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 年明けに有紀は墓参りに出かけた。そこには両親と妹が眠っている。

 墓石を綺麗に磨き上げ、持ってきた花とろうそくと線香を供えると、有紀はゆっくりとしゃがみこみ、手を合わせた。

「香織、仕返しは終わったよ」

 小さな声で呟く。あの女のせいで、妹は死んだのだ。妹の無念は私が晴らしてやった。そう、今頃あの女は地獄の炎に焼かれて、悶え苦しんでいるにちがいない。未来永劫、終わりのない苦しみがあの女を苛み続ける。いい気味だ。

 ふいに背後で砂利を踏む音がした。

「上条有紀さん?」

 男の声だった。驚いて振り向くと、背の高い男が一人立っている。

 黒い革ジャンに色あせたジーンズ、黒いサングラス。一言で言えば、柄の悪い男だった。

「こういうモンです」

 人差し指と中指で名刺を挟み、ぴっと有紀の前に差し出した。なんとも無礼な出し方だ。

 有紀は上目づかいで男を見た。サングラスの色が濃くて、目の表情がまるで分らなかったが、日焼けした顔には歪んだような笑みが浮かんでいる。どう見ても堅気ではない。

 有紀は警戒しながら名刺を受取った。

「フリーライター……斎藤孝之……さん」

「そ。フリーライター。その辺の雑誌に、書いた物載せてもらって、ほそぼそとやってます」

「はあ」

「ちょっと色々と教えてもらいたくて。立花莉子って知ってるよね」

 有紀はじっと斎藤を見据えた。そして、それには答えず、墓の周りの片づけを始めた。

 斎藤はそんな有紀の様子を一向に気にする風もなく、隣の墓の敷地の段に腰をかけ、喋り始めた。

「先月、死んだ女ですよ。アンタが勤める病院の患者さんだったでしょ?」

「患者さんのプライベートについてはお教えできません。警察にはドクターの方から話がありましたし、私が立花さんについて話す事は何もありません」

 有紀は空になったバケツを手にすると軽く会釈し、歩き始めた。斎藤はにやけた笑みを浮かべ、後ろをついてくる。

「看護師さんとしちゃそりゃ喋れないでしょうよ。それくらい俺でもわかってる。そうじゃなくてさ」

 斎藤の手が有紀の肩を軽く掴んだ。思わずその手を振り払い、斎藤を睨みつける。

「いい加減にしてください。しつこくすると警察に言いますよ」

「そんな怖い顔で睨まなくても」

 斎藤は大げさに両手を上げて降参ポーズをとった。

「上条香織さんの姉さんとして、さ」

 一瞬、心臓が止まりそうになった。

 斎藤はにやにやしながら有紀の表情を窺がっているようだった。

「気のどくな話だと思いますよ。まだ若かったんでしょ、妹さん。で、妹さんの自殺の原因、立花莉子なんだって?」

 いつの間にか有紀は拳を握りしめていた。突然現れた不法侵入者を殴りつけたい衝動を必死で押さえる。

 斎藤はにやにやしながら軽く顎をしゃくった。

「寒いから、コーヒーでも飲もうよ。ほんで少し話を聞かせてもらえたら嬉しいな~」

 どこまでも無礼な男だ。しかし、いつのまにか有紀は斎藤の促す方向へと歩き出していた。

 墓地を出て整備された遊歩道をしばらく歩くと、寺の境内に出る。まだ正月の明けきらないこの時期は初詣客もまだいるようで、境内はそこそこの人出だった。時々賽銭箱に小銭が転がり落ちる音が響いている。

 門のすぐ隣に休憩所があり、自販機が何台か置いてあった。

 斎藤はすたすたとそこに向かっていく。有紀はその後ろ姿を睨みつけるように見ながら歩いていた。このまま立ち去ってやろうかと思い、一瞬立ち止まる。しかし目の前の胡散臭い男が妹と立花莉子との因縁を知っているというのは気にかかる。いいや、今さら掘り起こされたところで痛くもかゆくもない。知らぬ存ぜぬで押し通せば済む事だ。何も心配する事はない。でも……。

 有紀の戸惑いなどお構いなしの様子で、斎藤は自販機の前に立つと自分の分の缶コーヒーを買い、ちらっと後ろの有紀を見た。

 有紀は無言で首を横に振る。

 斎藤は全く気にすることなく、勝手に自分と同じ銘柄のコーヒーを買うと、有紀に差し出した。

「いりません」

「ま、そう言わず、カイロ代わりにでも」

 ひっこめそうにないので、仕方なく有紀は缶コーヒーを受け取った。墓参りで冷え切った指には痛いくらいの熱さだ。

「俺ね、さっきも言ったけどフリーライターみたいな、ルポライターみたいなことしてるンすよ。ちょっと色々あって立花莉子と知り合いなんですけど、彼女あっさり死んじまって。なんというか、面白いネタをたくさん抱えた女だったんでね、ちょっと調べてる最中なんです。で、亡くなった妹さん、莉子の友達だったんだって?」

