III-1 テーブルトーク・ロールプレイング・シティー
午後二時。太陽は依然として明るく、空には雲一つ無い。
俺はベイシュテルンという名の、さっき作者によって創造された典型的な中世ファンタジーの街を、特に当ても無くさまよい歩いている。
外の寂莫感が嘘のように、壁の内側は人ごみで賑わっていた。どうやら俺は商業地区にいるらしかった。中世レベルの文明にしては高階層の家屋群が、道路の両側で押しつ押されつ、ひしめき合って建ち並んでいる。それらのビルディングからは様々な業種の様々な店舗の看板が、まるで泳ぐ者を海の底へ引き込む亡者の腕のように、街路の方へ上下に左右に前後に際限なく手を伸ばし、客の目を引くべく熾烈なポン引き合戦を繰り広げていた。魔法の力によるものか、中には実際に動いている看板すらある。
歩いている街路も結構な幅があり、過積載としか思えないほどに物資を乗せまくった(何を乗せているのかは知らない)荷馬車が、木製の車輪を軋ませ不愉快な騒音を立てながらひっきりなしに通りを往来していた。衝突事故が起こらないのが不思議なくらいだったが、よくよく観察してみると、そのような事は起こりえないのだと分かった。クローンのように同じような色、同じような形状、同じような荷造りを施した馬車の群れが、一定の時間ごとに一定の距離間隔で路肩を歩く俺のすぐそばを横切っては、粒子の細かい砂埃を膝下まで巻き上げて猛烈なスピードで走り去って行く。ひどく乱暴でありながら、その走行スピードは恐るべき不変さを保っていた。
ここは中世の街なので信号機は無い。横断歩道もない。だから当然、道路標識も無いかと思いきや、車両進入禁止の赤く丸い標識が交差点ごとに、こちらに背を向けるように立てられていた。
足下を見て、俺は眉をひそめた。馬車のせいで白い靴下とスニーカーが砂まみれだ。
俺は憎しみの目で馬車を睨んだが、もちろんそんな行為に意味はなかった。馬車の御者がいないのだ。馬だけが勝手に走っているのだ。
これらの馬車は結局のところ、ここが交易の盛んな街であることを示すための記号であって、それ以上のものではなかった。あれは実際に荷物を運搬しているわけではないのだ。既に周知の事実であり、こんなことを一々言う必要もないが、それでも敢えて言わせてもらえば、俺は街の外で馬車を見た覚えなど無い。街と同様に馬車もついさっき、ツールによって生成されたのだ。この人工的な環境音発生装置は、単に荷物を抱え込んだまま街の内部を延々と周回しているか、街壁の内とすぐ外とを行ったり来たりして街の状況を説明しているだけなのだ。どこの世界だって同じだ。こういう輸送機関の存在意義など、光速暴路のトゥヴェックと本質的には変わりがない。
俺としては、ここで主人公らしく道路の真ん中を堂々と闊歩してみせて、この異世界に俺という偉大な存在が超新星のごとく現れたという重大ニュースを民衆に伝えたかったわけだが、こうも頻繁に馬車が行き来したのでは危なくて仕方がない。それに第一、着ている服の問題があった。現状、俺は主人公にふさわしい服を着ていないのだ。
多くの人々が石畳の道路を行き来していた。男も女も、着ている服は多種多様でバラエティーに富んでいた。男たちは綿のチュニックやワイシャツ、あるいはニッカポッカやスカジャンを、女たちはエプロンドレスだったりワンピースだったり、あるいは割烹着だったり浴衣だったりをその身にまとっていた。他にはスポーツウェア、ジーパン、トーガ、アロハシャツ、ポンチョ、オーバーオール、アオザイ、ボディコン、リクスー、穴あきセーター、キリン装備などなど。いずれにせよ、ごくごく典型的な中世文明世界の人間が着る一般的な衣装だ。あまりに普通すぎて、特筆するようなこともない。ファンタジーの世界らしく、魔法使いのフード付きローブを羽織るウィザードや重厚な鋼鉄製プレートメイルを装着した騎士もいる。リュートを弾き語る吟遊詩人もいれば、黒い覆面をかぶり意味もなく逆立ちをしている東洋の忍者もいる。ここは国際都市なのかも知れない。
街は喧噪に包まれている。新人声優の最初の仕事、使い回しのガヤ録音だ。
多くの街びととすれ違ったが、彼らが俺の格好に対して特段の反応を示すことはなかった。その事が逆に、俺の心を不安にさせた。なぜならば、男である俺がこの服を着ているというのは明らかにおかしな事なのであり、それを見て何も思わないというのは、はっきり言って奇妙だし異常だからだ。俺は危機感を覚えた。世界観のリアリズムが損なわれていると感じた。生活感が無い。ただ前だけを見据えて歩き、きっちり90度かかとを曲げて角を曲がる人々。ガヤ音がするのに、誰も何も喋っていない。着ている服が違うだけで、馬車と同様に同じ顔、同じ身長、同じ速度で歩く人々。それは現実社会にあっては不自然かつ不可解なことだった。これではこの街の人々はただの動く人形、業界用語でいうNPCではないか。それでは困るのである。真実がどうであれ、各人はこの世界を空想の産物ではなく現実のものと認識した上で立ち振る舞い、自分の役柄を演技するべきなのだ。君たちは現実世界の人間なのだから、ちゃんと人間味を持って反応しなけりゃならん。きちんと主人公である俺の格好を見て、その感想を表情なり言葉なりで表現してくれないと。
