雨、脳の路地
∗初投稿です
∗フィクションです
∗今とは少し離れた過去に衝動で書いたものです
ゆるく曖昧に、雰囲気が吸えるくらいの軽さで読んでいただけたらと思います
「ねぇ、雨見に行こう。」
まるで観光にでも誘うみたいな調子で彼女がそんなことを言った。
雨なんてものをわざわざ見に行こうだなんて提案をされたのはもちろん初めてだった。
それでも疑問に思ったりはしないし、探りを入れようだなんて野暮なことはしない。
「うん、行こう。」
何も天秤に掛けずに誘いに乗る。
内心では彼女に誘ってもらえて今にも踊り出したい衝動に駆られている。
だから即答したのはいうまでもないことだ。
梅雨明けしてからの雨は彼女といる分にはひどく懐かしい。
また雨の日を一緒にいられる。
その事実に歓喜を噛み締める。
この近い距離でしか成り立たない、どこに誰がいてもあの騒がしい声たちに遮られることなく彼女の声が聞こえる。
その代償に雨音が混じるのは存外悪いことではない。
邪魔のないふたりが叶うのはこんな雨の降る登校日だけだと思う。
昇降口、下駄箱からスニーカーを引く。
そういえばと思い横を盗み見る。
あぁ、そうだったんだ。
彼女にはスニーカーよりローファーの方が様になるとは思っていたが、普段からローファーで登校しているんだという事実を飲む。
そして何よりも普段から登校するタイミングが被ることのない自分と彼女は下駄箱で鉢合わせるなんてこともなかったのだと思い知る。
いつも教室で彼女が後ろの扉から入ってくるのを確認することに注力していたから横殴りされた気がした。
それでも、ここが朝の下駄箱なんかじゃなくても彼女と下駄箱に並んで同じ場所に行くために靴を手に取ることができるのは幸せだと思った。
コツ
彼女がローファーをそっと丁寧に置いた。指をゆるりと踵にかけて隙を空ける。そんな風にしてしっかりと履いた。
「履けた?」
わざわざ口にして確認してくれるのが彼女の優しさだ。
頷けば言外に傘立てへと促される。
傘、並列で歩くと絶対邪魔になるよな。
どこかふわふわとした意識でなんとなくそんなことを考える。
そんな最中、ふと「あ。」と声がした。
どうかしたんだろうか。
近寄ってみれば傘立ての前で突っ立ったまま少しばかり気の抜けた彼女がいた。
無言で先を促すと、どうやら部活が休みになったらしい先に帰る友人に貸していたようだ。
朝までは雨が降っていなかったから、きっとその友人は朝練とかで早く登校したのだろう。
「てっきり折り畳みがあるものだと思ったんだけど、なくて。」
鞄に折り畳みの傘を入れていたつもりで忘れてきてしまったということだった。
「傘、入れて?」
恐らく私が自分から一緒に入ろうとは言えないことも知っていてこんな言い回しをしてくれるのだろう。
こんなことで彼女に頼ってもらえたなどと思ってしまうのが自分なのだろうか。
嫌になるほど浮かれている。
浅ましいなと思いながら、相手が彼女だからそれは諦めた方がいいんじゃないかと思い始めている。
なんて返したらいいか分からなくなってまた頷いた。
「ありがとう」が私にとってどれだけ重荷で厄介でトラウマなのかを知ってか知らずかとにかく言わないでいてくれるところも確かに救いになっている。
穏やかな微笑み、その表情だけで返事をしてくれた。
たまらなく好きだなと思った。
何かを期待されていなくても、このひとには失望されたくないと強く思う。
こんな調子で正気で傘にはいられない。
彼女と昇降口を出る。
傘を開いて入ったはいいものの、彼女がどこで雨を見るつもりなのか知らない。
「どこまで行くの?」
さすがに気になって質問してしまう。
「海、とか?」
海で雨か。そんな状況に立ち会ったこともないから行ってみたい。
「分かった。電車?駅まで行くの?」
「そうだよ、行こっか。」
学校の最寄り駅まで足を進める。
足早に歩いたりしないから合わせようだなんて緊張はしなくていいみたいだ。
楽だ、誰かといるのに。
隣にいて異質さを感じないことが悪いことのはずがない。
ないけど、そんなことがあると知らないから違和感が拭えないのだろう。
傘の中は呼吸がしやすくて驚いた。
あんなにどうにかなってしまう気でいっぱいだったのに不思議だ。
彼女といるとこんなことがままある。
想像していたのと違って落ち着くような心地に陥るのだ。
これ以上なんてないほど穏やかになる。
あぁ、自分はこんなにも穏やかになれたりするんだ。
本来ならいるはずのない安堵する自分を知ってしまってはもういよいよ手に負えない。
降りることはできないし、上って戻ることもできないんだ。
留まってしまいたくなるような不自由はこれ以外ない、自分には。
そんなことを思っては確信として扱って本当にしたくなるのだからしかたない。
これが確かだって、そうしたい。
もう、そういうことにしよう。
「切符いくら?」
「あそこまで。お金、ある?」
「ある、大丈夫。」
こんな簡素で必要最低限のやりとりだけで満たされる。
人間の心はこんななのか?