 有紀は手にした缶コーヒーを握りしめた。

「友達? さあ、知りません」

「しらばっくれて~。まあいいや」

 有紀は黙ったまま手元の缶コーヒーを見つめた。

「莉子が妹さんの彼氏を横取りして、で、妹さんがショックのあまり自殺した」

「特に私がお話する事もないんじゃないですか」

 有紀は鋭い口調で斎藤を遮った。斎藤の口から出てくる妹の死の経緯は、ひどく軽薄で俗っぽい響きに満ちており、聞くに堪えなかった。

「妹と立花さんの間に何があったのか、そんな事は知りません。第一、今さらなんの関係があるんでしょう」

 有紀は缶コーヒーを斎藤に突き返した。

「失礼します」

 踵を返し休憩室から出た。斎藤が後ろからついてくる。

「莉子の事、死ねばいい、殺してやりたいって思っていた人間は山ほどいた」

 有紀の足が止まる。

「多分、アンタが思っている以上にたくさん」

 斎藤は有紀の隣に立っていた。

「……そこに私が入っているとでも?」

「そうじゃないと?」

 しゃあしゃあと言ってのける斎藤を睨みつけた。

「俺だって、その気持ちはわからないでもない。ま、俺の場合、莉子の方が俺を殺したいって思ってたかも知れないけど」

「どういう意味ですか?」

「お、ようやくちょっと興味を持ちましたか」

 斎藤は肩をすくめた。

「アンタの過去ばっかりほじくって、自分の話をしないってのもフェアじゃないな、確かに」

 斎藤はまたしても缶コーヒーを有紀に手渡す。

「フリーライターなんて言ってもなかなか食っていけないからね、興信所なんかでバイトみたいな事してて。時々は別れさせ屋の手伝いなんかもしてるんですよ」

「別れさせ屋?」

「そ。例えばダンナの浮気相手に近づいて、その女とイイ関係になる。そして依頼主のダンナと別れさせる。女の方から離れてくれるんだから、ダンナも綺麗に奥さんの元に帰れるって寸法で。で、報酬を頂いたら、その女の前から俺は消えるって訳」

 色々な商売が世の中にはあるものだ。有紀は一瞬怒りを忘れてあっけにとられてしまった。

「ついこの間まで、莉子がそのターゲットだったんだよね。とある筋から頼まれてさ。で、もうじき仕事も終わる……と思った矢先に莉子が死んじまった。そりゃね、いくら俺がヤクザな商売をしていると言っても、後味は良くない。ついでに警察から根ほり葉ほり聞かれて、実はお前が殺ったんじゃないのかなんて言われちゃね」

「自殺、なんでしょ?」

 有紀はいつの間にか缶を強く握りしめていた。

「それがね~、手首切って大量出血して、死にかけてて、自分の腹をもう一回刺して、わざわざ自らとどめを刺すか?って話」

 有紀は耳を疑った。

 手首を切って、大量出血して、自分の腹を刺して? 腹を、刺す? 自分の記憶の中にそんなプロセスはない。

「どういう事ですか?」

「だからさ、自殺しても不思議ではない女だけど、手を貸した奴もしくはとどめを刺した奴がいるんじゃないのかって事ですかね。自殺ほう助か、乗りかかった船かは知らねえけど」

 有紀は缶コーヒーのプルトップを引き上げた。かすかに指が震えている。動揺を隠すために両手で缶コーヒーを握りしめ、口元に運んだ。頭が混乱している。

 

 自分は確かに立花莉子を殺した。


 睡眠導入剤の入ったジュースを飲むように仕向け、熟睡している立花莉子の手首を切った。


 立花莉子は自殺。そう、そのために下準備には一年近く時間をかけた。完璧だったはずだ。あの状態でしばらく放っておけば、少々時間はかかるだろうが、そのうちに死ぬ。わざわざ止めを刺す必要もない。


 それに、あの女の命を奪うのは自分でなければならない。


 なのに、誰かがとどめを刺した? 殺人の疑いがある?


 そんな莫迦な。


 立花莉子は腹部を刺された?


 そんな莫迦な。


 ありえない。


 私ではない。私は手首を……。手首だけを切ったはず。


 彼女は死ななかったという事なのか?


 いいえ、確かに彼女は死んだ。死んだはず。


 私が殺したのでなければ、一体、誰が?


 私が殺さなければならないのに。


 私以外の、誰かが、殺してしまった?


 くらっと目まいがし、有紀はその場に倒れかけた。慌てて斎藤がその身体を支える。

「ちょっと! 上条さん!」

 何がどうなったのかわからない。ただはっきりわかっているのは、何かがどこかで狂ったのだという事だった。


<続く>

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