⑪
三時になったので、俺はチャンスだと思って声を出した。
「一旦、おやつにしないか?」
従妹は時計を見てから頷く。
「そだね。そうしよっか」
俺が立ち上がると実夏も続いた。
普段なら「持ってくる」と言うところなんだけどな。
つまり、俺に気を遣ったわけだ。
俺達が台所に顔を出すと、じいちゃんとばあちゃんがお茶を飲んでいた。
「おお、どうした?」
じいちゃんが俺達に気づいて声をかけてくる。
「ブレイクタイムです」
俺が言うときょとんとした顔が返ってきた。
……すみませんでした。
「おやつの時間だから」
実夏が言うと納得顔に変わる。
「そうか。そんな時間か。稔、ちょっといいか?」
そして何かを決めたような顔へ。
あ、ここで入学祝いかな。
何となく予想出来てしまうのはいい事なのか、悪い事なのか。
「うん。何?」
何だかそっけない反応をしてしまった気がする。
もっと不思議そうな態度の方がよかったかもしれない。
しまったと思ったけどもう遅いよな。
じいちゃん達は特に変に思わなかったようなのが救いか。
二人の後に続くと実夏もくっついてくる。
この展開が同じなのは予想出来た。
俺が今日、この家に来る理由なんだから。
ただ、今回は叔父さんと叔母さんがいなくて、代わりに実夏がいる。
受け取る時、一緒にいる人は変わるのだろうか。
じいちゃんが手にしているのは、やはりと言うべきか、黒地のストライプの包装紙で綺麗にラッピングされた四角い箱だ。
俺の中でこれは三回目なんだよな。
「稔、入学おめでとう」
「ありがとう」
受け取っても正直ワクワクしない。
ただ、実夏が拍手してくれたのが照れ臭かった。
これは二度目なんだけど、気恥ずかしさってやつに慣れるのは難しいのかも。
包みを開けてみる。
電子辞書じゃなかったらいいんだけどなと思っていたけど、出てきたのはやはり電子辞書だった。
色も同じである。
プレゼントが包装紙から中身まで全部一致って事は、やはりループしているんだろうか?
普通、包装紙の色とかまでは当たらないよな。
「ん? まずかったか?」
俺はどんな顔をしていたのか、じいちゃんがそう尋ねてくる。
まずい、プレゼントをもらって不満そうな顔をするのはよくない。
「いや、これでちょっとは成績が上がったらいいんだけどなって、プレッシャーを感じちゃって」
笑ってごまかしを図る。
「成績上がったら私と遊ぶ時間、増えるよね」
実夏がそんな事を言う。
いや、この家にいる間、大概はお前と遊んでいるけど。
と思ったが、もしかしたら実夏なりのフォローなのかもしれない。
そう考えれば違和感はなくなる。
きっと過去にやってくれた時もそうだったのだろう。
心遣いに気がつかなくて申し訳ない事をした。
「今以上遊ぶとなったら、こっちの高校じゃなくてうちの地元の高校を受けるしかないぞ」
正面切って礼を言うのが照れ臭くて、冗談めかして言う。
「あ、それもいいかも」
実夏は名案だとばかりに目を輝かせる。
いや、冗談だったんだけど……。
「却下だ、却下」
どこにいたのか叔父さんがひょっこり顔を出して、そう言う。
聞いていたのね……どこから聞いていたんだろう。
俺の疑問をよそに実夏は叔父さんに尋ねる。
「どうして? 伯父さんの家に下宿させてもらえばいいんじゃない?」
これはもっともだと思った。
うちの両親は実夏を可愛がっているから、反対はしないだろう。
「却下、却下、稔と一つ屋根の下だなんて却下」
一方で叔父さんはまるで駄々っ子みたいに反対する。
て、俺のせいかよ。
「俺ってそんなに信用されていないの?」
ちょっとショックだ。
「そうだよ、お父さん。みっくんに失礼だよ」
実夏が援護してくれる。
「康徳は実夏を溺愛しとるからな」
じいちゃんが困った顔をしてつぶやく。
いくら何でも過剰な気がするんだよな。
「何の騒ぎですか?」
叔母さんがやってきた。
叔父さんが勢い込んで言う。
「実夏がこっちじゃなくてあっちの学校を受けるとか言い出したんだ」
指で俺の顔を示しながら言う。
