってタダメシを頂きながら、全国食べ歩きをやるってのも悪くはないな。その前に服の調達が先だが。


 それにしても、この世界のお金の単位は「ゲンブツ」と言うらしい。デシンクではなく、だ。1ゲンブツはどれほどの価値なのか、これからこの異世界で生活していく以上、仕事も探さねばならないだろうし、経済についてはもっとよく知っておかねばならない。


 俺はシミだらけのカウンターテーブルに、長らく手に握っていたスマホと『虚人たち』の本をぞんざいに置いた。文庫本の小口から、黒い小さな紙のカドがちょこんと顔を出している。


「あっ」


 それを見て、俺は今更のように驚いた。そう、今の今までド忘れしていたのだ。作者が別れ際に、強制的に俺に渡したこの紙を。


 俺は親指と人差し指で紙をつまみ上げた。手の平に全部収まるほどの小さな、薄くも厚くもない、画用紙を裁断して作ったような紙。黒い地の中央を走る、白いゴシック体の太文字。そこにはこう書かれていた。


 《アイドル引換券レア》、と。


「……アイドル引換券……?」


 俺は紙をひっくり返して、裏面を見てみた。そこには数行にわたって、「規約」と題された長めの文章が書かれていた。が、一個一個の文字が小さすぎて、顔を近づけないと読むことが出来ない。とりあえずラーメンが出てくるまで暇なので、差し当たって俺はそのテクストの読解に挑戦することにした。


 《本券はアイドル引換券レアです。本券一枚につき、アイドル運営庁の認可を受けた公式アイドルショップにて公式のレアアイドル一人と交換することができます。本券はお一人様につき一回限り利用が可能です。なお、本券を使って交換したアイドルの返品はできません。本券は非売品であり、これを第三者に売却および譲渡することは、アイドル相続法により固く禁じられています。本券をコモンアイドルおよびアンコモンアイドルと交換することはできません。本券はアイドルの買い取り価格を値引きするものではありません。本券の有効期限は次回アップデートの実施日までです。本券の破損・紛失による再発行は受け付けていません。本券の利用者が満二十歳未満である場合、保護者同伴のもと、引き換えの際に年齢確認を行う場合があります。対象のアイドルが売り切れていた場合、替わりにチーズバーガーセットをご提供いたします。》


「……うーむ……」


 俺はうなり声を上げた。わからん。つーか文章が長すぎて読む気がしない。だがアイドルだ。そう、またアイドルが出てきたのだ。俺を一瞬にして地獄に突き落とした悪魔の言葉、アイドル。そのアイドルがこの異世界にもいるというのだ。そしてこの券で交換できるというのだ。で、交換して、その後は? うーむ……。やっぱりわからん。つまりどういうことなんだ? 空腹のせいで考えがまとまらない。作者の意図が読めない。想像もつかない。まさか、あの試練の儀式はまだ続行しているとでもいうのか?


「お待たせしました。激辛ツチノコラーメン一人前です」


 ズシンという重低音とともに、いきなり俺の目の前にどでかい器が現れた。


「えー、ただいまの時刻が三時ですので、三時半をタイムリミットとさせて頂きます。では、スタート」


 リザードマンは驚いた俺のリアクションに注意を払おうともせず、壁掛け時計を見ながら強制的にチャレンジを始めようとした。


「えっ、ちょ、スタート早くね? まだ心の準備が出来てないんだけど?」


「そうですか。でもすみません、時間のキリが丁度いいんで」


 そう言ってまるで他人事のように、トカゲ男の店員は手に持ったストップウォッチのボタンを事務的に押した。


 ピッ、と短い電子音が静かな店内に響き渡った。


「ええ……マジで……」


 始まってしまった。くそっ、何なんだよこの店員は。俺が主人公じゃなかったらとっくに○してるぞ。しかしキレていても仕方がないので、俺は気を取り直し、眼前にそびえる巨大な物体と真正面から対決することにした。


 なるほどこいつは結構な分量だ。そもそも麺が見えない。赤いスープを浴びて血まみれになったモヤシが山のように、というか山そのままの形に積み上げられている。その巨大な山を押し潰すように、鮮やかな蛍光を発する黄緑色のツチノコチャーシューが上方から数重に覆い被さっている。モヤシ山の表面には他にも野菜がトッピングされているみたいだったが、俺にはどうも、それがスイカの皮のように思えてならなかった。


 しっかしツチノコっつーのは、どこの世界にもいるんだな。


 俺は空腹極まっている状態なのに、その異様な陣容を構える食い物を見て吐き気を催しそうになった。どこから食えばいいんだこれ。料理として、全体のバランスが悪すぎる。店員、真面目に盛りつけする気ないだろ。第一まず根本的な問題として、美味そうに見えないのだが。食欲が刺激されない。脳が危険信号を発している。これを食べてはならないと。


 が、ここで臆病な顔を見せて店員にナメられるのも癪だ。これは俺の主人公性をアピールするために設けられた場なのだ。この異世界に来て最初のイベント、すなわち俺の異世界デビューだ。初手から失敗するわけにはいかない。もちろん、別に失敗するなんて思っちゃいない。ただ単にマズそうラーメンだなー、食べたくないなーと思ってるだけだ。だから過程はどうあれ、最終的には完食できるに決まってる。できるように台本が書かれてる。間違いない。よし食うぞ。


 箸を取り、山が崩れない程度に小さな動きでモヤシと麺をかき混ぜる。麺をつかまえて箸をゆっくりと上げると、その太麺は尋常でなく赤黒いスープでゼリー状にコーティングされていた。


「うわあ……」


 やべえな。これ絶対やべえわ。あかんヤツやこれ。食う前から汗が噴き出してきたんだが。命の危険すら感じるが、もはや尻込みしてはいられない。俺は意を決し、唇を、震わせ、ながら、麺を、ためらい、がちに、すすった。


 ……。


 ………!


 ………………!!


 ………………………!!!!


「みんな頼むー! 手伝ってくれー!」


 ふいに店の外から、野太い男の叫び声がした。


「んっ? 何だろう?」


 リザードマンの店員が、店の外に視線をそらした。


 俺はその一瞬の隙を逃さなかった。おもむろにおしぼりを右手に丸めて掴むと、上向きに開けた口のその上から、そのおしぼりをあらん限りの力で握りしぼった。


 外から、男の叫び声が再度響き渡る。


「アイドルが逃げたぞー! あいつを捕まえろー!」


 店員が俺の方を見た。


 俺はすました顔で言った。


「なあ、おしぼりをもう一個くれないか? 汗が出て止まらないんだ。おしぼりの追加要求はルール違反じゃないよな?」


 また外から叫び声。


「そっちだ! そっちに逃げたぞー! こらー待てー!」


「あっちだ! あのラーメン屋に入ったぞー!!」


 バシンッ!!


 一瞬の出来事だった。ラーメン店の引き戸が、恐るべき速度で開いた。


 そして開いた扉の先に、一人の少女が息を切らして立ち尽くしていた。


「はあ……はあ……はあ……」


 短いしっぽを生やした、猫耳の少女だった。


 俺と少女の、目が合った。


 俺は静かに箸を置き、この後に起こる展開を考えていた。

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