とはいえ、いざ実際にツッコミを入れられるような事があれば、俺は赤面して言葉も出せなくなるだろうが。
「腹減ったなあ……喉渇いた……」
商業地区の大通りを無目的に前進しながら、うわごとのように呟き続ける。悲しいかな、今の自分は浮浪者以外の何者でもない。まったく主人公的でない。体が水と食糧を求めている。歩きながら、店の看板が否応にも目に付く。それらの看板が指し示す店舗もまた、人々の服装と同様に典型的な中世ファンタジー世界にありがちなものばかりだ。何ら興味深いところは無い。
武器屋に防具屋。道具屋。薬屋。コンビニ。宿屋に酒場。パン焼き屋。理髪店、兼、瀉血屋。歯医者。占い師の館。コンビニ。金貸し。コインパーキング。手工業ギルドに芸術家ギルド。リサイクルショップ。ビール業者にワイン業者。公衆トイレ。ファミレス。煙突掃除屋。魔術師ギルドに馬具職人ギルド。コンビニ。旅行代理店。携帯スマホショップ。漫画喫茶。鍛冶屋。銃器屋。靴屋に帽子屋。和菓子屋。立体駐車場。付けぼくろ屋。コンビニ。カラオケボックス。抜歯屋。レンタルビデオ店。コンビニ。
ぐうぐうと鳴る腹を押さえながら看板の指し示すものをひとつひとつ抽出し終えた後で、俺はその結果に愕然とした。本当に何の創意工夫も見られない、極めてステレオタイプな中世ファンタジーの町並みではないか。全てが既製品であり、独自性、独創性というものが微塵も存在してしない。
俺は確信した。ここは作者が創造した世界の中でも、トップクラスに手抜き度が高い。ツールで生成したという作者の弁は真実だったのか。そんな事はあってはならない、そう信じていたのに。
先入観を捨て、細部に目をこらしてみれば、悪い意味で興味深い街だ。街路を走っている乗り物は馬車だけなのに、駐車場には普通に石油自動車や電気自動車が停めてある。旅行代理店のガラス窓には「ハワイでのんびり四泊五日」の張り紙。同じ通りに存在する歯医者と抜歯屋。中世の街にはあるはずもない、タバコの自動販売機。男性と女性の二種類しかない公衆トイレ。和菓子屋の前に、たった一本だけ立っている電柱。電線は当然のように途中でちぎれ、柱に巻き付きながらだらしなくぶら下がっている。極めつけは、二階のベランダから今まさに落ちようとしている、しかし実際には落ちていない、宙に浮いたまま完全に静止している植木鉢だ。
俺は戦慄した。比喩表現無しに背筋が震えた。これは生成ですらない。既存の世界のコピー&ペーストだ。創造の対極にある行為だ。全ての創作者に対する冒涜だ。作者は何を考えているんだ。ただでさえ空腹で力が入らないところに、言いようもない無常感、脱力感が俺を襲う。
ああ、だが恨み言を並べても仕方がない。とにかく先に食欲を満たさなければ。そう思って俺はタダメシを食わせてくれそうな店の看板を調査したのだ。もちろんそんな都合の良い話は無かった。残念ながらここは中世世界であり、福祉厚生というものは存在せず、現代ならばどこの町にも百ヤ-ド間隔で設置されているライフフィラーも無いのであった。その代わりに中世らしく、空き用地は許さないとばかりにコンビニが無数に配置されている。ただし、その半数は(現実世界に実在する)元ネタの許可を取れなかったからか、ただ建物と同じ体積の巨大ダンボール箱に「コンビニ 目下交渉中」という文字がサインペンで殴り書きされているだけだった。いずれにせよ、コンビニは無料で利用できる施設ではないので用は無い。
そろそろ、もう一つの選択肢を考慮すべき時かもしれない、と俺は感じていた。すなわち、ちょいとそこらの店に乗り込んで、腕をぶんぶん振り回して威圧し、せいぜい店員に脅しをかけたところで物資を強奪しちゃう、そんないつもの王道パターンだ。何なら、そこらのギルドを襲撃して当座のねぐらにするのもいい。自動車を拝借してドライブを楽しむのもいい。伝統的に、魔術師ギルドには若い女が多数在籍しているものだ。もし仮に俺が脇役で悪役なりライバル役の立場であったのなら、迷わずそれをしたことだろう。警察? 俺は警察に捕まったことはない。少なくとも中世の警察には。警察を襲撃したことも幾たびかある。俺自身が警察になったこともある(もちろん悪徳刑事の役柄で)。だがしかし、今の俺は主人公なのだ。俺の知っている主人公はコンビニの店員を脅したりしないし、意味なくギルドを襲撃したりもしない。もちろん女もレイプしない。多分、自動販売機の下に手を突っこんで小銭を探したりもしないだろう。
この世界には、悪役である俺をこらしめる正義の味方、すなわち主人公が存在しないのだ。なぜなら、他ならぬこの俺が主人公だからだ。皮肉にも、俺が主人公であること自体が俺の行動の足かせになっていた。参ったな、これでは安心して悪事を働くこともできない。あるいは警察に就職することが出来れば、可能性の道も開けるが。
いやはやまったく、これは新たな発見だった。親父であるルーベイ王からミッション用の悪人を与えられないのが、まさかこれほどまでに不便なことだったとは。