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29 幻想を信じますか?

恋愛なんて幻想である。

一時の勘違いだ。


普段、どれだけ理性的に生きていても、街行くリア充たちに唾を吐いても、恋愛リアリティーショーをバカにしていても、関係ない。

いざ自分が当事者になってしまうと、周りが見えなくなる。


目が良く合ったあの子。

話しかけてくれたあの子。

笑いかけてくれたあの子。


別に特別な意味はない。

こっちのことなんか興味なくて、コミュニケーションの一環として、至極当然な反応をしているだけ。


なのに、相手に勝手に期待をして、裏切られたら胸が張り裂けそうになるほど傷つく。

何とも滑稽だ。

相手からしたら迷惑な話だろう。


そういうつもりがないのに、好きになられて、それはそれで罪悪感も残る。

しかも、こういうことを人に話すとモテ自慢みたいになるし。


誰も幸せじゃない。

仮に告白が成功しても地獄だ。


浮気、束縛、結婚。

何も問題がないのなら良い。そのまま幸せになってくれ。

だが、現実はそうはいかない。


今回の件も特に珍しいことではないのだろう。

「毎日同じものを食べていたら飽きちゃうでしょ?恋愛も一緒」と真面目に言う奴がこの世界には意外に多い。

浮気の正当化としての常套句。


少し納得してしまっている自分もいるのが、腹立たしい。

手に入れられるものが目の前にあるなら、みすみすそれを見逃すことを惜しいと考えることは人間として不自然ではない気がする。


だからといってしてもいいのかと言われるとNOというしかないのだが、こうもぼんやりしてしまう時点でろくなもんじゃない。

恋愛によって、幸せになるハードルが無駄に高い。


「相変わらずここは騒がしいッスね」


無駄としか感じない騒音の中、橙色のショートヘアが不機嫌そうに呟く。


「よかったんスか?向こうのホームッスよ、ここ」

「指定してきたのがこの店だったからね。店内だし人の目もあるからそんな変なはできないでしょ」

「そうッスかね…」 


俺たちは今、瀬川の様子を見に来たバーにいる。

ステイルに桃子さんに呼び出された日からすぐ、彼女へ瀬川からこの場所へ来て欲しいと連絡があった。

バーで口説き落としたいのか、何か企んでいるのか、それは分からない。


すでに瀬川の姿は確認できている。

前と同じ席。ただ違いがあるとすれば、今日は取り巻きはおらず一人でいることだ。

テーブル席で、桃子さんが来るのをグラス片手に待っている。


なにが起こるかは分からない。危険かもしれない。

ただ、あえて向こうも指定した場所で話すことに乗ったのは理由があった。


数日前、俺は弁護士事務所に来ていた時のこと。

ステイルで知り合った朝比奈さんに相談したいことがあると連絡し、それならと事務所に呼ばれたのだった。


オフィス街にあるビルの3F。

会社からも近かったので、仕事終わりに寄らせてもらったのだ。


「お待ちしておりました、三浦さん。私、弁護士の朝比奈 啓吾けいごと申します」

「三浦です。よろしくお願い致します」


事務所に着いた俺を出迎えてくれたのは、朝比奈さん本人ではなく、髪を上げてデコをしっかり見せ大きめの四角い黒縁メガネ、グレーのスーツがキリッキマった男の人だった。


なるほど、この人がお兄さんか。

仕事の厳しい人という情報しか持ってないが、確かにキッチリしたイメージ通りの弁護士という印象だ。


「妹は今、電話応対中でして、この部屋でお待ち下さい」

「あ、ありがとうございます……」


通された部屋は応対室だろうか。

殺風景さがなんだか緊張感がある。


「ところで、三浦さん。妹はどういった関係で?」

「バ、バーでたまたまお会いして名刺をいただいただけです」


なんだか、眼鏡が光った気がして焦って答えてしまった。


「そうですか……」


お兄さんはそれだけ言って部屋を後にする。

なんだかまだ疑われているような。妹が心配なだけか。


「ごめんなさい。電話が長引いちゃって……」


しばらくすると、そう言いながら朝比奈さんが入ってきた。

バーで会った時と印象は変わらない。

テレビや雑誌で美人弁護士という特集されていても違和感がない、こう見るとお兄さんと真面目というかスマートな雰囲気が似ている気がする。


「それで、早速だけど要件は大体電話で聞いたけど」

「はい。弁護士の方から意見を聞きたくて……」

「そうですね……」


朝比奈さんは一息ついてこちらを見る。


「大事なのは、証拠です」

「証拠?」

「別れ話を拒否されているなら、まず証拠を集めてください。一方的な別れの通告、相手の反応、着信履歴やラインのトーク履歴、全て記録に残すこと。それが、後々の法的手段を取る時に役立ちます」


