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06 恋愛なんてクソだ

少し風に当たりたいと許可をもらって、

俺と古野沢さんは外へ出た。


夜の空気は冷たくて、さっきまで店内にこもっていた熱を少しずつ洗い流していく。


――あれから10分。

全てを吐き出した桃子さんは、どこか清々しい顔で帰っていった。


冷静さを取り戻すと同時に、みんなに頭を下げていたが……図らずもトリガーを引いてしまった響子さん達も、どこか気まずそうにしていた。


ほんと、何をしたんだあの人達は。

だが、その疑問は今は横に置いておくしかない。


桃子さんが去った今――むしろ本当の問題は、ここに残された。そんな感覚が胸を締めつける。


古野沢さんの横顔を盗み見ながら、言葉を探す。

どう声をかければいいのか分からない。

けれど沈黙を続けることは、もっと残酷に思えた。


「……大丈夫か?」


結局、出てきたのはありふれた一言、

たとえ別れたとはいえ、二股をかけられていたのだ。

正直、これが正解な気もしない。


ただ、そんな事実とは裏腹に彼女の言葉は意外なものだった。


「実はね、あまりショックじゃないの」

「……え?」


思わず間抜けな声が漏れる。


普通なら泣いて怒って、それでも納得できなきてもおかしくない。しつこく迫ってきた男に他に彼女がいたのだから。


けれど彼女の表情は、どこか吹っ切れたような――それでいて少しだけ寂しそうな笑みを浮かべていた。


「言ったでしょ? 私、恋愛をしてみたかったって」


夜風に髪を揺らしながら、彼女はゆっくり言葉を続ける。


「さっきの桃子さんを見ちゃったらね……ああ、私、彼のこと本気で好きじゃなかったんだなって思ったの。気づけなかったのは悔しいけど……」


そこで彼女は一瞬、視線を落とした。


「難しいね。恋愛って」

「そうだな」


あぁ、本当にそうだよ、古野沢さん。

恋愛なんて、知りたくない事実まで教えてくれる――最悪で、そして残酷な代物だ。


重い気持ちを抱えたまま扉を開けると、店内は外とは対照的に妙に明るい。

響子さんの姿は奥に消え、杏奈さんだけがセコセコと動き回っている。


その明るさに浸る間もなく――


「それで? 二人はコソコソ何してたッスか?」

「いやちょっと夜風に当たってだけだよ」

「それはさっき響子さんに言ってるの聞いたっス」


逃げ道をあっさり塞がれて、言葉に詰まる。

この子、なに考えてるか全然読めないから困るな。


「当ててもいいんスよ?」


杏奈さんは笑顔のまま、しかし視線だけは妙に鋭い。

冗談めかしているくせに、心の奥を見透かされているようで、思わず背筋が寒くなる。


「杏奈。どうせわかってるんでしょ?」


古野沢さんがため息まじりに返すと、杏奈さんは得意げに腕を組んだ。


「いやー、さすがに友達の恋愛事情くらい分かるッスよ。それに……4浪で就活してないなんて、隠そうとしても目立つっス」


杏奈さんは肩をすくめて大げさに笑ってみせる。

けれど、その目の奥にある真剣さは隠しきれていなかった。


「いやはやそれにしても梨里、派手にやったっすね」

「あれは、向こうが……」


ニマニマと笑いながら、杏奈さんはカウンターの上を布巾で拭いていく。

その仕草は一見アルバイトらしい無邪気さなのに、言葉の端々はやけに鋭い。


「それでその現場に居合わせがのが知り合いさんってわけですね」


杏奈さんの言葉に、思わず息を飲んだ。

……本当に、どこまで見抜かれてるんだ。


「ま、別にいいんスけどね」


急に声色を軽く戻して、杏奈さんはまた布巾でグラスを磨く。


「それにしても、友達が二股されてたのもムカつきますけど、……このこと桃子さんに伝えてないままでいいんスかね?」


杏奈さんの口調だから、緊張感はないはずなのに、空気が一瞬で引き締まる。

俺と古野沢さんは顔を見合わせ、言葉を失った。


そうだ。

これに関しては、大誤算だ。


桃子さんが泣くほど彼氏を想っているなんて、正直思ってもみなかったのだ。


もう他の女の影が見えた時点で別れるつもりなんだと思ってた。


だから、仮に二股のことを伝えても『そっか、やっぱり別れた方がいいよね』と穏便にとはいかなくても次に向かう理由になると。


だけど、


あんな姿を見せられたら――俺が口を挟む余地なんて最初からなかったんじゃないか。


今日が初対面だったけど、

俺の失恋話に自分のことのように感情を出してくれた桃子さんはいい人だ。


それに、こんなにも真剣に誰かを想える姿に胸を打たれた。

きっと俺なんかよりずっと真っ直ぐで、ずっと強い。


できれば傷ついてほしくない。


……ただ、現実は残酷だ。


“優しい嘘”なんて長くはもたないし、“残酷な真実”は必ず牙をむく。


結局、人はどっちに転んでも泣く。

それでも「選べ」と迫られる。


いや、仮に選ばなくてても、選んだことになってしまう。


優しい嘘と、残酷な真実。

どっちを選んだとしても、傷つくのは確定。


恋愛はなぜ、人にそんな残酷な二択ばかり押し付けるのだろうか?

希望みたいな顔をして、絶望しか運んでこない。


本当に何なんだよ。ふざけんなよ。


グラスの中の氷がカランと鳴るたび、俺の心も揺れ動いていた。


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