30 彼女の覚悟
目の前で繰り広げられている修羅場を俺と杏奈さんは冷静見守る。
机に置かれたグラスに二人とも触れてすらいない。
「なんか……ここまで来ると清々しいッスね……」
「桃子さんがなんで付き合ってたか本格的に理解できないんだけど……」
「愛は理屈じゃないんッスよ」
「お、杏奈さん。詩人だね」
軽口は叩いてるが、雰囲気は妙だ。
他のお客さんは気にも留めず「なんかやってるわ」という感じで、この異様な空間を気にも留めていない。
こういう店では男女のいざこざなど珍しいことでもないのか。もしかしたらこのガチャガチャした店の雰囲気をがこういう事の違和感を他の客にとっては小さなことにしているのかもしれない。
それを良いことに俺達もカメラを向けている訳だが。
こんだけごちゃごちゃしてたら、紛れやすいはず。
「というか、これちゃんと録れてるのか?」
「録画のマークでてるから大丈夫ッスよ」
「なんか俺、おじさんになった気分だわ」
「25歳って絶妙なラインッスね」
なんだろう……。微妙にグサッとくる……。
「お久しぶりです!瀬川先輩」
「……」
嘘みたいな笑顔を向ける古野沢さんに対して、瀬川は何も言えずだ。
先ほまで桃子さんに向けて話していた薄っぺらい言葉すら出てこない。
「あれ?瀬川先輩、彼女さんと修羅場ってところでしたかね?」
白々しい。実に白々しい。そして、清々しい。
「ち、違うんだよ、これは!」
「なにが?」
桃子さんの声は冷たい。
普段、知っている声色ではなかったのだろう。瀬川は明らかに顔が引きつっている。
「チッ」
舌打ちをしてから瀬川はソファの背にもたれかかる。
「……めんどくさ」
言い訳はできないと悟ったのか、不貞腐れているのが伝わる態度。
「全部分かってんだろ?なに?わざわざ、物申しに来たってわけ?」
「察しいいですね。先輩」
「ったく、ミスったなぁ。まさか、桃子と梨里が繋がってるなんて予想外だわ」
詫び入れる様子もなく、瀬川はわざとらしく頭をかく。
「まぁ、いいや」
不穏な空気感。
身体にまとわりつくようなジメッとした空気感に、背中がゾクッとしてしまう。
「おい、お前らよかったな。上玉が一人増えたぞ!」
どこから出てきたのか、瀬川の声に反応した男たちがぞろぞろと古野沢さん達がいる席を取り囲む。
「上玉って……異世界か世紀末でしか聞いたことない語彙ッスね……」
「その感想が出てくる女子大生に俺は驚きだよ」
8人ぐらいはいるだろうか。何人か、前ここで見たやつもいるな。
なるほど。
周りがこの状況に周りが不自然に関心がなかったのは、近くの席にいたのがこいつらだったからか。
「梨里。お前がいくら強いっつっても、この人数の男を相手するのは無理だろ」
「ほんっと情けないわね、あんた。女の子1人にこれだけ用意してたの?」
「なんとでも言えよ。今からお前らには天国を見せてやるからよ」
そういった瀬川の言葉に汚い下卑た笑い呼応する男達。
普通、怖いはずだ。
「あんたが元彼って完全に黒歴史ね……。ほんとバカみたいに妥協で交際付き合うんじゃなかったわ」
しかし、彼女は臆することなくその場に凛と立っている。
恐怖なんてまるで感じていない。
「梨里ちゃん……」
「桃子さん、私は大丈夫」
「でも……」
「桃子さんが近くにいると逆に危ないから」
「うん……」
やるせない表情をしていたが、自分にできることはないと悟った桃子さんがその場から離れる。
「痛い目みたい奴からかかってきなさい」
様になっている構えをしながら、臨戦態勢に入る。
「おいおい、女1人で何言ってんだよ」
「状況見えてねぇのか?」
「どうする?お前いってみろよ」
「え?俺?すぐ終わっちゃうよ」
促された1人が古野沢さんに近づいていく。
ニット帽を被ったラッパーみたいな格好をした男。
ニットくんとでも呼んでやろう。
「可愛い顔してるから、もったいないけど一発だけしゃーないか」
「気をつけろよ。そいつ、なにか挌闘技やっていたらしい」
「もー瀬川くん。何ビビっちゃってんすか」
シャイニングウィザードを食らった経験がある瀬川の助言も相手にせず、ニットくんは腕をぐるぐる回す。
瀬川も瀬川で自分が古野沢さんにシャイニングウィザードを食らって鼻が曲がったことは、仲間にもプライドが邪魔して言えてないのだろう。
「女を殴んのは趣味じゃねーけど、悪く思うなよっ!」
拳を振り上げるニット君。
「がっ!?」
その拳は彼女に届く前に失速していた。
プルプルと震えながら、膝を地面につく。
その前には、足を高く上げたまま綺麗なポーズで静止している古野沢さん。
素人目には速っ!という感想しか出ない。
あの日見たシャイニングウィザード。
それを思い出せるような一瞬だった。
「次、誰?」
足をゆっくりと下ろしてから、冷たい目線を男たちに向ける彼女の姿に思わず見惚れてしまった。
「え、あの子、凄すぎない?」
「ふふん、凄いでしょ。私の親友は」
なぜか誇らしげな杏奈さんを横目にふと古野沢さんと出会った時のことを思い出す。
