03 振られた次の日が一番気まずい
「頭痛てぇぇ……」
いかん、つい飲みすぎた。
昨日の公園での缶から、部屋に戻ってまた健二と飲み直したのが完全に余計だった。
シャワーを浴びても頭は重いまま。スーツに袖を通しながら、ため息が漏れる。
気が重い。
昨日は「振られた」なんて言葉で軽く済ませたが、実際は胸の中にまだ焼けるように残っている。
酒に逃げつもりだったが、あっさりと捕まえられた。
満員電車に揺られ、
頭をガンガンさせながら会社のエントランスをくぐった瞬間。
「……おはよ」
声がして、振り向く。
栗色の髪のセミロングで、肩にかかるあたりが自然に内側へカールしてる。
化粧も薄めで、ぱっと見は地味といえば地味だ。
けど──すれ違うとなぜだか、一瞬振り返りたくなるような透明感がある。
職場では無難なブラウスやカーディガン姿ばかりなのに、それすら「似合ってしまう」のがずるい。
目元は優しげで、笑うと一気に華やぐ。
同僚たちが次々来社する中、
昨日の張本人――安藤聖が立っていた。
まるで、昨日のことなどなかったかのように、微笑みかける。
「……あ、あぁ。おはよう」
口から出た声は、やけに上ずっていた。
『なんなの?最後の告白、めんどくさいんだけど』
あのメッセージが脳裏に浮かぶ。
やめろ、思い出すな。
普通に返せよ。俺が意識すればするほど、余計に変になる。
一方の安藤さんは、そんな俺の動揺なんて気づいていないみたいに、首を小さく傾けて微笑んだ。
「顔色悪いけど、大丈夫? 寝不足?」
――やめてくれ。
ただの気遣いなのは分かってる。
振られたからって職場でぎこちなくなっては、社会人として失格だ。
でも、そういう自然体な優しさが今はいちばん刺さるんだ。
「……まぁ、ちょっと飲みすぎただけ」
「ふふっ。三浦くんってお酒弱いのに、懲りないよね」
昨日の夜、俺をあっさり斬り捨てたのと同じ口から出てくる、他愛もない笑い声。
その無邪気さが、逆に胸を締めつけてくる。
安藤さんは特に気まずそうな素振りも見せず、さっさとIDカードをかざしてゲートを通り抜ける。
振った側の余裕か、あるいは――本当に何も気にしていないのか。
俺だけが、昨日の出来事を抱え込んでいる。
妙な疎外感に、さらに頭痛が増した気がした。
なんなんだよ、くそっ……。
雑念を振り切ってオフィスへ向かう足取りは重い。
完全な二日酔いの中、がんばってモニターに視線を固定していると、トントン、と肩を叩かれた。
「三浦先輩っ、おはようございます!」
振り返ると、わが社の元気印の後輩・宮沢恵美が満面の笑みで立っていた。
社内でも一際目立つその豊かな胸元が、揺れるたびに同僚の男どもがチラ見しているのが分かる。
小動物のような愛嬌が社内でも人気なのだ。
視線が痛い。
「お、おはよう」
「今日からの会議、先輩と同じチームですよね? よろしくお願いします!」
「……あぁ、よろしく」
宮沢さんは屈託のない笑顔でペコッと頭を下げると、そのまま俺の机の横に腰を掛けるように寄りかかる。
「……あの、宮沢さん」
「はい?」
「そこ、俺のデスクなんだけど」
「えへへ、ちょっとだけですって!」
小さく舌を出す仕草がいかにも後輩らしい。
その屈託のなさに、思わず力が抜ける。
ほんとなんなの?この子?どういうつもりなの?
周囲の視線がまたチクチクと刺さってくる。
同僚たちの「いいなぁ三浦」「またかよ」という無言の空気が背中越しに伝わる。
宮沢さんが首をかしげるのと同時に、斜め向かいの席から視線を感じた。
――安藤さん。
無表情のまま資料に目を落として、少し強張った指でページをめくっている。
集中しているみたいだ。
そうだよな。別にどうでもいいよな……。
胃の奥が、酒の残りかすみたいに重たく疼いた。
チャイムが鳴り、ざわざわとオフィスの空気が昼休みモードに切り替わる。
「三浦先輩! お昼、一緒に行きませんか?」
宮沢さんが弾けるような笑顔で立ち上がった。
「え、あぁ……」
正寿は思わず言葉を濁す。断ろうかと思ったが、周囲の「またかよ」的な視線に背中を押される。
結局二人で食堂へ。
列に並びながら、宮沢さんが楽しそうに喋る。
「先輩って、意外と飲むんですね。今日ちょっと顔赤かいですよ?」
「……え、マジで?」
「みんな気づいてると思いますよ?」
そんなに顔に出てたのか、これはちょっと反省しないとな。
「もしかして、お酒で忘れたいことでもありました?」
ニヒヒとイタズラっぽく笑っているが、なかなかに鋭いなこいつ。
「……まぁ、色々とな」
正寿はトレーを取りながら、曖昧に笑ってごまかした。
「ふふーん、怪しいですねぇ。じゃあ今度飲みに行きましょうよ! 私、先輩のこと酔わせて本音聞き出しますから」
「……おいおい、脅しか?」
「褒め言葉ですっ」
宮沢さんの人懐っこさに、胸の痛みが少しだけ和らぐ。
そのとき――視界の端に映った。
安藤さん。
同じ部署の数人と一緒にトレーを持ち、こちらに近づいてくる。
一瞬、視線がぶつかる。
……けれど、安藤さんは何事もなかったかのように、別のテーブルへ進んでいった。
「先輩?」
「……いや、なんでもない」
笑顔で隣に座る宮沢さんと、素っ気なく背を向けた安藤さん。
その対比が胸をえぐる。
健二の言葉が、また耳の奥で蘇る。
――「恋愛なんて最後は“信じられるかどうか”だぞ」
信じるも何も綺麗なに振られてるんだ。
そう……振られたんだ……。
箸を持つ指が、妙に重く感じる。
隣で笑っている宮沢さんの声が、心地いいはずなのに、耳の奥で反響して遠のいていく。
一つの声が囁く。
――「いいじゃないか。振られたんだ。宮沢と楽しそうにしてれば、自然に忘れられる」
もう一つの声が突き刺す。
――「忘れたいのか? 違うだろ。安藤さんを見て、まだ胸が痛んでる。それが答えだ」
うるさい。
切り替えろよ。
長いんだよ。
女々しい。
バカなんじゃないか
魔王になり損ねた俺には、
こうしてウダウダと子供みたいにいじけているだけ。
「先輩、やっぱり元気ないですね?」
「……いや、二日酔いがひどいだけだって」
宮沢さんの声に、かろうじて笑ってみせる。
けれどその笑顔すら、どこか他人の顔みたいだった。
昼休みのざわめきの中、
ただ一人取り残されたような感覚が、じわじわと胸を満たしていく。