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EPI.023 2026年11月1日 第174回-天皇賞(秋)- 日常パート

 天高く馬肥ゆる秋。

 快晴の空の下、二人は東京競馬場の入り口に立っていた。

「というわけで、今日は趣向を変えて東京競馬場からお送りするわ」

「ついに来ちゃったよ、競馬場……」

 電車を乗り継いで数十分。JR南武(なんぶ)線の府中本町(ふちゅうほんまち)駅で降りて、改札から直結した専用通路を歩くこと約五分。

 入場ゲートを通り過ぎた瑞希の眼前に広がっていたのは、東京ではあまりお目にかかることができない景色だった。

 敷地の果てはかすむほどに遠く、空はいつもより何倍も広い。

 圧倒されそうなほどの開放感だった。

 口にするとまりあにからかわれそうだから絶対に言わないが、絶景と呼んでもよいかもしれないと瑞希は思った。

「競馬場って、こんな感じなんだねえ……」

 ここに至るまでの道程は、想像よりもずっと身近で気軽なものだった。今まで遠い世界だと思っていた場所がぐっと近くなったような気がして、現実との地続き感に瑞希はどこか地に足がつかないような不思議な気分になる。

「そんなに身構えなくても大丈夫よ。先入観で怖いイメージを持たれがちだけれど、別に違法ってわけじゃないんだし、怖い人がいる場所でもないわ」

「それはまあそうなんだろうけど」

「おかしな人はときどきいるけど」

「それは、怖い人と同義なんじゃ?」

「冗談よ」

 言って、まりあはふっと笑う。

 普段より、いくらかテンションが高くなっているだろうか。

「それに、見れば分かると思うけれど最近は若いファンや女性のファンも多いのよ」

 あたりを見回し、確かに、と瑞希は思う。

 いつかの雑談で、似たような話をまりあから聞いてはいたが、その時は半ば半信半疑だった。だが、いざこの光景を目の当たりにすると納得せざるを得ない。

 総じてみれば、さすがに男性の方が多い。だが、女性の数も決して少なくはない。割合にしておよそ10-20%ほどだろうか。想像の十倍くらいの規模だ。

 加えて、瑞希らと同じくらいの年頃の高校生や中学生くらいの子どもの姿も目立つ。中には赤ん坊を連れた家族連れまでいた。

 今まで思い込みのイメージばかりが先行してしまっていたが、競馬というのは瑞希が想像しているよりずっと幅広い層に支持されている文化なのかもしれない。

「それで、今日はどうしてここに?」

「理由はふたつ。ひとつは、今日ここ東京競馬場で大きなレースが開催されるから」

「G1レース?」

「そう、秋の天皇賞。普段、競馬の予想は一緒に仲良くやっているのに、いざレース当日になると観戦はそれぞれ自宅で観ていたでしょう? それじゃあつまらないと思って」

「はあ」

「たまにはモニター越しの映像じゃなく、現場の空気に触れてみるのも悪くないでしょう?」

「観戦って、この人込みじゃあほとんどレースなんて見られないんじゃない?」

 東京競馬場の場内が相当に広いのだろうということは初心者の瑞希でも肌感覚でわかる。それでも、あたりはほんの数メートル先すら見通せなくなるほど、人であふれかえっていた。平均的な女子高生の身長しか持たない瑞希やまりあでは、いざレースが始まったとしても視界に映るのはただ無数の背中だけだろう。

「その心配については、もう一つの理由で解決できるわ。つまり、今日『ドラドラレーシング』の所属馬が走るのよ。残念ながら、第11R(メインレース)ではないんだけれどね」

「ドラドラレーシング?」

「竜ヶ崎HD(うち)の所有しているレーシングクラブよ」

 ドラドラ……。なるほど、竜ヶ崎だから。

「それで、なんでまりあちゃんのとこの子が走ると、観戦問題が解決するの?」

「それはもちろん、競走馬のオーナーは競馬場で一番の特等席、――つまりは馬主席で観戦できるからよ」


 競馬のコースに隣接している大きな施設。飲食店が並ぶエリアや馬券売り場が並ぶエリアを横目に通り過ぎ、正門近くの受付カウンターでまりあが何かしらを提示すると、スタッフが丁寧に道を開けた。

「こっちよ」

 案内されるままにエレベータをのぼった先に広がっていたのは、鉄火場(てっかば)のイメージとはかけ離れた、落ち着いた空間だった。

 ラウンジのようにゆったりと歓談できるスペースや、集中してレースを観戦できるようなテーブル席などが並んでいる。

 コースをパノラマで一望できるテラス席の下では、先ほどまで立っていたグランドフロアの観客がまるで豆粒のようなサイズでひしめいていた。

「はえー……」

 感嘆とも呆れとも取れるような声を漏らしながらまりあのあとを追っていると、スーツ姿の男性が二名ソファでくつろいで談笑していた。そのうち一人には見覚えがあった。先日、北海道に拉致された際に色々と面倒を見てくれていた壮年の男性だ。