朝比奈さんの言葉は、冷静で的確だった。


「なるほど……」

「ただ電話で言っていた通り、別れを拒否しているだけというだけなら、警察が動くっていうのは正直なかなか……」

「そうですか……」


今のところ、別れを拒否する連絡が桃子さんにいっているだけで、直接的な被害はない。だけど、あいつはそれだけ済ますつもりがないことを俺は知っている。


「だけど、エスカレートしていくとそういった証拠は必ず武器になります。」

「なるほど……」


確かに、現時点で警察に相談しようが、いいとこ厳重注意ぐらいか。

そんなもの突破されたら終わりだ。

だったら……証拠が弱いなら……作ればいい。


「ごめん。こんなことに付き合わせて」

「いやいや、ここまで来てそれはなしッスよ。それに男の人がずっと一人でカメラ向けていたら、完全に不審者ッス」

「それもそうだね。ありがとう」


今回、俺たちの役割は動画係。

例によって、あのメガネの店員さんの協力の元、なるべくバレにくい席に通してもらい瀬川の席の様子を動画に収めることだ。


『けど、どうしても別れたいって聞かないなら……。最後にめちゃくちゃにするってのもありかもな』


あの言動からして今回何かしてくるのは確かだ。

実は、裏もとれている。


「しかし自撮りしてるふりをするって、なかなか心のハードルが高いな……」

「仕方ないッス。そうしてれば、テンション上がってるカップルが写真を撮ってるかライブ配信してるかにしか見えないッスよ」

「そういうものか……。というかソレ、久々に見たよ」

「自撮り棒ッスか。お姉ちゃんが大学生の頃使ってやつッスよ」


そう言いながら棒にスマホをセットする。

たしかに学生しか使わないよな、これ。


「そろそろッスよ」


杏奈さんがそう言った瞬間、タイミングよく桃子さんの姿が見えた。

表情は固い。緊張と不安がこっちにまで伝わってくる。


相反して、古野沢さんは覚悟が決まっていると言わんばかりの面持ち。

想像でしかないが、彼女が空手をやっていた時、試合前はこんな顔をしていたのではないだろうか。


「久しぶり……」


桃子さんが瀬川に声をかける。


「桃子!待ってたよ!会いたかった!さぁちゃんと話し合おう。俺が君をどれだけ想っているか!それが伝われば、別れるなんて結論には至らないはずだ」

「ちょっと待って」


明らかに喋りすぎな瀬川を桃子さんが冷静に制止する。

前ここで見た時とは違う。余裕がなく焦っている様子だが、全てが胡散臭く見える。


「紹介したい人がいるの」

「紹介したい人?まさか……男か?そんなはずない!君が浮気なんて最低な行為をするわけがない!だってそうだろ?俺たちは確かに思いあっていた。付き合ってた期間、連絡していない時は確かにあったけど、心は繋がっていた。俺はそう思っている!いや、俺はそれに甘えてしまっていたんだ、ごめん!」


やばい、聞くに堪えない。


「不安にさせていたのは全面的に俺が悪い。だけど……!これからは桃子に寂しい思いはさせない!連絡もすぐ返すし、デートも桃子の行きたいところに行こう。もう朝からパチンコに付き合わせたり競馬やボートに付き合わせたりしたりしない。桃子がそういうの苦手なの知ってたのに、無理やり付き合わせて悪かったよ!金も返す。俺が愛してるのは桃子だけだ。だから、別れるなんて言わないでくれよ!頼む!」

「まったく……どの口が言ってんだか……」


終わっている懇願に対しての俺の想いをそのまま言ってくれた聞き慣れた声。


「なっ……!」


さっきまでの饒舌さはどこへ行ったのか。

金髪ギャルが瀬川の視界に入ったことは反応からして分かりやすかった。


「り、梨里?どうしてこんなところに…」

「お久しぶりです!瀬川先輩」


青ざめた顔をしている瀬川と満面の笑みの古野沢さん。

このコントラストが、この空間の異様な雰囲気を演出している。


ここからだ。

どう転ぶかは分からないけど……見届けるしかない。

だって、俺は『証人』なんだから。

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