やっぱり分からない。
電車が来るまで十数分程度あるようだ。
待ち時間、長くてすぐなんだろうな。
「............、」
「......、.............。」
特に話題もなくただ見慣れた線路越しに街を眺める。
ちらちらといくつもの傘たちがとぼとぼと憂鬱げに進んでいる。
まぁ、雨だし何かに気が進むことなんてなかなかないだろう。
気圧で体調を崩すのが人類だし。
眺めていただけといえど時間は過ぎるらしく、電車の扉が開く。
「これ、乗ろっか。」
私が迷ったり置いていかれたりしないように言う。
電車に乗れば車内は雨天の影響でいつもより窮屈だった。
座席は既に埋まっており、立って過ごすことはやむ負えない。
ちらと彼女を確認すれば、こちらを目視しているようで目があってしまった。
きっと次は降りそびれてしまわないように見ていたんだと思う。
はぐれないような位置にいるかどうか、かもしれない。
彼女に見られていると自認してしまえば身体に緊張が纏った。
あぁ、早く終われ。
私が彼女に見られている時間なんか。
人口密度も影響してか嘘みたいに少しの窒息がちらついた。
揺られてというより揺さぶられて、急カーブあるのか?ないよな?と、一抹の不安まで過る。
幸い急カーブや突然の途中停車もなく目的地の最寄り駅まで着いたようで、
「降りよう。」
と彼女が告げる。
少しばかり混雑した人波の中、彼女の背中に注意を向ける。
電車とホームの隙間で躓くようなこともなく、無事降りることができた。
ホームに着くと見つめていた背中が回ってこちらを向いた。
最後までしっかり確認されるようだ。
幸か不幸かその駅で降りるのは正真正銘彼女と私のふたりだけだった。
ここからまたふたりか。
息、詰まらないといいな。
改札を出て海へ向かう。
傘を開いて彼女を迎える。
傘を持つ手が震える。
車内での緊張が尾を引いている。
それでも幾分か酸素を取り込み始めていた。
そんな緊張も彼女には気づかれている。
だから何も言わないんだろう。
「こっち。」
そう言われて海へ連れられる。
海に着いた。
あいにくの雨でやはりそこには人っ子ひとり見当たらない。
雨音と波の音しか聞こえない。
それらがノイズになることはなく、ただ穏やかな静寂がそこにあった。
「...ねぇ、...雨、......綺麗だね。」
何を言っているんだろう。
あまりにも突然で頭に何も入ってこない。
「...........、......。」
『月が綺麗ですね』の返しに『雨音が響いていますね』みたいなのがあったけど、どんな意味だったか思い出せない。そもそも月ではない。
こうなれば私には彼女の言葉の意味を正しく咀嚼できはしないのだろう。
言葉どおりに彼女の目には雨が綺麗に見えているのかもしれない。
ただ彼女からの次の言葉を待つことしかできない。
空白が時を溶かす。
「雷、落ちてきたら困っちゃうね。」
ますます分からなくなった。
「......、そうだね。」
もう言葉そのままの意味として受け取ってしまうことにした。
そんな風にしてしばらくの間彼女と雨を眺めていた。否、観察していたのかもしれない。
ただ定位置で突っ立って見ていたのだ。
飽きてきた頃、彼女の方を見やる。
表情がないわけではなさそうだけど、だからといってどんな心持ちの顔をしていたかと問われても正しく答えられない。
「海でも見る?」
漠然と彼女を見ていたら気づかれていたようで提案された。