「お前も反対してくれよ」
「まず、あなたが落ち着きなさい」
叔母さんはため息をつき、叔父さんの頬をぴしゃりと打つ。
そして実夏に向き直る。
「あなたも本気で言った訳じゃないんでしょう?」
「え、うん。それもありだなって話をしていただけで」
実夏は「それもいいかも」としか言ってないからな。
必死に「却下」と言われたら、困るか反発するかだろう。
「ほら、ごらんなさい」
叔母さんにじろりと見られ、叔父さんは気の毒なくらい小さくなった。
先走りすぎたのは明らかだったからか、誰も擁護しようとはしない。
白けた空気を壊したのは実夏だった。
「お母さん、おやつ食べたい」
「そうね。稔君、飲み物は何がいいかしら?」
ここは乗っかっておこう。
俺じゃ叔父さんのフォローは出来ないし。
「えっとコーヒーでお願い。ミルクあり、砂糖なしで」
「了解」
実夏が俺の手を取る。
「行こ、みっくん」
「うん」
実夏はことさら叔父さんの方を見ないようにしていた。
それと気づいても、俺にはどうする事も出来ない。
台所の椅子に座ると実夏が冷蔵庫を開け、クッキーを出してきてくれた。
クッキーって冷蔵庫に保管するの?
疑問には思ったが口には出さなかった。
「昨日作ったの。よかったらどうぞ」
そう言って勧めてくるので、一つ手に取って口に運ぶ。
ヒンヤリとしていてサクサクしていて美味しい。
甘さが控えめなのが俺の好みに合っている。
「美味しいな、これ」
心の底からそう言うと、実夏は胸をなでおろした。
「よかった。口に合わなかったらどうしようって思っていたから」
安心して微笑む顔は、どこかあどけなくて可愛い。
「よかったわね。稔君の舌に合う物を作ろうと試行錯誤していたものね」
叔母さんが娘にねぎらいの言葉をかけながら、俺の前にコーヒーを置いてくれる。
「お、お母さん。そんな事を言ったらみっくんが気にしちゃうでしょ!」
実夏はちょっと焦っていた。
確かに気になるけど。
「でもありたがく頂くよ」
美味しく食べるのが礼儀だと思えばそこまでじゃない。
後、所詮は気の置けない仲である実夏だというのもある。
クッキーを放り込み、咀嚼していて気づいたのだが、叔母さんや実夏は手を出そうとしない。
もしかして俺専用なんだろうか?
俺が疑問を持ったのを察したか、実夏が言う。
「あたしからの入学祝いだよ」
「そうか。ありがとう」
俺は礼を言う。
軽すぎないように注意しつつ、重くならないようにも気をつけつつ。
軽いのは論外として、重くても実夏が気にするだけだしなあ。
さじ加減ってやつはなかなか難しい。
と言うかこれ、過去二回じゃなかったよな。
どうしてなんだろう?
ひょっとして、俺がバレンタインチョコをねだったせいか?
だとしたら、俺って知らないうちに酷い事をしていたんじゃ……せっかく作ってくれたクッキーを食べなかったなんて。
反省しよう。
「みっくん、どうかした?」
実夏が不意にそう訊いてくる。
態度に出てしまっていたのか、それともこいつが鋭いのか。
とりあえずはごまかしておこう。
「いや、実夏からもらえるとは思っていなかったから、驚いたって言うか」
「ふ〜ん」
完全に納得したようではなかったものの、それ以上の追及はこなかった。
いや、ちょっと待てよ。
今年、これだけ食べたら、来年実夏にお返しで何かお祝いをしないといけないんじゃ……不安になったので口に出してみる。
「来年は俺が何かしないといけないよな? 何がいい?」
実夏は予期していたようで考え込む。
「うーん。気持ちが大事だから何でもいいんだけど、それじゃ困るよね?」
俺が頷くと、更に唸り出す。
そこで叔母さんが助け舟を出した。
「今すぐ決めなくてもいいんじゃない? さすがに気が早いわよ」
それもそうだと思ったので、
「じゃあ実夏。考えておいてくれよ」
と言ってこの話を打ち切る事にする。
「うん、そうだね」
実夏も応じた。
そこへ父さんと母さんがやってくる。
「お、クッキーか」
「うん。俺用だってさ」
