05 スリーアウト
古野沢さんの思わぬ距離感に心臓が大きく跳ねる。
「あっちに聞こえるでしょ!」
「えっ?」と反射的に声を上げたが、古野沢さんはそのまま無言で僕を見つめてきた。
その瞳に、何かを試されているような気がして、さらにドキドキが増す。
顔が近づいてくる。その息遣いが、耳元で微かに聞こえる。正直、心臓が胸の中で暴れているのがわかる。
まつ毛が長いし、鼻筋がシュッとしてるし、顔、整いすぎてるだろ!
あー、あれだな、美の暴力ってやつだ。
さっき、思いっきり暴力振るわれたけど。
「証人さんも気付いているじゃないの?」
小声の効果か、古野沢さんの声にゾクッとしてしまう。
傷心中せって関係ない。
耐性のない非モテ男にはこの状況は辛いものがある。
理屈ではなく本能で反応してしまうのだ。
だめだ、ちゃんと頭を回さないと。
古野沢さんがこの状況をつくったのは多分……。
「桃子さんの彼氏って多分あいつだよね?」
予測が合っていたことが、彼女の言葉で証明された。
「やっぱり、古野沢さんもそう思う?」
だよな。
俺でも頭に思い浮かんだんだ。
当事者である彼女が気づかないはずかない。
「状況聞くと思い当たる節があるし、大学で鼻曲がってる人なんかそうそういないし……」
変なところで変なものが繋がってしまった。
ミステリー小説の解決編といったところか。
「一応聞くけど、あの蹴りで鼻が曲がる可能性ある?」
俺の質問に、古野沢さんは少しの間考えてから、やや無表情で答えた。
「……あると思う。結構きれいに入ったし」
まぁ、なんて恐ろしい子。
「とりあえず、俺らが考えていることが合ってるか確認するかどうかだが……」
「したほうがいいと思う」
俺の服の裾をギュッと握り、古野沢さんが呟く。
たしかに。でも、問題もある。
もし、桃子さんの彼氏と古野沢の元彼が同一人物だった場合、優先されていたのは古野沢さんのほうだ。
桃子さんは連絡はとれなかった一方で、古野沢さんはストーカーまがいのことをされていたんだから。
二股されていたこと、その事実を桃子さんに伝えるのか?
他の女性の影を感じてるとはいえ、なかなか酷な事実を伝えることになるが、きっぱりと別れる決意後押しになるかもしれない。
ただ、事実確認にしなければ、伝えるかどうかの選択すらできない。
なにより、当事者である彼女が『したほうがいいと思う』と言ったのだ。
スッキリさせないと、古野沢さんも気持ちが悪いだろう。
かくいう俺もかなり気にかってしまっている。できれば、別人であってもらいたい。
「よし、確認してみるか。」
言葉を発するのは自分でも少し驚いたが、古野沢さんの言葉に背中を押されたような気がする。
もしこれが間違いで、二股なんてことがなければ、それこそ笑い話で済むのだろう。
「でもどうやって?」
「まぁまぁ、俺に考えがあるから」
古野沢さんが小首を傾げて、じっと俺の顔を覗き込む。
その視線に、思わずドキッとしてしまう。
いや、落ち着け俺。今はそういう場面じゃない。
「ただ、やってほしいことがあってさ、俺が桃子さんに彼氏のことを特定できそうな質問していく。その回答が合ってるなら、俺の背中を2回、違うなら1回叩いてほしい」
作戦を伝えると、拍子抜けしたのか不安そうな顔をしている。
こういう時、こねくり回したものはいらない。
シンプル イズ ベストだ。
どちらの回答でも、背中を叩くように指示したのは、何かアクションがあった方がわかりやすいからってだけだ。
「……わかった。信じていいのよね?」
明らかに不安そうだが、ここはこう言うしかない。
「任せ──」
言いかけた瞬間、耳をつんざくような声が飛んできた。
『わーーーーん!!!!』
反射的に肩が跳ねる。鼓膜が死んだかと思った。
そして続いたのは、聞き間違えようのない桃子さんの声。
「だめなの!やっぱり好きなの!」
……あと一文字だったのに。
すぐさま駆け寄ったバーテンダー二人が、「まぁまぁまぁ」と両手を広げて必死に宥めにかかる。
だが、どう見ても修羅場の火消しというより、火に油を注いでるようにしか見えない。
え?なんなの?この状況。
俺の目線に気づいたのか、響子さんが照れくさそうに舌を出し、
「なんか、本音引き出しすぎちゃったみたい」
と一言。
……何してんの、この人。
「私だめなの!彼がいないと仕事頑張れないし、休みの日何したらいいかわからないし!」
涙声のまま、桃子さんは言葉を重ねていく。
「告白してくれた時、『絶対に幸せにする
。』って言ってくれたし」(バンバン!)
いって!
え、ちょっと待って、背中叩かれたんだけど。
「バカみたいにポテチばっか食べるのも可愛いし」(バンバン!)
「……可愛くはない」
え?ちょっ古野沢さん!?
「映画見たら必ずエンドロールまでちゃんと見ようって言うし……!」(バンバン!)
「わざわざ、言ってこなくていいし……」
も、もしかして……。
「私が料理失敗しても『これはこれでアリ』って笑って食べてくれるし……!」
あ、手料理は振る舞ってはないのか。
……じゃなくて!
「古野沢さん!?」
「いや、当てはまってたから……」
古野沢さんはーさらっと言うが、
俺の心臓はバクバクだ。
つまりだ。
桃子さんが挙げた『彼の好きなところ』が、全て古野沢さんの経験と一致してるってことじゃないか。
いや、待て待て。
冷静になれ。
告白の言葉も別に珍しい言葉じゃない。
ポテチも映画も、そういう奴はごまんといる。
パーソナルな情報が一致しない限りまだ確定しない。
野球で言うなら、9回裏の攻撃に全てをかける場面だ。
「桃子!もうやめときな!後悔するって」
「そうッス!桃子さん、正直聞いてられないッス!」
響子さんと杏奈さんのドクターストップも虚しく、桃子さんの1球目が放たれる。
「4回浪人しても入った大学で留年してないところも……」(バンバン!
「最初隠されてた……」
くそ、4回浪人はなかなかいない……。ワンアウト!
「親がお金持ちだからってもう4回生なのに就活してないところも支えたい」(バンバン!!)
「何のために大学入ったのよ……」
何なんだよこいつ、というか同い年かよ!ツーアウト!
「大好きだよ!ショウくん!」(バンバン!!!)
「……チッ」
これだけ合致して名前も一緒は確定!スリーアウト!
誰か、この席チェンジしてくれ……。
隣で起こっている惨状には気付かず、桃子さんは机に突っ伏しているのであった。
「……知り合いさん、おかわりどうするッスか?」
隣で氷をカランと鳴らしながら、杏奈さんが目の前に立っていた。
俺は心の中で叫ぶ。
いや、空気読んで!?
「テキーラいっとくスか?」
「いかんわ!」
いたずらっぽく笑う橙色の髪の店員におもいっきり叫んでしまった。
クソ、なにもかもうまくいかねぇ……。