『格闘技ばっかやってると“女子”って扱われないのよ。部活の仲間からも“私=強い”で固定さちゃうの』
この仲間から評価を彼女はそれほどの努力で手に入れたのだろう。
彼女の背景を詳しく知っている訳ではないが、強さが評価される世界で彼女はずっと戦ってきたんだ。
「な、なんなんだよ」
「こいつ、やべぇ……」
「ニットの奴、白目向いてやがる」
あまりに一瞬の出来事に取り巻き達も明らかに動揺している。
ていうか、あいつ仲間内でもニットって呼ばれてるのかよ。
「おい、誰でも良い!こいつやっちまえ」
「おう!」
「クソっ!!」
今度は二人、古野沢さんに突っ込んでいく。
先ほどとはうってかわり、男たちに油断はない。
だが、役者が違う。
「ほんと、最悪」
ため息をつきながら、拳をひらりと交わし、まず一発。
拳が1人の男の顎に入り、男は後退りをした後、膝をつく。脳が揺れて立っていられないのだろう。
そして、そのまま流れるような動作で、蹴りをもう一人にお見舞いしたのだった。
「すご……」
あまりに綺麗な一連の流れに言葉が漏れてしまった。
圧倒的な強さに明らかに男たちもどうしていいか分からないという顔をしている。
「……梨里、女の子がはしたないじゃないか?」
「関係ないわよ。あたしは桃子さんが無事にあんたと別れられたら、あとはどうでもいいもの。あんたがその邪魔をするなら振り払うだけよ」
「まぁまぁ、俺は気軽に遊びたいだけなんだって。こんな遊びができるのも若いうちだけだろ?今を楽しみたいだけなんだって」
「そのくだらない遊びにあたし友達巻き込むなって言ってんの」
「それは、あれだぜ?付き合ってる時、梨里がなにもさせてくれないから」
「人のせいにしてんじゃないわよ」
瀬川がいくら薄っぺらい言葉をかけようが、とりつく島もない。
「だいたい結婚するわけでもないのに、どう遊ぼうが俺の勝手だろ?」
「あなたの都合でしょ、知らないしどうでもいい」
自分都合で他人のことなどはどうでもよくて、考えようとしていないのだろう。
完全に開き直っている瀬川に対して、古野沢さんは苛立ちをぶつけるように言葉を放つ
「あたしから言いたいのはもう桃子さんに関わるなってこと」
「……お前に関係ないだろ。桃子は一人じゃなんにもできないんだよ。俺がいないと何にもできないないんだから。だろ?桃子」
「はぁ!?あんたっj!?」
「お前は黙ってろよ!」
胸の前で手をぎゅっとする桃子さん。
男たちに臆することなく、立ち向かう古野沢さんの姿に思うところがあるはずだ。自分のために、年下の女の子が一人で戦っている。そんな場面をただ見ているなんて、律儀で誠実な彼女なら自分を許さないだろう。
「もう、会わない……」
「はぁ……?」
絞り出した声は確かに意思の強さを秘めている。
「あなたとはこれっきり。確かに私は弱い……。1人だと不安で何かにすがりたくなっちゃう。実際、あなたがいたから仕事も頑張れたし、嫌なことも乗り越えられた。だけど、気づいたの」
「……ちっ」
目線をしっかりと瀬川の方へ向ける。
「あなたにそんな価値がない」
「んだと……」
「私の人生はあなたに使うほど暇じゃないし安くない!あなたなんかに寄りかからなくてみ、素敵な人はたくさんいるし、私のために頭を悩ませてくれる人も、私のために動いてくれる人もいる。私もその人たちに恩返しがしたい。顔色なんか伺わず、素直にそう思える人達を大事にしたい」
まっすぐ言い放つ彼女の姿はたくましかった。
長い間、縛られていた鎖から解き放たれたような、そんな身軽さを今の桃子さんから感じる。
「いやぁ、桃子さんビシッと言いましたね」
「まぁ、こんだけしっかり言えば、大丈夫だろ」
これ以上、食い下がるなら、この一連の動画を盾にすればいい。
男たちが女の子二人を襲おうする動画、音声でもでも彼女たちを辱めるような事を言っている証拠はこの動画にある。
古野沢さんが撃退しているところも先に手を出しているのは向こうなので正当防衛だ。
ほんと、しつこく先に手を出すなと釘を差しておいてよかった。
鬱陶しそうな顔がされたが……。
何はともあれ、あとは動画撮っている旨を向こうに伝えて、これ以上関わるなら動画を瀬川の会社に持っていくとでも言えばいい。
「何してんだ、お前ら」
当初の予定通り、瀬川たちの前に出ていこうとした時、男に声をかけられた。
「えっと……」
突然声をかけられ、言葉に詰まってしまう。
20代前半ぐらい男が3人。
なんだろう、全員一昔前に流行ったダンスボーカルグループみたいなチャラいとヤンキーのハーフ&ハーフという感じだ。
「ったく、瀬川に呼ばれて来たけど、どういう状況だ?揉めてんのか?」
「おい、ニットのやつ、伸びてねぇか?」
「呑みすぎてんじゃねぇの?」
しまった。こいつら瀬川の仲間か。
「んで?なに?お兄さん撮ってたの?」
「なんか怪しくね?こいつ」
「お、隣の子可愛いね、俺らと遊ばない」
矛先が杏奈さんに向いた瞬間、袖がぎゅっと掴まれる感覚だけあった。
「これは……マズイっすね……」
同意だ。
どうしよ、これ。