 ただ、今日はどうも様子、――というか恰好が少々おかしい。

「こんにちは。待たせたかしら」

 まりあが声をかけると、二人は同時に立ち上がる。

「まりあ様、ご到着されていたのですか。ご連絡をいただければお迎えに上がりましたのに」

「それが嫌だったから連絡せずに来たのよ。競馬場でのあなた、すごく悪目立ちするから」

 まりあにそう言われた瀬場(せば)は、はて、と首をかしげる。

 傾げた首から垂れ下がっていたタオルが、ふわりと揺れる。

「……また派手なの拵(こしら)えたわね」

「これですか? どうです? 今日走る『ドラドラディライト』号のメンコをイメージしてデザインしてみました」

「派手」

 瀬場は、仕立ての良いスーツのさらにその上に、原色溢れる独特なデザインのタオルを身にまとっていた。

 両手には、手製と思われるうちわが握られている。

『君には先頭がよく似合う!!』

『ウィナーズサークルで僕と握手!!』

「…………」

 なんとなく、直感でわかった。

 たぶん、この人”強火担当”だ。

 瑞希が勝手に頭の中で思い描いていた瀬場のイメージが、ガラガラと崩れ落ちていく。

「きみが、瑞希さん?」

 もう一人、瀬場の隣に立っていた男性が瑞希に声をかける。

 ちょっとしたショックを受けてフリーズしていた脳を再起動させ、瑞希はまりあにそっと耳打ちする。

「こちらのおじさんは? たぶん初めましてだよね?」

「うちのパパよ」

 ああ、なるほど、お父さん。

 ――と、素直に呑み込もうとしたところで脳が情報を逆流させた。

「ぱっ……!?」

 うっかり流しそうになってしまったが、つまりそれは、世界有数の複合企業竜ケ崎HDを頂点でまとめ上げている会長その人ということだ。

 よくよく見れば、時折テレビや新聞などで目にする顔がすぐ目の前にあった。

「はじめまして。まりあの父の、竜ヶ崎剛拳(ごうけん)です。娘がよく遊んでもらっているようで、感謝しているよ」

「私こそ、まりあちゃ、――お嬢さんには同好会の活動を手伝ってもらっていて、感謝しています」

 叫ぶようにそう答え、頭を下げる。

「ああ、すまない。若い娘が、こんな初老の男に声をかけられても反応に困るよね」

「いえ。これは私がコミュ障なだけですので。お気遣いなく」

 瑞希の言葉に、剛拳は目を細めて笑う。

「愉快で元気のいいお嬢さんだね。人嫌いのまりあが懐くのもわかる気がするよ」

 その様子を見ていたまりあが、首をかしげながら言う。

「なんで二人とも、そんなによそよそしいの? 普段はもっとフランクに話してるじゃない」

「えっ?」

「……失礼、以前どこかで挨拶したことがあったかな?」

 顔にハテナマークを浮かべる二人を見て、そこでようやく、まりあは自分の勘違いに気づく。

「……ああ、そっか。そういえば、パパにはちゃんと話していなかったか」

「なにをだ?」

「会うのは今日が初めてだけど、正確には『はじめまして』じゃないよ。パパと瑞希パイセン」

 剛拳は見当がつかないといった様子で首をかしげているが、瑞希ははたと思い出す。

 そうだ。確かに面と向かって話をするのは今日が初めてだが、それ以外の場所ではそうではない。まりあの言う通り、彼(・)と(・)コ(・)ミ(・)ュ(・)ニ(・)ケ(・)ー(・)シ(・)ョ(・)ン(・)を(・)と(・)る(・)の(・)は(・)初(・)め(・)て(・)で(・)は(・)な(・)い(・)。

 であれば、いつもと違う態度をとることはかえって失礼に当たるのではないか。

 そう考えると、目の前の男性が、だんだんスマホでよく見るお尻のアイコンに見えてきた。

「あ、えっと、いつも『いいね』ありがとうございます。あと、ときどきコメントも」

「いいね? コメント?」

「ツイッターのことよ。馬券勝負で共同戦線を張るにあたって、パイセンにはパパの裏(・)ア(・)カ(・)教えてフォローしてもらってるから」

「はい。何か月か前にフォローさせてもらって、それからすぐにフォローを返してもらっています」

「……すまない、ちょっと待ってもらえるかな」

「まりあちゃんが言うようにX(エックス)ではずいぶんと仲良くしてもらっているので、今更初めましてって言うのも少しぎこちないですかね? あ、だったらこの場合、イボ痔丸さんって呼んだ方がいいですか?」

――ざわ。

(いぼ、なんて?)

(いぼ痔?)

(あー、分かる。あれつらいんだ)

 場に似つかわしくない単語に、周囲の視線が剛拳を中心に集まる。

「――――」

「私、『うさ耳ちゃん』です。ピンク色のウサギのアイコンで、動物の写真やニュースを無頓着に垂れ流してるアカウントの。ほら、先日も一緒にケモナー談義で盛り上がったじゃないですか」

――ざわ、ざわ。

(けも、なんて?)

(ケモナーってなに?)

(しっ、見ちゃだめ)

(あー、分かる。七三(シチサン)でケモ寄りが黄金比だよな)

「瑞希さん」

「あ、うさ耳ちゃんでいいですよ。遠慮なく」

「瑞(・)希(・)さ(・)ん(・)」

 少し大きめの声で言って、剛拳が瑞希の肩をたたく。

「はい」

「引き留めて悪かったね。まりあを待たせてしまっているようだ。もうすぐ次のレースが始まる。二人でテラス席に行って観戦してくるといい」

「はあ」

「……まりあ。家に帰ったら少しパパと話をしよう」

「? どうしたの急に?」

「いいね?」

「よくわからないけれど、わかったわ」

 言って、まりあは瑞希の手を引きテラス席へと向かう。

 仲良くしてもらっているXのフォロワーとあまり話が盛り上がらなかったことは心残りだが、今日の本題はまりあの馬券勝負だ。

 あとでしっかりと、イボ痔丸さんが喜びそうなケモナー画像を添えてフォローしようと心のリマインダーに書置き、瑞希はまりあの応援モードへと頭を切り替えた。




※現実では、G1レース開催日の馬主席はG1レース出走馬主限定になるそうです。

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