頷いたのを合図に浅瀬からまあまあな距離をとって砂浜を歩いた。
彼女と私の左右も前後も人がひとりも歩いていないこともあって自由に歩くことができて嬉しい。
登校も下校も歩道を歩くだけでかなり神経がすり減る気がするのは自分だけだろうか。
自由も安寧もが保たれた小旅行は自分の都合のいい夢としか認識できそうにない。
こんなにも満ち足りることがあっていいのかと思う。
いつもただ隣に立って享受するだけでいて関係が成り立つとは、そんなことがありえていいものかと思ってしまう。
「疲れちゃった?」
長い間考え込んでだんまりの私に彼女の細やかな気遣いが刺さる。
「...いや、考え事してた。」
「そっか。」
深入りしない。それも確かな彼女だ。
誰かと一対一になるとき思うことがある。考えずにはいられない性分なだけかもしれないけれど。
いったい何を思って、考えて私と個人間でコミュニケーションを試みているんだということだ。
人間のうちのひとりといえどその役目は今私でなければならない必要性があることなのか。つまり、「あなたが今対話する相手が私でなければならない理由なんてあるのか」だ。
自分が好意的に思っている人物でない限りは特にそうだ。例えどんな用事であろうと企みであろうとなぜ今私があなたを相手にしなければならないのだ、と思うのだ。
自分があるのは自分じゃなくて紛れもなく他人2人組のせいでしかないのに、頼んでだっていないのに、勝手な都合だけでそのうち自我を持つと分かっている命を生産した。
自分だって思ったことくらいあるだろうに何を知ってきたんだか完璧に支配できる存在が子どもだといわんばかりの言動をとる。
ただ呆れてやれるほど自我に無関心じゃいられないから殺意だって湧く。
まるで分かっていない、というか分かっていて人生なんてものを背負わせるのか。
背負わせておいて自分に都合が悪くなった途端突っかかってくるんだから質が悪いというだけで済まされていいはずがないと思う。
簡単に言えば「私が生まれてこなければよかった」じゃなくて「あなたたちが生まなければよかったね」だ。
そんなこんなで私が好きでもない人間とコミュニケーションしてやる義理などない。
そう思うけれど、自我を持ったが運の尽きなのだろう。
あろうことか好きな人間といたいのも、好きでいることも自我があるからなのだ。
皮肉だなと思う。
私は好きな人間といたい自我も好きでいる自我も捨てたくない。
何も興味がないと全てにおいていえたなら私は人間でなくてよかった。自分で人間の自分を終わらせられたはずだ。
そうはいかなかった。
大きな好きや好奇心を知ってしまっては手遅れだったのだ。
そうこうして私の手遅れは彼女を欲しがった。
だから彼女だけがよかった。
私のすべてが彼女を好きであるというだけで、それのみで構築できるようにしたい。
そんなことを考えるようになった。
「そろそろ戻ろっか。」
そう言われて後ろを見た。
随分と歩いたんだなと思った。
どうやったって彼女との時は短いのだろう。
「分かった。」
そうだねとか、戻ろうとか言えないあたりが自分だなと思う。
駅に戻るとき彼女が口を開いた。
「ねぇ、嬉しい。」
そう言って私に笑んだ彼女がいる。
好きだなと思う。
「私も。」
END
描いても書いても消えない、確かに想い続ける気持ちがほしいと今でも思います
この作品から何か感じとれるものがあったのなら幸いです
閲覧ありがとうございます