目を輝かせた父さんを俺が牽制すると、母さんが言った。
「実夏ちゃんにお礼は言った?」
「うん。よく実夏が作ったって分かったね」
俺が驚くと、
「そりゃあなた専用クッキーを作るなんて、実夏ちゃんくらいでしょう」
大した推理力だと感心してしまう。
ところが、そこで実夏が口が挟む。
「悔しいんだけど、お母さんはずっと上手だからね。一目見れば分かっちゃうくらい差があるし」
何だそりゃと思って母さんを見たら、目を逸らして口笛を吹きやがった。
推理って訳じゃなかったんだな。
感心して損したかも。
と思っていたら、実夏は立って冷蔵庫からまたクッキーを出す。
俺に出した物とは種類が違うようだ。
「叔父さんと叔母さんの分もあるよ」
「おお」
父さんは感極まったような反応を示す。
「女子中学生の手作りおがふっ」
苦悶の声を上げたのは、母さんのひじ打ちがみぞおちに決まったからだ。
「あなた、気持ち悪い言動は慎んでね。恥ずかしいから」
「い、いえすまむ」
父さんはうめきながらそう答える。
涙目になっているけど、俺は知らんぷりを決め込む。
叔母さんと実夏もスルーしている。
うん、平常運転だ。
父さんも叔父さんも言動がアレとか気にしちゃいけない。
それよりも気になる事が一つある。
過去二回、発生していたバレンタインチョコ関連がほぼ回避された事だ。
他にも変わる事もあるし、ループ内で発生する出来事は回避が可能と判断していいんじゃないだろうか。
さすがに昼食とか夕食とか、あるいは入学祝いとか、必ず発生するものもあるんだろうけど。
ループの要因が「回避出来ないイベント」だったら最悪だなあ。
ゲームとかでなら、何度もループしながら脱出条件を見つけたりするんだけど、これは現実だし。
誰かの攻撃だと仮定した場合、むしろ回避出来ないイベントで脱出出来ないように仕向けるんじゃないだろうか。
「みっくん、どうかした?」
考え込んでいると実夏が心配そうな顔を見せる。
叔母さんも両親も似たような顔で、俺を見ていた。
考え事を邪魔されてイラっとする気持ちがないわけじゃないけど、そもそも人といる時に一人で考え事するなって話だよな。
とりあえずここはごまかそう。
「いや、これ以上食べたら太るかなって」
そう言って、両親が食べているクッキーが盛られている更に目を向ける。
実夏は目を丸くして、ついで頬を緩ませ、そして悩ましげな表情になった。
「もっと食べて欲しいけど、さすがにね」
叔母さんも続く。
「甘さ控えめと言ってもそれなりに糖分はあるから、これ以上はお勧め出来ないわね」
もっともである。
ただ、俺はごまかしたかっただけなので、物分かりのいい態度を示す。
「そうだよね。諦めるわ」
これで話は終わりだと思っていたのだが、そんなには甘くなかった。
「何なら明日、お土産に持って帰る?」
実夏はそう言いだしたのだ。
「そうね、そうしましょう」
「それがいいでしょうね」
母さん、次いで叔母さんも賛成する。
こうなると「やっぱりいらね」なんて言えない。
そもそも俺がもっと食べたいって言い出したんだし、断ったら不自然すぎるもんな。
「おう。でも、その前に明日のおやつにも食べようかな」
冗談めかして言うと皆に苦笑された。
「さすがにそこまではもたないんじゃないかな?」
実夏だけは嬉しそうにしている。
俺は良心がちくちくと痛むのを実感した。
何だか騙している気分になってしまう。
言い訳するなら、実夏の手作りクッキーが美味しいと言うのも、出来ればまた食べたいと言うのも事実だ。
「そうだぞ。何故なら父さんも食べるからだ」
父さんはがっつくという表現がぴったりな勢いで、クッキーを平らげている。
母さんも、
「そうね。ホント美味しいわ」
と感心していた。
そして実夏に
「稔の好みをちゃんと研究したのね」
などと囁いている。
俺は聞えなかったフリをした。
実夏が頬を染めている理由も分からないさ。
ただ、二人に向かって「どうかした?」と尋ねる事はしない。
聞えていたようにふるまうのはもっての他だ。




